2007-12-04

国民の豊かさ People's richness

12月3日に社会経済生産性本部が発表した2007年版「国民の豊かさの国際比較」によると、日本は経済協力開発機構(OECD)に加盟する30か国のうち、総合順位で7位、「平均経済成長率」と「1人当たりの政府累積債務」では最下位となったという。

「国民の豊かさ」とは何なのかを考えると、単純に昔から云われている「国破れて山河あり」だと思う。

戦後日本は「国」の経済を豊かにするために「山河」を破壊し、公害を生み、病者を作ったのは知られるところで、1970年代、「豊かな社会」の模索は「ディスカバー・ジャパン」より「日本列島改造論」に動き、その頃、作られた年金制度などのセーフティネットも公共社会の蓄財にならずに私欲の道具となってしまい、たかだか40年にも満たずに崩壊の危機に瀕している。

戦争が終わり、平和への希望の時期に生まれた団塊の世代が労働力であった1980年、1990年代は安定成長、バブルとまた盛り返したけれども、その頃、札幌は圧雪の路面ではなく、ヒートアイランドの現れとも云われるアイスバーンの路面に変わっていき、オゾン層の破壊も顕著であると警告を受けていた。

団塊の世代ジュニアが若者となった今日、少子高齢が顕著となり、国家の税収の伸び悩み、過去の借金のふくれ上がりが表面化もし始め、政令指定都市の中では札幌市が最も少子高齢化が進んでおり、夕張の財政破綻、300を越える限界集落が北海道にはある。

いじめを体験した世代が親となり、「子の人権」を語られる今、「私はかばわれなかったのに、この子は何故かばわれるの」とわが子への虐待体験が語られもし、バブル期を知らない若者たちはリストラ、合理化の社会の波に萎縮し、ある者は従順である振りをすれば、生きられる術を身につけ、ある者は不器用さにネットカフェ難民、ニート、ワーキングプアになってしまった。

問題が連鎖し続ける状況は「豊かさ」を「欧米のように」に求めた結果であるだろうし、生活環境の保護を怠った結果でしょう。

温暖化で、米の主産地が本州から北海道に移るかとも云われていますし、秋魚が海水温上昇で南下できずにいる報道もされており、アルプスの麓、アフガン周辺で深刻化している水不足と合わせ、「食の危機」「水戦争」が現実化しようとしている。

日本の「国民の豊かさ」OECD加盟国の中での後退が意味しているものは映画『ダーウィンの悪夢』の進行状況なのかも知れません。

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