2008-03-19

見る物と読む物 Seen thing and read thing

久々にウェブ・アクセシビリティの在宅ワークをいただき、忘れかけていた技術を思い起こした。

今回の仕事は英文で書かれた論文に見出し、段落、リスト、それに表組みなどのマークアップを施すもので、複雑な表組みは見出しセルとデータセルの関連づけをするマークアップをも施せという物だったのだけれど、論文が英語である為、見出しのレベル指定が正しいのかなどクライアントとの打ち合わせが必要な箇所も多々あったのだけれど、一番難儀したのが、複雑な表組みの処理だった。

何故このような作業が必要かというとウェブページは見せるだけではなく、読ませる機能も兼ね備えており、既存の紙媒体だと「見る」事で情報を伝えるのみで、例えば、全盲の人、弱視の人、色盲の人など目のトラブルを抱えた人には情報が伝わりにくいという欠点があるし、薄暗いところや明るすぎるところでも情報が伝わりにくい場合もある訳で、その文章の構造をマークアップというコンピューター技術を使う事で、文章を音声に移し替え、読み上げ、伝えるというのがアクセシブル(利用可能)の理念である。

既存メディアではこの逆のパターンとして、テレビ放送の字幕や外国映画の字幕などで、他言語の意味を読んで理解したり、聴覚に支障ある人に喋っている情報を伝えるなどがなされているわけで、情報を如何に有効に活用できるかがアクセシビリティでもある。

今回の複雑な表組みのアクセシブルな処理は表の構成がどのようになっているかを把握する事がメインだったのだけれども、見る物と読む物の違いを痛切に感じる仕事になった。

列と行だけのシンプルなものならば、一般に普及しているページ読み上げソフトではそのデータの見出しを読み上げ、何のデータか判るのだけど、見える人にとってはダイナミックに複数の資料を重ね合わせて、ひとつの表で現したくなるもので、表の中に大見出し、中見出し、小見出しを作り、見せてしまい、読み上げるとそのデータの見出しが無数になってしまうケースが多々見受けられた。

もっと判りやすく云えば、各地の人口を表としてみせる時、単純に東京の男の数、東京の女の数などという風にシンプルならば読み上げても判るけれども、これが各区別のデータをもひとつの表として見せると読み上げでは東京の何々区の男の数、女の数、更には年代別数値なんてなっていくと読み上げを聴いただけでは頭に入らなくなる。

見えるから判る表も読むと判らなくなるケースがあるわけで、これをマークアップの関連づけを行う事で理論上は理解できる表は仕上がるけれども、それよりは既存の表を単純な列と行の表に分解した方が「読める」表として仕上げられる。

実際に使う上で技術だけで乗り切れるのか、技術より解読し、判りやすくするのが大切なのかが問われると思う。

見る事に重きを置きすぎ、何でもコンパクトに見せようとする事は利便性は確かにあるけれども、複雑さを見えにくくさせもする。

見る物と読む物の違いを今さらながらに思い知らされもした。

人の能力は衰えていくものでもあり、環境によって機能しなくもなるわけだから、マルチなアクセシブルをもっと考えた方がいいとも思う。

単に多機能になるのではなく。

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