うちの職場に来ているごくごく普通のアルバイト学生たち。
待機時間の談笑で先日起きた自殺した高校生の耳たぶにピアス用拡張器を無理やり挿入した事件の話となり、自殺した高校生を笑っていた。
この感覚はいったい何なのだろう?
うちらが大学生だった頃もこのような話題が友達の間で話されもした記憶があるけれど、亡くなった人を笑っただろうか?
今はメディアを通して、伝わる情報は残忍な事件のニュースと「善悪」のみの価値基準。
「善悪」の合間にある人間の心の葛藤はその残忍さで覆い隠されてしまっている。
アホな事をした少年2人より自殺した高校生が笑われる話のゆがみは起こった極限状況への想像力の欠如のような気もする。
死んだ者は笑われ、罪を犯した者たちは裁かれる劇場型日常。
自分とかけ離れた物は巧みな評論家になりつつも、人の顔色をうかがいながら日常を演じもしているような気もする。
その周りには口うるさい職場の上司や好き勝手云うお客がいる管理社会がある。
ごくごく普通のアルバイト学生たちの心の奥底の自我と依存のバランスシートはどんな風になっているのだろうとふと思う。
- OhmyNews : 若者たちのバランスシートは?
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