2009-05-31

昭和レトロ The Showa era retro

この頃、人でにぎわうスーパー銭湯にも飽きてきて、趣を変え、時折、街中の昔からある銭湯に行っている。

今の住宅街になっているところではそれぞれの家庭に内風呂があるから、銭湯などはなかなか経営も成り立たないみたいで、ないのだけれども、昔ながらの街には細々と営まれている銭湯がまだ何軒かある。

札幌だと街中中心部はバブル時の影響もあり、新たに家庭を持った庶民が住める価格のマンションもなく、昔からの住人と歓楽街ススキノをねぐらとする飲み屋の人たちや刺青入れたお兄ちゃんたちが今も残る銭湯に入りに来る。

スーパー銭湯の人混みはそこにはなく、風呂場のカランと呼ばれる水桶が風呂場全体に響き渡る静けさの中、何とか客寄せにと昭和末期に導入されたサウナやラドン温泉が狭いスペースに配置されており、人混みが煩わしい時なんか、街中の銭湯はリラックスの場として、最高でもある。

女風呂からは昭和レトロのマニア娘であろう、「わぁ、案外広いンだぁ」という声も聞こえてくるけど、女風呂も男風呂の刺青兄ちゃんのような極道の女たちは入りに来ているのだろうか?

常連の刺青兄ちゃんのひとりが引き戸の小窓で仕切られた番台に向かって、「おばちゃん、歯磨きくれる。風呂上がったら払うから」と唐獅子模様の全裸姿で声をかける。

おそらくスーパー銭湯出入り禁止のお兄ちゃんなんだろうなぁと、目は合わさずに素肌の刺青をそれとなく見る。

理路整然と便利さだけを売りにした平成不況の中、天上の塗り壁もはがれ落ちてきそうなたたずまいの昭和レトロな銭湯が街の片隅、営まれている。

今夜はそんな猥雑な昭和レトロを思い起こさせる岡林信康のコンサート。

2009-05-30

金銭感覚 Sense of money values

先日の職場の待遇回答で、職場を取り巻く社会状況の厳しさが想定外である事を聞かされ、歴然となり、聞いていたけれども、その根本にある収支の見通しの甘さはお金中心の世の中、もの凄く甘い気もした。

あきれかえるほどの経費浪費が明らかなのは今に始まった訳じゃないのに、浪費抑制はいつまで経っても、末端の備品調達ばかり。

個人支出で云っていけば、手取りが悪くなったのに、生活スタイルは裕福だった頃のまま変えようとせずに、日常使う消耗品をケチるようなものに思えてくる。

お金中心で動いている社会であるのに、経営上はお金に支配されるのを嫌い、実務にはお金の厳しさを説くようなものなんなんじゃないか。

赤字転落が目の前と語りつつも、実際に赤字転落になるとどうなるのかのビジョンを明確に想定出来ずに、ただ赤字回避で頑張っているポーズのみ作る。そんな愚かさを感じた。

札幌で最も古いデパートであった駅前の五番館が経営不振で、西武に買い取られたのはバブル破綻の時、その西武札幌も潰れるらしく、これで札幌の歴史がまたひとつ消える。

お金中心の時代なのに、金銭感覚の危機意識を持ち続ける事に不得手になった現代人、手に入れた物はいつかなるなるという教訓すら忘れてしまっているのかも知れない。

2009-05-29

グラン・トリノ Gran Torino

イーストウッドの映画は云いたい事がストレートすぎて、見終わった後、「異議なし」で終わってしまいそうな、そんな危うさをいつも感じてしまう。

新作「グラン・トリノ」もそう。現代社会の多文化コミニケーションが日常化する状況を背景に、信じる者、信じられない者、闘う事、守る事、生きる事、死ぬ事、そんなものが順々に定義されていく。

一昔前なら、「許されざる者」とかそれを西部劇の形を借りて描かれていた物が、今は現代の話としてごく普通に通用する。戦争を繰り返し、労働力を戦火で失っていったアメリカという国はそんな混沌とした多文化コミニケーションが鮮明な国でもあるのだろう。

見方を変えれば、昔の西部劇やイーストウッドが演じた「ダーティ・ハリー」シリーズなんかは多文化コミニケーションが浸透する社会で、自分たちのアイデンティティを守ろうとするものだったのが、「グラン・トリノ」では年老いた老人のアイデンティティ、移民として移り住んだアジア系の家族のアイデンティティと、社会から見落とされていく人々の生き方の肯定が描かれいるように思えた。

老人のアイデンティティとして、シンボライズされる70年代に作られたグラン・トリノはアジア系の家族の男の子に引き継がれる。

グローバル化する現代に見失われる個々人のアイデンティティ、それをどう守るのかというところで、この映画は「宗教」が描かれる。

イーストウッドの映画って、いつもそんな展開だったような気もするし、だから、最終的なところで、よく判らないになるような気もする。

2009-05-28

三婆 Three grandmothers

目の手術を受けるという母の妹に付き添って、母の兄弟の末娘である叔母も昨日、訪れ、我が家は久々の三姉妹そろい踏み。

田舎でも仲良し兄弟として知られる母の兄弟は総勢9人で、女姉妹はそのうち5人。

男手はともかく、姉妹の数の多さに母は戦後の食糧難の時に札幌の親戚に里子に出されたせいもあり、兄弟たちは何かにつけて、母を気遣い、魚が捕れた時や昆布が上がった時など送って寄こす。

父が亡くなった時も、母の兄弟たちがみんなうちにやってきて、自律神経で外出もままならぬ、母を励まし、父の葬儀を自宅葬として取り仕切ってくれもした。

失われた兄弟の絆を紡ぐような母の兄弟たちを一人っ子の僕などはうらやましくも思うのだけど、そこは兄弟間の事、煩わしい事もままあるのだろう。

自律神経を患った母、同じ自律神経を患いつつも母以上に臆病な叔母、まだ若く元気で姉たちの面倒に走り回るけれども自分も足腰の痛みに悩む末娘の叔母。

これからしばらくこの三婆たちの会話でうちもにぎわう。

いつもはひとりきりな母は嬉しいような、疲れるような日々が続くのだろう。

兄弟を知らない僕は遠巻きにそんな母たちの気持をいろいろ思いめぐらす。

2009-05-27

遊び心 Sense of fun

先日の職場のボーリング大会で、ある部署の団塊小母ちゃまたちはガターを出したら、100円貯金箱に入れるというルールを設けて盛り上がっており、素敵な遊び心だなぁと感心しました。

貯まったお金はその後、みんなで飲み食いに使うそうで、実益も兼ね備えている。

大家族、複数人の兄弟の中で育った団塊世代の魅力って、争いながらも、それを助け合いに変える知恵を持ち備えているところ何じゃないだろうか。

まぁ、それが裏目に出て、助け合う振りをして、仲間を突き落とすパターンも時折散見されるけれども。

そして、そういう遊び心をよく引き継いでいるのが、今の平成キッズだったりもする。

今の世の中、遊びが最も下手なのって、大家族も複数人の兄弟も知らないままに大人になった大人たちなのかも知れない。

ちなみに僕は一人っ子だけど、従兄弟だけで50人はいるという人間いろいろな世界で大きくなった人。

2009-05-26

叔母の電話 Aunt's telephone

今朝、目の具合が悪く、札幌の大きな病院で手術を受けるという叔母から電話があった。

札幌に住む身内としていつも頼られる我が家の主である僕に世話になることを詫び、よろしくとの電話だった。

若い頃から神経症の叔母は母と同じく、自律神経を患い、細かなことでもくよくよ考える。先日も母に手術に対する心細さを電話で訴え、母になだめ諭されていた。

医療過疎となった田舎町に住む年寄りたちは大病すると都会に住む身内にこんなふうに心細さを訴えているのだろうか?都会に身寄りのない年寄りは入院先で誰に心細さをこぼしているのだろうか。

団塊世代の大量高齢化を控え、年寄りたちの悩みを聴く窓口は万全なのだろうか?

職場の団塊世代のおばちゃんが東南アジアからの介護者が増える日本の状況に、生活習慣が違うのに、大丈夫なんだろうかと、おぼろげに迫る自分の介護の事もあるのだろう、不安を喋っていた。

「介護される方はぼけてるから大丈夫。」

知らぬが仏と皮肉る僕はおそらく年寄りたちの不安をちゃんとは理解できていないのだろう。

2009-05-25

リラ冷え Getting cold when lilac blooms

ライラックの花が咲くこの季節、ライラックの花をリラと呼ぶ札幌はリラ冷えとなり、馬糞風が吹くといわれているけど、今年もお約束通りのリラ冷えとなり、かつての馬車を走らす光景はなくなったけれども、強い風が吹いている。

週末はあいにくの雨交じりだったけど、今日は晴れ渡り、風も強く、最高気温は20度を下回る肌寒い日。明日も予報では肌寒い晴れらしい。

リラ冷えのこの時期、あちこちの街の北海道開拓で作られた神社の祭りが催され、そのあとに、北海道神宮の祭りがある。

それらの祭りのあとに夏の暑さが訪れる。

今年は例年になく、肌寒い日々が続き、風邪気味さんもあちこちで見受けられるけど、このリラ冷えも長引くことなければいいのだけれど。

2009-05-24

長距離ランナーの孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner

1960年代の怒れる若者たちを描いた映画がDVD未復刻という壊滅的な状況下にある情報隔離の日本、思い起こされるのは名ランナーを生み出す事が学校の誇りであるそんな環境で走り続ける長距離ランナーの孤独を描いたアラン・シリトー原作の映画化作品「長距離ランナーの孤独」

期待を一身に背負い、ゴール間近で走るのを辞めるランナーの孤独はその後に待ち受けるまわりのバッシングの恐怖を呼び起こす。だから、人は走り辞める事が出来なく、目の前にぶら下がった銭を追い求め、ある者は近道を、ある者は苦しむ事なく走る事を考える。

この春も親睦会役員として、職場の親睦を名目としたレクリエーションとして企画したボーリング大会を今夜に控え、それが終わるとアメとムチのムチにあたる賃金回答を聴くために本社人事のお歴々の来る日に職場に出向かなきゃならない。

ここで仮に「長距離ランナーの孤独」のようにボーリング大会を、賃金回答をサボタージュしたら、どうなるだろうか。人のためによかれと動き回るうちに、それが当たり前となり、いつしか役目となって、義務を強いられる。そんな社会の息苦しさを感じるのは、不景気、合理化の時代だからだろう。

僕には走り辞める勇気なんか持てない。ぶつぶつこうやって文句を云うだけ。

人気絶頂期の岡林信康は「長距離ランナーの孤独」を実行し、無責任、身勝手とののしられた聴く。その時を振り返り、岡林信康は自分が持て囃されて空っぽになる怖さと孤独になりたくなくて無理して舞台に立つ恐怖の板挟みに、「引きこもり」だったと自分を語る。

来週末はその岡林信康のコンサート。それを目の前にぶら下げて、今週は走るっきゃない。走り辞めたら、がらくたと呼ばれる世界で。

2009-05-23

赤壁ならぬバカの壁 Wall of not Red Cliff but fool

雨交じりの休日、時間の都合を調べると「レッド・クリフ Part2」に間に合うような。人づてに評判を聞くと「面白い」という話だったけど、「レッド・クリフ Part1」は実写付きCGの劇場まるごとゲームだったからなぁとためらいながらも、上映館へ行ってみる。

まずの難癖はチケット売り場のお姉ちゃん。提示した障害者手帳を手に取り貼られている写真を見ての本人確認。こんな女、始めて出逢った!あのな、障害者手帳は本人確認のためにあるもんじゃなくて、貼られている写真が若かりしやんちゃ兄ちゃんだったら、場合によっては可愛いベイビーの場合だってあるねんぞ。四角四面なバイトベイビーは人権知らずだから気持ち悪い。

一年半ほど前のTSUTAYAあほギャルの人の携帯何すんねんを思い出しちゃった。

接客業の接客マナーのなさにあきれつつも、まずは館内へ。長々しい予告のお陰でどうにか本編前に間に合う。

レッド・クリフ Part1」の時はトニー・レオン、金城武のお二方も若かりし頃の「恋する惑星」のバカっぷりをまじめに演ずる頃の方が素敵だったなと思いつつ見たっけと、思い返しつつ、「レッド・クリフ Part2」を見始める。

「三国志」の話はおそらく読んだ事がないだろうけど、赤壁の戦いの前哨戦だった「レッド・クリフ Part1」より戦い本編の「レッド・クリフ Part2」は面白くなきゃそれこそ詐欺だ。

けど、まぁまぁ、テレ朝を筆頭とするジャパンマネーは頭脳戦の「三国志」を換骨奪胎、CGのゲーセンさながらに音と画面で感覚麻痺させ、見る者を現実逃避させていく。

頭脳戦の「三国志」の片鱗は自然気象を知る者が戦いを制するという逸話に見られるけれども、それとてぶつ切り。映画は金城パートとトニー・レオンパートに完全に分かれ、二人の見せ場比べと相成る。「恋する惑星」のバカボーイ二人もオヤジになったなぁと思いつつ、めまぐるしく変わる戦闘シーンはどうでもいいやとこちらもオヤジモード。

頭脳戦の醍醐味を描けなくなった香港ノワールの旗手ジョン・ウーが悪いのか、ゲームしか頭にないジャパンマネーが悪いのか。

早くこのバカの壁を吹き崩す東風吹かぬかと思うこの頃。

2009-05-22

地縛霊にならないでね Do not become The Earth bound.

重松清の「ナイフ」の中の一遍「ワニとハブとひょうたん池で」の中にクラス全員からハブかれた女の子にハブいた女の子たちが「ねぇ、ハブちゃん。悪いんだけど、あんた、今夜死んでくれない?」「安らかにお眠り下さい」「地縛霊にならないで下さい」「ワイドショーに出てね」と「死ね死ねコール」を浴びせかける場面がある。

「地縛霊にならないで下さい」って、地縛霊なんてなりたくてなれるもんじゃない。「死ね死ねコール」を浴びせかけるからなるものだろう。

うちの叔母も金がらみのトラブルで、取り立て屋が叔母のマンションに押しかけて、「窓から飛び降りてくれると助かるんだけどなぁ」と云われた事があると教えてくれた事がある。

「死ね死ねコール」は何も特定のいじめだけじゃなく、賢い殺人者は「死ね死ねコール」を浴びせかければ、罪は被らなくていい事くらい知っている。死刑になるようなお人好しに、「死ね死ねコール」を浴びせかけるバカの中に賢い殺人者は山ほどいる。

今流行りの新型インフルで感染者を出した学校の校長だかが泣きながら記者会見をしているのをテレビのニュースが得意げに流していたけど、これだって、「死ね死ねコール」だろ。

スクープを追い求めすぎるとニュースキャスターが新型インフルの運び役にもなるかも知れない。

けど、このニュースの光景、どっかで観たなぁと思ったら、イラク人質の「自己責任バッシング」と同じやんけ。

そんなに新型インフルが怖いなら、さっさと世論を煽って、鎖国政策実施させりゃいいのに、そんな勇気もない。

騒ぐ奴ほど生き意地汚く、地縛霊になりやすい。「死ね死ねコール」は「死にたくないよコール」。死にたくないなら、もっとまともに社会を考えろってんだ。

こんな奴らが地縛霊になるからいい迷惑なのに。

2009-05-21

とまどい世代 The puzzled generation,

青い鳥」から読み始めて、「きよしこ」「愛妻日記」、デビュー作の「ビフォア・ラン」、直木賞作品の「ビタミンF」、坪田穣治文学賞の「ナイフ」と読み終えて、数の力の団塊の世代の後、しらけ世代と呼ばれたうちらの世代の更に下、バブル景気で踊られされ、今、40代半ばになろうとする重松清の社会観が反映された作品群に「とまどい世代」とでも呼べばいいのだろうか、そんな物を感じる。

団塊の世代のように数の力で社会制度を作り上げたわけでもなく、うちらのように団塊の世代からしらけ世代と皮肉られたわけでもなく、バブル景気で「金の卵」のようにもてはやされながらも、受験競争の末の学歴社会の洗礼を受け、バブルが終わると共に、バブル処理を背おらされたような、そのくせ、バブルの夢から抜けきらない、そんな世代が、続く団塊ジュニアのバブルを知らない受験競争のみの社会の厳しさを教えられたモラトリアム世代を部下や我が子の担任教師として、なんかおかしいと思い、わが子たちは過酷ないじめという生存競争の中にいて、手をさしのべるすべもない。そんなやっかいな社会のポジションで「おじさん、おばさん」としてどう生きようかと迷っている、そんな作品群が何となく共感持てる。

重松清の読んだ作品の中には主人公たちより年上の世代で出てくるといえば、年老いた父母たちくらいで、一回り上のうちらしらけ世代はあまり出てこない。

社会をひたすら背負うとしているようなそんなおじさん、おばさんは自分であるようにも思えるし、どっかで逃避しがちでいつまでもしらけ世代であるような自分への社会感の問題提起にも感じたりする。

けれども、重松清のこだわる「いじめ社会」が築かれつつあったうちらの子供時代はやはりその頃、お兄ちゃん、お姉ちゃんだった団塊の世代が働く場を確保して、ブランド化させたのが、受験競争、学歴社会、そして、いじめ社会に向かう根源のように思えてくる。

社会の牽引役から降りようとしない団塊の世代の大量定年の引き延ばしの後、日々忙殺されるとまどい世代は更なる過酷な環境を迎えるのかも知れない。

問題は今にあるんじゃなくて、未来にあるのに、しらけ世代である僕などはそんな取り越し苦労をするけど、如何に巻き込まれないように生きようかとやはり逃げばかり考えるのだけれども。

2009-05-19

物忘れ forget things

久々にウェブページの作成をしていて、メールに書き込みを送る既存のCGIの活用方法をすっかり忘れてしまっている事に気づき、大汗かいた。

持っている知識でも使わなければ、忘れてしまうという事は重々承知だけれども、実際忘れてしまっている自分と出くわすとちょっとショック。

今、若い頃は元気に飛び回っていて、数年前大病し、ひと月おきに定期検診のために襟裳から札幌の大病院に通う従弟がうちに泊まっているのだけれども、元気そうにしながらも時折苦しげな咳込みをしているのを聴くと気の毒に思えてくる。

今と昔のギャップに否が応でも向き合わされた時、人は自分のおごりを知るのかも知れない。

2009-05-18

レク準備 Recreation preparation

週末の仕事恒例の春の交流会、今年は準備する役員の負担を少なくすべく、仕事後のボーリング大会をする事になり、来週に控えた本番前の人数確認、チーム作りなどその準備の大詰め作業を昨日の仕事後、行った。

自分の所属している部署のメンバーが仕事後の交流会に対して、協力的ではなく、無理解な分だけ役員を務める身としてはストレスになっているのだけれども、今年の役員メンバーはチームワークもよく、話し合いに参加していてもストレス発散になって、助かるけれども、そうなると余計に無理しがちで身体の負担がちょっときつい。

ボーリング大会の会場の準備は僕の幼なじみがその営業マンを勤めている事から手配して貰ったのだけれども、値段交渉が落着したので、会場の準備は他のメンバーにお願いする。

このレクリエーションの後、雇用側の今年の雇用待遇に関する回答も控えており、気の抜けない時ではあるけれども、まずは職場の仲間の親睦を深めるこの行事、無事終わる事を願うばかり。

参加者総勢85名、その大半が団塊おばさま軍団。何のトラブルも起こらない事を。

2009-05-17

お尻と頭 Hips and head

体調不良になる前に左足の付け根のお尻のあたりが痛くなっていたんだけれども、その後、いろんな体の変調が出始めたなぁと、今さらながらに思い返している。

この尻の痛みは十年ほど前、くしゃみから身動きが出来なくなったヘルニアもどきの時に、背中の中心当たりを核に左首筋と左足の付け根に至る神経の痛みが走った時から、時々ある痛みで、一番ひどい時は排便をも邪魔していた。

十年経っても、背中の中心当たりと左首筋、それに左足の付け根のお尻のあたりの痛みは時々ひどくなり、我慢は出来るけれども、なんか変という身体のイエローカード的な役割になっているみたいだ。

今回も様々な治療を試しながらも、何となく具合の悪さが残り、咳も取れないので、シグナル出し続ける左足の付け根のお尻のあたりに湿布薬を貼ってみる。

寝る時に貼り、横になると、激しいめまいが起こり、すぐに収まり、翌朝はあんなにしつこかった咳も軽くなっていた。頭と尻の不思議な関係がどうもありそうだ。

十年ほど前の身体の変調はちょうど数え42歳の厄年に起こった事もあり、気にかけているけれども、体調不良になると決まって、大きなくしゃみが出たり、その節々が痛くなったりする。トラウマかも知れないけれども、自分の身体のバロメーターのようにも思え、そこから身体の神秘に関心を持つようにもなった。

日本人は医者や薬に安易に頼りがちになるという話を聴いた事があるけれども、やはり僕が厄年の時に亡くなった父は糖尿で薬漬けの生活を送り、飲み忘れると血糖値が上がり、具合悪くなる薬に生かされている生活を送っていたけど、それを看病する母は病院のまかない婦を勤めていただけに薬の怖さを見聞きしており、更年期の自律神経失調にかかっても、余程でないと病院にも薬にも頼らずにいた。そのせいか、今も内臓系が侵されることなく、自律神経失調だから外出は思うようにいかないけれど、元気で家の中の事をこなしている。

自分の身体の扱い方を知る事って、生きる上で一番大切な事なのかも知れない。

みんなが同じパターンで具合悪くなるわけでも、元気になれるわけでも、悲しいと泣くわけでも、素晴らしいと感動するわけでもなく、五臓六腑という共通のものを使いこなしているだけなのだから。

2009-05-16

めまいクリニック Dizziness clinic

人は自然に自分の身体が悲鳴を上げる前に、怠けたり、さぼったりしてリセットスイッチを入れているのかも知れない。そのタイミングをなくした時、体の変調が現れるんじゃないんだろうか。

休みの昨日もそんな感じで、観たい映画を見に行こうと出かけたけど、地下鉄で街に出たら、映画上映まで後数分。急げば頭欠けながら観られただろうけど、気乗りせず、何となく頭の中もモワーンとしていたので、職場の所長が以前教えてくれた「めまいクリニック」にかかってみようかと、再度地下鉄に引き返す。

職場の所長が教えてくれた「めまいクリニック」をネットで検索した時に引っかかった病院が教えてくれた病院なのかどうかあやふやだったけど、そのサイトを観た時、何となく受診してみたいなぁと思っていたので、記憶を頼りにその病院があると思われる近くの地下鉄駅に降り立つけれども、それらしい建物はなかった。

携帯モバイルで検索してみると一駅手前にその病院はあるようで、この時期としては風が冷たいながらも晴れ上がった天気でもあり、歩いてその病院を探してみる。

耳鼻咽喉科をメインとするその病院は地下鉄駅のすぐそばのビルに入っており、看板を見るとちょうど昼休みの時間、適当に時間を潰すには何もない街並みなので、中に入ってみると、受付の看護婦さんが控えており、すぐに受付をしてくれ、病状を記す問診票の記入が終わると診察室に案内される。

古びた一室ではあるけれども、精密機器が揃えられた診察室で、ここの院長先生が応対してくれ、問診票に沿って、耳や鼻を調べ、小型カメラで捉えた耳や鼻の内部映像を見せてくれる。

耳には髪の毛が一本紛れ込んでおり、鼻は鼻炎で腫れ上がっている。そんな状況を教えてくれた後、鼓膜の感度、身体のバランス具合をそれぞれ調べると、この病院のお勧めメニューである電気療法を受ける事になる。

耳鳴りやめまいが専門分野の院長先生だけあって、例えば耳には髪の毛が一本紛れ込んでいたら、どのようなケースが現れるかも知れないという話などをしてくれ、耳鳴りやめまいの発生原因を判りやすく教えてくれて、血の巡りの悪さがその諸原因を作り出すから、両側のこめかみに電極を貼り付け、微電流を流し、一時間ほど診察室の奥に備え付けられたベット付きの個室で点滴を受けて休むだけの電気療法は悪さをしている患部を治す西洋医学というより鍼、灸の東洋医学のような感じがする。

点滴を受けている最中、他の点滴を終えた患者さんと雑談する院長はジョーク混じりに病気がなんであるか判りやすく教えてくれる。例えば。

「この頃、お腹が張ってきて。」
「妊娠したのかも知れない。妊娠しなくなると女性の下腹部は締まりがなくなるから、女性ホルモンをバンバン打つと下腹部はしまってくる。けれども、乳癌になるかも知れない」

「音の高い耳鳴りが気になって。」
「歳とともに聞こえる音って変わってきて、若い時は高いキーンとした音が聞こえやすいけど、歳を取るとそれが低い籠もった音に変わってくる。高い音が聞こえるのは身体と耳の感度のバランスにずれが生じているから聞こえるんですよ。」

そんな会話を耳にするうちにいつの間にか寝入ったのか、看護婦さんに起こされ、院長先生に具合を聞かれた時には頭病みも治っていた。

肩凝り、腰痛が首筋の血流を悪くさせているとの事で、いつでも点滴を打ちに来て下さいとのお話。

もしかしたら、更年期なのかなと帰り道思うのだけれども。。。

2009-05-15

受け取りサービス Receipt service

いろんな便利なサービスがあるけれども、便利さを使いこなすのはその使い道を知る情報なんだろうなぁ。

人気ブレークといわれる岡林信康の製品再販も一通り出揃い、その最後とも云える1990年代のアルバムが紙ジャケで復刻になったので、買い揃えるかと、Amazon.co.jpで注文し、今回はコンビニ受取サービスを試してみた。

同時期に東芝とクラウンからそれぞれ発売になるCDを予約注文したところ、Amazon.co.jpの配慮なのか、オプション設定でそうなったのか知らないけれど、一括発送のはずが、東芝とクラウン、一日違いの発売日に併せ、別々の発送といううざったいサービスにはうんざり。

支払い方法をネット銀行決済にしていたので、発送の度に支払所理を命じられ、これで自宅に二日続けて荷物が届けられたのではかなわない。コンビニ受取サービスにしてよかったなぁと思う。

そのコンビニ受取サービスはローソンが提携しているらしく、料金決済の請求、発送のお知らせの後に、自宅近くのローソンに届いたら、メールで受け取り手続きの知らせが来るというもので、ローソン店内のLoppiで送られてきたお問い合わせ番号と認証番号を入力し、出て来たレシートをレジに持っていけば、荷物を受け取れるというもの。

留守がちだったり、荷物が頻繁に来て、家族に煩わしく思われる時など利用するととても便利だろう。

受け取った後の翌朝、Amazon.co.jpから受領確認のお知らせもメールで入るけど、これは防犯の意味なのかどうかよく判らなく、受け取っていないならローソンに調べて貰えという風に取れなくもないけれど。

同じく岡林信康商品で、「伝説」という書籍も復刻されたんだけれども、改訂前のオリジナル本を持っており、先日、本屋で立ち読みしたところ、追記されている1990年以降の話のためにわざわざ買わなくてもいいなと、札幌市図書館蔵書検索にて調べてみると、図書館蔵書にあるので、予約受付をする。

札幌市内の図書館から予約された本が貸し出し可能になると、特定箇所の中から利用者の指定した受け取り場所で受け取れるサービスがあり、これもわざわざ探し廻らずにすむからとても便利。

こんな便利なサービスをどれだけ使いこなせるかは、それぞれの生活スタイルにあるのだろうし、時間に追われるようなライフスタイルが社会一般になってしまっているならば、便利なサービスは宝の持ち腐れだろう。

この頃はあまり語られなくなったスローライフな社会であればこそ、便利さは活きてくると思うのだけど。

とはいえ、スローライフになれない身の上、便利さに追い回される機械仕掛けにはまり込んでいる気もするのだが。

2009-05-13

オリノコ・フロウ Orinoco Flow

定期的に通院している大病院に、飲み薬がなくなりかけているので、出かける。

半年に一度のペースなので、再診手続きも初診扱いのような手順になり、受付だけでも一時間ほど待たされる。

このところの体調不良もあり、その待ち時間も具合悪くなるけど、ゴールデンウィーク開けもあり、来院患者の多さにもうんざりしてくる。

受付をすますと、診察まではそれほど待たされることなく受けられるのが助かり、主治医にこの頃の具合の悪さや立ちくらみの件など話を聞いて貰うと、主治医は仕事の状況などライフスタイルを聴いてきて、睡眠時間を聞いてきた。

夜12時くらいに寝て、朝7時くらいに起きると答えると、「もっと早く寝れば」とのアドバイス。寝るのが一番の良薬という一番肝心な事を教えられた気分になる。

診察後、昼から出勤の職場に向かう途中、街中に10数年前に流行ったエンヤの「オリノコ・フロウ」が流れていて、無理すんじゃないよと云われているような気がした。

今晩は早く寝ようっと。

2009-05-12

駅 STATION

平日の職場近くの地下鉄駅。ここで知り合いとなぜかよく出逢う。

別の場所で親身になってくれる人から、何十年前からの友人で、何年も会っていなかった人など。

昨日も帰りに、25年ほど前のアルバイトの後輩とばったり出くわし、近況やら、お互いの共通の知り合いの話やら、帰りの地下鉄の中で雑談し合い、懐かしあった。

アルバイトの頃はまだ学生だったそいつも社会に出て、札幌市の地下鉄駅に詰めていたものの、交通局の合理化から札幌市の区役所に出向となり、出向生活の方が長くなったと話していた。

別れ際、そいつは40代のおっさんじゃなく、25年前の学生時代のいたずら小僧のような人なつこい笑顔で手を振る。

歳月重ねた再会を与えてくれる職場近くの地下鉄駅はある意味、心のオアシスになっている。

2009-05-11

一年 One year

平日の仕事を始めて、一年。体力的に勤まるかなという不安もどうにかクリア出来たような気もするけれども、疲れが溜まっている気もする。

その前に週末の仕事はすでに30年になろうとしているけれども、父が亡くなった10年度前からパソコンでの在宅ワークをやり始め、家賃など支払いの不足分を埋めるために仕事をし始めたけれども、SOHOと持て囃された在宅ワークも、自分のライフワークの中で仕事が出来るメリットとは裏腹に、人との繋がりの稀薄さにずっと不安を持ち続けていた。

在宅ワークを始めた頃はまだバブルの余韻もあり、Webデザイナーの会社に、在宅ワークを基本としつつ、急ぎの時は会社に応援に行くという変則勤務なども体験しもしたけれども、バブルの崩壊余波からその会社も潰れてしまった。幸い、ネットで知り合った障害者関係の在宅ワークの繋がりが二つほどあり、ちょうど勉強していたウェブ・アクセシビリティ(誰もが利用可能なウェブ)の方で仕事が入り、その後、10年ほどはそれで収入を得ていたけれど、先に書いたように、人の繋がりが仕事が終わると切れてしまうという環境に先行き不安を感じ、平日の職場勤務が何かないかと探していたのが一年前の事。

土日と掛け持ちはきついし、ましてや土日の仕事の方も合理化が進められ、先行き不安感もあるけれども、平日一本にするのも金銭的に辛いものもあり、当分は二足のわらじにならざる得ないけれども、まずは一年という気持ちが大きい。

自分のライフワークがそれぞれうまく絡み合ってくれば、面白くもなるのだろうけど、まだそこまで見通しが立たないのもしんどいところだけれども、人の繋がりがあれば何か出来る。そんな事を思い描いているところ。

まずは溜まった疲れが出始めた自分の身体を癒しつつ、先々のビジョンを思い描ければとも思う。

一年間、お疲れ様。自分とまずは思いたい。

2009-05-10

子供の時間 The Children's Hour

こどもの日の事、お子様無料のサービスで子供たちが沢山いる場面を避けるため、無駄かなと思いつつ、少し時間を遅くして、夜の9時頃にスーパー銭湯に入りに行くと、案の定、小さな子供を連れた大人たちが子供を銭湯で遊ばせていた。

これから風呂から上がり、身支度して、家に帰ったとしても、寝床につくのは下手すれば夜中の日付が変わる時間になるだろうし、遊ばせ放題の子供たちのはしゃぐ気持ちが落ち着かなければ、更に子供たちが寝る時間は遅くなるだろうにと、人ごとながら、いつもように思ってしまう。

重松清の「きよしこ」に、ピーターパンは子供じゃないのに、大人になれない子供の代名詞にさせられているというような記述があったけれども、時間を忘れて、子供たちとスーパー銭湯で過ごす大人たちこそ、大人になれない子供なのじゃないだろうか?

子供から大人になろうとする時期の平成生まれの大学生たちと同じ職場で接してると、こんなに大学生って、子供じみていたかなと思う事がままあるけれども、大人になれない子供たちが育てた子供はもの凄くもろい部分を持っているのかもしれない。

職場の管理職を任された人たちも大人になれない子供のように指揮系統の云われるままに動く小さな兵隊のようにも思え、相対する人間の個性などまるっきり無関心にならざるおえなく、みんな自分の殻にひきこもる自閉のようにも思えてくる。

手を取り合って、手をつなぐ子供たちに夢を教えたピーターパンがいなくなった時、それが正しいピーターパンシンドロームなのだろうか?

日本の知的障害の教育の元となったといわれる話を映画化したものに、戦前の「手をつなぐ子等」、戦後の「忘れられた子等」というのがあるけれども、今の時代はどんな子等の時代なのだろう。

知り合いのブログでも「人の向き不向き」を今さらながらに驚いたり、「便利さ」と誰でも使える事の優しさの違いに戸惑っていたりしており、なんかこれもピーターパンシンドロームのように思えてくる。

子供のまま、浮き世を終わりたいと願った映画「男と女」のピエール・バリューはもう子供じゃないんだと判っていたから、そう思ったんだろうけれども。

みんなが幸せになりたいと思っている。
私は笑うのが好きだし、他の人が楽しんでいるのをじゃまする気はない。
けれど悲しみのないサンバなんて酔えない酒と同じ、
私の好きなサンバじゃない。
歌が嫌いな人もいれば、流行だから聞くだけの人もいる。
金儲けの為に歌を利用する人もいる。
私は歌が好きだ。
だから世界を駆けめぐりその根っこを探しあてるんだ。
そうして今ここにやっとたどりついた。
サンバこそは最も深い歌だ。
これこそ歌だ。

2009-05-09

グローバルボイス・オンライン globalvoicesonline

先日アクセスログを見ていると、「Global Voices Online ? Japan: An Oscar to “Okuribito” (Departures)」からのアクセスがあり、辿っていくと、「グローバルボイス」なるハーバード大学のロースクールにあるシンクタンクがプロジェクトがある事を知った。

そのプロジェクトの紹介記事「asahi.com:世界中のブログ翻訳プロジェクト進行中 - コミミ口コミ」を読むと、言語の違いを超えて、自分の意見を発信しようするブログ記事の紹介に尽力尽くすプロジェクトであるようで、参加者の声として、「大手メディアの報道は世界を分かりやすく伝えてくれる。でも、ブログの文章は、世界がいかに複雑なのかを教えてくれます」という意見も提示されている。

言葉の架け橋になろうとするこの活動の視点は「市民メディア」なのだろう。

他の言語を翻訳する力量はないけれども、自分が見聞きした情報を情報源を含めて発信していく大切さを教えて貰ったような気がする。

What a Wonderful World. この素晴らしき世界を多くの人と共有していく動きをまずはご紹介しておきます。

2009-05-08

グアンタナモ基地 Base de Guanta'namo

多大な債務の末に軍事政権となったブラジルで、ボサ・ノーヴァ(新しい粋)のムーブメントが起きたのも僕が産まれた1958年。

ギター片手に作曲し始めたら、何週間も部屋から出てこない引きこもりの天才、ジョアン・ジルベルト、自ら歌うと下手だけど、コンポイザーの才能は天下一品のアントニオ・カルロス・ジョピン、どこぞの酔っぱらい外交官に爪の垢を煎じて飲ませたい音楽で外貨を獲得させた歌う外交官、ヴィニシウス・モレイラ。この人たちの音楽に熱狂した少年は10年後、アイドル歌手となり、民衆の保守化に反旗を翻し、わがブラジル、トロピカリズモをアピールし、逮捕、亡命を余儀なくされた。

その男、カエターノ・ヴェローゾもブラジル民主化を経て、ブラジルを代表する歌手となり、当年67歳。老いることなく、新作「ジー・イ・ジー」が発売された。

SEXと暴力を下地にした歌の数々の官能性はその中性的な歌声とともに老いる事を知らない。

その中の一曲「グアンタナモ基地 Base de Guantanamo」はストレートなメッセージソングとして、最も判りやすい曲。

アメリカ人が(国交のない)キューバの地で、人権を無視しているという事実は、動揺せずにいるには、象徴的意味において無駄に強烈だ

グアンタナモ基地
グアンタナモ湾の基地
グアンタナモ

2009-05-07

鼻炎 Rhinitis

結局、今年のゴールデンウィークは鼻風邪に悩まされて終わってしまった。

昨日、このしつこい状態にいたたまれずに、薬局に行ったら、先に来ていたおじさんが薬剤師に病状を話しており、それを聴くと、僕の症状とほとんど同じ。職場でも咳混じりの鼻風邪の学生もおり、どうやら鼻風邪が流行っているみたい。

治るかと思えば、またぶり返し、鼻水が出て、咳も混じり、喉にいがらっぽさもある。

先日、常備薬が切れたので、葛根湯を買ってはみたものの効果なく、昨日も薬剤師さんは効用が少し強めの小青竜湯を勧めてくれたけれども、即効性を求めて、漢方よりも市販薬のカプセル錠を選んで買ってみる。

薬剤師さんの説明だと、風邪でも熱があるかないかで、処方が変わってきて、熱がない鼻風邪ならば、鼻水が喉まで垂れ下がり、咳やいがらっぽさを引き起こすから、鼻炎薬を勧めるらしく、身体の負担が大きくない漢方をまずは勧めるみたいらしい。

とりあえず市販薬のカプセル錠を試してはいるけれども、症状は軽くなったような気はするけれども、まだ少し鼻水、咳が残っている。

街中と比べ、自宅近所はゴールデンウィーク中もずっと風が強く、夜になると寒いくらいだし、僕自身はダニなどのアレルギー性鼻炎で、花粉症ではないけれども、この時期はこじらせる人も多いのかも知れない。

庭の梅の木は満開なのに。

2009-05-06

悲夢 Sad Dream

オダジョーと北野武と並びアジアを代表すると評されるキム・ギドク監督との顔合わせによる『悲夢』。

過去を恋い慕う男が見た夢を過去を憎む女が実行する物語は韓国の古い街並みの残る場所を背景に描かれた胡蝶の夢はキム・ギドクワールドを見せてはくれるもののいつもの愛の泥縄にまでは行き着かない。

始めてスクリーンで見たオダジョーの演技は悪くないのに、その筋運びの荒さが終盤に行くほど、どうでもいいじゃんとなってしまう。

オダジョーが韓国人の中でひとり日本語を喋りすぎというのも気に障ったけれど、その分、イ・ナヨンがもだえ苦しむ女を演じてくれたので、救われた気もするし。

春夏秋冬そして春』以降、見えない暴力にこだわり続けるキム・ギドクはここで過去のしがらみにさまよう夢遊病の女を助けようとする男の話として描くけども、空回りだった気もする。

しがらみにさまよう女たちというキム・ギドクワールドを見られたからいいといえばいいのだけれど、『サマリア』『』のような浮遊感を見たかった気もする。

同じ映画館で上映していたオダジョー、アジアンムービー『プラスティック・シティ』は次回見る事にしたけれども、どうも評判悪い。オダジョーの世界進出は遠くはないと思うけれど、まだ序盤戦なんだろうなぁ。キム・ギドクの『悪い男』のようなアバウトな映画を観てみたいけれども。

2009-05-05

賃金の支払 Payment of Wages

何だかなぁの職場の問題一は賃金支払5原則。

変則となる夏の仕事の賃金払いが通常四週間毎なのが、六週間に一度の支払いになると発表があり、普段親睦会なんか無関心の従業員から「法律上問題ないのかなぁ」と云われ、調べてみると、賃金支払5原則というルールが労働基準法の第三章、賃金に記されているという事を知った。

近年増えている外国人労働者に対する法令資料も独立行政法人 労働政策研究・研修機構にて労働関連法が日本語文、英訳文で提示されている

賃金支払の5原則とは、通貨払の原則、直接払の原則、全額払の原則、毎月一回以上払の原則、一定期日払の原則の以上であり、労働基準法の第二十四条(賃金の支払)には要点が要領よくまとめられている。

賃金支払5原則をわかりやすく解説しているサイトも多くあり、それらを読むと従事する者の生活への支障がこの法令の根拠になっているらしい。

当たり前の事が当たり前のように無視される今の企業経営ってやっぱりおかしいけれども、このような不安が発表前から想像出来たのに、賃金支払5原則すら知らなかった自分が情けない。

以下、資料として、掲載しておきます。お役立て下さい。

第二十四条(賃金の支払)
  1. 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法 令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について 確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のも ので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で 組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合が ないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、 賃金の一部を控除して支払うことができる。
  2. 賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。ただし、臨 時に支払われる賃金、賞与その他これに準ずるもので厚生労働省令で定める賃金(第 八十九条において「臨時の賃金等」という。)については、この限りでない。
Article 24. (Payment of Wages)
  1. Wages shall be paid in currency and in full directly to the workers; provided, however, that payment other than in currency may be permitted in cases otherwise provided for by laws and regulations or collective agreement or in cases where a reliable method of payment of wages defined by Ordinance of the Ministry of Health, Labour and Welfare is provided for; and partial deduction from wages may be permitted in cases otherwise provided for by laws and regulations or in cases where there exists a written agreement with a labor union organized by a majority of the workers at the workplace(in the case that such labor union is organized), or with a person representing a majority of the workers(in the case that such labor union is not organized).
  2. Wages shall be paid at least once a month at a definite date; provided, however, that this shall not apply to extraordinary wages, bonuses, and the like which will be defined by Ordinance of the Ministry of Health, Labour and Welfare (referred to as "special wages etc." in Article 89).
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2009-05-04

休息日 Rest day

何だかなぁ続きの土日の仕事も終わり、ようやくわがゴールデン・ウィーク。

映画三昧する予定が、ホームページのデータ整理やら、土日の職場の春のレクリエーションであるボーリング大会の名簿整理やらと雑用に追われ、あっという間にお昼が過ぎ、出かけ損ねで気が抜けたのか、ぐずつく鼻風邪で身体が疲れているのか、パソコン前の椅子で寝入ってしまい、気がつけば夕暮れ。

こんな一日もあってもいいかと、部屋に引きこもり、雑用後かたづけをやっているけれども、まあまあ、いろいろやらなきゃならない事が多すぎる。

やはり僕は貧乏性なのかなぁとあきれてしまうけど、好きな事に夢中になれる、それがリラクゼーションとするならば、まずはよい休息日となったみたい。

2009-05-03

チョムスキー 9.11 Power and Terror

忌野清志郎さんが亡くなったと聴く。

今世紀に入ってから、アフガン難民を描いたイラン映画『サイクリスト』に感銘を受け、自ら、歌うサイクリストとして活動続けた清志郎さんは、言語学者で、『9・11―アメリカに報復する資格はない! 』の著者ノーム・チョムスキーを追ったドキュメンタリー映画『チョムスキー 9.11 Power and Terror』で音楽を担当されていた。

ギビツミ」「クラス」「あふれる熱い涙」。歌に託した想いを残し、清志郎さんは旅立たれた。合掌。

2009-05-01

陽差しに騙されて cheated by sunlight.

昨晩寝る時、喉がいがらっぽく嫌な予感がしたけれども、予感通り、今朝から咳き込みがひどい。主犯格の肩凝りを呼び戻そうと、共犯格の喉のイガイガが暴れ始めたのかなと、ずっと続く風邪気味にあきらめムードの僕。

今日は朝から天気が良く、部屋にいると強い陽差しで暑いくらいの熱気が感じられたので、月も変わった事だしと、薄手のズボンとベストタイプのジャケットを羽織り、昼過ぎにお出かけ。

ところがどっこい、外は空模様とは裏腹に冷たい北風さんが薄着の僕をあざ笑う。

失敗したなぁと思いつつ、時計を見ると、休日の映画鑑賞に予定していた映画には間に合わず、今日リニューアルオープンの映画館に予定を変えて出向いてみると、てっきり館内改装と思っていた映画館はそこにはなく、携帯片手に移転先のビル捜しと相成ってしまった。

やっと見つけたリニューアルオープンの映画館の入っているビルに辿り着くと、映画はすでに10分前に上映開始。なんか、今日はとことんついていない。

仕方なしに映画を観る予定はご破算として、スーパー銭湯へ。風呂上がりの血圧測定で、最低血圧も少し上がり始めたのは、「元気になりたい」現れなのか。

家路について、とりあえず風邪をこじらせないように外出着を厚手のものに戻してみる。

厚着で汗かき、風邪をこじらさなければいいのだが。