樹木希林のナレーションは語り部のようであり、田中泯のナビゲーターは井月(せいげつ)を知りたくて井月になろうとする。
維新前後の日本、戊辰戦争に揺れる上州・長岡藩から信州・伊那谷に流れ着いた井上井月は祝い歌を詠む放浪俳人。
映画の前半は井上井月が土地にどのように居着いたかを地元の人達が語り継がれた放浪芸を演じ再現させてみせる。
映画の後半、維新後の明治日本の変わりようが伊那谷をも変えていき、困窮におちいる井月を語ることは、日本の放浪芸の壊滅の始まりでもあるのだろう。
江戸期は出来高から米の徴収だった年貢が地代の税徴収へと変わり、喰うに困る農民たちは乞い巡る放浪芸に祝儀をやる余裕もなく、戸籍制度が放浪者を土地に居着かせ難くなった。
藩の危機の時に出奔した井月は故郷に帰るに帰れず、伊那谷に残りたくても残れない、そんな晩年を迎える。
立ちそこね帰り遅れて行乙鳥(ゆきつばめ)
家無く、金無い者は人にあらずの近代日本は、角生え、牙生え、赤膚になった貧しい者たちは鬼になった。秩父暴徒戦死者之墓はそんな国家に刃向かった暴徒を悼む土地の人の思いだろう。
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