2008-01-23

地震に思う I think the earthquake.

今朝方、4時半頃、地震があり、就寝中だった僕も揺れが収まるのをベットの中でじっと待っていた。

その時、頭の中に過ぎった事は、同じような時間に起こった阪神淡路大震災の事だった。

13年目を迎えた日、新聞のコラムで書かれていたのは、この真冬に阪神淡路大震災が起こった事、同じような地震が真冬日続く北海道で起きない補償がないという事を綴られており、他人事にしてしまいがちな天災はいつでも我が身に襲いかかってくる話だった。

十分に理解しているはずのこの話が地震で揺れる最中の簿の頭の中で反復され、更に、数年前に関わったある天災支援のメーリングリストで、避難されている方々のサポートセンターに携わる方からの悲痛な告白が思い返されもした。

避難場所への支援物資を受け入れるセンターに掛かってくる電話。

「申し訳ありませんが、中古衣料については、現在見合わせていただいております。」
「何言っているのよ。こっちは、この前の古布の収集日に出せなくて部屋がいっぱいで困っているのよ。持っていってあげるって言ってるのよ?」

「家には、サイドボードと食器棚と大きな洋服ダンスがあるから明日の午前中に取りに来なさい。」
「申し訳ありませんが、あまりにも大きな家具ですと、車の手配が必要で・・・。」
「明後日に引っ越すの。だから明日の午前中じゃなきゃダメよ。」

被災支援を口実に自分のいらなくなった物の処分をしようする問い合わせ。

花田春兆さんの著書『日本の障害者―その文化史的側面』にて紹介されている大正俳壇の富田木歩と新井声風の震災被災の話は、身動きできない富田木歩を助け出そうとする新井声風が力尽き、背負いきれずに富田木歩を見殺しにせざる終えなくなった話。

本意であれ、不本意であれ、社会が機能しなくなり、人の業がぶつかり合うのが、自然災害の常。

更に復興では政治的駆け引きが人を呑み込み、阪神淡路大震災からの立ち直りを描いた映画『ありがとう』だって、12年の歳月を経て、やっと描けたものという。

自然に翻弄されるのはしかたない事だけど、社会は被災された者たちを更に翻弄する。

大事にならずに地震が収まった事を感謝しつつも、もしもの大事の時は自然に召される事を祈らずにはいられない。

過酷な自然と過酷な社会、二重苦など味合わされたくないのだから。

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