2008-03-31

新しい人に見る時代の流れ Flow in age seen from novus homo

アルバイト募集で、今年も一足早くうちの職場は新年度を迎えた。

かれこれ、勤めはじめ、28年の歳月、アルバイトとして来られる人たちの経歴は世間の様子を映し出している。

28年前、僕が入った頃は学生アルバイトの他に、炭鉱閉山の離職者の優男たちが第二の人生として、入ってきていた。

その後、国鉄民営化で離職した年配者が入ってきた。

元号が変わる頃、学生アルバイトの方も耳にピアスの穴を開けた若者が入ってきて、アルバイトをまとめる人が「勤務中はピアスを外すように」と注意をし始めた物だった。

年配のアルバイトは入ってくる数も少なくなり、まだ働き盛りの30代が内緒で副業として働きに着始め、学生と年配者といううちのアルバイト構成は崩れはじめた。

今から10年ほど前あたりから、就職で辞めていくはずの学生アルバイトの中で、辞めずに副業としてアルバイトを続ける者が出て来はじめ、学生の将来を心配する上司でも、「就職したら辞めさせる」立場と「就職しても働かせる」立場に見解が分かれた時期もあった。

大学生に成り立ての新人たちでも、多い人混みの中、接客しなければならない環境に向き不向きがあり、大半が働き始めてすぐに辞めた年もあったので、戦力として残れる者は残すという「本人の将来」よりも「企業本位」を優先せざるおえない状況もあったのだけど。

そんな居残りが年を追う毎に増えていき、逆にバブルがはじけ、人員削減もあって、年度替わりに入ってくる新人の数も少なくなり、学生アルバイトはいつのまにか、フリーター主流になって来た昨今、少ない新人も学生の頃にアルバイトをしていた者たちの出戻りも増え始めている。

今年は体制の大きな入れ替えもあったので、久々に大量の新人を採用したのだけれど、その経歴を聴くと、リストラされたらしい年配者とか、20代、30代のフリーターとかが目をひく。

学生と年配者という社会の補助労力を当てにしていた職場がいつの間にか、社会の主力になり得る労力を何の補償もなしに使える場になってしまっている。

そんな時代の波の中、数年後、どのような社会になっているのか、気に掛かる。

  • OhmyNews : 新人入社の時期になって思うコト

2008-03-30

こいつぁ春から from this spring

縁起がいいわい。

運試しに買った馬券が当たった。
軸馬二頭で、五頭流しの三連複、それぞれ二百円。
出費千円で、一万円バック。

この線で、今年のG1は遊んでみようかな。

わらしべ長者になれば御慰み。

夢は夜開く。

2008-03-29

春遠からじ Spring is not far.

目覚めて、外を見ると雪景色。

昨日も寒かったけれど、今日も寒そう。
のどの調子も少しいがらっぽいし、ここで注意しないと。

せっかくの春遠からじの季節、、日々清新が大切なのかも。

2008-03-28

仁義礼智忠信孝悌 胆勇 Jin Gi Rei Chi Chu Shin Kou Tei Tan You

今朝は長谷川伸の名作『番場の忠太郎・瞼の母』を観る。
1931年 監督/稲垣 浩 主演/片岡千恵蔵 弁士/松田春翠 72分

オリジナル原作は母と和解をするハッピーエンドなんだと改めて知る。

長谷川伸の股旅物に流れる根本思想は江戸期の儒教ブームから生まれものだろう。

子供の頃、テレビの人形劇に影響受けて、貪り読んだ「里見八犬伝」の1954年映画版全5話を借りてきて、観ているところ。

東千代之介、中村錦之助の出世作でもある作品で、東映時代劇的な作りだけれど、根底にある儒教観念が心地よい。

八犬伝の八つ玉のいわれとなる儒教の教えは死後世界を説く仏教と相まって、如何に生きるかの教え。

  • 仁[じん] (誰それと隔たりなくいつくしむ心)
  • 義[ぎ] (義理人情を尽くす心)
  • 礼[れい] (礼儀を重んじ感謝する心)
  • 智[ち] (善悪を見分ける心)
  • 忠[ちゅう] (まごころで仕える心)
  • 信[しん] (信じる心)
  • 孝[こう] (先祖を大切にする心)
  • 悌[てい] (仲良くする心)
  • 胆[たん] (動じない心)
  • 勇[ゆう] (やり遂げんとする心)

すべての玉が集まり時、世の平安は訪れるという。
今の世の中、足りない八つ玉はなんだろう?

2008-03-27

逝く人生 Life which it dies and it goes

三寒四温が続くこの頃、また古い友人の訃報を聴いた。

友人というには年は離れているけれど、まだ学生時代だった頃、入った社会人主催の映画サークルで先頭に立って活動されていた女性の方。

若い世代の意見を引き立て、ご自身の知識を補足して、集いの場がベテラン勢の意見だけで押し通されないようにまとめて下さり、学生だった我々に対して、好奇心100%で付き合って下さった。

そのような諸先輩の引き立てがあったから、僕なども何でも知りたく、同じレベルの議論が出来るようにいろんな物を見聞きした。

老若問わず、年の差関係なしに議論できる場を持てたから、物事の裏と表を客観視出来るようにもなれたと思っている。

もうじき50歳を迎えるけれども、仕事後に事務所に集まり、サークル運営を議論しあい、いろんな映画を語り合い、みんなで旅行もした若い頃の付き合いがいまだに自分にとって大きな価値となっている。

その一番の想い出が、当時健在だった映画の弁士をなされていた方にお願いして、行った上映会で、みんなで何日も打ち合わせで夜遅くまで準備に取り組んだ事。

昨年、その上映会の弁士の録音を使ったその映画のビデオを友達を通し、亡くなられた彼女に渡したのだけれど、訃報の知らせの時、入院する前にそのビデオを観、あの頃をとても懐かしめて、凄く喜んでいたと教えて貰った。

逝く人生、夢中になれたよき想い出を持てる事が幸福なのかも。

若き日からの人との繋がりが何よりの財産と大切にしたい。

人生は長いようで、案外短い物だから。

  • OhmyNews : 逝く人生、夢中になれたよき想い出を持てる事が幸福なのかも

2008-03-26

よく変わる病院受診のシステム System of hospital consultation that often changes

中学の頃から、不随運動と緊張状態を鎮める為にセルシン錠を、大学病院の神経科に通い、貰っている。

依存度を弱める為に飲む回数を減らし、今では朝一錠飲むだけにまでなっており、通院も薬がなくなる頃に行く程度で、大体半年に一度の通院。

今日はぼちぼちなくなりかけているので、新年度になる前にと、久々病院に行くと、再来受付の様子が変わっており、係のおばさんに教えて貰い、診察カードを受付機に入れるとなにやらエラーが出たらしく、しばらく来ていない事を聴かれ、受付窓口に回された。

受付窓口で手渡された診察用紙を出すと調べる為に待たされ、神経科は予約なしの患者は受け付けていないとはね返され、担当医師の名前を聴かれた。

病院側の都合でシステムを更新しておいて、こちらに確認を求める事にカチンと来て、半年来ていないので、担当医師の名前など忘れたと答えると調べに戻り、再度、呼び出された時には、確認取れたので、健康保険の記録の更新をするからと保険書の提示を求められ、また待たされた。

システム第一で再診受付に来た患者の手間の軽減など考えない大学病院側のルーズな体制にげんなりし、ようやく受診科に行くと、以前と比べ、驚くほど少ない診察待ちの患者さん達。

医師不足が深刻化している昨今、効率的に患者を受け付けるシステムへの移行が進んでいるのだろうけど、近年、精神疾患などで激増していた診察待ちの患者さんが、これほどまでに少なくなった裏事情を受診のシステム変更にかいま見た気がするのだけれど、気のせいだろうか?

そして、予約なしで診察を断られた精神疾患の患者さんはいないのだろうか?

待合いの場所にまで聞こえてくる患者さんの悲痛に訴えを数十人もこなさなければならない医師の過重労務の軽減は絶対に必要な事だけども。

  • OhmyNews : 効率化のため?病院受診システムに疑問符

男の出発 The Culpepper Cattle Company

映画『男の出発(たびだち)』

映画に夢中になり始めた中学の頃、観た映画が『男の出発(たびだち)』だった。

ベトナム戦争末期に起こったアメリカン・ニューシネマの流れを組むこの映画は古き良きアメリカのシンボルのような西部劇の形を借り、殺し合いとはなんなのかをストレートに見せつけた。

おどおどしながら西部の男たちのいさましさの中、大人になる少年は拳銃で撃ち合う音にもビビリながらも必死に大人になろうとする。

すさまじい殺し合いで、仲間が次々死んでいき、生き残った少年は血の海と化した殺伐とした場所から逃げ去ろうとする牧師に掴みかかり、埋葬しろと銃を突き付ける。

あきらかにベトナム戦争を暗示しているだろうこの映画は死ぬとはなんなのか、生きるとはなんなのか描いている。

この映画を観てのち、親しい友人が何人も自死し、可愛がってくれた人たちが病死していった。

ガソリンを被り死んだ友の部屋に僕に連絡取ろうとしたのか電話番号のメモ書きがあったと聞かされた事もある。

死んだら、何も伝えられない、生きているから話が出来るのに。死んだそいつの心中を思い、生きているからこそ、そう思えると思いもした事もあった。

久々に借りてきて、観た映画は幼き日の自分が「男の出発」を学んだ記憶を思い返させた。

無意味な争いはその向こうにある殺伐とした情景を知らないし、争い合う相手の素顔も見えなくしてしまう。

アメリカがベトナム戦争の混沌から学んだはずの物たちの多くは、今の日本ではDVDになる事も叶わず、破棄されるビデオテープの中にある。

2008-03-24

生きる情けの床もなし The floor of mercy where it lives is none.

マキノ雅弘『映画渡世』戦中・戦後の地の巻を読み終えた。

周りの欲と業に押し流され、生き抜いた戦中・戦後。

一番つらかったと思われる終戦直後、仕事に追われ、ヒロポン中毒となり、奥さんだった轟夕起子は浮気から家出され、今まで親らしい事を何もしてやれなかった息子と二人、路頭に迷い、「可愛がることは母親に負けずにやれもするが、ではこれから良い子に育ててやることが出来るだろうか-そんな自信すらない。」との記述はまさしく浪花節で泣かされる。

その私が、今こうして、眠ってしまったこの子を膝に抱いている。

人目には、たしかに、いい父親に見えるだろうが、この子にとっては、育ててもくれなかった、ただの恐い父親でしかなかったのではなかろうか……。可愛がることは母親に負けずにやれもするが、ではこれから良い子に育ててやることが出来るだろうか-そんな自信すらない。

そう思うと、私は、人の世の情けに心から泣けなかった今までの自分がみじめで、情けなく、あわれに思えた。親が生んでくれたから生きていかなければならないと-ただもうそれだけで、働き続け、あれもやった、これもやった、こうして儲けた、ああして損したと、思えばはかなく、やるせない活動屋マキノ……。俺が、俺がの芝居じみたはったり根性が、今やっと解ったのが、なおさら悲しくて、本当に涙が出て、とめずがままに私は泣いた。

人生は芝居だと云う人がいる。大芝居をして死んだ奴、小さな芝居をやって乞食になった奴、笑われる奴、馬鹿な奴、悲しい奴、気狂いあつかいされる奴……。

落ちた地獄にゃ 底さえあるに
生きる情けの 床もなし

マキノの父っぁんはこの個人史を書くにあたって、自分の祖父が明治維新の山国隊の東征で、天皇に踊らされ、借金背負う羽目になった記録を知り、祖父の死の後、映画を志した父、省三がいて、父っぁんがいるルーツがあり、みな金策に苦しんだ歴史があった。

宮さん、宮さんお馬の前にひらひらするのはなんじゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃないかいな
トコトンヤレ トンヤレナ

父っぁんが幼い頃、聴かされた明治維新の裏話は語り継ぐべく映画に記録されはしたもののその記憶も薄れ、父っぁんが生き延びた戦後の物不足の時代も語られなくなった今日。踊らされる庶民がいて、新たな物不足がおそらく来るだろう。

マキノ雅弘、生誕100年。東京国立近代美術館フィルムセンターで行われている「マキノ映画の軌跡」も今月いっぱいで大団円を迎えるようだけど、欲深な映画産業に踊らされてなお、自伝結びで父っぁんはこう唱っている。

「まだ足りぬ、映えて画いて、あの世まで」

2008-03-23

すべての人の心に花を The flower to all person's minds

新年度を迎えるこの時期、職場では経営者でもないのに、各部署の人事に対して、「あんなに人はいらない」とかいう小姑根性がよく聴かれる。

新しい人々が入ってくる時、「俺はこんなに現場を知っている」という自己アピールなのだろうけど、本当の経営者は新しい人々を使いこなせるか、現場の人間を見ているのじゃないだろうか。

現場を見ない人間が人を選別しているような気がする。

「あんなに人はいらない」が人減らしを推し進め、自分を仕事の中に閉じ込める。

すべての人の心に花を

人は人を活かせてなんぼと思うのだけど。

2008-03-22

春呼ぶ雪割り Snow remunerative that is called in spring

今年は例年になく雪解けが早いようで、家の前も雪割り作業をすることなく、地面が顔を出した。

裏の畑の方は日陰になっている家の軒下に分厚い氷の塊がまだ根付いており、雪割りも容易ではないけれど。

冷たい空気が暖かくなれば溶けるのだろうけど、表通りへの近道として畑を横切りたい事情では半端に溶けかかったなごり雪が恨めしい。

北風と太陽の闘い、今は太陽、がんばれと応援します。

酷暑になったら、北風、頑張れだけどね。(笑)

「諸行無常とは100年後、今いる人が見ないなくなる事。」
「コップに入った水とこぼれた水、同じ水であるのに、違うと思う。それが色即是空」
「人生は琴の弦のように、張りつめると糸は切れるし、緩めると音は出ない」

チベット仏教の教えを描いた『リトル・ブッダ』を思い出し、今の幸福を守る術を模索する。

2008-03-21

10円ビデオ Ten yen video

相変わらずのレンタルビデオ屋巡りで、今日も市内を歩き回っていた。

その一件で、ちょうどセールをやっており、レンタル品は通常5本で1000円という高い価格設定のところが、一本100円。ここにしかないビデオが結構あるので、大助かり。

そして、更に凄かったのが、店内の回転率の悪いビデオの処分セールとして、レンタル落ちビデオが一本10円で販売されていた。その中にはDVD化されていないクラシック映画も結構混ざっており、物色してしまった。

リュックを背負っていたので、ある程度は持ち帰れるけど、限度はやはり、10本だろう。

迷いに迷ったあげく、サイレント期とトーキー初期の映画ビデオを10本購入。

倉庫と化したわが部屋へ持ち帰り、眺めるほどにため息が出る。(笑)

見終えたら、ヤフオクで小遣いに化けるのだろうけど、こんな贅沢を楽しめるのもご時世なのかも。

2008-03-20

アナログとデジタル Analogue and digital

レンタルビデオで借りてきたテープをデッキに入れてみるともの凄く画面が乱れる。取り出し、テープを見てみるとつなぎ合わせた修復痕があった。

傷んだ箇所をカットし、つなぎ合わせる事は可能と聴いていたビデオテープの修復処理を施されているものははじめて見た。

このテープをかけ終えた後、デッキのヘッドが汚れたようで、映像の乱れがひどく、念のため、クリーニングテープをかけ、再度、この修復テープの異常ない箇所からかけ直し、ビデオを観てみる。

本編部分は傷もなく、綺麗なだけに、冒頭のテープの傷みはもったいないけど、返却の時、一応、レンタル店に教えておこうと思っている。

レンタル業界大手のサイトなんか見ると、ビデオテープからDVDへのレンタル切り替えと共に、DVDの取り扱いが問題になっているとの事で、DVDはビデオテープのような部分的修復は不可能で、傷の付きにくいコーティング技術が考えられているらしい。

再生不可能なら買い換えしなければならないDVDソフトのリスクはやはり大きいようで、借りた物を粗末に扱う昨今にお客様事情から考えるとコーティング技術でなんとかなる問題なのかなとも思ってしまう。

宮崎駿のアニメだったか借りた時、べっとり指紋が付いた再生面のデスクを借りてしまい、わが子の不始末をそのままに返し、アルバイト店員もそのまま棚に戻したのだなぁと、再生できないディスクの粗末に扱われた旅路を思いもした事もある。

図書館でも落書き本や切り抜かれた本、赤ペン入れられた本など貸し出された本に対して、利用者が自分の所有物より雑に扱うというニュースも聴かれるこの頃、修復可能なアナログより、一部破損でも全部取り替えなければならないデジタルへの切り替えはモラル低下の後押しもあり、ショップのリスクは高くなるけれど、業界全体の売り上げに貢献するのかも知れない。

もはや「もったいない」すら禁句なのかな。ゴミの処理費用はみんなで分かち合えばいいのだろうから。

ついでに云えば、汚れていく環境、それに伴うアレルギーは自己防衛となるのだろうか。

デジタルのつけは修復不可能になるアナログな我が身と思うのだけどね。

  • OhmyNews : 修復可能なものが消えていく寂しさ

2008-03-19

見る物と読む物 Seen thing and read thing

久々にウェブ・アクセシビリティの在宅ワークをいただき、忘れかけていた技術を思い起こした。

今回の仕事は英文で書かれた論文に見出し、段落、リスト、それに表組みなどのマークアップを施すもので、複雑な表組みは見出しセルとデータセルの関連づけをするマークアップをも施せという物だったのだけれど、論文が英語である為、見出しのレベル指定が正しいのかなどクライアントとの打ち合わせが必要な箇所も多々あったのだけれど、一番難儀したのが、複雑な表組みの処理だった。

何故このような作業が必要かというとウェブページは見せるだけではなく、読ませる機能も兼ね備えており、既存の紙媒体だと「見る」事で情報を伝えるのみで、例えば、全盲の人、弱視の人、色盲の人など目のトラブルを抱えた人には情報が伝わりにくいという欠点があるし、薄暗いところや明るすぎるところでも情報が伝わりにくい場合もある訳で、その文章の構造をマークアップというコンピューター技術を使う事で、文章を音声に移し替え、読み上げ、伝えるというのがアクセシブル(利用可能)の理念である。

既存メディアではこの逆のパターンとして、テレビ放送の字幕や外国映画の字幕などで、他言語の意味を読んで理解したり、聴覚に支障ある人に喋っている情報を伝えるなどがなされているわけで、情報を如何に有効に活用できるかがアクセシビリティでもある。

今回の複雑な表組みのアクセシブルな処理は表の構成がどのようになっているかを把握する事がメインだったのだけれども、見る物と読む物の違いを痛切に感じる仕事になった。

列と行だけのシンプルなものならば、一般に普及しているページ読み上げソフトではそのデータの見出しを読み上げ、何のデータか判るのだけど、見える人にとってはダイナミックに複数の資料を重ね合わせて、ひとつの表で現したくなるもので、表の中に大見出し、中見出し、小見出しを作り、見せてしまい、読み上げるとそのデータの見出しが無数になってしまうケースが多々見受けられた。

もっと判りやすく云えば、各地の人口を表としてみせる時、単純に東京の男の数、東京の女の数などという風にシンプルならば読み上げても判るけれども、これが各区別のデータをもひとつの表として見せると読み上げでは東京の何々区の男の数、女の数、更には年代別数値なんてなっていくと読み上げを聴いただけでは頭に入らなくなる。

見えるから判る表も読むと判らなくなるケースがあるわけで、これをマークアップの関連づけを行う事で理論上は理解できる表は仕上がるけれども、それよりは既存の表を単純な列と行の表に分解した方が「読める」表として仕上げられる。

実際に使う上で技術だけで乗り切れるのか、技術より解読し、判りやすくするのが大切なのかが問われると思う。

見る事に重きを置きすぎ、何でもコンパクトに見せようとする事は利便性は確かにあるけれども、複雑さを見えにくくさせもする。

見る物と読む物の違いを今さらながらに思い知らされもした。

人の能力は衰えていくものでもあり、環境によって機能しなくもなるわけだから、マルチなアクセシブルをもっと考えた方がいいとも思う。

単に多機能になるのではなく。

2008-03-18

すべて売り物 Everything for Sale

職場のアルバイトに来ている学生の間で、治験モニターが話題となっている。

泊まり込みで、かなりの高額な報酬を貰えるとあって、この不景気時、話題になるのも無理はないと思いもする。

ただ、やはり慎重派の意見も多く、同じ職場の女性などは、治験を受けた時は何ともなくとも、後々、何らかの副作用が出てこないか、心配じゃないかと助言したりする。

学生たちもそれを承知で、治験のアルバイトを受けているようで、割り切っているけど、どこかで考えたくない的なリアクションを示したりする。

ワーキングプア状態の仕事が増える昨今、先の女性のような提言は一般職でも後々の体調不良はあり得るわけだし、介護の世界などはヘルニア、ぎっくり腰で離職するケースも多いと聴くし、コールセンターなどは相手に合わせる過度の共感疲労から精神的な障がいを訴える人もいるという。

それならば危険を覚悟の上で治験モニターになろうというのも無謀な話ではなく、自分の身体、すべて売り物と割り切れば、「お金」という気持ちのゆとりが得られようと云うもの。

条件満たすのであれば、治験モニターをやってみようかなとも思ったりもする。

どうせ学生たちより長くは生きられない事だろうし。

ネットを調べると糖尿検査を受けながら、小遣い稼ぎというのもあり、一挙両得のうたい文句が目にとまる。

薬剤師の友人に聴くと「そりゃ。人体実験だもの、報酬はいいさ」というだけで、否定も肯定もしない。

すべて売り物と割り切れるかどうか、なんだろうね。

  • OhmyNews : すべて売り物

2008-03-17

嫉妬 O ciu'me

なんか大変疲れている。
疲れた時に聴きたくなる曲。

意味深な歌詞に身をゆだね。

シコの前で太陽も眠る 正午
すべてがおまえの光彩に酔い
ぶつかり合う
ポンチも ペルナンプーコも リオも バイーアも
そして 黒い橋のみが見張る
私の嫉妬心を

嫉妬の心が黒い矢を放ち
矢は喉元に命中した
楽しそうでもなく 悲しそうでもなく
詩人のようでもなく
ペトロリーナとジュアゼイロの間で
シコ老人が歌う

ミナスからやってきた
神秘の影か隠されている土地からやってきた
シコ老人
おまえさんは 何もかもを内に隠しもっているのだろう
だが 教えてはくれない
で 私はひとりだ ひとりだ 私は ひとりだ

ジュアゼイロよ
おまえはあの昼下がりを憶えてもいまい
ペトロリーナよ
おまえは気がつきもしなかったろう
だが 歌声のなかではすべてが燃える
何もかもが徒労 すべてを探す どこだ?
たくさんの人々が歌う
たくさんの人々が口をつぐむ
製革工場で引き伸ぱされるたくさんの魂
すぺての道に すべての部屋に
嫉妬の化物じみた影が君臨する

2008-03-16

17歳に戻れたら Volver a los 17

昨日、職場のアルバイト学生が「4年で人は飽きるから結婚制度があるらしい」と話していた。

何と打算な合理主義。(笑)

ビィオレータ・パラ「17歳に戻れたら」

人を好きになるから、好奇心がわき、若返る。
女になるという事は少女になる事。
男になるという事は、少年になる事。

打算な大人に、打算な年寄りになると人の生き血が欲しくなる。

「17歳に戻れたら」生まれた幸福に気付けるだろう

一世紀も生きてきたあとで
17歳に戻ること それはまるで
ふさわしい賢者でもないのに
暗号を解いてしまうようなもの
とつぜんに もういちど
ささやかな一刻のようにかぼそくなる
神様を前にした幼児のように
もういちど感じかたが深くなる
このゆたかなひととき
そうしたことを私は感じる

2008-03-15

冒険者たち Les Aventuriers

束縛を嫌い、自由を求めた男たちと女の物語は弔いという別れの儀式で終わる

愛する者を自然に帰す儀式はそれまた自由の証。

2008-03-14

TSUTAYA リクエスト TSUTAYA request

探し回っても見つからないビデオ。

よく行くTSUTAYAの一店舗でリクエストしたものは全国のTSUTAYAチェーン店から取り寄せ、リクエストした本人が借り終えたら、店に置かずに在庫ある店に戻すというシステムがあるのを知り、ここ数回、試している。

DVDならショップになくてもネットレンタルでほとんど借りられるので問題ないけど、DVD化されそうになく、ビデオ化はされているものやDVD化されていてもレンタル不可で買うか、ビデオを観るかしか手がない物などで、なかなかレンタルビデオショップにないものなどをリクエストするとひと月くらい待たされるけど、観られるのでなかなか便利。

TSUTAYAの店内に設置されている検索システムボックスには全国のTSUTAYAチェーン店に在庫登録されているビデオ作品が登録されており、その店にある物は所在場所が判る仕組みだけど、ない物に関してはリクエスト可能。

先日は名作『冒険者たち』の監督としてよく知られたロベール・アンリコのナチズム抵抗を描いたテレビドラマ『愛する者の名において』3本組が届き、やっと観れると楽しみにしている。

この監督、妻子を惨殺され、ナチスに復讐する医者を描いた『追想』なんていうのもあるのでおそらくその路線かなと思う。

TSUTAYA リクエストではこの他、マキノ雅弘が広沢虎造を映画に担ぎ出し、浪曲をうならせた『次郎長三国志』全9巻の一部を取り寄せた事があり、バブル時のジャパン・マネー全盛の頃だから成し得た映画ライブラリーを楽しめるのは、ビデオ破棄全盛の今なんじゃないかとも思っている。

想い出が焼き捨てられないうちに。

映画『追想』より

2008-03-13

国家は個人の延長ではない A country isn't a rock. It's not an extension of oneself.

日本では制作本国よりも配給権の関係が複雑すぎて、DVDが発売されない名作映画が山ほどあり、そのひとつ『ニュールンベルグ裁判』をビデオを借りてみた。

スペンサー・トレイシー演じる裁判官が語るセリフ「国家は個人の延長ではない」は名言ですよ。

国を愛する人が同胞をバッシングする今の世の中、このセリフの重みは大きいと思う。

アメリカン・ニューシネマにDVD化されない映画が多いのだけど、なんか意図的なような気がするのは考えすぎだろうか?

大手書店発売の名作DVDはレンタル不許可で、パブリックドメインの映画もバカ高く販売しているし。

ただし、デジタルリマスターの技術は海外に遅れを取ったままで、ノイズ修復していない単にビデオコピーの商品も多いけど。

日本は技術育成もしなく、著作権行使するだけで新たな文化を生み出す事なく、文化衰退するような気がする。

「国家は個人の延長ではない」
A country isn't a rock. It's not an extension of oneself.

心して、顧みたい。

補足 : 3月26日(水曜)深夜1時よりNHK-BS2にて、『ニュールンベルグ裁判』は放送される予定とか。

2008-03-12

要望書 Request

改正パート労働法なるものの影響が気になるこの頃、ほとんどをパート労働でまかなっているうちの職場では親睦会を通して、春恒例の「要望書」を募る要望箱の設置が置かれはじめた。

けれども、何を要望するかが従事員自体が判っておらず、「施設改善」と「待遇改善」での要望書の仕分けでも、賃上げ要求や立場毎に異なる各種諸手当の改善など決まり切った「待遇改善」はまだしも、「施設改善」ともなると「従事員」という立場から云うべきかどうかがあやふやになる物が多く出てくる。

接客業であるだけに、制服の更新や窓口の仕切カーテン、ガラス戸の開閉の不具合など業務に関する事を親睦会からわざわざ云うべきなのか、いつも疑問に思うのだけど、結局のところ、業務に支障出ている箇所を伝え、改善できるかどうかが、「回答」となっている。

うちの部署でも庶務用のパソコンがまったく更新されておらず、サポート切れたWindows98をいまだに使っており、ハングアップする事しばしばとこぼされるし、個人情報処理のためのシュレッダーも階が違う事務所にシュレッダーがあるので使えと云うのみの徹底した倹約ぶり。

従事員の親睦会がわざわざ「お伺い」立てる事じゃないと思うのだけど、見ざる、聴かざる、云わざるの上司たちに現場の状況を変えさせるには「要望箱」しか術がない現状が厳しい。

そして、その要望をそれぞれの部署が連携とって、やらなきゃ動くわけがないのに、にらまれたくないのか、親睦会役員任せにしたがる従事員たち。

細分化された雇用形態も云える立場といえない立場を作り出しているし、一番重要なはずの業務改善ですら、野放しの状態。

バブル以降の景気低迷から地域営業の生き残りを考えるのはもちろん大切だろうけど、成果に影響表れやすい現場がおざなりになってしまったら、生き残れる物も生き残れないと思うのだけど、中央の幹部クラスは判らないみたいで、現場上司も我が身の保身を強めるだけ。

パートの労働基準改善がなされたところで、現場を知らない弱みが屋台骨を潰すと思うのだけど、こんな事、要望しても楽観主義者は判らないんだろうなぁと思ったりする。

  • OhmyNews : 現場で起こる問題の解決方法

2008-03-11

寒の戻り Return of cold

今日は所用あり、朝早くから出かけたのだけど、風は冷たく、小雨混じる天気で寒かった。

出かける際、暖かくなり、薄手のジャケットに衣替えした物を風が通りにくい素材のジャケットに替えてのお出かけだったけど、帰宅時は身震いするほどの寒さ。

明日はまた春らしい暖かな天気になるとの事で、体調管理も気をつけなきゃいけないなぁと思ったりする。

2008-03-10

歴史は個人個人で作られる The history is made from an individual individual.

今年生誕100年の日本映画の父、マキノ雅弘の自叙伝『映画渡世』の戦前編、『天の巻』を読み終えた。

御本家・日本映画の父、牧野省三の息子として育ち、出演料がかからないという理由だけで、嫌々役者をやらされていた雅弘が、映画を撮るようになり、父から受け継いだ映画人魂で、トーキーのノウハウ収得やら、満州事変のニュース映画のスピード編集やらの基礎を身につけているからこそ、工夫が生きる映画道には職人魂を感じる。

そして、その職人魂は映画という「もの」に留まらず、巨大なマーケットになっていく映画界に起こる欲望の渦の中、映画を愛するゆえの映画人への愛情と憎悪をも作り出す。

映画興行に命をかけた母は、鬼となり、監督である父、省三に安く面白い映画を作れと催促し、映画で出来た新居を前に、父、省三は「いい棺桶や」とつぶやく。

役者の欲とスタッフの欲の板挟みの中、自分の想いを映画に託す父、省三は誤ってフィルムを編集中に燃やしてしまい、夢は夢と消え果てる。

「わし、死ぬわ。ほな、さいなら」

自分の死を予告し、亡くなった父が背負っていた借金を雅弘は背負わされ、母から家を追い出されて、苦難の道は工夫の道になる。

生きる為に覚えたトーキー技術と父からたたき込まれたフィルム編集、そのノウハウが満州から送られてくる事変を伝えるニュース映像を他社より早くニュース映画に仕上げて見せる神業を生み出し、穴埋め興業のニーズに応え、数日で映画を作る術を生み出していく。しかし、そこには基礎を踏まえているから手抜きはない。

強者どもが競った時代、悪い奴も堂々と悪い事をやり、日活映画の社長なんかは映画人に賃金払わず、自分の銅像を自社門前に造る始末。

「やくざな生活をしても、やくざに生きるな」と幼い頃、可愛がられたやくざの親分からの教えを守る雅弘はそんな日活映画の社長に噛みつき、警察に引っ張られる。

「お前、思想家だな」と特高警察に云われ、「シソウ?そんなええ手ついた事ないわ。花札で、四三(シソウ)は天下取れる云いまんねん。やくざに聴いてみなはれ」「貴様!やくざか。花札やっとるのか」「花札持って遊んで悪いなら、売らすな」

喧嘩ぱやいが曲がった事が嫌いなマキノ雅弘の喧嘩道はそのまま、マキノ雅弘が作った映画となり、それに出た映画俳優たちが日本の芸能界の基礎を作り上げる。

人情は紙風船のようにと映画『人情紙風船』で描いた盟友、山中貞雄が映画封切り日に召集され、兵役につく為、夜明かしの送別会が行われ、『人情紙風船』で死ぬのは嫌だと娑婆最後の夜を共に歌い、酒酌み交わすけれど、山中貞雄は遂に帰ってこなかった。

歴史教科書のように敗戦が区切りであるものかとでも云わんばかりに、それまでいじめられ抜かれた母の死で、マキノ雅弘の戦前は終わる。そこには「私が六つの頃のやさしい母の顔をそこに見た。」と書き記されている。

無数の人たちの生き様が歴史を作るけど、読みやすい歴史教科書には何も書かれていない。

それが歴史なのだと、生誕100年の御仁の自伝を読んで、知りました。

2008-03-09

人はどれだけ寛容になれるのか LOVE and PEACE

職場内の人間関係のトラブルを観るにつけ、人の不寛容さが問題なのではなく、自分はどれだけ寛容になれるのかが問題なんだろうなぁ。

「束縛」を「愛」と勘違いしていたと歌う岡林信康と1970年代に劇場で観た『ペイネ 愛の世界旅行』はもしかすると同じ事を云っていたのかも知れない。

見直してみなくちゃ。

2008-03-08

6億円 600 million yen

先日までの2億円を買いそびれ、本日締め切りの6億円を急いで買った。
気分は億万長者。ギャンブル都知事にならなければ。(笑)

買わずに越せるか、買ったら越せるか、新年度。

過敏気味の神経症を少しでも癒せるように。

2008-03-07

弁天をのぞけばあとはかたわなり It is handicapped excluding the benten.

だいぶ前に書いた物で、その中で引用した「弁天をのぞけばあとはかたわなり」なる川柳に差別用語があるというご指摘を受けた。

戦前生まれの方なら、誰も知らない人はいないと云われるこの川柳を差別用語があるからどうのこうのと云われても、それこそ歴史をねじ曲げるのは差別用語の方にあるのじゃないですかと、一応は反論してみたけど、お判り頂けただろうか?

差別用語とされる「かたわ」なる言葉の元々のいわれはちゃんと調べていないけど、おそらくは「片輪車」から来るのだろう。

「片輪車」が「片輪」だから使えないとするのは使い捨て文化が盛んになった戦後の話で、物が貴重であった戦前は「片輪」でも使いこなせる事を良しとしたわけで、「片輪車」だからダメという価値観が差別のように思う。

この川柳、かたわではないとされる弁天も女性であり、男尊女卑から見ていけば、弁天もまたかたわであるわけで、この世の中、かたわでない者などいないとする考え方の方が理にかなっているようにも思う。

差別用語の成り立ちとして、被差別者からのクレームを避ける為に、マスコミなどが自主規制したものというのが、TVドキュメンタリー『放送禁止歌 唄っているのは誰?規制するのは誰?』などでも明らかにされているのに、いまだに差別用語だからいけないという物言いをされると世の中、どんどん声の大きな人の思いのままになるようで、恐ろしい。

戦後、映画などではそのような規制などなく、『気違い部落』なる映画も作られたりしたけれど、色と慾をむき出しにした“気違い沙汰"にみえるので人々が暮らす集落のコメディであるだけなのに、そのタイトルにより、ビデオ化も出来ないと云う本末転倒の問題なんかも聴いた事がある。

言葉の成り立ちや背景、汚い言葉でしか言い表せない事柄はむしろ綺麗事として、事なきを済ませようとする輩がいるから、使われるのではないだろうか?

富国強兵の近代化になり、出来ない「片輪」は役立たずと座敷牢に入れられた障がいを持った方達の「片輪」への怨み節は「片輪」という言葉にあるのではなく、「片輪」だからダメと虐げた人々への怨みであるのに。

人は皆、いつかは「片輪車」になるのに、その事は語ろうとしない経済優先社会が続いている。

2008-03-06

地下鉄駅で At the subway station

昨日、街からの帰り、地下鉄で人身事故があり、折り返し運転をしている事を知り、乗車駅はその折り返しの始発駅となっていて、帰宅には使えるかと思い、駅の改札をくぐった。

しかし、事故が起きた駅の復旧が済み、折り返し運転から通常運転に切り替わったらしく、運行休止していた方面に向かう一番電車が発車するところ、プラットホームは運行休止の方面ではなく、折り返し始発になっていた方面に行く客で混み始めていた。

プラットホームで乗客にアナウンスする駅員は、地下鉄の電車が正常運行を開始し、始発駅を出た事を告げ、運行休止していた方面行きの電車が順次到着して、発車するのに、こちら側は「どこそこを通過」のアナウンスばかりで、折り返し復旧にはこのようなロスタイムも発生するのだと知りもした。

しかし、乗車客は次々とプラットホームに集まり、通勤ラッシュ時並みの混雑をし始めた。

そこへよく地下鉄で見かける盲導犬を引き連れた目の不自由な高齢の方が、若い駅員に誘導され、プラットホームの端を歩いてくる。何もこの混んでいる時に誘導しなくてもと思うのだけど、その駅員もこの混みように気付いたのか、それとも他の客から指摘を受けたのか、盲導犬を連れた高齢者を、危険なプラットホームの端ではなく、人混みとなっているけど、安全な内側に引き連れていく。

臨機応変な対応こそが必要な場面で、マニュアル通りにしか動けない若い駅員なのかなと思ったりもする。

うちの職場でも、云われた事はそつなくこなすけれども、云われていない事は何もしなく、自分の判断が求められる時にどうしたらいいか身動きできなくなる、そのくせ、自分の立場を守る事には抜け目ない、そんな若者たちが増えている。

ひたむきに取り組むほどに周りがみえなくなり、マニュアルに頼ってしまう。何かあれば、マニュアル通りに事を済ませたとも云える環境が、利用する客との距離を見失わせる結果にもなる。

それは「お客意識」の強い利用者側にも云える事で、指示通りに動けば大事には至らないと思いこんでしまっている。

緊急事態になればなるほど、マニュアル通りにしか動けない現代社会の混乱は一歩引いて見回す事が出来ない分、ひどい状況が表に出てくるのではないだろうか。

「事件は現場で起きている」

なんかの映画のセリフじゃないけれど、今や現場も「事件」を忘れている。そんな風潮があるようで怖いような気もする。

  • OhmyNews : 地下鉄駅で

2008-03-05

あるビデオ屋 video shop

春の日差しが感じられるほどに穏やかになったこの頃、ビデオ鑑賞の趣味が高じ、見たいビデオを捜すため、ネットの電話帳を頼りに札幌のレンタルビデオ巡りをしてみた。

昔歩き回ったそれぞれの街並みはかつてのような活気はなく、それぞれ個性があった街の風景もどこもスーパーや大型チェーン店が並ぶ同じような風景になってしまっているのが、今さらながら寂しかった。

お目当てのレンタルビデオ屋のほとんどがもここ最近進出した大型チェーンの影響か、もしくは帰宅後のお客目当てに夜間営業に切り替えた為か、みなシャッターを下ろしており、無駄足になってしまった。

そんな状況下、一件のセル専門のビデオショップが開いていたので、のぞいてみた。

何度か店の前を通った事はあるけれども、いつも閉まっている店なのだが、中にはいると店長とおぼしき人が改装作業をしており、こちらを振り返り、「明日からオープンするんで」とやんわり、断られた。

翌日は仕事だったので、日を改めて、出直すと「開店10周年セール」と張り出された店の入り口の前、店長さんが誰かを待っているようで、外に出ていた。

僕が行くと店長は店に戻り、迎え入れてくれ、僕はさっそく、「セールに付き、100円から大放出」と書かれた在庫ビデオの品定めをし始めた。

そこへ人待ちしていた店長のお目当てである人が入ってきて、店長といろいろ世間話をし始めた。

狭い店内、二人の会話はこちらに筒抜けで、否が応でも聞こえてくる。

本棚で仕切られ、奥がアダルトビデオのコーナーになっている店内を物色しながらも、何げに二人の会話を耳にした。

「この店、10年も続けているんだ」と聞く来客に店長は、ビデオショップの苦労話を軽く流しながら、語りはじめる。

レンタルビデオが出来たのは1980年代のビデオ再生機の普及からで、当時高値だったビデオ・ソフトはレンタルが主流だったけれども、再生機の普及とバブルの時期が重なり、ビデオ・ソフトの価格も低価格化し、セル専門のビデオショップが生まれ、安定収入を確保できるいわゆる「エロ、グロ、ナンセンス」の娯楽ビデオを中心にしたショップが増えてきて、特にアダルトビデオは専門店が出来るほどに広がっていった。

ここの店は表通りに面したショップウィンドウには、一般の映画ソフトを並べ、奥にはアダルトがコーナーとしてある作りだけれど、表通りからショップ内を一切見せない作りのアダルト専門やショップ内にビデオ鑑賞できる個室を用意した店など、ビデオ業界はより気兼ねなくアダルトビデオを楽しめる環境作りに工夫を凝らしていった流れがある。

店長と来客の会話で、「公判もあるしさ」という会話が聞こえ、この店もモザイク消しや「裏」と呼ばれる違法なビデオにまで手を出さざるおえなかったのだろうと感じた。

「セール期間だけ昼から開けて、また夕方から営業に戻すさ」入りが悪いのを承知で開いた店長のぼやきが聞こえてくる。

店に並んだ一般の映画ビデオの品揃えは映画好きなのだろうと思わせるもので、ここの店長の夢と挫折を顧みるような想いをした。

プレミア物のDVDが値札価格でも1,500円と格安だったので、それを買うため、面隠しのレジに行くと、少し間があり、「100円です。」と店長の声。

個人経営のショップの悪戦苦闘はやがてはシャッター通りの一風景になってしまうのだろうか?

かつて日本で最も流行に敏感という定評からタワーレコード日本進出第一号店を開かせた札幌の街の寂しい現状を見る思いもした。

  • OhmyNews : アダルトビデオで生き残りはしたものの……

2008-03-04

黄砂に抱かれて held in bai and dust storm.

今年もまた、大陸からの黄砂が押し寄せる季節となったようで、その量は年々深刻化しているようである。

要因としてあげられているものに温暖化によるモンゴル地域の砂漠化の他、経済成長著しい、中国国内の工場からのばい煙成分なども黄砂に混じり、日本に飛来すると言われ、健康面へのリスクが増加しているらしい。

以前その事を、テレビのニュースで取り上げているのを見た記憶を記すと、その中には日本企業が中国に製造を依頼し、起こる煤煙も黄砂に含まれており、日中共同での調査が行われているとの事だった。

社会がグローバル化を推し進め、複雑多岐していっている時代であるだけに、複数国での対応が必要にもなっているのに、安易な火事場もとへの批判は問題をこじらせ、温暖化を加速させるだけの結果になっているようにも見受けられる。

グローバル化の美名の元、コストの軽減で、製造国丸ごとワーキングプアな生産体制が危険なのに、「安く、安全に」というニーズを求めたところで、その歪みはどこかで必ず生まれてくる。

黄砂は地球からのそういった歪みのイエローカードと見た方がいいと思う。

公害体験国である日本が経済成長する中国に何を出来るのか、風下であるがゆえに、安直な批判のみ繰り広げるとかつての公害と同じ目に遭うのじゃないだろうか。

もっとも、ヨーロッパとは違い、日本はアレルギー、アトピーを自己管理の範疇にし、公害として取り組まなかったという歴史もあり、公害の示談の歴史を振り返ると日本という国の「健康軽視」が見えてきくるのだけれども。

問題の本質を見過ごして、アレルギー、アトピーのように「地球人病」が蔓延する方が怖いと想う。

2008-03-02

てるてる坊主 Sunshine doll

なんか自然との奮闘記で丸く収まったような記事にされてしまった感じがしますが、北国の雪下ろし作業の記録がアップされました。

自然と奮闘したところで、自然は更に過酷さを求めてくる物と思うのですけど、「ニュース」を取り扱う人たちはやはりそれを理解できないのかな。

「明日は晴れるか、また雪か、てるてる坊主に祈りゃんせ」
(桜川唯丸氏黒い雨」の替え歌)

自然への祈りを忘れたところに「黒い雨」はまた降ると思うのですけどね。

「大雪の後始末は結構大変だ」
今日の雪下ろし作業も無事終了

2008-03-01

黒酢 Black vinegar

最近、黒酢飲料でお手頃なのを試している。

ハチミツで飲みやすくしていて、疲労回復にも利くけれども、腹にもくる。消化促進されすぎて、、、飲み続けるか、どうしようか、迷い道くねくね。