2010-08-06

BOX 袴田事件 命とは

「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないのか?」

昭和41年、静岡県、清水市で起きた「袴田事件」に関わった元裁判官の視点から描かれたこの映画は従来の社会告発的な「冤罪事件」ものとは一線を画した作品になっていた。

男女の性愛を描くピンク映画出身の高橋伴明監督は、裁きに関わる人間の苦悩を生臭く描き、人が人を裁くことを映画として見せつける。

人の生死と自分のプライドという天秤ばかりに揺れ動く警察、検察、裁判官たちの中、どう見てもおかしいのに、おかしいといえなく、「冤罪」で死刑判決を言い渡してしまった元裁判官は、裁判官の守秘義務と死刑判決で強い拘禁反応をおこし、適切な治療すら受けさせて貰えない袴田被告の状況に、揺れ動き、平成19年、40年目の告白に踏み切る。

極限状況に置かれた時、人はどうなるのか。映画ではアウシュビッツのユダヤ人たちが、ゲシュタポに命じられる前に、命じることをやろうとする「苦痛の緩和」の話が語られ、戦時中の翼賛選挙を無効にし,東條英機首相と争った吉田久裁判長の話が語られる。

「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないのか?」

「冤罪」の話を聴く度、いつも思うことだが、裁く者のプライドだけでその真犯人が捕まることをまぬがれ、罪も償わずにいるこの社会の方がはるかに怖いと思う。

テレビでは被爆65年の夏、ヒロシマのニュースが流れ、初めて参加したアメリカ大使に対し、広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子が「歴史の改ざん」と批判したと語っている。

元ちとせの「死んだ女の子」のライブクリップを見たくなった。

幼くして原爆で死んだ女の子、若くして獄中生活を強いられた袴田さんを思って。

2010-08-05

カラー・コントラスト Color contrast

この頃、カラー・コントラスト・アナライザーという背景色と文字色のコントラスト比が一定度確保されているかを調べるソフトを使っている。

先日のゼロックスのセミナーでもカラー・コントラストの説明として、強調でよく使われる赤い文字が色弱の方には色が抜けて見える実例を見せてくれて、印刷の際には文字の縁を白っぽくすることで、文字が判るという配慮が示されていた。

なかなか判りにくい色のコントラストの指定が、このソフトを使うと小さめの文字と大きめの文字でのコントラストが判る。

色弱は障がいの認定がされていてもなかなか一般には判りづらく、パソコンを使う人も色覚が衰えるという話も聞くから、そのニーズは意外と多いのかも知れない。

カラー・コントラスト・アナライザーを使って、身近な色遣いを調べてみませんか?


厚生労働省のサイトの画像チェック

2010-08-02

タンニングポイント Tanning point

従妹が冠婚葬祭の業者に就職が決まり、さっそく互助会の勧誘にやってきた。

冠婚葬祭業ではこの頃は自殺者の葬儀が多いらしく、亡くなった方のご家族は悲しむ暇もなく、呆然とされているケースが多いらしい。

不景気のご時世、業界では高齢化の後の少子化の波を恐れているという話を聴かされたけれども、冠婚葬祭業はこれから高齢化されていく団塊の世代がいるのだから、少子化の波はまだ先のような気もする、と従妹に話をした。

先日の講演会で聴かされた、これからは5年ごとに社会のタンニングポイントが来るという話をふと思い出す。

それは定年を過ぎた団塊の世代が65歳までの雇用延長を終える2012年から2014年までの労働力の減少、税収の激減。団塊の世代が70歳となり、福祉サービスの需要がピークになる2017年から2019年まで福祉施策の問題。そして、75歳になる2022年から2024年の老人ケアの問題。

今の社会は歴史上類を見ない極端な人口を示したこの団塊の世代の成長と共に、社会形成がなされてきたといわれており、その世代が社会の一線から退く今日は肥大化した社会構成の立て直しが迫られる時代でもあるらしい。

団塊の世代が築きあげたものを根本から見直さなければならない時は第二次大戦の後、世界中で生まれた平和の申し子たちの足跡をどのように受け継ぐかにもなるようだ。

そのタンニングポイントを乗り切ることは、呆然とする遺族になるかどうかと似ていなくもないかなと思ったりする。

団塊の世代から遅れること、10年後に生まれた自分はその10年分、試練を味わうのかもなと思いもする。

2010-08-01

卒業 Graduation

重松清さんの著作を年代順に読んできて、この「卒業」が今の重松清さんの作法の始まりなんだろうなと思う。

泣けるとされる「流星ワゴン」などはそれ程感銘も受けはせず、幼き日の著者がベースになっているといわれる「きよしこ」の方が素直に泣けた僕としては、この「卒業」は重松節を心ゆく堪能出来た。

親の死をベースに展開される四つの物語は、親の死と向き合うことで、無理してきた自分を知る物語たちでもあった。

落ちこぼれの妹をけして叱らなかった母から落ちこぼれた息子にどう対処していいか判らない自分の了見の狭さを知る「まゆみのマ-チ」、末期がんの元教師の父の看病を「死」にこだわる教え子にやらせる「あおげば尊し」、廻りから「死ね」と云われ、簡単に死ねそうな気になってしまう女の子が自殺した父を知ろうとする「卒業」、幼い頃に亡くした実母の面影に固執し、義母と対立する「追伸」。

どれも泣ける話だけれども、最後の「追伸」は自分自身の実母と義母に対する想いと重なり、声をあげ泣きそうになるのをぐっとこらえた。

著者自身、許しの物語と語る通り、許された者たちの話はやはり泣けてくる。

「与えるよりも与えられよ」「愛するよりも愛されよ」

マザー・テレサの言葉がふと頭を過ぎったりもする。

2010-07-30

ユニバーサル・デザイン Universal design

ゼロックスのセミナーで、「ユニバーサル・デザイン」を取り上げるというので、聴きに行ってきた。

FONTWORKSの方のお話だったので、「ユニバーサル・デザイン」の本筋のお話は聞けないかなと思っていたら、本筋をしっかり押さえた話だったので、非常に感銘を覚えた。

このセミナーでは、ゼロックスと云うこともあり、印刷の「ユニバーサル・デザイン」の話だったけれども、色覚の「カラー・ユニバーサル・デザイン」の話や字体の大きさでの印象度の違い、遠くからでも濁音と半濁音の区別が出来る交通案内板の話など、どんな状況下に置かれても情報が判る工夫のお話は大変参考になった。

障がいを持った人が社会参加していく上でのバリアを取り除く「バリアフリー」から、どんな境遇の人たちも共に暮らせる「ノーマライゼーション」、病気療養の方や障がいを持った方達の介助用品として開発されたウォシュレットやシャンプー、リンスの区別をつきやすくする工夫が一般商品として流通している「共用品」、そして、誰もが使えるデザインの「ユニバーサル・デザイン」に利用可能にするノウハウの「アクセシビリティ」と、棲み分けの時代から共存の時代への模索が、サービス業界でなされていることに嬉しく思う。

別なセミナーで聴かされた日本の福祉、教育の場では、フランス、ミッテラン大統領が移民対策として掲げた性別、障がい、民族の垣根を取り払う「ソーシャルインクルージョン」を、当事者同士の垣根をなくすものと解釈し、実践されているという本末転倒ぶりに唖然としてしまうのだけど。

日本人もアメリカに行けば、言語障がい者。そんな発想を出来ない部落社会で、「ユニバーサル・デザイン」はどのように浸透していくのだろうか。

国民の3人にひとりが加齢障がい者になる日も間近なのだから。

2010-07-26

経過良好 Passage is excellent.

今日は2ヶ月ぶりの肝炎の定期検診の日。

超音波で肝臓の状態をみる検査もあり、少し早めに病院に行く。

超音波検診は看護婦さんが滑りよくするためのゼリーを塗った機械をお腹に当てて、様々な角度から、肝臓廻りを超音波で映し出し、その度毎に、「息を吸って」とか、「少し吐いて、止めて」とか指示を出し、状況を調べていく。

検診後、主治医の状況報告では、血液の値も、超音波の画像もすべて順調とかで、ダメージあった肝臓も回復しており、脂肪肝にもなっていないらしい。

抗ウイルス剤の投薬は続くけれども、定期検診のスパンはまた長くなり、次回は3ヶ月後。

B型肝炎は揺り戻しが怖いから、定期的な検診を聴ける事が安心に繋がるけど、そのスパンが長くなっていくのは看られるこちらとしても少し安堵感がある。

「経過良好」と聴く毎に季節が巡りゆく時の流れが心地よい。

2010-07-23

見学 Visit

ふとした話し合いから、子供の頃、体育の授業でいつも見学に廻されていた想い出が蘇ってきた。

利き手が不自由であるがために、上肢を使う鉄棒や跳び箱、野球、バレーボールなどではいつも見学に廻されていた。

出来ないのだから仕方ない。そう割り切っても、愉しげに運動をする同級生たちが羨ましかった。

出来ないのだから出来るようになりたいと、半開きにしかならない利き手の指を伸ばすリハビリを見学中にしたこともあったけど、脳性麻痺の後遺症である利き手は頑なに指を伸ばすことを拒み続けた。

やけどで片手の指が使えなくなった野口英世の伝記を読み、憧れたこともあった。

母に頼んで、病院の先生に手術で利き手の指が開くようにならないか聴いたこともある。結果は、開くようにはなるけど、閉じなくなるよ。という答えだった。

握ったままでも少しは指を使える手が、開いたまま閉じなくなる。それは子供心にも恐怖だった。

体育の時間の見学は続いた。

大人になり、同じ学校だった奴に、そいつも何かで見学に廻された時に、いつも見学組の僕が先生からかばわれていたことを覚えていると聴かされた。

僕もまた別な見方をすれば、特別扱いだったのだろう。

そんな僕の愉しい体育の時間の記憶は上肢を使わなくてよいサッカーであり、徒競走だった。

みんなと一緒に動きたい。その気持ちが伝わったのか、学校時代、サッカーをしていた友人とよく遊んだ。

見学組の寂しさ、悔しさから得たものを大切にしたい。

2010-07-19

夏の虫 Summer insects

「飛んで火に入る夏の虫」の文句の通り、うちの作業部屋には夏の夜になると、羽根蟻が大量に外から入ってきて、蛍光灯に群がり、その熱にやられて、蛍光灯の下で作業するパソコンのキーボードの上に、ぽとりぽとりと落ちてくる。

けれども、しかし、今年の夏は例年にない蒸し暑さなのに、一匹の羽根蟻も飛んでこない。

これは何かの前兆なのか、家の廻りの兵隊蟻たちは変わりなく動き回っているのだけれど。

豪雨のニュースが気に掛かる。

2010-07-16

コロンブス 永遠の海 Cristo'va~o Colombo - O Enigma

「"郷愁"という言葉 この言葉を紡ぎ出した人よ
初めて呟いたその時 涙を流したことでしょう」

第二次大戦が終わり、ポルトガルからアメリカに渡った若者は大航海時代の偉人に夢を馳せ、今日に至るまでその偉人の過ごした土地を歩き回る。

100歳を超えてなお、世界で最高齢の現役映画監督であるポルトガルの巨匠 マノエル・デ・オリヴェイラが描く映画は忘れ去られた国の誇りを語りつつ、大航海を余儀なくされた人々へのレクイエムであるかのように穏やかな映画であった。

コロンブスの過ごした土地を尋ね歩く若者の背景には、戦後という名の戦争があり、年老いて再び訪れたニューヨークは9.13の傷跡がある。

彷徨う者の前にある海はどこでも変わらず、波打ち寄せる。

失われた時を求めて、人は"郷愁"に涙するのだろう。

2010-07-15

みんなのウェブ Everyone's web

JIS規格のウェブサイト制作の障害者、高齢者への配慮の指針を示したIS X8341-3が近々改訂されるのを知り、どのような改正がなされるのか、このところ調べている。

5年前に作られたものが、「望ましい」という指導であったのに対し、今回の改正は提供側がどのような配慮をしたか、明確に示し、アクセシブル(利用可能)であるか、第三者にも判断できる基準を示しなさいとする一歩踏み込んだものであるとのこと。

「障害者、高齢者への配慮」を謳った前回のものから、改正では「みんなが使えるウェブ」を提起しており、この5年間、障害者、高齢者への配慮として、付加価値をアクセシブルと考える流れがアクセシブルなのではなく、サイトを作る上でアクセシブルな設計に心がけることが「障害者、高齢者への配慮」でもあるといった趣旨の元、改正が行われたようである。

僕がウェブ・アクセシビリティを知り、覚えたのが「みんなのウェブ」の制作に関わった時で、久々サイトをのぞくと、その頃のことが思い返されてくる。

ウェブ・アクセシビリティのJIS規格は拘束力なく、無意味との批判がいわれていたけれども、今回の改正により、JIS規格に合致する、しないが明確に示されれば、無法化されたインターネットのサイト制作も少しはよくなるのじゃないかと思われるし、そうなることで、長年、情報格差に我慢し続けてきた障害者、高齢者の利便性が高くなることを期待したい。

インターネットは「みんなのウェブ」なのだから。

2010-07-12

宝くじ一枚 One lottery

サマージャンボ宝くじが発売され、いつもながらの浅き夢でも買おうかと思いつつ、何か面白い買い方はないかなと考え、一日一枚、いろんな発売所で買うことを試している。

駅のキオスク、街角の宝くじ売り場と行く先々で「宝くじ一枚」というのは気恥ずかしいけど、売り場の小母ちゃんも面倒な顔も見せずに「宝くじ一枚」に微笑みながら、応対してくれる。

昨日の朝などは売り場の小母ちゃんの口癖なのだろう、「連番?ばら?」と聴かれ、こちらが笑い返すと、そうそう一枚だよねという顔で、宝くじ一枚、渡してくれた。

見栄張ることなく、けれども夢が欲しい、そんなありのままがいいんじゃないかと思うこの頃。

宝くじ一枚、短冊のように財布にしまう。

2010-07-11

祭囃子が聞こえる The festival musical band is heard.

今年もまた、祭囃子が聞こえる季節になってきた。

札幌の街の繁華街通りの商店街が繰り広げる祭りにはあいにくの曇天ながらも、神輿が出て、活気づく。

祭りの着替え所になっているうちの職場に、今年もまた、この祭りに欠かさず参加している知り合いのご夫婦が顔を出し、七夕ならぬ一年に一度の顔合わせを今年も楽しめた。

互いの近況を語り合い、新しい名刺を手渡すと、奥さんが大事そうに手荷物の中に仕舞い込み、変わりないかいと聴いてくる。

ちょっぴり甘えて、昨年末にB型肝炎を患ったことを話をし、心配してくれる優しい言葉に安堵し、祭りに向かうご夫妻を見送った。

仕事中、聞こえ続けていた祭囃子も、仕事帰りには聞こえなくなり、繁華街の通りは後始末をする人たちの姿が見受けられ、そんな道端で、以前職場に仕事に来ていた奴とばったり再会し、立ち話をする。

そばで祭りの後かたづけをする人をふと見ると、知り合いのお兄ちゃん。

祭りは人と人を再会させるのだろうか。

やがて、路地は車に開放され、選挙戦最終日、もうひとつの祭囃子を聴かせ始める。

この祭りは人と人を再会させるのだろうか。

2010-07-09

Moment or Chronicle

映画「風のかたち」の上映会で売られていた雑誌「Moment or Chronicle」を読み終えた。

「Moment or Chronicle」モメントまたはクロニクル。瞬間あるいは持続性。

特集に映画「風のかたち」が取り上げられており、その他、柳田邦夫氏が「絵本」の読み聞かせが親子の絆、人と人とのコミニケーションの元なのじゃないかと語りかけるなど、今の時代に失われようとしている瞬間あるいは持続性で一冊の雑誌が成り立っている。

「同じ所にとどまろうと思うなら、全速力で走り続けなさい」

「鏡の国のアリス」に由来するといわれる進化論を引用して語られる「試論 幸福の証券化の可能性」は「上がるか、下がるか」のみに興じる個人トレーダーたちのマネーゲームが、幸福というベクトルに向かう幸福の証券化の可能性を試論しているけれども、「上がるか、下がるか」を幸福とはき違えている今日、新たな幸福論が必要なのだろうなと思ったりする。

この本の中で、やはり白眉は映画「風のかたち」のスマートムンストンの医師たちの語りで、小児がんの子供たちの過去、現在、未来を語る姿は何にもまして、今の幸福論だと感じられる。

「泣けなくなったら医者はやめるべきだ」と語る細谷亮太医師は一番最初に看取った患者さんが亡くなった時、助かる見込みもないのに汗だくになって心臓マッサージをし、立ち会っていた医師が止めた後、放心状態で病室に立ち尽くしていたという。それを父兄の方々は救いと感じられたらしいけど、細谷医師は患者さんを救いたい一心で、父兄の姿も見えていなかったと語る。

がんの治療の目標のひとつとして、クオリティ・オブ・ライフ(生存の質、命の輝き)を語る月本一郎医師は、助からない時代から助かる今に至るまでの小児がん治療の医師たちの取り組みを語り、放射線、抗ガン剤の治療成果を国境を越えた情報交換としてのグループ・スタディが集学的治療になったと語り、病名告知という10年前のテーマで今日、悩んでおられる地方の医師たちへ映画「風のかたち」を観るようにと、情報格差の今日の状況を気にかけられている。

「頑張れ、頑張れ」だけじゃダメだ、治すにはこれだけ頑張らなきゃならないという具体的な話をすることが子供たちには大切であり、それだから頑張れる事なんだ、と語る石本浩市医師は、小児がんとは生まれてから15歳までに発生するがんの総称と語る。

大人のがんは臓器の管腔に出来るがんが多く、生活習慣からなるのに対し、小児がんは白血病、肉腫、腫瘍などのがんであり、細胞分裂が活発な子供には抗ガン剤は効きやすいとのことで、成長期でもあるから、脳が出来上がる3歳前後や思春期に過度な治療を行わなければならない時、現れる障がいよりも命を救う事を重視する選択がなされるという。

「Moment or Chronicle」モメントまたはクロニクル。瞬間あるいは持続性。

そのどちらもを考えなければならない事を思い出させてくれる一冊もまた「風のかたち」のムーブメントなのだろう。

2010-07-06

暴力団対策法 Anti-Gangs Measures Law

先日、スーパー銭湯に入りに来ている年配のお客さんが、脱衣所に貼られた「暴力団対策法で禁止されている21の行為」のポスターを読み、「これって暴力団と限定しているけど、誰でもやりそうなことばかりだよなぁ」とつぶやいていた。

「暴力団対策法」も「暴力対策法」に改めた方がいい時代なのかも知れませんなぁ。

  • 口止め料を要求する行為
  • 寄付金や賛助金等を要求する行為
  • 下請参入等を要求する行為
  • 縄張り内の営業者に対して「みかじめ料」を要求する行為
  • 縄張り内の営業者に対して用心棒代等を要求する行為
  • 利息制限法に違反する高金利の債権を取り立てる行為
  • 不当な方法で債権を取り立てる行為
  • 借金の免除や借金返済の猶予を要求する行為
  • 不当な貸付け及び手形の割引を要求する行為
  • 不当な信用取引を要求する行為
  • 不当な株式の買取り等を要求する行為
  • 不当な地上げをする行為
  • 土地・家屋の明渡し料等を不当に要求する行為
  • 交通事故等の示談に介入し、金品等を要求する行為
  • 商品の欠陥等を口実に損害賠償等を要求する行為
  • 許認可等をすることを要求する行為
  • 許認可等をしないことを要求する行為
  • 公共工事の入札に参加させることを要求する行為
  • 公共工事の入札に参加させないことを要求する行為
  • 公共工事の契約の相手方としないことを要求する行為
  • 公共工事の契約の相手に対する指導等を要求する行為

2010-07-03

哀愁的東京 sorrow of Tokyo

絵本を書けなくなった絵本作家が喰うために書き続ける週刊誌のフリーライターとして、巡り会う様々な過去を背負った人たちの物語。

輝かしき過去と戻れない今とどうなるか判らない未来と。

書けなくなったきっかけの絵本を振り返る絵本作家は過去を背負った人たちとほんの少し痛みを分かち合う。

「哀愁的東京」華やかさの裏に隠れた素顔たちは華やかな分だけ老いている。

その「老い」を描こうと思う絵本作家は果たして新作を書けたのだろうか。

「哀愁的東京」を知ったところで「老い」は止められないのだろうけれども。

知らないふりのかなしみ笑いよりはいいのかもと思う。

2010-07-02

お役所詣で Public office visit

冷夏の予想はどこへやら、連日の暑さに少しばて気味の夏、この頃。

なんか今年はお役所詣での回数が多いようで、例年の障がい者助成の手続きの他に、特定疾患の手続きもあるからなのだろう。

今日は障害年金の現況届けの提出をしに出かけていった。いつもは切手を貼って、ポスト投函で済ますところなのだけど、参議院選挙の期日前投票もしなきゃならないから、お役所詣でと相成った。

障害年金の現況届けは簡単に云えば、生きてるから年金継続頼みます、とでもいうようなもので、毎年7月に送られてくる。母の老齢年金の現況届けは誕生月の来月なので、2ヶ月続けての手続きになる。

参議院選挙の投票用の葉書が公示日を過ぎても届かなかったから、どうしたんだろうと思いもしたけど、まぁ、現況届けが届く頃には来るだろうと思っており、その通り、相前後して届いたからいいのだけれど、他の札幌市内の各区に住む友人たちは届いているという話を聴いていたから、またまた住んでいる区への行政不信が募っていたところ。

足取り重く、交通の便の悪い区役所に行くためにバス停に行くと運良くバスが来て、区役所でもスムースに事が進み、帰りのバスもすぐに来た。

度重なるお役所詣では嫌だけど、これだけスムースならまぁいいかと、好天の休日、その後、街に出かけていきました。

お役所詣での簡略化はもっともっと考えて欲しいけれども。

2010-06-27

風のかたち Shape of wind

「子供は死んではいけない人たちなんだ」

がんを告知された子どもたちのサマーキャンプを毎年欠かすことなく続けているスマートムンストンの代表、細谷亮太医師の言葉から映画は始まった。

死と向き合わざる得ない病気も医療の発達で、10人に7人は助かる病気になって来たという。ただ、再発の危険性もあるために定期的に長いスパンで検診を受けなければならない病気でもある。

そんな子供たちも発病から数年もすれば、大人になる。

病気と向き合う人たちに、世間はテレビドラマに描かれるような悲劇性を当てはめ、同情の目を向ける。生きようとする人たちに余命を見てしまう。

がんを告知された子どもたちのサマーキャンプで、元患者の人たちはそんな偏見をあざ笑う。あざ笑うことで、生きてやるとという意思表示を示す。

支援する医師たちは、入院中子供たちが叶えられなかった「人と会う」事と「太陽と大空を満喫する」事を叶えように準備を続ける。

診察の時に問診する医師も、サマーキャンプでは子供たちの成長を喜ぶ小父さんになる。小父さんになれたことを喜ぶ医師たちは、この一年に亡くなった子供たちを思い返す。

「生きてるものは、みんないつかは死ぬんだよ。これは仕方がないんだ。でも、麻衣ちゃんも先生も、何も今すぐ死ぬわけじゃないよ。まだまだ頑張れるよ。

だから泣いてないで、どんな風によくするか、よくなったら何をしたいかな、なんて考えた方がずっといいよ」

「誰でもが死んじゃうって言ったけど先生が死んだら麻衣を治す人がいなくなっちゃう。パパも、ママも、お兄ちゃんも、それからおばあちゃんも死んじゃダメ!」

「死んじゃダメ!」の押し問答は何で生きているかの押し問答になる。

上映会の会場には映画に出ていた元患者さんの姿もあった。

ここにいること、それが生きることなんだよね。

2010-06-26

レーダーチャート Radar chart

欧米では人々の情報格差が障がいであるとして、例えば段差があれば車いすでは行けないだとか、点字ブロックは白杖使用者の道標であるとか、本人が誰の助けを借りなくても情報確保出来ることが必然であり、権利であるとされている。

公共の環境整備は日本でもかなり整ってきてはいるけれども、ネットが情報を得るツールになってきている今日、公共のサイトのアクセシブル(利用可能)はどうなっているかを毎年、調査している有限会社ユニバーサルワークスさんの今年の結果を観ている。

音声化対応・操作性・可読性・レイアウト・汎用性の5点のレーダーチャートの大きさがそのサイトの利用可能度を示しているのだけれども、ネットにおける情報格差に陥りやすい視覚障がいと上肢障がいの使い勝手を一定の規則に沿って調べたものだ。

そのチェックリストを観ると、公共性である配慮や特定の画面サイズでしか情報を得られなかったり、文字データとして、音声変換が可能かどうかなどの項目が並んでいる。

内乱続くアフリカで反対勢力の若者の指を切り落とし、投票を妨害したという事例など障がいを持たされた者の情報伝達の手段は案外もろいものであり、その情報格差こそが障がいなのだという考え方が広まっている。

そして、コンピューターのネット社会にとって、互いの情報を環境を問うことなく得られる手段として、ネットのページがあるとするセマンティック・ウェブとアクセシブル(利用可能)が絡み合って、様々な環境に対応出来るウェブページが今後、更に求められるとされている。

北海道のサイト、札幌市のサイトはレーダーチャートの大きさがこぢんまりしていたり、音声対応にのみ偏っていたり、IT立国を謳うには利便性の配慮があまりなされていない。

それはすなわち、合理的に使い廻しが出来ずに余計な手間を増やし、市民税、道民税を浪費しているとみるのは早計だろうか?

政令指定都市の中で最も高齢化が進むとされる札幌市において、情報格差はどんな具合なのか気に掛かる。

ちなみに札幌市バリアフリータウンマップなる車いす利用可能の紹介サイトで、ショッピング・飲食のページで札幌の繁華街でもある中央区で紹介されたいるお店は29件とはどこの田舎町と思ってしまうほどずさんな調査データが恥ずかしげもなく載せられている。

お宅の都道府県のレーダーチャートはどんなものですか?

2010-06-24

眠る男 sleeping man

「眠る男」という映画がある。そのタイトルが気に入り、観たいと思いつつ、テレビで放映した時に録画をしているのだけれども、まだ観ていない。

おそらくそのタイトル「眠る男」に僕は惹かれているのだろう。

そういえば、中学校の頃だったかに公開された映画に、萩本欽一主演だかで、「俺は眠たかった」というのがあり、観てもいないのに印象に残っているのは、「眠る」事に自分自身、惹かれるものがあるのかも知れない。

この頃、それが顕著で、何故か知らないけど、疲れやすく、仕事帰りに行くスーパー銭湯で小一時間、ベンチの形をしていて、背中に温泉が流れる寝湯で眠りこけている。

持病の脳性麻痺で歳を取ると首筋の頸椎あたりの負担が高まり、疲れやすくなるせいかも知れないし、肝炎による疲労感かも知れないけど、とにかくこの頃は「眠る男」になっている。

長年勤めているところで、僕より入って日が浅い奴らがイニシアティブを取ろうと僕の長年の実績を無視しているストレスもあるだろうけど。

別に自分のやってきた事を評価して欲しいとかという気持ちはないし、それが自分の重荷にもなりたくはないけれども、イニシアティブを取ろうとする割には職場の人間関係など何も考えずに動くその危うさにストレスを感じたりもする。

人から学べば判ることなのに、その場の得失点にやっきになって、長年培われたノウハウすらも知ろうとしない。そんな危うさはこの世知辛い時代、どこにでもあることなのだろうけど、それが自分達の生活基盤を壊している事に気がついていないような気がする。

前述の「眠る男」は事故で寝たきりになった男の視点から世の中を見た映画らしいけど、この頃、眠るほどに安堵感を得られるような気がする。

老兵はただ眠るのみ。釈迦に説法するより、自分の居場所を見つける方が自分のためのように思えるこの頃。

2010-06-18

グラデーション Gradation

久々にCSSの最新技術を勉強していて、Webの世界はコンピューター言語によるページ作成がどんどん進化していっているのを実感した。

以前は画像加工に頼っていたグラデーションやぼかしなどもCSSで実現可能になってきており、貼り絵的な旧来の非コンピューター的な作り方はページを表示される上での余計なトランフィクをともなっていたものが、CSSにデザインを集約することで、トランフィクを軽減し、映像などの配信をスムースにさせるネット技術にも繋がるのだろうと思った。

押し付けのデザインではなく、利用者がその閲覧環境にあった見せ方を提示することで、情報格差をなくすとするユニバーサルデザインはそれゆえ固定のイメージにこだわると成り立たなくなるものであり、それこそがコンピューター世界が最も得意とする分野にもなるのだろう。

CSS技術の他、ページの特定の箇所を表示してみせたり、並べ替えが可能になったりというユーザーインターフェイスの技術は覚えるには難易度が高いけど、その技術を知ることが、ページに書かれていることを「知ること」「理解出来ること」「操作出来ること」「永続的に使えること」のウェブアクセシビリティにもなってくるのだろう。

暗くて字が読めない、騒音で音が聞こえない、手がふさがり操作出来ない、急いでいて画像や動画の表示を待っていられない。これらは人間の生活の上であり得ることであり、なおかつ、障がいを持つ者たちと共用出来る不便さなのだから。

CSSのグラデーション設定のサンプルのひとつをとりあえずご紹介しておきます。

/* For WebKit (Safari, Google Chrome etc) */ background: -webkit-gradient(linear, left top, right top, from(#fff), to(#060));
/* For Mozilla/Gecko (Firefox etc) */
background: -moz-linear-gradient(left, #fff, #060);
/* For Internet Explorer 5.5 - 7 */
filter: progid:DXImageTransform.Microsoft.gradient(GradientType=1,startColorstr=#FFFFFFFF, endColorstr=#FF006600);
/* For Internet Explorer 8 */
-ms-filter: "progid:DXImageTransform.Microsoft.gradient(GradientType=1,startColorstr=#FFFFFFFF, endColorstr=#FF006600)";

グラデーションのテストです。

2010-06-17

訳わかんない It is not possible to understand.

友だち何人かとの飲み会の帰り、地下鉄でコギャル風の女の子二人、浴衣姿で乗り込んでた。

札幌の夏を告げる神宮祭の夜店の帰りなのだろう。あいにくの雨で浴衣も少し濡れていた。

「なんで初めてあった小母さんに『死ね』といわれなきゃならないの。訳わかんない。」

地下鉄に乗るまでの道筋でなんか嫌なことがあったのだろう。コギャル二人はフップンをはらすようにそうしゃべり、夜店名物の飴でくるんだリンゴにかじりついた。

初めてあった小母さんは『死ね』という流行り言葉を使いたかったのだろうね。

今の大人たちは確かに訳わかんない。

コギャル二人が大人びて見える夏の始まり。

2010-06-13

疾走 Dash

自己顕示欲が強い世界で、自分を「いない者」とすることで生き延びた少年の話は「いない」が故に人々に玩ばれ、玩ぶ自己顕示欲が強い者たちもまた「いない者」と何も変わらなく社会に玩ばれる。

「いない者」として生きた少年だから、見えてくる社会の滑稽さは社会にしがみつき、自分の居場所すらぶち壊してしまう人々の愚かさを描いているようにも思えてくる。

重松清の長編小説「疾走」の怒りは弱い者同士が傷つけ、殺し合う社会に刃向かうには自分を「いない者」とすることでしかありえない寂しさのような気がする。

臆病な猫たちは「強い者」に可愛がられるように擦り寄り、「弱い者」を作って、自分の鬱憤をはき出す。

殴られ、蹴られ、衣服をはぎ取られ、身体を玩ばれる「弱い者」と「強い者」に可愛がられる者どもの哀れさは何も変わらない。

ただ、人の痛みを判るかどうかの違いだけで。

2010-06-11

送り火 Farewell fires

重松清の短編集「送り火」の表題作は、マンションのローンを支払うために無理をして死んだ父を「莫迦みたい」と思っている娘夫婦がひとりその父が残したマンションの一室で暮らす年老いた母を気遣い、一緒に暮らそうと説得しに行く話だった。

父の生き方を認めようとしない娘に母はお父さんはお前の旦那さんと同じだよと云い、家族の笑う顔が見たくて、一生懸命無理してくれた、と話す。

娘は旦那は家族と一緒に楽しみたがるのに、お父さんは一緒に楽しんでくれなかったと父と楽しめなかった恨み辛みを語る。

自分はどうでもいいんだよ。家族の笑い顔が見られればよかったんだよ。

人と楽しみを分かち合うのは、亡くなった人を思う送り火と同じなのかも知れない。

昨日、友だち数人と昔の物を集め、展示しているレトロスペース坂会館に行き、昭和の時代を知っている自分を思い返し、そのぬくもりの中に重松清の短編集「送り火」を思い出した。


レトロスペース坂会館の店内

2010-06-09

ミニロト mini Loto

先週、久しぶりに運試しにと、銀行ATMで買えるロトくじを買った。買ったのは、ナンバーお任せの5週間有効のくじをミニロト、ロト6、それぞれ一組。

ロトくじ抽選発表は結果が発表になれば、メールで当選番号を教えてくれるサービスに登録しているので、忘れててもメールが届くわけで、昨日も帰宅後、その当選番号を自分が購入したくじナンバーと一致していれば教えてくれるエクセルで自作した簡単なプログラムに打ち込んでみる。

当選番号、18 19 20 28 29、ずいぶん連番が多いなぁと思いつつ、打ち込み、どうせこんな番号じゃ当たっていないだろうと、結果を表示するシートタブを開くと、購入くじと同じ番号が4個もある3等当選、12,400円なり。

外れた番号は14で、ミニロトのボーナス数字は13。これが一致していれば、2等当選、243,900円だったけど、欲を言えばきりがない。

運気が芽ばえ、何かいいことあるかな、子猫ちゃん。と夢は夜開く。夢で逢いましょう。

2010-06-05

区役所にて In the ward office

B型肝炎の医療助成の制度が変わったとかで、助成対象が課税額に応じて変わるらしく、世帯が住民税非課税の僕にとっては影響ないのだけれど、助成を実施している北海道庁から申請の送られてきているので、手続きをすべくこのところ動き回っていた。

通院の時に医療助成の診断書を書いてくれるよう主治医に頼み、外来の看護婦から送り先の自宅住所を封筒に書くように云われ、切手を買って、貼り、手渡したのだけれど、2週間経って送って来なく、問い合わせの電話をしてみると、担当看護婦は調べ、「出来ているので取りに来て下さい」と答えかけるので、「あのぅ、送ってくれると」と言いかけると、「あっ、これから送ります」と言葉を濁しつつ、忘れていたのだろうと判明する。

催促から数日後に診断書が届き、昨日、予定が何もなかったので、区役所に申請を提出に出かける。

自宅から区役所は交通の便も悪いところにあり、難儀だけれど、その前に街中の別な区役所で問い合わせたところ、手続きは住んでいる地域の管轄部署でお願いしますといわれたので、大儀ながらも出向いてみる。

指定の部署の住所案内を道庁から送られてきた封筒に入っている一覧で確かめても、住所に保険センターとあるだけで、区役所内にあるのかどうか不安を抱きつつ、区役所内を歩き回ると、なにやら見覚えのある風景。B型肝炎の医療助成の初回申請時にも同じく迷ったよなと思い出し、開店休業状態で施設が遊んでいる区役所二階に設置された保険センターから一階の福祉窓口の奥にある保険センターの窓口へと迷い道。

やっと辿り着いた保険センターの窓口には先客がいて、対応する職員の他は窓口の様子をうかがう区役所職員はなく、歩き疲れたこちらも少しいらつき、部署内の職員たちを見回すとやっと気付いた女の職員と年配の男の職員が対応にあたって下さった。

「健康保険証はありますか」と問う男の職員に「そんなの聴いてないよ」のボクちゃんは持ってこなくても何とかなるだろうと思っていると、そのおじさん、奥にいる若い男の職員に確認とって、「なかったら、手続き出来ないので、持ってきて下さい」といとも簡単に云う。その態度にこちらもカチンと切れて、「それならそうと、判りやすく書類に書いて下さい」と云い、「せっかく来たんだから、記入漏れがないか、確認してくれ」と提出書類の確認を求めると、おじさんも逆切れしたのか、記入漏れの箇所をチェックし、こちらに書くように催促し始める。

特定疾患で、利き手不自由の身体を気遣って、初回申請時には親切に対応してくれた窓口ととは打って変わってのこのおじさん、おそらく新年度の人事異動で配置換えになったのだろうなぁと思うほど配慮のかけらなく、記入漏れの病院住所を書かせるために、診察券を出すように云って、診察券をこちらに見せつけて、病院住所を書かせようとする。が、しかし、病院住所を書くところに診察券の差し出したので、こちらは「それじゃ書けないでしょうが」と喋ってもおじさん職員は何のことか判らずにボケーとしている。

詰まらぬやり取りですら、仕事意識が感じられないおじさんに腹を立てつつ、その場はそれで終わった。

このまま、別な用事を済ませようか、それともB型肝炎の医療助成の手続きを済ますためにいったん家に帰り、保険証を持って、また区役所に行こうか、迷った末に、嫌な想いは今日一日で済ませたいと、家に帰り、保険証を持って、また区役所に行く。

二往復で二時間あまりを費やし、区役所の保険センターの窓口に着いた時にはだるーい感じの疲労感があったけど、対応してくれたのはあのおじさん職員ではなく、若い男の職員だったので少し救われたと思いきや、住民票と世帯全員の所得証明書を担当する課に行き、貰ってくるようといわれ、「ちょっと待ってよ」という感じで、身体が疲れている事を告げるけど、代理で住民票や世帯全員の所得証明書は取れないことを聴かされ、先のおじさん職員とのやり取りを見ていたのか、必要書類に書く住所、氏名を代筆してくれたお陰で、もう一頑張りする気力が出て、区役所内を歩き回り、ようやくB型肝炎の医療助成の手続きを終える。

疲れやすく無理出来ない特定疾患の更新手続きで、当人でなければ出来ない事をいくつも用意する役所の書類至上主義もあきれるけれども、自分のテリトリーから一歩も出ようとせずに、サポートすらもしない役所職員って何様なんだろう。

ふと、以前、銭湯の人の「今、公務員バッシングが凄いから大変ですね」という声かけに、銭湯に入りに来ていた区役所職員が「札幌市は公務員バッシング、関係ないから」と平然と答えるその感性が少し理解出来た気もするけど、そんな人間と関わらなきゃいけない札幌市民であることが腹立たしい。

2010-06-04

震えるまぶた Trembling eyelid

このところ、所用、雑用がまたまた重なり、疲れているのか、左目の下のまぶたが軽い痙攣を起こしている。

すこし気になり、ネットで「まぶたの痙攣」を調べると、肩凝りもあるので、顔面神経痛ぽい。

B型肝炎、もしくは抗ウイルス剤の副作用も気になり、それも調べてみると、そちらでは当てはまる事例がなかったので、大丈夫かとは思うけど、身体が疲れているのは確かなようだ。

週末の職場の人間関係やら、年度替わりの障がい、特定疾患の諸手続、退職後の手続きなどやることも多いけど、慢性になっている肩凝りから来る身体のだるさがそれに追い打ちをかけているような気がする。

そういえば「まぶたの痙攣」の前に「目のかすみ」なんかもあったからその延長なのかも。

病院の検診を受けようかとも思うけど、神経系の外来は大きな病院しかなく、それこそ疲れてくるほど混んでいる。

催促してやっと届いた特定疾患の診断書を街中にある役所窓口に出すと、住んでいる地域の窓口に提出してくれと、今時それはないよなぁの行政ネットワークの貧しさにも疲れてくるし、便利な社会とはしゃぐ人の脳天気さが羨ましくなってくる。

こんな事を書いているとまたストレスから「まぶたの痙攣」が酷くなりそうだから、この辺にしておくけれど、ストレス社会は中途半端な便利さにあるんじゃないかあ?

2010-05-31

手当のリストラ Restructuring of allowance

週末のアルバイトで、今年度の待遇策が示され、経営状態が厳しい中、監督省庁のお達しとかで、皆勤手当が全廃され、特別手当という名目の中に金額を減らされた形で支給するという通知があった。

ネットを調べていくと、皆勤手当というものは、皆勤して当たり前のものであるからいらないという暴論が見受けられるけど、この国の国民は未だに勤労奉仕を美徳として、国家、企業に殉死したいというマゾヒズムが普通と考えられているのだろう。

元々、皆勤手当他の諸手当は基本賃金を多く支払うことの出来ない敗戦国の貧しい企業が皆勤したらばいくら、家族を持ったらいくら、寒冷地に勤務したらいくらなどと、雇用保険の対象にならない形で、手当として支給されていた恩着せ的なものであったらしいのだけれど、多種多様な手当が出来すぎて、不景気が長引く時代、手当のリストラをすることで、企業の経費を改善出来るのではないかと考えられているらしい。

先の「皆勤して当たり前」の暴論はその背景を視野に入れないで語ったものであろう。

手当の中で企業経費を大いに圧迫しているだろう役職手当より先に、皆勤手当のリストラは大げさにいえば国の経済状況にも影響するだろう全国民が対象になるのだから、小手先の現状逃避にしか過ぎないだろう。

ちなみの監督省庁の命によりと達せられた待遇策だけど、労働基準を指導している厚生労働省ではパートタイム労働法の改正がなされており、雇用環境を整備が示され、常勤職員と格差が出ないように、皆勤したなら皆勤手当を付けるなどして、基本賃金を補う形で賃金確保に努めるようにというパートタイム労働者就業規則の規定例が示されている。

職場上司が「NHKは国民から視聴料を徴収しながら、再放送の番組ばかりをやっている」と視聴料がNHKの番組作りに有効に活用されていないことを話されていたけど、宝くじが売り上げのほんの一部しか当選金に回されていないことを指摘した行政刷新会議の事業仕分けももっともっとご都合主義でトカゲのしっぽ切りをしている政府傘下にある諸団体の事業仕分けをして欲しいものである。

2010-05-29

強い者ほど大病多し A strong person is serious illness.

ウイルス肝炎の機関誌にC型肝炎の情報が書かれており、その中に、「女性は治りにくい」という記述があった。

それによると、男の方は治りやすいウイルスを持っている人が沢山いるのに、女の方は治りやすいウイルスを持っている人はほとんどいないという統計があるそうで、男は元々身体が弱くできていて、か弱いウイルスでも貰ってしまうのに対し、女は抵抗力が強いので、治りやすいうウイルスが入ってきたら、自分の力で治してしまうので、治りにくいウイルスが入ってきたときだけ残るから治りにくいのだそうだ。

ウイルス肝炎は早期発見、治療が一番大切なことであり、自覚症状がない分、まだ治療に専念しなくてもと、治療を後回しにしがちになり、目の前の仕事を片づけようするらしいのだけれども、完治率の統計では20歳代で8割、30歳代で7割、40歳代で6割、50歳代で5割、60歳代で4割、70歳代で3割と綺麗に各世代、10%ずつ下がるという数値があり、女性は更に10%下がるという結果があるそうだ。

抵抗力があるということは、治りにくいウイルスが入ってきたときの覚悟が必要なのだろう。

2010-05-28

重ね着 a layered look

もうすぐ6月なのに、天気予報は霜注意報が出され、ここ数日、寒い日が続いている。

先日、帰りの地下鉄の中で、向かいに座り、居眠りこいているお兄ちゃんの衣服に何となく目がいき、数えるともなく、着ている服の枚数を数えると、厚手のジャンパーの中に、ベストのようなものを着ていて、その中にスエットを着、ポロシャツを着ている。おそらく、その下には肌着もつけているだろうから、合わせて、5枚。

いくら寒いとはいえ、真冬でもあるまいに。。。

と、我を振り返ると、肌着、カットソーシャツ、ベストにジャンパーと合わせて4枚。

人のことは云えない。。。

明日からは暑くなるらしいが、こう寒暖の差が激しいと何を着ていいのか、判らなくなる。

お出かけの際の荷物には防寒用のジャンパーを持ち歩きって、いつでも気持ちは旅行気分。

気象庁の季節予報は日本の夏も真っ青状態らしい。(溜息)

2010-05-26

ペンノリ videos

日曜のライブの後、ちょっとした岡林クルージングになり、曲を聴いたり、出たばかりの「岡林信康読本」を読んだりしているのだけれど、エンヤトット音楽をやり始めた頃のライブアルバム「岡蒸気」の中の終盤、韓国民謡の舟唄に岡林が訳詞をつけた「ペンノリ」から若くして死を選んだ尾崎豊に向かって、俺は死ななかったぜとでも歌っているような「ジェームス・ディーンになれなかったけれど」が好きで、繰り返し聴き返している。

アコースティックの「ジェームス・ディーンになれなかったけれど」は尾崎と同じ年の頃は行き詰まっていたけれど、今、娘が大学生となり、親元を離れ、息子が人を好きになることを覚え、あれほど憎しむほどに嫌っていた親父が亡くなり、自分も親父の仕草と似てきたことを思う時、生きていたよかったと思うという岡林なりの尾崎豊に対する「バカ野郎」が聞き取れて、泣けるのだけど、パワフルな「ペンノリ」の生き抜いてやるとでもいったような舟漕ぎ歌は1990年代の岡林信康を代表する歌とも云われるだけあり、躍動感にみなぎっている。

今はもう岡林自身は歌われる事がなく、石川さゆりが「ペンノリ」を歌っているようだけど、岡林の映像が見たいと思っていたところ、YouTubeに「ペンノリ」のライブが公開されていた。

何人か今も一緒にライブで活動なさっている方達もいるけど、皆、若くエネルギッシュな「ペンノリ」が聴ける。韓国のサムルノリとのライブは出来ることなら、もう一度見てみたい。

2010-05-23

レクイエム Requiem

岡林信康のZepp全国ツアーの札幌を友だちと観に行ってきた。

もう何度となく札幌に来るたびに足を運んでいる岡林信康コンサートだけに、友だちと今日にどんな内容になるのか、予想を話し合いながら、開場を待ち続けた。

美空ひばりのカバーアルバムを出したから、おそらくそこから多く歌うんじゃないかの予想通り、6曲、美空ひばりに絡む曲を歌われ、氏自身のフォークソング、和楽器等中心のエンヤトットの曲と共に楽しませてくれた。

ひばりさんがごくごく普通の女性でありたいと願う気持ちと歌謡界の女王として頑張らなきゃならないという願いとの葛藤が、岡林信康にひとつの詩に曲をつけて欲しいと託されたものを、どう曲付けしたらいいのか思い悩むまま、今日まで来て、何となくひばりさんの気持ちが理解出来るようになったとして曲をつけた歌が「麦畑のひばり」だという。

どこまでも高く高く跳び続けようとする一番の歌詞に続く、このまま跳び続けて、どこに行くのだろう、もしかしたら死がそこにあるのかも知れないと思いつつ、跳び続けるという二番の歌詞は、ひばりさん自身の晩年の予知でもあっただろうし、今の経済成長の末の様々な不安を抱える日本なのかも知れない。

美空ひばりさんへの「レクイエム」の後、岡林信康は和楽器演奏中心の祭囃子に開場を誘い、生きる楽しみを聴かせてくれた。

闘病の年越しを過ごしたせいだろうか、岡林信康の生の音楽に触れられる嬉しさなのか、涙ぐみながら、コンサートを聴き続けた。

果てなく高き青空
私は見上げる
麦畑に吹く風の音
お前は見えない はるかなひばりよ
愛しのひばりよ

2010-05-21

止むを得ない事情 Unavoidable circumstances

今週は週明けのB型肝炎の定期検診から始まり、水曜日には北大病院の神経科に長年飲用しているセルシン錠がなくなりかけていたので貰いに行き、なんか通院週間になってしまった。

北大病院も社会保険病院と同じく凄い混みようで、待合いしている間に、電車が遅れて、予約時間に間に合わなかったという患者さんが診療科の受付で喋っている光景なんかにも出くわした。

北海道を二分する大学病院のひとつである北大病院もようやく電子カルテ化されるらしく、その移行期間によるトラブルが予想される旨を告知する張り紙が貼られていたけど、あちらこちらで最新システムを導引してきて、通院患者を戸惑わせていた北大病院らしい対応だなぁとその張り紙を見て、苦笑したりもしたし、その横に貼られていた転院希望の要望を受け付けますという張り紙は、通院患者の数が多すぎて、処理しきれない病院の内部事情をのぞき見たようで少し薄ら寒くも思えてくる。

そして、今日、ゴールデンウィークの連休明けから長らく待たされていた離職票が催促の末、やっと届き、ここもまた、今一番人が集まるスポットとなってしまったハローワークに出向き、雇用保険の手続きを済ませてきた。

手続きの窓口の若い職員さんにこちらがB型肝炎の事を話すと、僕もB型肝炎だったんですよと話してこられ、辞めた事情もすんなりと理解して下さった。

「止むを得ない事情」下された判定が今週歩き回った公共施設に集まる人々にも当てはまりそうで、そんな時代なのだろうなぁとふと思ったりする。

2010-05-17

通院日 Day of going to hospital regularly

今日は定期的なB型肝炎の通院日だった。

今月はゴールデンウィークがあったせいか、病院の混みようはいつもよりひどく、待合い場所になっている診察室前の広い廊下も人の行き来もままならぬほどの混みようだった。

受付を済ませ、いつもならば待たされずに採血をとる中央処置室でも待たされたからその混みようはちょっと半端ではない。

難病の団体である難病連から送られてきた機関誌にも地域の医療機関不足の問題が載せられていたけれども、おそらくここに集まる患者さんの何人かの方は北海道中から数時間かけて来られた患者さんなのだろう。

診察の順番が呼ばれるまで、何げに廊下の壁に貼られたポスターの数々を見ていくと、社会保険の病院らしく、「仕事中や通勤途中の怪我、事故は労災で」というようなものから、「暴力、暴言、セクハラは断固たる処置を執ります」というような患者だからは許さない医師、看護婦の人権保護をアピールするものまである。

「軽い怪我だから」と労災を使わない事はよくない事であるらしく、助成の支払先が変わるから、労災であるならば、労災を使いなさいと云う事と医師、看護婦の人権保護は権力にこびたり、権力側になりたがる人の意識を指摘しているようで面白い。

診察前に自分で計る血圧測定はちょっと低めの血圧が気に掛かる。

診察の順番が来て、診察を受けると血液検査の数値の一覧をプリントしてくれて、経過はよい事を教えてくれ、検査に時間のかかるウイルスの数値はひとつ前の検診の時のデータが示された。

抗ウイルス剤の副作用なのだろう下痢、軟便状態を聴かれ、今も時折あると答えると、次回検診時に腸のエコーを調べる検査をしてくれるという。

まずは一安心と病院内の食堂で昼飯を食べ、やっと暖かくなった街を歩き、夜に帰宅すると病院から電話があり、明日の午前9時前に薬の事で電話するとの言付けがあり、もしかすると抗ウイルス剤の副作用が長引いているから何か対策を練ってくれたのかなと思ったりする。

きめ細かな医療業務を円滑に行おうとしている病院に対し、有り難く思えるとともに地域医療の確立を願いたくもなってくる。

2010-05-14

B型肝炎訴訟 Hepatitis B lawsuit

和解勧告後の初めてのB型肝炎訴訟公判が開かれ、傍聴しに行ってきた。

傍聴人希望が和解勧告後初めてだったためか、法廷に入りきらないほど多く、開廷ぎりぎりに行ったため、僕も法廷には入れず、支援の弁護団の人がプリントした今日の意見陳述書を待合室で読みふけっていた。

待合室には弁護士の授業を受けている法学部の学生たちがおり、公判法廷の支援の人たち用に用意された傍聴席に交替で聴きに入っているようで、あわただしく出入りしていた。

プリントされた意見陳述書には「国が悪くても訴訟を起こさなければ、国は動いてくれないのですか。」と語る原告の陳述が書き記されており、今まで意見陳述を行った方達の証言が繰り返し述べられていた。29歳の若さで、肝硬変になり、何の補償もないまま、働き続けるしかない人、予防接種で感染させられた身で、息子さんも母子感染された人、抗ウイルス剤の副作用の危険性から子供を持つ選択を断念された人、性感染するのじゃないかと遠回しに酷い事を同僚に言われた人、医療機関で、食器による感染があるのではと嫌疑かけられ、サインペンで赤丸をマークされた人、働き続ける事もままならず、職をなくし、苦しい生活を強いられた上に、高額な医療費を負担し続けなければならない人、そんな人たちの事を語り続ける意見陳述の後には、B型肝炎訴訟の争点を弁護士がまとめた弁論が載せられていた。

1988年まで6歳未満の予防接種を受けられた方達に注射筒、注射針の使い廻しが行われており、B型肝炎のキャリア(ウイルスが潜伏し発症していない状況)の方がいるという事実があるのに、B型肝炎のキャリアである人の数を国は把握していない状況であるのに、予防接種を受けられたパーセンテージが低い事を盾に、国の落ち度を隠そうとする国側の理論は0歳児から6歳になるまでそう何度も予防接種は受けないはずであり、一、二度接種される人は大半を占めるであろう事を提示する原告側の理論の正当性の方が頷けるし、母子感染でない証拠として求められる母子手帳の紛失や父子感染まで疑う国側の論理は患者救済ではなく、患者選別を行い、救済額を減らそうとする意図が見え見えに感じる。

国が和解策を案じているうちに肝炎患者たちの身体はむしばまれていく。

それが先進国の中で類を見ない数のB型肝炎患者がいる国の実態なのだろう。

2010-05-09

フランケンシュタイン Frankenstein

アンディ・ウォーホルkが監修した「悪魔のはらわた」はフランケンシュタインを題材にしており、内臓がぶちまける場面などが今でいう3D(立体)の映画だったとかで、へぇと思ったりしている。

とはいえ、このところの寒暖の激しさに身体がまいっているのか、今朝もアルバイト出勤の支度の時、まずは肩凝りのための湿布を貼り、先週切開した足の親指の傷口が完治していないので、傷バンを貼り、歩く時に足の親指と人差し指がこすれないように、外反母趾予防のための指の間に挟むグッズをつけて、その上に靴下を穿くという、傍から見ればフランケンシュタインかと思うような出で立ちをしている。

外反母趾予防のためのグッズは昨日はそれ程でもなかったけど、今日は擦れるような感じがずっとあり、やはり歩く仕事も2日目になると何かと支障が出てくるみたい。

帰宅後、足の親指の傷口を見ると治りかけなのか、化膿しかかってるのかよく判らない。痛みや腫れはそれ程でもないけど、念のため、病院に行こうか、どうしようか迷っている。

フランケンシュタインのような歩き方から早く脱却したいけど、治りが遅いのも加齢のせいかしら。(涙)

-->

2010-05-06

副作用 Side effect

右足の親指の切開の後も大分治りかけ、連休最終日は街をブラブラ出来るようにまでなったのだけど、病院で渡され、飲み続けていた化膿止めの薬の副作用だろうか、喉がいがらっぽくなり、空咳にむせることが増えた。

病院で渡された薬の注意書きにも副作用として、空咳が出ると書かれてあるので、おそらく薬の副作用だろう。

幸い、傷口も化膿した状態にはなっていないので、薬の飲用は昨晩で終わりにし、今日は空咳もなく、喉のいがらっぽさも軽くなったけど、改めて薬の怖さを実感した。

B型肝炎の治療薬で、ウイルスを抑える薬であるパラクルード錠を飲用しているのだけれども、この薬の副作用も鼻やのどの痛み、下痢、頭痛などがあるようで、僕の場合は軟便気味であることが気に掛かっている。

薬以外にもB型肝炎患者が留意することとして、栄養ドリンクやサブリメントなど栄養補助食品の摂取はあまり好ましくないようで、本来、肝機能が食物摂取の際に行われる栄養抽出を食べ物として口にすることが肝機能に負担、あるいは機能不全を起こさせるのだろうなぁと思った。

人間の身体で摂取する機能があるのに、食べる前に加工されたものはある意味、大きなお世話であり、摂取する機能が衰えた病気療養のために開発されたものが広まったんだろうと思う。

現に、スポーツドリンクなどは運動後や病気療養時の糖分を含んだ水が必要な時に飲むべきものを平常時でも飲むから、糖分が吸収されやすい子供に糖尿が増える結果になっていることは知られるところだし、糖分でも砂糖などの単糖よりも、果糖などの様々な糖分が含まれた多糖の方が身体で摂取する機能を高める役目があるらしい。

日本人の薬依存はあまりに有名だけど、今は様々な味覚を作り出すことが可能な調味料なども依存が高いのか、味覚障害という話題もよく聴く。

先日の化膿止めの薬でも、メインの薬の他に胃腸に影響が出ないように胃腸薬もつけられており、薬のための薬は今も健在のようである。

そうそう、入院中に聴いた薬の話で、大概の薬はグレープフルーツと相性が悪いらしく、病院食でもわざわざグレープフルーツ禁止が明示されていた。蜜柑はOKみたいだけれども。

飲めば治るの単純思考では副作用のドツボにはまる複雑さが口に入れるものにはあるようだ。

2010-05-04

寝て曜日 A rest day of the week

足の親指の切開傷がまだ癒えないので、今日は一日、寝て曜日と部屋で大人しくしていた。

外はようやくの春の晴天に恵まれているけど、歩くのも難儀だし、切開傷を治すのが第一と思うし。

撮り溜めておいたDVDで、昔のテレビドラマで、テレビ報道局を舞台とした「美女か野獣」を観ていた。

視聴率至上主義者の女性凄腕プロデュサー(松島菜々子)と番組は人生を楽しむ為の道具と嘯きと考えるディレクター(福山雅治)を軸とした職場の人間模様は、仕事とはなんなのかを描き出した秀作で、「ヒーローなんかいらない、チームワークが欲しい」と語られる一編にあるように、スタンドプレーが常識化している今日にも十分通用する内容のドラマだった。

たまにはのんびりビデオで一日を過ごすのもいいなぁと思ったりして。

ビデオ見疲れで、昼下がり、椅子でうたた寝もゴールデンウィークぽくていいかなとも。(笑)

2010-05-03

血豆 Blood blister

土日の仕事もなんとか終わりはしたけれども、足の親指の痛みは更にひどくなり、爪の廻りもどす黒く充血しているのが判った。

爪と肉の狭間は赤く充血し、血豆のようになっていたので、インターネットで救急病院を調べ、祝日の今日、病院に行ってみた。

昔住んでいた家の近くの病院が救急病院だったので、来院してみると「来院されたことは?」と聴かれ、記憶がなかったので、初めてですと答えたところ、コンピューターで調べてくれたようで、「昭和60年に来院していますね。カルテを持ってきますのでちょっと待って下さい」と応対してくれた。

25年前の記録を残している病院のカルテ管理は凄いなぁと思いつつ、処置室に向かった。

処置室で靴下を脱ぎ、患部を医師に診せたところ、医師は僕がB型肝炎であることを確かめた上で、肝機能低下により、血小板が少なくなることからか、血が止まりにくいことがないか確認した上で、鬱血した患部を指で押し、どこに痛みがあるか確認して、患部麻酔を打ち、切開手術をした。

処置を終えると今までの痛みが嘘のように消え、内出血していた事がこれほどの痛みになるのかと自分の認識の甘さを思い知らされた。

帰り道、ちょっと寄り道をしたら、今まで以上の痛みに襲われ、やはり無理は禁物と、素直に帰宅した。

傷口が化膿しなければOKという医師のアドバイスに従い、まずは療養に努めよう。

2010-05-02

ささくれ Hangnail

数日前、右足の親指にささくれが出来、履いている靴も幅が窮屈だったためか、爪先の横が腫れ上がり、歩くと痛い。

普段は歩くのを控えればいいけれども、土日は歩き回る仕事であるから、幅広の靴に買い換えてみたけど、時期遅し。

痛みを残したまま、何とかなるだろうと昨日一日勤務してみたら、更に痛みが。。。

仕事後、銭湯に行き、恐る恐る靴下を脱ぐと出血はしておらず、腫れもそれ程ひどくなかったので、風呂で血行をよくして、帰り、薬局で傷バンを買い、家に帰り、薬を塗って、応急処置をしてみた。

どうしても休めない今日一日なんとかやり過ごせればいいのだけれど、そのしっぺ返しがゴールデン・ウィーク丸つぶれになるのも嫌だなぁ。

傷バンをすこしきつめに張り直し、足指が擦れないように、出勤準備する朝。