2007-06-12

ラニーニャ現象というプレゼント Present of La Nina

近頃は自然に対する畏怖などなく、人間同士、モラルで縛り合う競争社会。

なめんじゃねぇと「なめネコ」のように自然の驚異を体験しなきゃ、やはり人間、この世に生まれた責任を実感出来ないのだろう。

数年前のヨーロッパの熱波は単身老人世帯の孤独死を引き起こしたらしいけれど、人間皆、「地球の裏側は関心なし」の亀の甲羅の世界観。

大地震だって、予知が仮に正確に判っても、どのように告知すればパニックが起こらずにすむかは、永遠の課題であるわけだし、「予知」という使い道のない安心に国税を注ぎ込むのは、テロ防止と同じくらいのアホ。

人間という把握しきれない小宇宙を抱えて、社会という欺瞞は如何にも問題解決しているかのように、資源を貪り、資源を奪い合い、我が家、地球丸をも食いつぶす。

艦隊、地球丸に異変が起こっても何もおかしな事はなく、決まって「60数年ぶりの異変」といわれる60数年前を顧みようともしない愚かな人間たち。

熱波はウイルスを蔓延させ、弱った人間たちに寒波が押し寄せる。

小松左京が枯れ葉剤のベトナム戦争や公害渦巻く60年代に発表した『復活の日』の映画化作品もPublic Domain Movies(公的資産映画)として公開されている。(Virus)

過酷な自然を味わわなければ、助け合うことが生き物の勤めであることを思い出せない今の社会には「ラニーニャ現象、東太平洋赤道域で発生 日本の夏は猛暑か」のニュースは最高級のプレゼントなのかも知れない。

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