2012-06-30

モンスターズクラブ Monsters Club

死ねない爆弾男の存在理由は本人が語るほどに詭弁になる。

自殺した兄貴が語る存在理由は死んだから言えるような気がする。

青い春」「ナイン・ソウルズ」「空中庭園」などの豊田利晃監督の新作はいかにも低予算で作られたことが歴然と判る作品であるけど、その分、制作スタッフのやりたい事がにじみ出た作品だった。

アメリカの爆弾男"ユナボマー"ことセオドア・カジンスキーの犯行声明文「産業社会とその未来」に触発されて作られたこの映画は"ユナボマー"に似た生き方をする男の物語。

犯行声明文「産業社会とその未来」に豊田利晃監督は宮澤賢治の「告別」という詩を思い浮かべたのだろう。

自分を殺しながら生きなければならない人間たちへのレクイエム。

宮澤賢治は「なめとこ山の熊」で熊による人間の葬式をも描いているのだし。


宮沢賢治「告別」

おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って
自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くて
そしてかヾやく天の仕事もするだろう
泰西(たいせい)著名の楽人たちが
幼齢弦(ようれいげん)や
鍵器(けんき)をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器(こき)と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろ
ちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や材というものは
ひとにとゞまるものでない
(ひとさえひとにとゞまらぬ)
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもうもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけてるような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ

もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘を
おもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ

1925年10月25日

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