今朝から氷むき出しの歩きにくい街並みも湿った雪が降りしきり、積雪でようやく歩きやすくなった感じの年の瀬、年越し準備も着々と終え、毎年恒例の札幌市内の映画館のスタンプ・ラリーで僕としては初完走になる今月5本目の映画『黒く濁る村』を観てきた。
シネマ情報サイトでも注目度合いが高く、「シルミド/SILMIDO」のカン・ウソク監督が韓国のウェブ・コミックを映画化したものとして、本国では大ヒットしたらしい作品。
サスペンス仕立てで語られる物語は、ベトナム戦争帰りで村人から慕われた「神」のような父の死を知らされた、父と行き来がなかった息子は、父と共に村を作った村長からその死因を聴かされることなく、邪険にされることに不審を抱き、その真相を知るべく村に残る。
オープニングの「神」のような父と「悪魔」のような警官であった村長の関係が描かれるところから、この監督が得意とする権力の暴力がしつこく描き出され、「神」と「悪魔」が手を結び出来た村で起こった父の死から、社会の闇を解き明かす。
160分の長尺ながら、入り組んだ人間関係を解き明かしていく描き方は飽きさせず、一途に動く息子がまどろっこしいけど、面白く観ることが出来た。
韓国社会の闇を描きながらも、娯楽色を失わない作りはさすがだけれど、「シルミド/SILMIDO」も社会派なのか、娯楽映画なのか戸惑ったのと同じく、映画『黒く濁る村』も社会派とも、娯楽映画ともつかない漠然さが残った。
今の時代、社会告発というイディオロギーを振りかざすのはもはや古いのかも知れない。
息子が自分が告発し、左遷させた検事に協力を求めるしたたかさはその証なのだろう。
「善」と「悪」が混沌とした時代だからこそ、出て来た映画なのかも。勧善懲悪の古い頭を切り換え、見えてくるものは何だろう。
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