2008-02-14

市川崑さん Kon Ichikawa

僕が映画を見始めた1970年代、映画界もその黄金時代が過ぎ、立て直しに迫られ、外部資本による大作映画の時代に移行しようとしていた時代だった。

市川崑さんはその頃、1000万円映画と云われたATGで『股旅』を撮り、『吾輩は猫である』など試行錯誤しつつ、角川の元で『犬神家の一族』を撮り、依頼された物をそつなく撮る職人監督になった頃で、その独特なモダニズムのテクニックは気になりはしたけど、熱心に新作を追いかけるほどの監督ではなかった。

しかし、当時、日本映画復興の気運から開催された「日本映画名作祭」にて、竹山道雄原作の『ビルマの竪琴』(1956年作品)、幸田文原作の『おとうと』(1960年作品)を大スクリーンで観、三島由紀夫原作の『炎上』(1958年作品)を地元の映画サークルで上映されてから、市川崑さんの偉業を知るようになった。

ひと言で言えば、モダニズムな映像で日本の意識的な貧困を描いた作品群は、古めかしい日本をそのまま描いた昔の映画の中で、今に近い感覚で見られ、親しみを感じられた。

ビルマの竪琴』の一兵卒としての戦争責任の問題、『おとうと』の義母とのなさぬ仲に不満を抱きつつ、姉弟愛を深める話、『炎上』のどもりというコンプレックスから金閣放火に至った寺の坊さんと、市川崑のこだわりは原作を素材に「近代化と個人」の問題にこだわり続けたと当時の映画批評誌にも書かれているのだけれど、埋没しつつ、近代化にあらがう個人に共鳴を覚えた物でもある。

なかなか観る機会に恵まれない日本映画で市川崑さんの作品はその後、島崎藤村原作の『破戒』(1962年作品)、松田道雄の育児本の映画化『私は二歳』(1962年作品)、堀江謙一の体験記太平洋ひとりぼっち』(1963年作品)など絶頂期といわれる時代の作品を何本か観ている。

それ以前の風刺劇の傑作とされる『プーサン』『億万長者』『満員電車』なども最近、ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルで観る事が出来たけど、その当時の世相が判らないためかいまいち風刺が笑えなかった。

フィルモグラフィを観ると1970年代からお仕着せの作品を作り続けた崑さんも2000年代に入って、黒澤明木下恵介小林正樹など映画の危機を感じ、設立された四騎の会で、次々と先立たれた三氏の意志を継ぐべく、『どら平太』『かあちゃん』を作り、健在ぶりを示して下さった。

映画界入社当時、戦意高揚の国策に荷担せざるおえず、大好きなディズニィやポパイのアニメから学んだテクニックも本格的に活かせるようになったのは戦後の事。

映画界という世界の中、「近代化と個人」に対峙しなければならなかった職人・市川崑はトレードマークのくわえ煙草をやめることなく、92歳で他界された。

今頃、黒澤明木下恵介小林正樹など諸先輩に出迎えられ、仮の宿なる浮き世の話で盛り上がっている事だろう。

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