1990年代のワールド・ミュージック・ブームで知られるようになったアフリカのアーティストたちの中で、コンスタントにワールド・ワイドに新譜を出し続けているのが、西アフリカ、マリのサリフ・ケイタとセネガルのユッスー・ンドゥールだ。
サハラ砂漠の傍らにある西アフリカ諸国はかつてはアフリカ奴隷の、そして今は石油産出の貿易拠点として、人種の入り交じる異文化コミニケーションの地であり、それ故に豊かな音楽が生まれる土地でもある。
特にサハラ砂漠に近いところではアフリカ的文化とアラブ的文化が入り交じり、吟遊詩人でもある"グリオ"が語り部として、歌を歌い、物を乞う姿が見られたという。
日本でも戦後まで残っていた説教節といわれる語り物がそれにあたるのだけど、ことわざなどすっかり語り継がれなくなった昨今では馴染みが薄いかも知れない。
その西アフリカのアーティストのひとりであり、現代のグリオとして活動続けるユッスー・ンドゥールの新譜『ロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)』を聴いた。
ラテンやロックの影響を受けた「ンバラ」を演奏するユッスー・ンドゥールの曲調はアラブ色も強め、「グリオ」的な歌の数々が収められている。
独立44年を祝う冒頭曲「4-4-44」始め、アルバムの中で歌われる歌たちにはセネガルの古いことわざが数多く織り込まれ、自分の生まれた土地の誇りが高らかに歌われる。
「お腹一杯になるまで食べたら、料理をしてくれた人に感謝しなくては。台所は暑いですから」
炭焼きバーベキューが主流のセネガルで、一日の大半を過ごす主婦、メイド、料理人がいるから今の私たちがあるという教え。
「ウサギはアロームを食べる事が出来たら、鳥たちに感謝しなくてはならない」
ウサギの好物で、高い木になるアロームの実は鳥が突いて落としてくれるから、食べられる。
「4-4-44」で取り上げられるふたつのことわざはアルバムタイトルでもあるロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)を感謝しようと歌われるものであり、この世は一人では何も出来ない事をユッスー・ンドゥールは歌う。
「バッジャン(偉大なおばさま)」は「一人の老人がいなくなると、一件の図書館がなくなったに等しい」といわれるセネガルの「老人は国の宝」を歌ったものだし、モンゴル相撲、トルコ相撲など世界の相撲の中で、短時間で勝負がつくなど日本の相撲に近いといわれるセネガル相撲を例にフェア・プレーの精神を歌う「スポルティフ(スポーツ精神)」なんていうのもある。
「針を持って破れたところを縫い合わせていた」とセネガルの偉人を讃える歌「ダッバーフ」はなんでも切り裂くナイフではなく、針を使いこなし、ひとつにまとめたと例えられ、国民意識のナショナリズムは曲が進むに連れ、グローバルな連帯、ロック・ミ・ロッカ(ギブ・アンド・テイク)を歌い進めていく。
ルーツ・アフリカの意識高いネオ・チェリーとの1994年の「7セカンド」に続く再度のジョイント曲「ウエイク・アップ」ではマイナスイメージの強いアフリカ大陸が世界にもたらした文化を並べ上げ、援助を必要とする現状からギブ・アンド・テイクになりえた昔のような関係の構築を訴え、アルバムの結びの曲「テレフォン(コミニケーション)」ではアフリカでも広く普及している携帯電話の便利さに溺れてはいけないと「場合によっては薬も病を引き起こす」と本来あった人と人の繋がりの大切さを説いている。
自分たちが育ち、教わってきたことわざを歌に織り込み、ダンサブルに披露するのはアフリカン・ポップスの主流だけれど、元々日本にも、河内音頭や江州音頭など同じ伝統があった。
「火鉢から立ち上るお香の煙のようになれ」
「プール・バイェーク(あきらめるな)」で布で覆われようが、布目や小さな隙間から立ち上るお香の煙のように「前進する事を止めてはならない」と高らかに歌われる。
語り継がれる歌のように。
- OhmyNews : 「ギブ・アンド・テイク」を説くセネガルの吟遊詩人
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(ギブ・アンド・テイク)
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