「あの頃の僕はどこにいったんだろう」
ひと言で言えば、そんな映画。
ベトナム人のトラン・アン・ユン監督がベトナム戦争反対と学生運動が盛んだった1969年の日本を舞台にした村上春樹の原作を映画化した作品。
村上春樹の原作は読んではいないし、作品も触れたことはないけれど、映画化されたものは「風の歌を聴け」とか「パン屋襲撃」を観てはいる。
読まず嫌いかも知れないけど、なんか食指がわかなく、それでいて映画化されると観に行ってしまう。そんな作家。
今回も映像感覚が独特なトラン・アン・ユン監督が日本の都会派文学をどう映画化したのか観たくて、観に行った。
揺れる玉すだれ、むきだしの配管なと1969年と云われればそうかもと思ってしまう日本はやはりどことなく映画で知るフランス領下のベトナムを思い起こすし、深い森の緑は東南アジアをイメージしてしまう。そして、湿地や降りしきる雨はともかく東南アジアではお目にかかれないはずの雪もアジアっぽく感じられる。
何度も出て来る松山ケンイチの白ブリーフ姿もエキゾチックを感じさせ、ふたりの女の子の間を浮遊する政治に無関心のノンポリの主人公は無国籍な雰囲気さえ感じられる。
そういえば、出演者の衣装、ヘアスタイルもアジアぽかったなぁ。
原作の持ち味を活かしているという感想もあれば、はしょりすぎているという感想もネットで聴くけれども、原作知らずの僕としては、最初に書いた「あの頃の僕はどこにいったんだろう」がストーンと来る。
映画の中でも一度弾き語りで流れるビートルズの「ノルウェイの森」を調べてみると、対訳は誤訳だとする話があり、「ノルウェイの森」は「ノルウェイの木材で作られた部屋」だと云うことで、逆ナンされた男の子が女の子と一晩過ごし、目覚めたらその子はいなく、「ノルウェイの木材で作られた部屋」にひとりいる、そんな歌らしい。
そんな初々しい青春譜を原作の題材の当時、戦火の中にいたトラン・アン・ユンはシニカルになぞっているように思う。
人殺しは誰のため 泥棒は誰のため
強姦は誰のため 大学は誰のため
喜びは誰のため 反戦運動は誰のため
ピンク映画は誰のため スカイジャックは誰のため
入試に勝つのは誰のため ダイナマイトは誰のため
当時、寺山修司が「書を捨てよ町に出よう」で歌われた歌をベトナム人トラン・アン・ユンは問い返しているのかも知れない。
1969年、20歳。2010年、61歳。
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