2008-03-26

男の出発 The Culpepper Cattle Company

映画『男の出発(たびだち)』

映画に夢中になり始めた中学の頃、観た映画が『男の出発(たびだち)』だった。

ベトナム戦争末期に起こったアメリカン・ニューシネマの流れを組むこの映画は古き良きアメリカのシンボルのような西部劇の形を借り、殺し合いとはなんなのかをストレートに見せつけた。

おどおどしながら西部の男たちのいさましさの中、大人になる少年は拳銃で撃ち合う音にもビビリながらも必死に大人になろうとする。

すさまじい殺し合いで、仲間が次々死んでいき、生き残った少年は血の海と化した殺伐とした場所から逃げ去ろうとする牧師に掴みかかり、埋葬しろと銃を突き付ける。

あきらかにベトナム戦争を暗示しているだろうこの映画は死ぬとはなんなのか、生きるとはなんなのか描いている。

この映画を観てのち、親しい友人が何人も自死し、可愛がってくれた人たちが病死していった。

ガソリンを被り死んだ友の部屋に僕に連絡取ろうとしたのか電話番号のメモ書きがあったと聞かされた事もある。

死んだら、何も伝えられない、生きているから話が出来るのに。死んだそいつの心中を思い、生きているからこそ、そう思えると思いもした事もあった。

久々に借りてきて、観た映画は幼き日の自分が「男の出発」を学んだ記憶を思い返させた。

無意味な争いはその向こうにある殺伐とした情景を知らないし、争い合う相手の素顔も見えなくしてしまう。

アメリカがベトナム戦争の混沌から学んだはずの物たちの多くは、今の日本ではDVDになる事も叶わず、破棄されるビデオテープの中にある。

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