2008-03-10

歴史は個人個人で作られる The history is made from an individual individual.

今年生誕100年の日本映画の父、マキノ雅弘の自叙伝『映画渡世』の戦前編、『天の巻』を読み終えた。

御本家・日本映画の父、牧野省三の息子として育ち、出演料がかからないという理由だけで、嫌々役者をやらされていた雅弘が、映画を撮るようになり、父から受け継いだ映画人魂で、トーキーのノウハウ収得やら、満州事変のニュース映画のスピード編集やらの基礎を身につけているからこそ、工夫が生きる映画道には職人魂を感じる。

そして、その職人魂は映画という「もの」に留まらず、巨大なマーケットになっていく映画界に起こる欲望の渦の中、映画を愛するゆえの映画人への愛情と憎悪をも作り出す。

映画興行に命をかけた母は、鬼となり、監督である父、省三に安く面白い映画を作れと催促し、映画で出来た新居を前に、父、省三は「いい棺桶や」とつぶやく。

役者の欲とスタッフの欲の板挟みの中、自分の想いを映画に託す父、省三は誤ってフィルムを編集中に燃やしてしまい、夢は夢と消え果てる。

「わし、死ぬわ。ほな、さいなら」

自分の死を予告し、亡くなった父が背負っていた借金を雅弘は背負わされ、母から家を追い出されて、苦難の道は工夫の道になる。

生きる為に覚えたトーキー技術と父からたたき込まれたフィルム編集、そのノウハウが満州から送られてくる事変を伝えるニュース映像を他社より早くニュース映画に仕上げて見せる神業を生み出し、穴埋め興業のニーズに応え、数日で映画を作る術を生み出していく。しかし、そこには基礎を踏まえているから手抜きはない。

強者どもが競った時代、悪い奴も堂々と悪い事をやり、日活映画の社長なんかは映画人に賃金払わず、自分の銅像を自社門前に造る始末。

「やくざな生活をしても、やくざに生きるな」と幼い頃、可愛がられたやくざの親分からの教えを守る雅弘はそんな日活映画の社長に噛みつき、警察に引っ張られる。

「お前、思想家だな」と特高警察に云われ、「シソウ?そんなええ手ついた事ないわ。花札で、四三(シソウ)は天下取れる云いまんねん。やくざに聴いてみなはれ」「貴様!やくざか。花札やっとるのか」「花札持って遊んで悪いなら、売らすな」

喧嘩ぱやいが曲がった事が嫌いなマキノ雅弘の喧嘩道はそのまま、マキノ雅弘が作った映画となり、それに出た映画俳優たちが日本の芸能界の基礎を作り上げる。

人情は紙風船のようにと映画『人情紙風船』で描いた盟友、山中貞雄が映画封切り日に召集され、兵役につく為、夜明かしの送別会が行われ、『人情紙風船』で死ぬのは嫌だと娑婆最後の夜を共に歌い、酒酌み交わすけれど、山中貞雄は遂に帰ってこなかった。

歴史教科書のように敗戦が区切りであるものかとでも云わんばかりに、それまでいじめられ抜かれた母の死で、マキノ雅弘の戦前は終わる。そこには「私が六つの頃のやさしい母の顔をそこに見た。」と書き記されている。

無数の人たちの生き様が歴史を作るけど、読みやすい歴史教科書には何も書かれていない。

それが歴史なのだと、生誕100年の御仁の自伝を読んで、知りました。

0 件のコメント: