職場の親睦会も一年の中の最大イベントである忘年会をすませ、年明けの総会を残すのみとなった。
昨夜は忘年会の反省と総会に向けて、次期役員として、続けて役員をやれるかどうかの意思確認の会議だったのだけれど、この一年、職場仲間の親睦を深めるために動いてきて、落ち度は指摘するけど、親睦会に対して、積極的に参加しようとしない職場仲間の内面を見てしまった役員メンバーの「これ以上人間不信になりたくない」という意見が飛び交い、残留意志を示す人がわずかしかいなく、波乱の会議となってしまった。
職場環境としては、企業内の合理がより鮮明となり、動乱になる事が必至な来年であり、職場仲間の仲間意識が試される時期なのに、職場で「長」クラスの役につく人たちは「仕事」には熱心でも、「親睦」には関わりたがらず、「平」クラスの人たちも仕事場という割り切りが強く、「仲間」という事になると二の足を踏んでしまう。
「親睦会」の役員だけがやきもきしてやれレクリエーションだ、やれ忘年会だと準備しても、参加し、喜ぶお客になるだけで、漕ぎ手の役員にはなろうとしない。
「リセットとして、現状を総会で議題にかけたら」という過激意見も出るけど、「そうしたところで、委任状が大半占める総会でどれだけ議論となるか」と、逃げるに逃げられなく3年越しの会長を任された方は思案に暮れる。
職場で仲間意識を失ったら、経営側の思うつぼである事は目に見えているのに、職場ではその場しのぎの上司へのご機嫌取りやら、仕事の出来不出来の足の引っ張り合いをする。
右肩上がりの時代ならば、競争社会になり得たかも知れないけれど、今は右肩下がりの合理化時代、蹴落とした人間の分だけ、仕事を負わされる羽目になり、更に合理化進んだり、体調壊せば、お払い箱が目に見えている時に仲間意識持たざるは畜生道にも劣る諸行じゃないのかなと。
「スト破り」は「スト」をすると生活できない貧しい人間がやる事という話を聴いた事があるけれど、心の貧しい人間が多くなってきた現代社会の陰湿さを見るようで寂しい想いをした。
世界に例を見ない国民層中流社会を生み出した日本の誇りはどこに行ってしまったのだろう。
まずはあきらめずによりよい職場意識を作り上げる働きかけをしなければならないのだろうけれども。
- OhmyNews : 「これ以上人間不信になりたくない」のだけれど
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