日本の思考には社会的弱者から物を見るという風習があったようで、七福神を「弁天をのぞけばみんなカタワなり」と詠んだ川柳のように、「出来なくなる事」から物を考え、「出来なくなった人」の知恵をシンクタンクとし、『平家物語』の「生者必滅」を物語る琵琶法師や『風林火山』の山本勘助の戦術指南など数多く語り継がれている。店番の置物として知られる「福助」も元々は体の自由が利かない不虞者に店番とさせるというなごりという。
それらを書き並べ、本来の日本の「豊かさ」を紐解いた文献として、花田春兆さんの著書『日本の障害者―その文化史的側面』があり、海外でプレゼンテーションされたビデオをページ化したサイトも残っている。
今ではすっかりアメリカ中心の論理がまかり通っているけれども、戦前日本ではフランス・パリを初めとするヨーロッパ文化に関心が持たれており、舞台化された「恐れを知らぬ川上音二郎一座」でも知られた川上音二郎一座などもフランス・パリで日本人初のレコーディングを1900年に残している。
一口に欧米と云うけれども、向こうでは「頭で考えるヨーロッパと感覚で考えるアメリカ」といわれており、映画などの文化媒体を見るとその文化の違いは一目瞭然でもある。
しかし、我が国日本はそのどちらにも組みしなかったから、非西欧圏から注目を集め、特にヨーロッパ文化に批判的なラテンアメリカの超自然主義者達はこよなく日本を愛し、手本としたと語っている。
日本的思考とは欧米のとかく個別事案に向かいがちなミクロ的視点ではなく、自然観、宇宙観から人間社会を考えていくマクロ的視点であり、そのマクロ的な物を端的に表すのは一人一人の人間であるという物の見方で、先の「出来なくなる事」の知恵の活用がその最たる物でもあるだろう。
ラテンアメリカのフォルクローレの詩人で20世紀の世界の遺産とも云われるアタウアルパ・ユパンキの詩に、こんな語りがある。
私の血の中に走る宇宙の粒子は、天体の力の無限の世界だ。
『インディオの歌(風の歌)』より
ユパンキもまた日本をこよなく愛し、何度も来日している。
経済協力開発機構(OECD)の発表による国際学力調査で総じて、学力低下している日本は本来得意とした分野が「暗記」一辺倒の詰め込み教育で応用力を身につけられなくなった結果だろうし、その事で最も世界に誇った「日本的思考」による生産分野での国際競争力を失う事になるだろう。
温暖化が叫ばれる今日、個別問題のミクロ的視点ではなく、地球規模というマクロ的視点を持ち得た「日本的思考」が望まれているのに。
「日本的思考」の結集であるだろう京都議定書やISO/IEC ガイド71で提案された高齢者及び障碍のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針を提案した日本がちゃんと活用出来るのかどうかが、今後の課題になるだろう。
子供はその時代の鏡であり、子供たちの才能を伸ばす指針を示すのが大人の役目なのだから。