天気予報は大荒れとのことで、夜中はずっと風の音がうるさく寝付かれなかったけれど、朝、カーテンを開け、外を見ると思ったほど雪は積もっていない。
ちょうど11年前、同じく日曜日だった今日、雪がしんしんと降り、朝早い仕事だった僕は雪かきもそこそこに仕事に出かけた。
僕が出かけた後、父は家の出入り口の横に積み上げ雪を綺麗にするために雪かきをしに出かけ、やり終え、居間に戻ると「疲れた」と一言云い、ストーブの傍に横になったまま、亡くなった。
若い頃は粋がっていた父は、敗戦後、満足な食べ物もないまま、働きづめで、身体を壊したものの、高度経済成長期とともに栄養を取れるようになり、健康を回復したものの、今度は糖尿となり、若い頃の余病が出て来たのか、狭心症の薬を飲むようになっていた。
働きづめの父もいいように使われていた仕事を辞めた後はきつい仕事を点々とし、定年となった時、隠居生活をする事とし、余生を愉しむことを決めた数年後のことだった。
死因は心筋梗塞で、寝込まず、看病されることないあっけない死だった。
更年期で体調を崩していた養母は父のあっけない死を受け止めるだけで精一杯だったと聴く。
それから11年。似たような一日が始まった。
11年前もそうだったのだろう。12月の二週目は職場全体の忘年会の日。
今のような景気の厳しさはまだなかった頃の華やいだ年忘れの日は父の急死で記憶が消されている。
そんなことを思い出しながら、一日を職場で過ごし、当時の上司の訃報を聴いた。
いい想い出のない上司の想い出の一つに父の訃報もある。
訃報を聴いた時の何とも云えない寂しさは年々薄れつつはあるけど、忘れはしない。
そして、今年の年忘れ。職場の人数減少で忘年会も縮小傾向になりつつも、今年一年の労をねぎらう催しは「仲間意識」をかき立てる。
友川かずきさんの「生きてるって言ってみろ」を聴きたくなった。
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