札幌市が派遣会社を活用し、障碍者雇用を拡大させようとする取り組みがある事を知り、登録している派遣会社へ障碍者である証明をかねて、登録更新の手続きに出向き、初めてスキルチェックのプログラムを体験した。
タイピングとワード、エクセル、アクセスのチェックを受けてみたけど、所定時間内に数問の課題をこなすのは、利き手不自由な身としてはちょっと辛かった。
タイピングでは日本語入力のモードを慣れてるかな入力に切り替えてチャレンジしたけれど、数問しか入力できず、単なる数字入力も視力の衰えもあるのか、ダメ。
ワードはレイアウトに関する設問が続き、自分の弱点を教えて貰って感じがするけど、エクセルは計算式の入力や罫線引きなどだから、まぁまぁの出来、アクセスはアプリ自体がカーソル操作が大半を占めるものだから、マウス操作に時間が取られてしまった。
こういうプログラムって、理解力と機敏性を調べるものだから、機械的に動けるか、どうかは判るだろうけど、人間の個性を見出す事は無理だろうといつもながら思う。
一定の作業が決められた仕事の場合、処理能力のスキルがあるか判るだけであって、洞察力を求める仕事のスキルは判らないだろうし、現に派遣会社の人も派遣要請がある仕事の職種はやはり限られていると話されていた。
身体に障碍がある場合、よく云われるのは視覚障碍の記憶力、聴覚障碍の観察力、知的障碍の単純作業、脳性麻痺の工夫力など、不便さを補う術を身につけた「生きる知恵」をどれだけ周りが活かせるかが、障碍者雇用の鍵であると僕も思うし、ベルトコンベア的な生産社会の部品として、人間を配置する現代産業では、それぞれの人間が持つ可能性を引き出せずにいるのだから、身体の不自由な障碍者やだんだん身体がいう事利かなくなる高齢者などが適用できるはずもなく、健康な方でも慢性疲労や睡眠障碍になるのは当たり前の話。
スキルチェックが無駄とはいわないけれど、本人の能力をいかに活かすかを考えなければ、半病人を更に生み出す生産構造が加速するだろう。
戦後日本の「無責任社会」は日本古来から伝わる「無用の用」の知恵であり、余暇がなければいい知恵も生まれず、理詰めの欠陥商品を生み出す羽目にもなる。
それぞれハンディを負った七福神を「弁天をのぞけばみんなカタワなり」と商売の神とあがめ、神話時代には「足は行かねども、天が下の事すべて知れり」と謳われたヤマダの案山子など「不虞は福なり」と戒める教えもあった日本の国。
障碍を人の能力と捉えた「ISO/IECガイド71」を国際基準として提言したのも日本であるのだから、もっともっと柔軟な人を活かせるスキルチェックのプログラムが生まれればと、思いもする。
人もまた温暖化し、破壊される自然の一部であるのだろうし。
- OhmyNews : スキルチェック体験で思う事
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