2010-12-06

レオニー Leonie

イサム・ノグチの母の物語である。

制作に協力した札幌映画サークルの友だちから観たら感想を聴かせてと言われ、観に行き、僕のツボにはまったのか、何度となく涙が流れた。

映画を観ていて、レオニー・ギルモアと似た生き方をした実母を思い起こしていた。

先入観で、異国の地で未婚の母として生きた女性の物語と思い込んでいたけれども、そんなテーマ主義はあっさり棄てて、松井久子監督は、ひとりの女の生き様を綴るように見せてくれた。

好きな男を断ち切れず、息子と一緒に押しかけたけれど、男には妻がいた。結果、未婚の母になったレオニーは女手一つで息子を育て、更に私生児として娘を産む。

けして進歩的な女性でもなく、男と所帯を持つことを夢見た保守的な女性が、ひとり生きなければならない状況に立たされた。そんな形でレオニー・ギルモアを松井久子は捉えているように思え、だからこそ、イサム・ノグチの母の物語にもなり得ている。

日本の封建社会を描いた箇所では、原田美枝子演じる日本の女子教育先駆者と評価される津田梅子が、社会に合わせた変革しか出来ないことを語る場面くらいなのだけれど、それで十二分に日本流の国際化のおかしさは描かれていると思う。

アメリカで日本人との子供を持った差別にあい、日本に来て、異人の妾と蔑まれ、再びアメリカに帰り、日本帰りと見られ続けたであろうレオニーの外的な差別、苦難は深くは掘り下げられなかったけれど、女の生き方として提示されたこの映画は何か不変なものを描いているように思われる。

母の訃報を聴いたレオニーが日本の浜辺で海に飛びこみ泳ぐ場面、僕は実母が父親も判らない身重な身体で実家に帰り、迎え入れてくれた祖父の死を聴いた時もおそらくこんなショックだったろうと思い返していた。

人は老いて人を知る。レオニーが母を失った時、母を知ったように、イサム・ノグチもまた、第二次世界大戦の苦難を経て、母レオニーを知っていったのだろう。

知った時、大切な人は傍には居ないのだけど。

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