便利さや なくして判る 依存中毒
PHSもジムの方の車の中でお眠りしていたという知らせが入り、今日、ご帰宅予定で、一安心であると同時に、その依存度合いを実感する数日。
人間、偉そうに云ったって、みんな猥雑で、お下劣で、スケベだよ、と人間たちのバイタリティが描かれる、母国セルビアを舞台にしたエミール・クストリッツァ監督の新作『ウェディング・ベルを鳴らせ!』を観に行ってきた。
この映画に出てくる人間は誰ひとりとしてお澄まし顔などするものはなく、感情のままに動き、感情のままにぶつかり合う。お澄まし顔をする時はそれは人を騙す時。
セルビアにツイン・タワーの世界貿易センターを作ろうとする悪玉がいるかと思えば、田舎に住む祖父ちゃんは恋敵のおじさんのラブ・アタックに日々を費やし、余念がない。
みんなが自分の大切なものを守る事に余念がない世界をパワフルに、スラップスティックに描き出す。
初めは孫のために作り出したウェディング・ベルもいつしか自分のために変わり、生きる希望が生まれてくるシークエンスなんて、人が人を好きになる素晴らしさを描ききっている。ここでは機械はあくまで道具である。
東欧のジプシー、クレツマー・ミュージックのにぎやかだけど、哀愁に満ちたメロディにのって、ヨーロッパの果てに住む人たちからの人間くささを教えられる。
便利とは 人と繋がる 道具なり
アニマル・セックスし、犯し終えたら、打ち殺す。そんな変態も映画には出て来ていたなぁ。
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