「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」
暗いニュースに追い打ちをかけるコメントの嵐。廻りで聴く話は、解雇、リストラ、希望退職。
笑うに笑えない『海江田経財相、年収1500万円「金持ちじゃない」』なんて云うニュースも飛び出す終末世相の昨今。
読んでいる重松清の「みんなのなやみ」にはリストカットするとすっきるする女の子の悩み相談なんて出て来るから、今はまさしく、井伏鱒二ばりに「さよならだけが人生だ」なのだろう。
「死ね死ねコール」が大好きな日本人、「お国のために」「会社のために」「みんなのために」死んでくれないと言い続けて、切腹、特攻、企業戦士、虐待、いじめのパラノイア。
少子高齢、借金大国なのに、これだからやになっちゃう。
そんな時、寺山修司の「さよならだけが人生ならば」を知った。
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなる地の果てに咲いている 野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。
思えば、ちょうど一年前、初の入院で、絶対安静、緊急入院、面会謝絶と一式全て体験し、生きている事を実感した。
面会謝絶の個室部屋から見た街並みや入院三週間後、やっと許されたシャワーに入る時、看護婦さんが「好きなだけゴシゴシ洗ってもいいからね」という言葉に泣いた事。それらを今、思い出す。
傍にいて応援してくれる人がいるから人は頑張れる。
「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません。」
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