2007-07-31

炭犬 Charcoal Dogs

こないだ何気に大丸セントラルをのぞいたら、団塊の小父さん、小母さんたちでちょっとした人だかり。

何かなぁと見に行くとそこには可愛らしい犬、猫、ウサギにフクロウ君。

備長炭で作られたという置物たちはせっせと消臭、化学物質の吸着分解、電磁波中和などでよごれたお部屋の空気をクリーンにしてくれるとか。

けど、ちょっと高い。

mixi日記で話題になっていないか調べると、えぇぇぇぇの値段。 札幌の大丸セントラルは特価販売しているのだろうか?

衝動買いしそう。

2007-07-30

何でも見てやろう I will see anything.

物事には表と裏がある。

小田実さんの視野の広がりは世界旅行記『何でも見てやろう』から始まったと聴く。

評論『日本の知識人』も古代ギリシアと現代インドに対比させて書かれた「日本論」で、井の中の蛙になりがちな島国の視点を覆すものであった。

飢えと空襲の太平洋戦争体験、男女共学という「民主主義」、「べ平連」(「ベトナムに平和を!」市民連合)からラテンアメリカ、アフリカ、ベルリンの壁崩壊、天安門事件。

否応なく視界は世界中に広まり、足下を揺らす「阪神淡路大震災」に遭遇する。

晩年は『随論「老いる」』を東京新聞・中日新聞に掲載されていた。

英雄も偉人も老いは一緒、子供の頃に「される」が大人となり一時「する」となり、老いてまた「される」になる。

被災者哲学が反戦理論を深め、「死にたくないから動く」作家で居続けた。

物事には表と裏がある。

与野党逆転のご時世、これを忘れたら、またひっくり返るだろう。

小田実さんの死去の知らせに『何でも見てやろう』と想い深めるところ。
『万年野党』的に生きたいね。

2007-07-29

市民メディアサミット Citizens media summit '07

知り合いのブログ記事で知ったのだけど。

市民メディアサミット'07

ネットの情報しかないので、これから情報収集と云うところだけれど、参加してみようかな。

9月とは云え、土日に休みを取るのは早めの決断が必要だし。

交流ある人たちは市民メディアに関わっている人が多そうだけど、札幌に来られれば、お逢いしたいですね。

2007-07-28

激しい雨の後の遠雷 Distant roll of thunder after rush of rain

記録的な小雨で雑草も一面小麦色に枯れる状態だった札幌も夜半からの激しい雨。

その雨も幾分収まり、寒冷前線が抜けたようで、遠雷となり、難なくすみそうで、この奇跡に感謝です。

「自然をなめんなよ」

雷神のとどろきが威圧的に鳴り響くとと共に、これから向かうであろう豪雨被害に遭われた道東の皆様に二次災害が起こらない事を願います。

ただし、この程度の雨じゃ、枯れた大地は潤わないだろうから、怖れを知らない子供のように単純に喜べないけれども。

2007-07-27

懐かしい顔 brings back memories.

数年前まで通っていたジムでインストラクターをしていた若い奴にばったり地下鉄駅で会った。

懐かしく声を掛け、ジムが休業になってから行き来なくなってしまっていた社長も頑張っているとの近況を聴く事が出来た。

ススキノにある天然温泉を備えたサウナの中にあったそのジムは月謝を払うと天然温泉が入り放題で、なかなか重宝していたのだけれども。

人は湯治と云うけれど、僕は今でもトレーニングに通っていたと自負している。

同じインストラクターが顔をそろえ、再開するのはほとんどないと云われるトレーニングジム。

その再開に向けて、社長もおそらく頑張っているのだろう。

腰ふりサーモンダンスで懐かしい憩いの場へ戻れる日を期待しつつ。

2007-07-26

卑猥なオトナたち Obscene Adult

テレビのニュースで、無認可幼稚園の道路向かいにリゾートホテルと称したラブホテルが建設予定とかというのをやっていた。

リゾートホテルと称したラブホテルが建設という問題と無認可であるが故に教育の場と認められない問題が入り乱れていて、事を難しくしているのだけれども、幼稚園のそばにラブホテルが何故いけないのかがよく判らない。

僕など実母が勤めていたスナックのお姉ちゃんたちと幼稚園の時には遊んで貰っていたし、店にも出入りしていた。ついでに云えば、母が夜いないので、父とパチンコ店に入り浸りもしていた。

それがいろんな社会を知るきっかけになっただろうし、生まれつき不自由な体である僕も、物怖じせずに近所のお兄ちゃん、お姉ちゃん、同級生といじめられずに仲良くやれたのもこんな環境だったからだと思う。

教育上問題だとかいうこの手の話には子供に対して、面倒な説明はしないようにしようとするオトナたちのご都合主義が見え隠れし、世間知らずのコドモを作る一役を担っているようで気持ち悪い。

うちの母は当時でも変わり者だったようで、僕が私生児で産まれた事から、実の父の話や養父との結婚の話など、普通子供にはしないような生々しい話を聴かせてくれた人なのだけど、その事を感謝している。そのお陰でこんな親父になっちゃったりもしたのだけれど。

映画鑑賞の楽しみを教えてくれたのも母で、中学生になった僕を連れ、おそらく母の若き日の想い出なのだろう、『風と共に去りぬ』を観に行ったのが始まりで、当時話題になった馬の生首が映し出される『ゴッドファーザー』や強姦魔の少年を描いた『時計じかけのオレンジ』なども連れて行ってくれた。

さすがに『時計じかけのオレンジ』の時は母も連れて行った事を後悔したらしく、映画が終わった後、僕に感想を聴いてきた。

僕が素直に感想を言うと、母は主役の少年が部屋でダッチワイフに卑猥な事をする場面で連れてきて失敗した!と思ったらしいけれども、最後まで観て、見せて良かったと思っているよと、教えてくれた。

その時、母がひとりの相棒として、僕に母の考えを語ってくれた事が、その時の僕としては凄く嬉しかったのだろう。今も記憶に残っている。

僕が小学4年の時に母は乳癌となり、片方の乳を切除した。その時もその傷口を恥じることなく、僕に触らせ、一緒に風呂にも入った。

中学3年の時、母は癌の再発で入院し、僕は生まれつきの言語障碍を治し、母を喜ばせようとひとり東京へ治療に行くと言いだした。

母は東京に行く事を了承し、僕を東京にいる伯父に託した。

それから間もなく、母は膀胱と眼球以外すべての身体の部位が癌に冒され、のたうち回って、死んだ。

養父が僕を呼び戻すと言った時、母はそれを頑なに拒んだという。

人はいつかはひとりで生きていかなければならない。

母の人生訓にはそんなものがあったのだろう。

戦時中、仲良かった兄弟を戦地に送り出し、戦死の知らせに涙した母は、戦後、実家の家計を助けるために、食い扶持減らしとして札幌に働きに出て、一生懸命に生きた。

生きるために水商売も経験し、いろんな男たちとの愛もあった。

これ以上子供を下ろすと子供を産めなくなるぞ。

そう産婦人科の医師に言われ、産んだ子供。
難産で鉗子分娩で生まれた僕は半死状態だったという。

様々な生き死にとともに生きた母はこの世の卑猥さを教え尽くして、死んでいった。

綺麗事だけじゃ生きられないのに、子供には綺麗事しか見せようとしないオトナたち。そんな卑猥なオトナたちを子供達はとっくに見抜いていると思う。

オトナとコドモの化かし合いは、ホテル建設の是非より、認可、無認可の方にあり、それこそが教育上問題なのだと思う。

  • OhmyNews : オトナとコドモの化かし合い

2007-07-25

これが私たちの生きる道 This is a road where we live.

<参院選>「首相退陣必要なし」政府、自民党から発言相次ぐとのニュース記事。

国政私物化、言いたい放題だね。
民意を問う選挙の棄権を期待しているのでしょう。

少子高齢、年金、格差に加え、地震、豪雨の自然の脅威も現れ始めているというのに。

あなた方に殺されたくはないけど、あなた方に心中を迫りたい。

資本大好きならば、貨幣増刷すれば、格差などという小面倒な問題も起きないのに、そうはいかない丸い地球の共産社会という事を十二分に知っているから、貨幣奪い合いの格差を作る。

日本人の愛国のなさは円安に現れているようで、外国への投資が円売りを加速させ、輸入頼りの生活物資の高騰がこの後控えているそうで、私たちの生きる道は何となく見えてきそう。

昨日、期日前投票に行こうかと出かけたけれど、途中、気になるビデオ屋があり、寄り道し、捜していたシュールリアリズム、ルイス・ブニュエルの映画ビデオを発見、結局、行かずじまい。今日こそ、期日前投票に行こうかなと。

「自分が嫌でなければ何をやってもよい」
ルイス・ブニュエル格言より

おいしいものが目の前にあるのに、なかなか食べられない『ブルジョワジーの秘かな愉しみ

さて、観ようかなと。

2007-07-24

秋のような夏 Summer autumnally

昼は夏のような暑さになったけど、タオルケット一枚に寝ていると夜中は涼しすぎて寒いくらい。

この夏の気象情報として、ヒマラヤの少雪でチベット高気圧の勢力が強く、いつもならば梅雨時期に北海道に居座る冷たい夏の高気圧、オホーツク海高気圧が張り出せずに、秋に北海道に来るチベット高気圧が来てしまっているという説明が、「秋のような夏」になる理由にも当てはまる。

このチベット高気圧の縁に沿って、梅雨前線があるため、九州地方の豪雨、台風4号の被害も起こり、オホーツク海高気圧とぶつかるオホーツク海側の集中豪雨も説明が付くそうだ。

チベット高気圧と太平洋高気圧、オホーツク海高気圧という夏の二つの高気圧の勢力争いがこの後、どう動くが今後、気になるところで、夏の猛暑、秋の台風におそらく現れてくるのだろう。

自然の政治学は涼しいオホーツク海高気圧から蒸し暑い太平洋高気圧、渇いたチベット高気圧と順序だって移り変わり、美しい四季を日本にもたらせた時代は終わり、三つどもえの豪雨をもたらすようになってしまったのだろうか。

天高く馬肥ゆる秋。

一足早い秋空を天からの贈り物として、まずは満喫したい。

我ら、この世の一粒の石。

  • OhmyNews : 秋のような夏

2007-07-23

争わせ、合理化 to rationalizes from fight

耳鼻科に行き、耳垢取れて、すっきり。
右耳が少し傷つき、外耳炎になりかけとかで、お薬を戴く。


職場の改革実行の前触れなのか、一職員の不穏な動き。

なかなかうまく言い表せないけど、職場からの不満を利用し、ポスト削減の上、その部署を切り離すというような「争わせ、合理化」の典型パターンのような気がして、気に掛かる。

几帳面である故に外耳を傷つける行いと同じなのかも。

生活環境大切にしたいもの。

2007-07-22

掛け布団 Multiplied futon

オーマイニュースに『それでも生きる子供たちへ』の映画評「大人は誰も、昔は子供だった」が載り、続けて、「穏やかな気候が奇跡である」も載ったけど、タイトルが「穏やかな気候が奇跡だなんて」

編集部の願いとして「穏やかな気候が奇跡だなんて」としたのだろうけれど、「穏やかな気候が奇跡」と思わなきゃ、環境破壊は進むでしょう。

今年の北海道の夏は夏らしからぬ夏で、未だに厚手の掛け布団が手放せない。

農業関係には小雨の心配もあるようで、ヒマラヤの少雪がチベット高気圧を強めているとか。

酷暑にならずに秋風なのかな。
今年も近所にスズメの姿もみない。

奇跡の復活を願いたい。

2007-07-21

耳垢 Ear wax

昨日。久々に耳垢掃除をしたら、かなりたまっていて、右耳の方がうまく取れなく、耳栓状態のまま、朝。

身動きできない週末に限って、なんかかんかトラブルが起こる。。。

以前もこんな事があり、耳鼻科で取って貰ったけど、確か耳垢を溶かして、洗い出したと思った。

耳垢には二種類あり、その人の体質で、「かさかさ」型と「ベトベト」型があるそうで、日本を含むモンゴル系は「ベトベト」型が多いと聴いた記憶がある。

そして、この耳垢タイプはその人の汗のタイプでもあり、薬の効き目にも関係するとかで、「ベトベト」型は体臭が出やすく、薬の成分が体内に残りやすい体質というのを聴いた記憶もある。

後で詳しく調べようと思うけど、右耳のいずさは取れない。(涙)

2007-07-20

Teach Me Again

TSUTAYA週末100円レンタルですっかりペース見出されるこの頃。

札幌最大のTSUTAYAらしい琴似店に行き、物色するとなんと「何故売れなきゃいけないんだ」とかばわれた(笑)吉田喜重監督作品と「教官!」の『スチュワーデス物語』でも有名な増村保造監督作品が勢揃い。

また、しばらく札幌縦断しなきゃならない。(笑)


それでも生きる子供たちへ』のエンディング曲を調べていたら、見つかった。

歌詞の一部の気に入った箇所のみご紹介。

In this place is the law of the strongest
But we confuse the weak with the one that
Make's the big mistakes
And the strong with the perfect

ここには、一番力のある法があります。
しかし私たちは、弱い人が大きい間違いを犯すと取り違える。
そして、強いものが完全なものだと。

Teach Me Again

YouTube 検索

YouTube - Tina Turner & Elisa.

2007-07-19

それでも生きる子供たちへ All the Invisible Children

「大人は誰も、昔は子供だった。
でもそのことを忘れずにいる大人はほとんどいない。」

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「星の王子様」の中で語られるこの言葉に添う形で描かれた7ヶ国7本の短編集。

  • アフリカ・ルワンダのズック靴をいつも手放さない少年兵士。
    メディ・カレフ監督
    『タンザ』TANZA
  • 東欧・サラエボの自由よりも刑務所を好む悪童たち。
    エミール・クストリッツァ監督
    『ブルー・ジプシー』BLUE GYPSY
  • アメリカ合衆国のHIVキッズ。
    スパイク・リー監督
    『アメリカのイエスの子ら』JESUS CHILDREN OF AMERICA
  • 南米・ブラジルの高層ビル群の谷間、ファベーラ(貧民街)に生きる廃品拾いの兄妹。
    カティア・ルンド監督
    『ビルーとジョアン』BILU E JOAO
  • イギリスのフォトジャーナリストが戦場に生きる子供達を思い返す一時。
    ジョーダン・スコット/リドリー・スコット監督
    『ジョナサン』JONATHAN
  • イタリアの大人と互角に渡り合うチンピラ少年の影絵遊び。
    ステファノ・ヴィネルッソ監督
    『チロ』CIRO
  • 中国の格差に生きる子供達
    ジョン・ウー監督
    『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』Song Song & Little Cat

大人たちはある時は過剰に子供達にものを与え、ある時は過酷に子供達からものを奪う。

子供達はその与えられた環境で、どう生きていくか、それぞれの工夫が生まれる。

映画のキャッチフレーズである「スラムは遊び場に。ゴミ捨て場は冒険の場に。子供たちは、生きることの天才だ」

大人たちならくじけそうな環境でも子供達は一生懸命に生き抜こうとする。

大人たちは自分たちの都合の良い理屈をつけ、そんな子供達の生き方に良し悪しの裁断を下す。

「大人は誰も、昔は子供だった。
でもそのことを忘れずにいる大人はほとんどいない。」

「大人は判ってくれない」と涙流したあの日、あなたは大人というずるさを身につけたのかも知れない。

老いた大人たちは「自分」を守るためにも、「子供たち」の今を知るべきなのだろう。

この素晴らしき世界に。

2007-07-18

ニューヨーク・シンドローム New York syndrome

「柏崎刈羽原発、全7基でトラブル50件」などどうも大手新聞の記事は物足りない。

東京新聞 : 柏崎原発の火災に関心 海外メディアも速報

海外メディアの反応こそ、「黒船コンプレックス」のこの国には影響力大きいだろう。

チャイナ・シンドロームをWikipediaで調べると「炉心溶融 - Wikipedia

アメリカで起きれば、チャイナ・シンドロームなのに、なんで日本で起こると、ブラジル・シンドロームなのかな?

ニューヨーク・シンドロームだと思うんだけどなぁ。

日本海原発銀座・原発ジプシーたちの放射能魔よけのための空瓶吹きの音がこだまする。

2007-07-17

安否確認 Safety confirmation

昨日、中越沖地震のニュースに、職場で新潟県からこちらの大学に来ているアルバイトの学生が親元に安否確認の連絡を取っていた。

さぞかし不安だったろうが、こちらは何もしてあげられない。

災害は被災者、被災者親族、外部の人、それぞれ見方が異なり、何をすべきがすべてが模索状態。

外部の人である僕は被災者親族の学生の心和ませるピエロになるしかない。

それが正しいかどうかなんかも後々判る事。

「選挙どころじゃねぇな」

同じ仕事に付くアルバイト学生がテレビニュースを観て、吐き捨てるようにつぶやくひと言。

被災と選挙の兼ね合いのそろばん勘定をこの若者は感じたのだろうか?

本物の政治が試される時でもあるのだろう。

その証人となる事が明日の我が災害対策に繋がると思うから。

  • OhmyNews : 安否確認

2007-07-16

唄ウムイ Song singing

沖縄民謡の大家・大城美佐子さんが沖縄民謡のスタンダードを歌ったアルバム『唄ウムイ』をこのところ聴いている。

今は亡き嘉手苅林昌が「自分の後継者に一番近い」と言ったという名護良一(三線、唄)とのデュエットは暖かなるも台風などの自然災害を乗り越え、生き抜いた沖縄人(ウチナンチュウ)の道行きの歌であり、生きている証のように思えてくる。

アルバムは叶わぬ恋の道行き、夫婦の道行き、親子の別れと歌い語られ、故郷を思う郷愁に結びつく。

過酷なのは自然なのか、他人なのか、他人が自然であるから過酷なのか。

終わりなき問いかけの歌もまた、エンドレスに歌い継がれる。

2007-07-15

老眼? presbyopia?

この頃、かすみ目がひどく、小さな文字など読むのに一苦労している。

こないだ思い切って、度数1.0の老眼鏡を100円ショップで買ってみて、使ってみると小さな文字ははっきり見えるけれど、なんか度数が合わないのか、目にきつく感じる。

昨日、職場で「パソコンのしすぎですよ」といわれ、デスクトップに買い換え、なお、パソコンに貼り付け状態が増えた生活を思い返し、老眼なのか、眼精疲労なのか、半信半疑。

メガネ常用は目に悪いと云うし、少し生活リズムを考えなきゃなぁとも思う。

メガネ着用者の不便さも少しだけ知ったこの頃。

それにしてもこのところの朝晩の冷え込みは夏とは思えないくらい寒い。

体調管理、心しなきゃ、温暖化の余生は苦しいかな?

心の中の政治学は保身を探る。

  • OhmyNews : 老眼?

2007-07-14

国民をだます国、日本 Country (Japan) that cheats the people

メーリングリストにて、こんなページを教えて貰った。

国民をだます国、日本

以下、感想。

伊丹十三のお父さん、伊丹万作の著作に「戦争責任者の問題」というのがあります。

「だまされていた」というけれども「だましていた」という人は誰もいない不思議。

「だましていた」だけでは「だます事」は成り立たない理屈。

「じゃ、あなたは子供をだましていなかった」

伊丹十三の語り口にそっくりな「戦争責任者の問題」は今の政治にも云えると思うし、 生活が政治にならないこの国の欠陥のようにも思えます。

大前研一よりも伊丹万作の方を信用したいし、「国民をだます国民、日本人」とした方が反省材料を見つけやすいとも思うなぁ。

2007-07-13

穏やかな気候が奇跡である A calm climate is a miracle.

7月としては異例な勢力を持つ大型台風4号は高い海水温域の北上が原因とニュースでやっていた。

温暖化が顕著になってきたのだろう。

不都合な真実』などのような「温暖化」を食い止める政治と云う発想と平行して、「温暖化」で暮らし方を変える政治も考えなきゃならない時代が来たのかも知れない。

人類史において、暮らし方を変える政治の方が民族大移動のようにポピュラーでもあるのだから。

文明が発達し、人間の英知の蓄積がなされた中世期には、イタリア・ベニスや日本の柳川などで水難から都市を守り、水とともに生きる術として、運河、堀割が考え出され、そのシンクタンクは高畑勲監督の『柳川堀割物語』で紹介されたのは、ちょうど小樽が都市再開発で運河存続が議論された頃だった。

近代化と共に自然を人間たちの便利なように作り替える発想が主流となり、何もないところを国境で区切った近代国家が生まれた。

争いも自然環境にダメージを与える大規模な武器が使われるようにもなり、植民地化された土地では特産物ばかり採らせ、土地を砂漠化させる愚考も行われるようにもなった。

自然の仕組みが顧みられるようになったのはつい最近の事で、1970年代初頭の公害問題がおそらくはその引き金になった。

最も優れた漁場のひとつであった襟裳岬沿岸での森と海の関わりの研究はよく知られるところで、森の枯葉が川に落ち、海に流れ着き、プランクトンの餌となり、プランクトンを餌とする魚たちを呼び寄せる仕組みは森林伐採だけではなく、植樹の大切を教えるきっかけにもなった。

近年、コンピューターによるグローバル化で、そのような自然治癒力が軽視されているように感じられる。

テレビではアメリカでおきているミツバチの謎の失踪が農業被害を引き起こしかねないとするニュースも報じられており、経済優先の環境破壊がもたらす影響が目に見えるものとして出始めているようでもある。

「不条理とは不条理に見えないって事」
コルタサル「石蹴り遊び」より

穏やかな気候が奇跡である事を今一度、思い返したい。

  • TBSニュース : 米で大量のミツバチが謎の失踪?
  • OhmyNews : 穏やかな気候が奇跡だなんて

2007-07-12

我らウルトラ警備隊 Ultra security force of us

御題目は揃っても、少子高齢、温暖化の二本の柱は話題の外の「政治学」

今、また話題だと云われる「ウルトラ警備隊」を知り、「ウルトラ警備隊」と共に大きくなった身としては、年金も格差問題も地球の平和から語って貰いたいと思う。

年金を調べ直す基準で、見た目で判断が話題のようだけれども、寅さんと無責任男、どちらが信頼出来るかそんな事、お付き合いしなければ判るわけがないし、要領重視が重んじられたから、要領悪い寅さんと要領よくゴマする無責任男の映画が受けたのだから。

そんな要領重視は選挙の時の決まり文句連呼、失語症の立候補者にも当てはまる事。

年金や格差問題云々といったって、その財源を安定させる少子高齢、温暖化の問題解決をしなければ、色めきだっている憲法改正だって、絵空事。

もっと日本が借金で経済発展し、被爆や無数の公害、アトピーなどのアレルギーを無視し続けた「環境破壊」を議論すべきだろう。

「政治力学」を押し通すから話し合いで解決できずに、軍備増強と無駄遣いに走るプロレスごっこの国会運営がまかり通るのだろうし。

自己解決出来ないで異星から来たウルトラ兄弟に助けられるウルトラ警備隊だけど、寂しき地球人にならない努力が地球を守る事と教えられた。

「政治」が「地球を守る」事になっていない今日、敵を爆撃したら、死の灰が自分に被る事くらいの常識は知っておいて損はないだろう。

2007-07-11

GODZILLA THE KING OF MONSTERS

政府が今更次郎さんで原爆投下へ抗議「戦後なし」と答弁書で認めたとか。

歴史認識のない国は無責任でいかんですなぁ。

1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によっておきた第五福竜丸事件をきっかけに製作された核の申し子『ゴジラ』すら、核抜きの馬鹿なアメリカ人記者、スティーブ・マーチンが日本で出くわした怪物のお話にしてしまうくらい、核犯罪の隠蔽工作を図った記録が『ゴジラ』海外版として、『GODZILLA THE KING OF MONSTERS』があるのに。

おめでたい米国民は核犯罪の嫌悪を抱かずに『GODZILLA THE KING OF MONSTERS』を観て、「東京をぶっ壊せ!」とはしゃいだとか。

ゴジラ』がハリウッドで名誉ある「Hollywood Walk of Fame」で表彰された時も核の申し子である事を控えめな日本人は公言しないから、一般の米国民は未だにゴジラをエスニック・モンスターと思っている。

キングコングがアフリカ奴隷を模した話である事をきれいに忘れたように。

博士の異常な愛情』のように、カウボーイハットで核弾頭にロデオして、地球の最後を飾るのはきっとアメリカ人なのでしょう。

2007-07-10

真実一路 One true road

「真実諦めただひとり 真実一路の旅をゆく
真実一路の旅なれど 真実鈴ふり思ひだす」
北原白秋「巡礼」より

川島雄三監督の映画『真実一路』を観て、山本有三の「真実一路」の物語を知った。

「私は一生懸命に自分の人生を悔いなく生きたいと思っているだけです。」

我が子を捨て、愛人の元に身を寄せるむつ子を通し、「真実一路」の難しさを見せつける。

「花の嵐の例えもあるさ。さよならだけが人生だ」
「贅沢は素敵だ」
「人間……生きて行くと云う事は悲しいことです。恥ずかしいことです」

こんな文句を好んだ川島雄三はこの話が好きなんだろうなぁ。

2007-07-09

退職勧奨 Encouragement to retire

うちの職場でも「はしか」にかかった人が出始めたよう。

人間、病からは逃れる事は出来ない。
それが判らない人たちが学校教育を管理しているんだね。


退職勧奨:「子の障害」も例示した文書を通知 都教育庁

校長らの勧めに応じて教職員を早期退職すれば退職金を割り増す制度をめぐり、東京都教育庁が退職を勧めるケースとして、「子の障害」などを例示した文書を市区町村教委や都立高校などに通知していることが分かった。厚生労働省は職業と家庭の両立を目的とする育児介護休業法の趣旨に照らし「好ましくない」と指摘し、学校現場や識者からは「介護を抱え全時間出勤できない教員は不要ということか」と疑問の声が上がっている。

制度は、50歳以上60歳未満の教職員が対象。校長や各教育委員会の所属長から退職するよう勧められ、本人が応じた場合に適用される。

都教育庁は制度の周知を図るため、3月27日付で趣旨などを記した通知を出し、管理者向けに具体的なケースを示したQ&Aを添付した。

通知では、対象の教職員に退職を勧める理由として「疾病」「介護・育児」を挙げている。Q&Aでは「育児」の具体例として、「3歳以上の子供の場合で、育児を手伝ってくれる家族等がおらず、本人が育児を行わなくてはならない場合」「子に先天的、後天的な障害がある等、育児に特段の事情がある場合」と明記した。

通知について、厚労省は「育児介護休業法は、家族の役割として育児や介護を円滑に果たすことを基本理念として示している。育児や介護を理由に退職を勧めるのは、法の趣旨に照らして好ましくない」と指摘する。

また、日本が95年に批准した国際労働機関(ILO)の「家族的責任を有する男女労働者の機会および待遇の均等に関する条約」は、「家族的責任自体は雇用の終了の妥当な理由とはならない」と規定。厚労省は、この規定に違反する疑いも指摘している。

都教育庁職員課は「例示した理由で退職を強制・強要することはありえない。学校現場に懸念や誤解を生んでいるとすれば、それを払拭(ふっしょく)したい」と話した。【高山純二】

ルポライター・鎌田慧さんの話 「子どもの障害」などを勧奨理由に挙げるのは、民間企業でも聞いたことがない。労働者の人権や権利意識がなく、障害者差別にもつながるのではないか。都教育庁は日の丸・君が代の問題でも力任せの行政をしており、あらゆる面で逸脱している。

毎日新聞 2007年7月8日 3時00分

2007-07-08

日本の悲劇 Tragedy in Japan

木下恵介曰く、子離れ出来ない親が「日本の悲劇」

その映画化に感銘受けた大島渚は監督デビュー作でハトの帰巣本能を悪用したハトを売る貧しい家庭の少年にそんなな行為をさせる日本の貧しさ、卑しさを描いた『愛と希望の街』を作る。

子離れ出来ない親の問題は1970年頃から核家族化で、深刻度を増し、障碍児を抱える母の苦悩から横浜障碍児殺害事件が起きる。

それを発端とする障碍者運動「母よ、殺すな!」
その運動を展開した障碍者たちが親となり、「子よ、殺すな!」

子離れ出来ない親の閉塞感は障碍児家庭から一般化し、団塊の世代の老人孤独死予備軍にまで至るとされている。

親がなくとも子は育つけど、子がなければ親の生き甲斐はない。

大人の自立なくして、この国の子供地獄はなくならないのだろう。

A Japanese Tragedy (1953) by Keisuke Kinoshita

2007-07-07

陸軍 Army

木下恵介の映画に『陸軍』というのがあります。
戦時中に作られた映画で、今はDVD全集の中に収められています。

その『陸軍』は富国強兵政策の時代、忠君愛国に身をていした一家族の西南戦争から日清、日露、大東亜戦争の大河ドラマで、原作は火野葦平です。

国のために死んでいくわが子たちを誇りにする家族の話が戦意高揚にもなった見本のような映画ですが、ラスト、田中絹代演じる母が、出征する我が子の姿を追い、何度も転び、追いつけなくなるまで、追いかける場面が軍当局から「女々しい」といわれ、上映禁止になった映画でもあります。

今の世相から当時を顧みると理解出来ないと思いますが、わが子たちを誇りにする事が、出征兵士にする事であり、隣近所もまた、出征兵士を出す事が誇りの時代。

親のエゴを巧みに利用した社会システムであり、それが素直に「追いかける」という誇りにする行為を映した木下恵介は「女々しい」と叱られたのです。

黒澤明などにも『一番美しく』という戦意高揚映画がありますし、当時、どう描けば、戦意高揚になるのか、判ると思いますよ。

「桃太郎」などの昔話も戦意高揚に使われましたし、今、日本映画チャンネルで観られる市川崑の『新説カチカチ山』というアニメも巧みに作られた戦意高揚映画です。

そして、そういう風潮を作り上げたのも庶民たちで、お互いを監視する役割として、町内会が「隣組」にもなったそうです。

そんな洗脳を受けて育ったのが、戦中派世代です。

機会あれば、戦時中の映画をご覧になって下さい。
違和感なく観られると思いますよ。
(そこが怖いのだけど)

2007-07-06

1900年

封切り時以来だと思うけど、ベルナルド・ベルトルッチ『1900年』をビデオを借りてきて、観た。

20世紀を総括するには早すぎた映画で、5時間の長丁場だけど、イデオロギーを重んじる馬鹿馬鹿しさを見事に描いていた。

1900年にともに生まれた男ふたりが片や大農場主、片や小作人の息子として、時代に翻弄される。

ナチズム侵攻と民主化解放、20世紀の大きな節目になった両者は相反する思想に対する虐殺でもあった。

男ふたりはその時代に洗脳されつつも、幼き日の友情ゆえにどこかでかばい合う。

同胞とはあなたの隣にいて、一緒に育った人。

憎み合う事しか教えないイデオロギーに洗脳される人間の愚かしさと根っこにある隣人愛の葛藤。

ファシズム、階級闘争の図式化など気になる点は多々あるけれど、日本に似た他国干渉による民主化を果たし、20世紀を過ごした国、イタリアの洗脳されやすい国民性は、見返すとやはり日本によく似ている。

イデオロギー崩壊後の世界観を突き詰めたギリシャ、テオ・アンゲロプロス監督の方がベルナルド・ベルトルッチなどより、はるかに20世紀を描いているとは思うけど、見直して良かった。

「20世紀はサラエボで始まり、サラエボで終わった。」
「いくつ国境を越えれば、家に帰られるのか」

テオ・アンゲロプロスの映画をまた観たくなった。(笑)

「1900年」予告編

2007-07-05

モンスターペアレンツ Monster parents

我が子に対する過保護の現状として、テレビでモンスターペアレンツ(怪物父母)の話をやっていた。

子供が学校が擦り傷を負い、消毒等の処置をし、帰したその後、親が怒鳴り込み、「医者でもないのに、擦り傷と何故判る」「当面、タクシー通学させるから通学費を寄こせ」

父兄参観で両親の他、祖父母二組も訪れ、教室に入れないと文句を云う。

昔から戦後、学校教育を駄目にした代表として、PTAがあげられるけれども、その実態の今日像だろう。

1969年に大島渚が実際にあった当たり屋家族の全国行脚を描いたロードムービー、『少年』という映画がある。

我が子を飛び出させ、車にぶつかり、親が怒鳴り込み、得た金で生計を立てる。

我が子に対する過保護も度が過ぎれば、我が子の人格を無視するペット扱いとなり、この当たり屋家族と何も変わらなくなるのじゃないだろうか?

違うとすれば、子供のリアクションであり、モンスターペアレンツの子供は「愛」が当たり前の我が儘であり、当たり屋の子供は親のエゴにさらされた分、「愛」に飢えているところだろう。

モンスターペアレンツのいちゃもんに身の危険を感じる教師たちは公務員賠償責任保険(訴訟費用保険)への加入が増えているらしく、モンスターペアレンツ保険とも云われているようである。

父母は良かれ悪しかれ、怪物になるもので、子育てを父母の責任、教師の責任と単純に考える事がやはりおかしいのだろう。

映画『少年』の主人公は車に当たり、日の丸のように赤い血を流す。

「ほら、今よ。飛びこみなさい」

少年の背中を押す母は「死んで帰れ」と言い続けた軍国の母であり、今のモンスターペアレンツなのだろう。

映画『少年』予告編

2007-07-04

蟻の兵隊 Ant's soldier

中国にて「慰安婦制度、終戦後も」とのニュースを目にした。

ドキュメント映画『蟻の兵隊』で描かれていた話に通じるものだろう。

敗戦後、中国北東部での日本軍のレジスタンス活動は解除されず、「死ぬまで戦え」の命令を下されたそうだし、戦闘状態が解除されていたとしても敗戦の混乱やソ連軍の捕虜となり、上官の自決に付き合わされ、中国軍の1948年の長春解放の演説を聴いたという映画監督、内田吐夢の話もある。

日本人の帰国は1950年あたりにピークを迎えており、「岸壁の母」などで息子の帰りを待つ身内の話は有名です。

中国では一部日本兵の残虐行為よりも戦争中、日本兵に助けられた感謝の話が数多くあり、野ざらしになった日本兵の遺骨を埋葬した話などもあるようですし、逆に戦争中、中国政府は何をしてくれたのかという抗議の声もあるそうで、「反日」論で「愛国」を高めようとマインドコントロールする日本メディアなどよりはまともに民主化が叫ばれているらしい。

日本の庶民として、あの行き当たりばったりで無計画な戦争に突入した日本政府の反省を本当に聴きたいところ。

誰も好きこのんで、満州まで死にに行ったわけでもなく、赤紙というはがき一枚で、送り込まれた名もなき兵士たち。

死ぬために生きた兵士たちにとって、人間扱いしてくれ、慰安に努めた女性たちの存在は観音様であったはずで、兵士たちにとっては不名誉な事などではない。

それを認めたくないだけの日本政府の方が我々庶民をないがしろにするような政策を推し進めそうで怖いし、仮にこの国が悪い事などやっていないと反省を求めないのならば、今後、悪い事をしない補償などどこにもないという事になる。

敗戦の混乱期、15歳以上は満州からひとりで日本に戻れたはずとする鬼の法令を出す国には騙されたくはない。

国民一流なのに、政治は三流。
そういわれる事がまずは恥なのに。

  • OhmyNews : 死ぬために生きた兵士たちの観音様

2007-07-03

国内問題という不幸 Unhappiness of internal affairs

「残留孤児支援 与党まとまらず」というニュース。

他の国にも関わる事なら、国際問題になるけれど、当時、15歳以下の残留孤児問題は国内問題。

敗戦とともに帰国の道を閉ざされ、路頭に迷った残留孤児。

消火は放火より難しい。

この国の戦後処理のお粗末さのひとつであるし、「孤独死予備軍」といわれる団塊の世代も社会の無関心から支援策なしになりかねない。

2007-07-02

云うは易しい It is easy to say.

民主党の小沢代表の「原爆投下、米に謝罪求めるべき」に対し、安倍首相の「核廃絶が私たちの責務だ」

それが出来りゃ、誰も苦労しない事を云い並べるホラ師たち。

「原発廃棄物に抱きつきたいくらいだ」といい、「抱きついたらすぐ死ねますね」といわれたお父さんを持つ中川某の自衛核保有論も簡単に忘れ去られるこの国は国民総認知症なのかも。

いい年こいた強行採決、プロレスごっこのお子様政治は続く。

2007-07-01

しょうがない There is no other way.

被爆体験を「しょうがない」という久間防衛相の原爆発言の感覚は「反日」というしかないでしょう。

「原爆症は伝染する」と戦後補償逃れに言いふらした国会議員もおりましたし。

アメリカの「原爆投下ツアー」とか、「キノコ雲」グッズとかに日本国はまともに抗議していなかったはずですし。

公共施設に属する職場では機構改革の一環として、アルバイトの人減らし案が出され始めたようで、人口減少の借金大国、「しょうがない」格差社会構築に余念がないようで。

生き残りは多分、「奴隷」と呼ばれるのかも。