大学時代に一緒に自主上映の活動をしていた友達の訃報を聞いた。
今、自殺をテーマにした小説、重松清の「舞姫通信」を読んでいて、20代の頃、相次いだ友達の自殺を思い出していただけに、病気で亡くなった友の死への思いは、自死とは異なる死に対する無念さを思う。
逝く人を思う時、それは自分の生きている現実とのギャップが逝く人を思う形となると思うわけで、自分がどれだけ「逝く」ということをリアルに考えられるかが、逝く人を思うになるのだと思う。
多くの逝く人を見送った自分はだからこそ、安易に逝く事を語りたくないし、安易に生きる事を語りたくもない。
ただ今は逝く人の無念さに合掌するだけの気持ち。
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