もうじき50代のうちらの世代。高校の同級生のブログで時折現れる「認知症への不安」。
時の流れに支配されているような今の世の中、みんな何かしかの不安を抱え、生きている。
ある者は安易な気休めを語り、ある者は数の力に頼りたがる。
「認知症になったら周りの人は大変だけど、本人はわからないから楽だよ」なんて言ってたけど、そんなこと絶対にない。
こう語る彼女の心の中は誰にも判らないけど、誰の心の中にもあるような気がする。
ある者はネガティブに、ある者はポジティブに。
そして、身体の老い、周りの老いが「老い」の恐怖を加速させるようにも思えてくる。
人間の究極の恐怖は「老い」と「死」だという。
豊田四郎監督『恍惚の人』は高齢化社会が背負わざるおえない「痴呆介護」の地獄絵を見せつけたし、吉田喜重監督『人間の約束』は「痴呆殺人」は罪かを問うた。
モラルの向こうにはモラルの無効がある。
喜納昌吉、りんけんバンドのビデオクリップを観ていると、そんなモラルの向こうを謳っているような気がする。
あの星座に本当に神々が棲んでいるのであれば
今の幸せがいつまでも続きますように
りんけんバンド「黄金三星」より
2 件のコメント:
沖縄は補陀洛に近いと思います。
始めて沖縄の海を見た時「ここに帰ってくればいいんだ」と妙に落ち着いたことを思い出します。
認知症については、不安というより覚悟するといった方が近いです。
早めの老い支度です。
老い支度も体力のあるうちじゃないとできないですもんね。
喜納さんもすばらしいですが、肩の力を抜いて平和を歌うBEGINも聴いてみてくださいね
僕自身、沖縄の海は知らないのだけれど、父の兄が沖縄で戦死し、父も亡くなる少し前、沖縄に行き、感慨深かったようです。
母方の祖父は徳島の人で祖父ちゃん子だったせいか、僕もどうも南方指向が強いみたい。
実母が癌で意識明晰なまま、体中癌に冒され、苦しみ亡くなったので、認知症は神様がくれた救いとも思ってます。
生きる事を亡くなった人たちから学ぶ。そんな事を思ったりして。
古巣の映画サークルでもアルツハイマーをテーマに据えた「ユキエ」が上映されるようで、観に行きたいなぁと。
沖縄は一通り聴いてますよ。
BEGIN、ネーネーズ、大工哲弘、元ちとせ
BEGINを聴くと憂歌団も聴きたくなるけれど。(笑)
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