マキノ雅弘の『映画渡世』戦中・戦後の地の巻を読み終えた。
周りの欲と業に押し流され、生き抜いた戦中・戦後。
一番つらかったと思われる終戦直後、仕事に追われ、ヒロポン中毒となり、奥さんだった轟夕起子は浮気から家出され、今まで親らしい事を何もしてやれなかった息子と二人、路頭に迷い、「可愛がることは母親に負けずにやれもするが、ではこれから良い子に育ててやることが出来るだろうか-そんな自信すらない。」との記述はまさしく浪花節で泣かされる。
その私が、今こうして、眠ってしまったこの子を膝に抱いている。
人目には、たしかに、いい父親に見えるだろうが、この子にとっては、育ててもくれなかった、ただの恐い父親でしかなかったのではなかろうか……。可愛がることは母親に負けずにやれもするが、ではこれから良い子に育ててやることが出来るだろうか-そんな自信すらない。
そう思うと、私は、人の世の情けに心から泣けなかった今までの自分がみじめで、情けなく、あわれに思えた。親が生んでくれたから生きていかなければならないと-ただもうそれだけで、働き続け、あれもやった、これもやった、こうして儲けた、ああして損したと、思えばはかなく、やるせない活動屋マキノ……。俺が、俺がの芝居じみたはったり根性が、今やっと解ったのが、なおさら悲しくて、本当に涙が出て、とめずがままに私は泣いた。
人生は芝居だと云う人がいる。大芝居をして死んだ奴、小さな芝居をやって乞食になった奴、笑われる奴、馬鹿な奴、悲しい奴、気狂いあつかいされる奴……。
落ちた地獄にゃ 底さえあるに
生きる情けの 床もなし
マキノの父っぁんはこの個人史を書くにあたって、自分の祖父が明治維新の山国隊の東征で、天皇に踊らされ、借金背負う羽目になった記録を知り、祖父の死の後、映画を志した父、省三がいて、父っぁんがいるルーツがあり、みな金策に苦しんだ歴史があった。
宮さん、宮さんお馬の前にひらひらするのはなんじゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃないかいな
トコトンヤレ トンヤレナ
父っぁんが幼い頃、聴かされた明治維新の裏話は語り継ぐべく映画に記録されはしたもののその記憶も薄れ、父っぁんが生き延びた戦後の物不足の時代も語られなくなった今日。踊らされる庶民がいて、新たな物不足がおそらく来るだろう。
マキノ雅弘、生誕100年。東京国立近代美術館フィルムセンターで行われている「マキノ映画の軌跡」も今月いっぱいで大団円を迎えるようだけど、欲深な映画産業に踊らされてなお、自伝結びで父っぁんはこう唱っている。
「まだ足りぬ、映えて画いて、あの世まで」
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