外は湿った雪が風に舞う荒れた天気。
やらなきゃやらなきゃで月日が過ぎた今年の青色申告用の帳簿づけを年の瀬、大晦日に部屋に籠もってやり終えた。
収支の動きを貯金通帳に追っていくと、今年一年の自分の生活が思い出され、面白かった。
この後、見落としチェックとか手間暇かかる作業があるけれど、ひとまず体裁はこれで整った。
散らかり放しの部屋の整理や小物の整理などやらなきゃならない事は山ほどあるけれど、急ぐ人生でもなし、煩悩の鐘の音の如く、散らかった物の山でも数えましょうか。(笑)
外は湿った雪が風に舞う荒れた天気。
やらなきゃやらなきゃで月日が過ぎた今年の青色申告用の帳簿づけを年の瀬、大晦日に部屋に籠もってやり終えた。
収支の動きを貯金通帳に追っていくと、今年一年の自分の生活が思い出され、面白かった。
この後、見落としチェックとか手間暇かかる作業があるけれど、ひとまず体裁はこれで整った。
散らかり放しの部屋の整理や小物の整理などやらなきゃならない事は山ほどあるけれど、急ぐ人生でもなし、煩悩の鐘の音の如く、散らかった物の山でも数えましょうか。(笑)
明け方、酔っぱらった若者たちの一人が通行人とすれ違いざま、滑って転び、「おら!喧嘩売ってンのかぁ!」とわめいていた。そばにいた者がその若者を立ち上がらせても、正気失ったそいつはまだ息巻いている。その光景を遠巻きに見ていた僕に、そばにいた者は「すみません」と頭を下げた。
人目を気にする者に、酔った勢いで息巻く者。その姿が何となく愛おしく思えた。
人から聴いた話で、昨今、人員整理のリストラをした企業が残った社員のボーナス額を増額支給したというのを聞いたけれども、そういう企業の経理感覚ってよく判らない。
別なところで、社員の慰安に経費を使いすぎ、業務で交通機関のない早朝から来客整理をするアルバイトの交通費が出せなくなり、「経費削減で」と言い訳する企業の管理職の話も耳にした。
なんかそれぞれ気が弱い者がへまを隠すための嘘をついているようで、何か哀れで、先の酔っぱらった若者たちの場の繕いに似たものを感じてしまう。
気弱な者たちが威勢を張る事で生き延びる時代は、「日の丸弁当」など見向きもしない飽食過食の時代でもあるのに、心は確実に飢えているのじゃないだろうか。
そんな状況を理解出来ずに、公共機関の経費削減で、現場の状況を把握することなく、競争入札で契約社会に移行させようとする人事院勧告などは、社会を更にギスギスしたものにしていくだろう。
馴れ合いが見落としがちの配慮をフォロー・アップし、日本文化を創り上げてきた事も顧みずに。
この時代が千代に八千代に、苔のむすまで、なんて土台、頭の中の屁理屈だろう。
労働人口激減で、外国人労働の緩和策も議論されているというこの国の政治に「日の丸、君が代」が泣いている。
そのうち、スペイン語で歌われる「星条旗よ、永遠に」のように、「君が代」も労働出稼ぎの外国人に歌われるのだろう。
ひょうたん島日本の年寄りたちは若者たちに「格差」「死刑」を与えるだけで、日本人は萎縮していくだけだろう。
玄関に吹き付けられた雪模様
クリスマスの聖夜から降りしきっていた淡雪は一夜明け、膝まで埋まる積雪になった。
夜中に季節はずれの雷鳴がとどろき、風も強かったから覚悟はしていたけれど、玄関をふさぐ雪の重みはサンタクロースの贈り物のようで、やっと来た白い季節を思わせる。
けれども、この数年、冬の来訪を告げる雪は湿った春の雪で、雪かきをするには重すぎる。
北海道は本州とは違い、亜寒帯で、積もる雪は湿気を含まないサラサラ雪。東北地方の湿った雪とは違い、積もった雪を道端に除けて、歩く道を確保出来る雪と小学校で教えられた記憶がある。
10年ほど前なら、湿った雪が降り始めるのは2月の雪まつり後で、湿った重い雪をかく事が春を招く作業だったのだけど、この頃は年前から湿った雪が降り積もる。
温暖化の影響ともいわれる積もった雪の表面が解けて凍るアイスバーンの冬道ととも、北海道の冬は、僕の幼い頃に比べ、確実に気候異変が進んでいる。
サラサラ雪だから雪を道端に除けて、歩く道をつける習慣があった北海道も、この重く湿った雪が降り続けるようになると、東北の雪対策と聞く、雪を踏み固め、歩けるようにするようになるのかも知れない。
そんな生活に根ざした生きる知恵は、肥大化し、ローカルニュースが軽んじられるマスメディアや税金消化しか頭にない行政の死角で生き続けている。
「人の前に道はない、人が道を作るのだ」そんな言葉が思い出される。
降っては解ける今年の雪。凍土にならぬままに、クリスマスになり、街はホワイト・クリスマスならぬ、雪解け水のシャーベット・クリスマス。
昼の暖かさと夜の寒さの変動が大きいだけ、降った雪は解けて、氷り、アイスバーンになる。
路面に流れた雪解け水は薄く氷り、見た目も判らないブラック・アイスバーンになり、人々を油断させ、転ばせる。
どこもかしこもクリスマスソングが流れ、売り子たちが一家団欒の演出にとケーキやチキンを売る光景とは裏腹に帰りを急ぐ人たちは足下が心配げ。
「クリスマスソングを歌うように、今日だけ愛してよ」
中島みゆきが「クリスマスソングを歌うように」を歌った頃は、浮かれ景気でわいていた時代だっったけれども、そんな時代すら知らない子供たちが成人している今は自分の足下が心配げで人の事も週刊誌的にしか見られなくなったような時。
クリスマスを理由におとぎ話。そんな物も聞けぬまま、聖夜を迎える。
今年最後の祝日、面倒ながら、年賀状の宛名印刷をし始めたところ、前々から電源を入れるたびにエラー音を鳴らしていたうちのプリンター、Canon BJ-M70が印刷半ばで、エラー解除が出来ない状態に陥ってしまった。
昨年にも同じエラーが起こり、ちょうどその時はプリンターを使わなきゃならない必要性があったので、インクの残りもあった事からヤフオクにて、同じ機種を落札し、今まで使ってきていた。
けれども、昨年と同じエラーなのと、ネットでCanon BJ-M70のトラブル報告として、このエラーが話題になっているという話を思い出し、ネットを調べてみると、「廃インク満杯エラー」というものらしい。
インクジェット機には目詰まり防止のため、インクを吐出する仕組みがあるらしく、それを溜めるのが廃インクというものらしいけど、取扱説明書では、メーカーに修理をして貰えとあるだけで、その修理費が1万円弱するらしい。
同じ現象で困った方々の掲示板の報告やブログ記事を調べると、英語のサイトにエラー回避の操作方法が書かれたページがあるとの事で、そのページに飛ぶと、以下の対処法が書かれてあった。
翻訳サイト頼りに、見よう見まねで、いじっていると、Canon BJ-M70の隠しコマンドがいろいろあるのは判ってきたけれども、エラーの回避はなかなか出来ない。
せっかくの祝日、こんな事で一日無駄にしたくはないと、別な日に残りの印刷をと思いもするけど、やはりなんとか出来ないかと、思い巡らす。
その時、昨年エラー発生で動かなくなった同機種を廃棄せずに残してあった事を思い出し、探し出して、見よう見まね、試してみると、あら不思議、エラー音はあっさり解除され、プリンターとしてお役目果たしてくれました。
また、いつ何時、エラー音が発生するか気がかりなので、年賀状とその他印刷しなきゃならない物をとりあえず印刷したけれど、ユーザーでも操作可能なエラー回避の操作くらいメーカー側で、あくまで自己責任でもいいから、記して欲しい物。
修理費代とかいうケチなところで利ざや稼ぐ時代じゃないでしょうにね。
思い切って、あたらいプリンターをとも思うけど、省スペースタイプが新機種には見あたらなくなり、置き場所にも困るという悩みもあり、家庭向け商品の選択の幅がなくなっているようで、ここらも気がかり。
そういえば、職場のプリンターも便利さ追求の多機能性に入れ替えたら、消費電力が多くなり、環境エコロジーも忘れられている商品開発にあきれた思いもありましたっけ。
人に優しいものはいつの間にか、金食い虫の機械に化けているのでしょう。
新聞広告で、「師走だけれども、走る気がしない」というのがあり、笑ってしまいましたが、本当に変な年の瀬。北国札幌でこんなに雨降る師走も珍しんじゃないだろうか。週間予報ではクリスマス寒波が控えているらしいけれども。
昨日、今日と休みだったので、昨日はかなり久々の映画館のはしごをし、札幌駅前の蠍座で、結婚間近の刑務官が死刑囚の刑執行時の「支え役」を自ら名乗り出て、新婚旅行の休暇を貰う「休暇」を観、シアター・キノで、ケーン・ローチの新作「この自由な世界で」を観る。ケーン・ローチは現代を描いてこそ威力を発揮する監督であり、追い詰められ、身勝手が許される事が自由と思い違いするプア・ホワイトのエゴイズムをしつこく追い続ける。「ばれなきゃ何をやってもいい」の裏側は「自由の代償」があり、更なる「ばれなきゃ何をやってもいい」に繋がっていく。
そんな流れの延長線上にはきっと過ちを犯し、服役する「休暇」の服役囚がおり、その服役囚と毎日を過ごす刑務官がいる。
人種のるつぼにある欧米は移民、難民と隣り合う暮らしがあり、過酷なワーキング・プアである移民、難民を食い物にするプア・ホワイトがいるけれども、日本の中流家庭といわれる人々はローン地獄のプア・ホワイトと何も変わらない。
ささやかな暮らしを「人の不幸」で保っている。「休暇」の刑務官が結婚相手の連れ子がおねしょをし、かばうように抱きしめるその手つきは、吊された死刑囚がもがき苦しむのを支えるその手つきと同じもの。
「今」を描いた二本の映画を見終え、予約していた本が貸し出し準備出来たと図書館からの知らせに、受け取りコーナーに行って、借りた小沢昭一の本を地下鉄の中で読み始める。
「民衆が棄てた放浪の芸能」を「つまらないから滅びたんですよ」と切り捨てながら、滅びた日本の放浪の芸能に執拗に食い下がっていく小沢昭一は、おそらくプア・ホワイト、プア・日本人たちの心の奥底にあるものを知ろうとしたのだろうと思う。
昔々、東京は大雪積もる街だったとか、やがて、札幌も今の東京のように雪のない街になるのかも知れない。雪の中繰り広げられた「忠臣蔵」や「二・二六事件」が今の東京とは無関係な感じするように、「札幌雪まつり」も昔話になるような。
走らずに今年、生き抜いた事を思い返せるようなそんな年の瀬になればそれでいいと思う。
年末の慌ただしさからなのか、職場では体調を崩してのお休みの人が多い。中にはインフルエンザに罹った人もおり、疲れからダウンし、病気をもらうケースも多いみたい。
職場に出てきているのは、僕を含め一定年齢以上の方達で、一説によく聞く、まだ日本が貧しかった時代に生まれ、食べる物も我慢を強いられた世代がほとんどのような気もする。
飽食の時代しか知らない若者達は、本来人間に備わった周辺に対する自己防衛や自然治癒などというものを備えずに大きくなってきているようで、なんだか怖い。
片や便利さに自分を忘れたかのような高齢世代は、自信過多となり、自動車運転時に他の車との距離感を取るのを忘れたりしているようだし、札幌市内でも最も高齢化の進んだ地域の銭湯では湯船の中で「そそう」をしてしまい、風呂のお湯を全部抜いての大掃除がなされ、新たにお湯を入れる場面に何度か出くわしている。そういえば、スーパーなどでの通路が買い物かごをスーパー備え付けの手押しの台車に乗せて、買い物する老若男女で、交通渋滞なんか日常茶飯事だったなぁと思ったりする。
便利さを追い求めた日本はもしかして、一番肝心の基礎体力をなくしているのかも知れない。
これから60代に向かう団塊世代5年間の人口が10代以下の人口よりやや少ないという今の日本、これから数年後にはそのままスライドすると思うと、かなり恐ろしいとも思うのだけど。
年末行事の始まり、眺めのいいホテルでの忘年会Part1が無事終わり、50代、60代のお姉さまたち170名もご満悦の「ニホンノミカタ」も盛り上がりました。
アルコールも入ったので、やはり今日は疲れを癒すスーパー銭湯は我慢して、真っ直ぐご帰宅。明日の仕事はきついかも知れない。
しかしながら、来週、再来週と年忘れは続くので、これはまだまだ序盤戦。
体調整え、残りの年忘れに備えなければ。
年越しの時は放心状態になっているかも知れないけれど。
昨日の昼から降り始めた雪で、12月なのに地面が見えていた街並みもすっかり雪化粧してしまった。
9年前の今日は日曜日で、その年は今年とは正反対の例年になく雪の多い年で、その日も朝から雪が降りしきっていた。
僕は出勤時間に間に合わなくなるので、軽く玄関前の雪を横にどけて、歩けるところを確保して出かけた。
職場で父の訃報を聴いたのはその日の昼だった。
父は僕が出かけた後、玄関前の雪を綺麗に片付け、居間に戻った時に、ひどく疲れた様子で、母に横になるように言われて、ストーブの横に横になり、亡くなった。
食生活が豊かになり、糖尿に悩み苦しんだ父は自己管理出来ないために、母の食事療法に逆らい続け、母はその看病疲れで、自律神経をおかしくもし、共に看病しあうようになって、ようやく食事療法を受け入れるようになったけれども、時すでに遅く、糖尿は進行し、飲む薬の数は半端なく多くなっていた。
血糖が下がり、具合悪くなる事も何度もあり、職場に迷惑かける場合も多々あって、仕事を変えざるおえない場面も何度もあった。
若い頃は血気盛んで、戦時中は志願兵として入隊したものの、敗戦となり、肩で風斬る兵隊帰りとしていたずらに腕に刺青など入れもしたけれど、30歳代で脊椎カリエスを患い、生死をさまよった人生を送った人も経済成長の羽振りの良さに何とか乗れたけれども、都合よく騙されて、職を転々とした人生後半だった。
夜の警備の仕事で定年を迎えた時、父は飲めばすぐに赤くなるのに、缶ビールを買ってきて、ひとり自分の定年退職を祝って、男泣きした。
仕事を辞めた後、騙されてばかりで友だちもいなく、人付き合いも下手な父は家でゴロゴロするようになったけれども、自律神経を患い、買い物にも一人で出歩けない母の付き添いとして一緒に出かける機会は増えた。
亡くなる数ヶ月前から父は、人恋しがるようになり、先に寝ようとする母を引き留め、一緒にテレビを夜中遅くまで付き合わせもしたという。
涙もろく、一人になる事を怖がるようになった父は急性心不全で亡くなった。
残された母は突然の死の知らせに、身震いし、激しい自律神経の拒否反応が出たけれども、父の死を受け止められるようになった。
享年71歳。時代の流れに翻弄されて生きた父はあっけなく死に、家の玄関先はまるで父自身の死に道のように綺麗に歩けるようになっていた。
毎年恒例の職場の年忘れ忘年会もいよいよ来週。今年も50代、60代の熟女パワー170名あまりが日頃のうっぷん晴らしを繰り広げるフィーバー・ナイト。
その裏方を務めて、早三年。生け贄となる職員さんたちの「もっともっと」が「やめてくれ、助けてくれ」に変わる瞬間を拝める時に、その年一年の御利益を貰えたようで、怖い物見たさがすっかり癖になっている。
二年前の所長の花魁道中では、その衣装作りに旦那、子供がずっとカップ麺で晩飯を堪え忍んでいたという悲話を聴かされ、同情の涙を流し、忘年会翌日、所長が中央のお偉いさんの接待にお供をした時、靴下を脱いだら、足の指のマニキュアが残っていて大恥かいたという余談にまたまた笑いの涙をした物。
今年の出し物は所長の独演「ベルサイユのばら」と三年前のレイザーラモンHG以来の流行もの、「矢島美容室」。
「矢島美容室」がどんなものなのか、よく知らなかったから、YouTubeでチェックして見て、なんとなく来週の嵐の風景が目に浮かんでくる。
しかし、この興奮から、「崖の上のポニョ」の替え歌「ズボンの上のポニョ」へとなだれ込むシナリオの展開は未だに想像はつかないけれど、それを押し切る熟女パワーはなんとなく目に見えてくる。
ところで、「ニホンノミカタ」とは「日本の味方」なのだろうか?「日本の見方」なのだろうか?高齢化にっぽんの嵐は近い。
人の生き死にを軽んじる風潮の流れの中、テレビタレントが生み出した流行語で、一時期、よく使われ、よく聴かれた「死ねばいいのに」という言葉。その流行語が流行るずっと昔、本気で「死ねばいいのに」と口にした従弟がいた。
その従弟の事を思い、まだ若かった僕は映画のシナリオ作法の通信講座で与えられた課題のひとつとして、その従弟をモデルとして、シナリオを作ってみたりもした。それから30年経った今、その作品「門出」を携帯小説として、載せてみたくなった。
その従弟の父は事業に失敗し、酒浸りとなり、従弟の母、僕からすれば叔母を殴る蹴るの暴力をふるっていた。
四人兄弟の長男であったまだ中学生の従弟はそんな父を憎み、父が暴れるたびに、父に殴りかかっていった。
父の方も事業の失敗の痛手が大きくなるにつれ、ますます暴力はエスカレートし、従弟の母の首に手をかけるまでになった時、従弟は父を突き倒し、その首に手をかけた。
身内が集まり、止めに入ったこの一件を振り返り、後に従弟は「俺、親父を殺そうとしたんだよな。」と思い返していた。
その従弟もバブル期が終わった頃、経営していた飲み屋も負債がかさみ、飲み過ぎから肝炎となり、40歳の若さで亡くなり、従弟を偲ぶ仲間はmixiでコミュニティなぞ開いて、偲んでいたりする。
家族に暴れることなく、逆にわが子を溺愛しすぎた従弟が死んだ後、従弟の末っ子は可愛がってくれた父がいない寂しさからちょっとだけ非行に走ったりもした。
従弟が「死ねばいいのに」と思った父親は叔母と別れ、今も気まぐれに子供たちの前に顔を出す。
四人兄弟の末の双子姉妹は、その父が顔を出すと、今も条件反射的に震えが来るという。
本気で「死ねばいいのに」と思った人間の気持ちはたやすく「死ねばいいのに」といえるほど気楽ではなく、「死ねばいいのに」と口にした気持ちはいつまでも懺悔のようにつきまとう。
歳月を重ねるほどにそう思えてくる。
ベトナムに蒔かれた枯れ葉剤のその後を追いかけたドキュメント映画『花はどこへいった』を観に行った時の事。
僕がチケットを受付で貰っていると、年老いたお婆ちゃんがチケットの手続きをしようと、受付の女の子に話しかけてきました。受付の女の子は「ちょっと待って下さいね」というと、何を勘違いしたのか、そのお婆ちゃんはすたすたと今来たところを引き返し、劇場から出て行こうとします。女の子は大きな声で、「お婆ちゃん!」というけれども、どうも聞こえていない様子。女の子は受付手続き途中の僕に「すみません」というように頭を下げ、お婆ちゃんを呼び戻しに走っていきました。
そんなお婆ちゃんが観たいと思った映画は枯れ葉剤の影響を受け、産まれた子供たちが成長していっている事を描いた映画でした。
あのお婆ちゃんのように耳が遠くなっても、人には「心」があり、知りたい気持ちがあるのだろうと、奇形として産まれた子供たちが生きたいがためにパソコンを覚え、働こうとする姿を観て、思いました。
これを働く事が生き甲斐なのだと見ちゃったら、おそらく楽隠居なさっているお婆ちゃんの「心」は無意味になり、知りたい気持ちも無駄になってしまう。
枯れ葉剤を蒔いたアメリカ政府とそれを作った企業はその責任を取らず、ベトナムの現状調査もなされていないというし、枯れ葉剤を蒔き、亡くなった米兵もいるという。
生きるという事がなんであるか忘れたくないとあのお婆ちゃんを思い返し、思ったりするのです。
昨夜からの冬の雨は明け方の今も続いている。
天気予報ではこの雨が雪に変わり、風を伴い吹雪になるという。
荒れ模様が早く収まるように、嵐にならないように願う気持ちはこんな天気にならなきゃ判らないのだろうか?
先日観たドキュメント映画『花はどこへいった』もそんなような映画。
ゲリラの隠れやすい森林を枯らすだけで、人体に影響はないとして、蒔かれたベトナム戦争時の枯れ葉剤は、その中に含まれていた猛毒のダイオキシンの影響で、戦後のベトナムで奇形児が生まれ続けている。
奇形として生まれ、家族の支えで必死に生きる子供たちの姿を追い続けたこの映画は終わりなき戦争を描いていた。
人体に影響はないとして、日本でも使われていたダイオキシンはもしかすると1970年代以降、聴かれるようになったアトピー性皮膚炎、無数にあるアレルギーの一因になっているのかも知れない。
ヨーロッパでは社会が起因する障害として、対策が語られるこれらアトピー、アレルギーも、勤労が可能かどうかを障害認定とする日本では障害要因とされる事はまずない。
国際基準では国民の10%が行動を妨げられている障害者とされているのに、日本の障害認定は国民の5%にすぎない。
荒れ模様が早く収まるように、嵐にならないように願う当事者の気持ちは遙かなるベトナムの地と同じく、環境破壊をさせた社会はスローワークにならずに、自分たちの努力でハードワークに生きる事を求める。
「花はどこへいった」は「人はどこへいった」なのだろうし、壊されるままに自然は変わるのだろう。
御歳85歳になるスナックバーのママさんと市電の中で出逢った。
このママさん、敗戦直後の食糧難の時に、実家が育ち盛りの甥子、姪子を抱えていたので、実母が口減らしのために札幌に出て来た時、学校時代の同級生のよしみで転がり込んだ飲み屋の女将だった人。
聞こえよく云えばシビアな感覚の持ち主で、自分は豪華なベットで寝ているのに、転がり込んだ幼なじみの実母を土間に敷いたせんべい布団に寝かせ、身の回りのまかないをさせた人と聴く。
実母はそこの飲み屋の手伝いをするようになり、お客として来ていた公務員であったという実父と恋仲になり、僕を身ごもったという。
その恋も叶わぬ恋に終わり、実母は実家への仕送りに追われ、堕胎を繰り返していたために、「これ以上堕ろすと子供を産めなくなる」という医師の忠告に、産む決意を固め、身重な身体で実家に帰省した。
スナックのママさんはそんな僕の出生の秘密を知っている人で、実父の顔を知る唯一の人。
そんな人と自分が生まれて50年目にあたる日にばったり出逢った。
対面で向き合う座席に座り、ひと言二言、言葉を交わし、余計な事も話さずに、軽く会釈を交わし、別れたママさんは、おそらくお店の開店仕度なのだろう、電車を降りると薄野のはずれにあるスーパーに足早に入っていった。
そのママさんを知る従妹は「歩く化け物」と云うけれど、とても85歳には見えない背筋を伸ばした歩きぷりは、昭和という戦中、戦後を水商売で生き抜いた女性の逞しさを感じられた。
不思議な「縁(えにし)」、亡き実母があの人のようにしたたかに生きろと教えてくれたのだろうか?
この縁はありや、なしや。
今週は週明けの祝日から変則的な勤務が入り、どうも一週間、狂いっぱなし。
まだ11月というのに、一日中氷点下の真冬日があったりして、朝、起きるのも寝坊しがちで、慌ただしく出勤支度などするから、忘れ物も多くなりがちなのも調子が狂う原因であるし。
昨日は中央図書館より借りていた『日本の放浪芸』CD7枚組の貸出期間が、今週金曜日までなので、早めに返そうと、重くかさばるCD7枚組を出かけにエコバックの中に入れて、出かけたものの、何となく記憶の中には、図書館の休館日が今日だったような気がするのだけれども、出勤途中の地下鉄の中では、溜まった疲れのせいで、眠りこけて、そんな事も忘れてしまっていた。
普通の本ならば、最寄りの区民センターにある図書室などへ返せばいいのだけれど、AVメディアは借りた図書館に返さなきゃ駄目なので、仕事帰りに地下鉄駅からはかなり離れた図書館へバスに乗り換え、向かったところ、やはりうろ覚えの休館日だった。
返却ボックスみたいなものがあればいいのに、そんなのもないみたいで、また重い荷物と同行二人。
その後、せっかく街に出たのだからと、限定発売の欲しいDVDを捜しにCDショップを見て回るけれども、やはりこれも空手柄。歩き疲れ、最後の運試しのスーパー銭湯のくじ引きも思い通りの外れ引きで、徒労の週も半ばを終えた。(溜息)
いつも行っているスーパー銭湯で、開店3周年記念とかで、銭湯全館で感謝セールをやっている。
ゲームコーナーや併設の床屋さん、マッサージコーナーでもクーポン券などがもらえるサービスをやっており、入浴の際に押してもらえ、10ポイントたまると入浴無料のスタンプもこの期間は2倍押してくれるというお祭り気分の感謝セール。
その中で、入浴の際に、くじ引きで、特製タオルがもらえる抽選をしているのだけれども、感謝セールが始まってから、1週間経つのに、一度も当たりを引けない。他の人たちが当たりを引き、店の人から「おめでとうございます」という声は何度となく、聴いているのに。
知り合いは「当たりを引かない分だけ、運をためている」と慰めてくれるけれども、なんとなく自分のくじ運のなさが寂しく感じられる。
別に特製タオルが欲しいわけではないのだけれども。
そういや、ギャンブル系もこの頃駄目だし、「買わずに越せるか年の暮れ、買ったら越せるか年の暮れ」の年末ジャンボはどうしようかなと、運の無駄遣いを考えるこの頃。
フォークシンガー・遠藤賢司の歌にベートーヴェンの「歓喜の歌」の替え歌がある。
全ての生物は僕らを噛み砕かんと
復讐の眼を光らせ心中をせまる
天地は僕らを同化せんものと
大気は僕らをおしつつまんとす優しきものほど怒りは大きいもの
その怒りがひとつの優しさも
消し去った時にはもう終わり
さあ今こそ歌おう歓喜の歌を遠藤賢司「歓喜の歌」
[アルバム『歓喜の歌』(1973年作品収録)
近年の環境問題の話題で人間主犯説を嫌がる人たちは自然現象のひとつで、そのうち収まるというような楽観論のようであるけれど、そうしているうちに身近な生き物たちは死滅していっている現実を見ようとしない。
昔からこのような方達は多かれ少なかれ、存在したし、それに対するメッセージ・ソングも多くあった。
やはり、フォーク・シンガーのイルカさんが歌った「いつか冷たい雨が」。この歌が僕にとっての自然を顧みる歌だったような気がする。
人間だけが偉いと思うおごりが生きる土地を失わせるのかも知れない。
とある人の講演を聴いていて、「おや?」と思うところ、一点ありました。
その人曰く、家計に格差が出て来ている今、子供をお持ちの若い方の中にも、裕福な家庭は塾や習い事など子供の教育費にかける金額は大きいけれども、貧しい家庭はそのようなお金はかけられない。
よく云われる家計の格差が子供の教育に影響あるという話なのだけど、「塾や習い事」が教育の格差じゃないでしょうがと思うのですよ。
自慢にならないけど、僕は塾や習い事のたぐいは一切なしに育ってきた。昔よく云われた教育格差は進学したくても進学するお金がないというもので、「塾や習い事」などはお坊ちゃま、お嬢ちゃまの世界の話だったのだけれど。
貧しい時代を忘れた、もしくは貧しい時代に裕福だったお坊ちゃま、お嬢ちゃまのお話はやはり世間ずれを感じてしまう。
これもまた世紀末の現れの一端なのだろうか?
とある対談で、セーフティネットの構造の具体的な内容を知った。
セーフティネットとは貧困による疫病の流行や治安の悪化などの社会のリスクを最小限に食い止め、生きる上で必要不可欠であるお金が特定の場所に滞ることなく、社会全体に行き渡り、「お金がお金を生む」システムを維持させるシステムであり、セーフティネットが破壊されると南米や東南アジアに顕著な格差によるスラム街や欧米の社会問題となっている越境難民のような問題が起きるとされている。
セーフティネットの構造は最も判りやすいパターンとしては、まずは「就労」による生活資金の獲得であり、「就労」が困難である場合、年金や失業保険などの「社会保険」による生活資金の獲得が用意されており、それも当てはまらなければ、生活保護による「公的扶助」による生活資金の獲得が用意され、憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」を営めるとされている。
しかし、日本の戦後社会は敗戦時の経済復興の時も「政治」はほとんど機能せずに、民間企業の週休もろくにない過酷な労働の中、生きる上で不可欠の「衣食住」のうち、社員寮などの「住」環境は提供されはしていたものの、低賃金で、ボロボロの「衣服」と栄養価値の乏しい「食生活」の中、働く事を強いられ、将来の生活資金となる年金や医療制度も勤める会社が用意した「積立金」や企業の掛かり付けの病院を利用するなど、企業依存の度合いが非情に強かったと戦後を生き抜いた両親や親戚から聴かされもした。
今の社会制度が確立した1970年代あたりから公的な社会保障の掛け金により、行政所管が潤い初め、日本は世界中でも類を見ない「国民総中流社会」を実現させ、山谷、釜が崎など日雇い労働の溜まり場や出稼ぎ労働、季節労働はあっても、貧しい者だけが住み着くスラム街は生まれずに、近隣の人たちが顔を合わせ、貧困が起きにくい社会を形成していった国である。
けれども、バブル崩壊のあたりから、後に経団連と一体となる日経連が「新時代の『日本的経営』」を提案する。ホワイトカラーの長期蓄積能力活用型、技術者の高度専門能力活用型、そして、雇用柔軟型という今で云うワーキング・プア層を生み出すきっかけを作り、今日では37%非正規雇用率にまでなっていると云われている。
生きる上での最低保障である生活保護も、その制度を必要としている人たちの15%から20%くらいしか、受給されていないという実態報告もあるそうで、残り8割くらいの人々は「健康で文化的な最低限度の生活」をも営む権利を得ていないと云う。
実際、1980年代に札幌市白石区で、生活の困窮した母子家庭の女性が生活保護申請を提出した際、「働く気持ちがあれば、働ける」と水商売を暗に勧められ、生活保護を受けられずに餓死する事件がありもしたし、2000年代に入ってからも、障害者が働く施設で、仕事を身につけるための訓練と称して、ワーキング・プアを強いられた例もあった。
セーフティネットの下支えである生活保護と就労という社会システムの根幹部分が破壊されつつある今、その間にある年金や医療などの不祥事は、この国が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有した国家であるかどうかを問う大切な問題だと思うのだが。
amazonの紹介プログラムで、日本のみではなく、海外のamazonからもギフト券が届き、先月初めにカナダのサイトで、三島由紀夫を描き、日本では遺族のクレームから公開禁止になった「Mishima」をこのギフト券で購入してみた。
ひと月過ぎても届かず、ちょっぴり海外通販の不安を感じつつ、以前、ブラジルからCD購入した際も時間がかかったと自分に言い聞かせ、気長に待っていたところ、ようやく、現物がカナダから届き、分厚いブックレート付きDVDを手に嬉しさひとしお。(笑)
映画自体はどうという事ないものらしいけれど、この頃、岡林信康が三島由紀夫が自決した時に、ライブでネタにしているのを聴いたり、三島由紀夫を歌った「まるで男のように」を聞き返していると、映画「Mishima」を観たくなるし、三島を演じた主演の緒形拳が亡くなった事もあり、観たい要因が重なった事もひとつにはあるのだけれど。
おそらく日本での発売は絶望的だろうし、海外でも廃盤になっているケースも見られるから貴重でもあるだろうし。
岡林信康の「まるで男のように」を聴きながら、映画「Mishima」を観、日本というコンプレックスに自決死した男に想いを馳せる。
「血の海に横たわりたいんでしょう
血の海じゃないと気が済まないのね
男らしい場所で男らしい理由で
ヨボヨボになってしまわないうちに
あんたもほんとうにたいへんね
何だか莫迦らしい気もするけれど」
ヨボヨボになってしまった右翼爺様たちに哀れみ抱き。
昨日は一週間で唯一の休日でした。
朝はそろそろ整理しなきゃならない確定申告用の帳簿づけで会計ソフトの昨年度分を〆て、今年度分の入力を可能とするところまでやり、昼からは短期上映で見逃したくない『敵こそ、我が友』を観に行く。
永遠に終わらない「戦争の続け方」を描いていて、そのからくりを日本ではあまり論じられない人権の視点から描いていて、面白かった。きちんとまとめた文章にしたいけど、まとまるかな?
映画を見終えた後、中央図書館へ。友だちが小沢昭一の「日本の放浪芸」のDVDを図書館から借りてきているのを知り、「日本の放浪芸」のCDも置いていないかと、恥ずかしながらの始めての図書館利用。思った通り、あるにはあったけれども、一番初めに出された7枚組のみあるだけで、後続のシリーズ全巻は揃っていないみたい。そちらはネットで在庫チェックしてみる事にして、まずは初めの7枚組を借りる。
4時というのに暗くなり始めた中、先日買ったばかりの腕時計のバンドが外れたので、家の近くにあるヤマダ電機にクレームを云いに行き、初期不良として取り替えて貰うけど、帰りに寄ったうどん屋で晩飯を食べている時、ちょっとした力でまたバンドが外れ、やはり安物買いだったかと悔やむ。
久々、市内を動き回り、充実の一日、最後はスーパー銭湯で疲れを癒すけれども、しぶとい首筋両脇の筋違えのような痛みは今日も取れないまま。
一晩明けて、週末の仕事に出かける前に、貴重な一日を振り返ってみる。
このところ、街を歩いていると、よく懐かしい友だちと出くわす。
軽く言葉を交わすだけだったり、目と目が合い、会釈するだけだったり、そんなたわいない再会だけでも、何となく嬉しくなってくる。
昨日も仕事帰りに、立て続けにふたり、懐かしい顔と逢えた。
身の回りに様々な事が起こり、少し神経症になりかけている時だからかも知れないけれど、懐かしい顔と逢える事が一番の良薬のように思えてくる。
「書を捨てよ、町に出よう」
人との出逢いを最大の知識とした寺山修司のこの言葉を思い出す。
出逢える事が生きている証なのだろうから。
使っているWindows Mobile入りのPHSで、どうやっても文字サイズが小さいままで、読みづらい部分があり、今時の携帯も画面の文字はみんな「おしゃれ」を気取った小さい文字なのかな?と、地下鉄などで、何気なく隣に座った人の携帯画面をのぞき見したりするこの頃。
札幌市の地下鉄は電磁波の問題が安全範囲内ではないという判断から、携帯は使用禁止なのだけれども、手持ちぶさたの乗客は身近な隣人への迷惑より、我が身の暇に堪えられず、ついつい携帯をのぞき見るので、その時、隣に座ったこちらもついついその携帯画面に目がいってしまう。
わが子の写真や我が家のペットなどを貼り付けた携帯画面の文字は意外と大きめが多く、「おしゃれ」を気取る現代人もいざ我が身で使うとなれば、文字サイズを大きくするのかなとおかしくなってくる。何も我慢せずに、文字サイズは大きい方がいいという風潮を作っていけばいいのに。
そんな変な見栄を張る人々は何故か携帯を見終えると胸ポケットに入れる人も多く、「あぁ、ペースメーカーによくない物を、自分の心臓のそばにしまい込むとは、狭心症を引き起こしかねない自殺行為じゃん」と人ごとながら、思ってしまう。
電磁波抑制の安全性より多機能を求める携帯も、地下鉄などの移動車両に乗り込む時は使えなくする機能なんて簡単に出来ると思うのだけど、携帯文化はまか不思議。便利さ追求の甘い罠に何も言わないで、我が身を酷使するユーザーは愛おしくも哀しく見えてくる。
アンダーグラウンドな文化活動の事を「アングラ」と呼び、持て囃された時代があった。
メジャーも「アングラ」の中から新鮮なものを探し求め、売れっ子を生み出しもしていった時代、札幌には使われていない煉瓦造りの倉庫を利用した「駅裏八号倉庫」が生まれ、小樽には小林多喜二の小説のモデルにもなった「海猫屋」が暗黒舞踏の拠点として使われるなど、関心ある人が集まり、舞台と客席の距離をなくして、創作する文化であった。
それはどさまわりから生まれた芸能が、ストリートパフォーマンスとなり、芝居小屋となり、恵み銭が木戸銭に変わり、商業ベースが確立されていくとともに、遮断された舞台と客席の距離を取り戻す活動であった。
アングラ文化が活発な頃に、大学生だった僕は「駅裏八号倉庫」でフィルムを借りてきて、上映会をしたり、「海猫屋」に友だちとライブを観に行ったりしたものだ。
「海猫屋」をライブ拠点として活動していた佐々木好の歌を聴きに行ったのもその頃で、内省的な歌は運河の街、小樽によく似合っていたし、一曲歌う事になるまばらな拍手も彼女の歌に似合っていた。
「出逢った人の数、別れた人の数引いて、
後向けた人の方が沢山いるなどと」
忘れてしまいたいような事をわざわざ歌う佐々木好の歌声は忘れてはいけない事のように、耳に残り、一緒に行った友だちとその魅力について、帰りの電車の中、よく語り合いもした。
人の弱さとずるさを歌うその歌は強くならなければ生きられないかのような社会で、弱い人間はずるくなって、生き延びる事を暗に示していた。
この頃、プレミアついた佐々木好の廃盤CDがオークションなどで競り合われているのを見つける。おそらくはそんなアンダーグラウンドな世界の冷ややかだったけれども、ぬくもりある人間の息づかいを、人権すら理解出来ない今の社会の中、懐かしむようにその頃を知る人達が競り合っているのだろう。
「優しそうに見えるけど、言葉だけですあの人も。
気が弱そうに見えるけど、見えるだけですあの人も。」「人のずるさも天気も同じような物だから」
ゴミ出しに外に出ると、初雪が舞い踊っていた。
冬を呼び、冬を教える雪虫が飛び交う季節もいつの間にか、本物の雪の季節になっていく。
初雪、根雪、吹雪とだんだん深い眠りにつく自然の中、眠れない生き物である人は芽吹く春を待ち望み、一年の区切りを持つ。
今年はどんな冬を過ごすのか、舞い散る雪を見、てるてる坊主に祈りゃんせ。
仕事帰り、いつもの如く、疲れを癒すためにスーパー銭湯の露天風呂に入り、夜空を仰いでいると、女の子を連れた若いお父さんが露天風呂に入ってきて、まねるように夜空を仰ぎ、「全然星が見えないね」と女の子に云った。
「一杯見えるよ。ほら、あそこにもあるし、こっちにもある。」女の子は得意げにお父さんに指さし、教える。
お父さんは「本当だ。ちっちゃなのがある。」と目を凝らし、夜空を仰ぎ見る。
目先に追われる大人たちはただ当たり前であるかのようにある夜空をじっくり眺め見、そこにあるかすかに光る星の存在すら見えなくなっているのかなと、そばでその親子の会話を聴く僕もまた、夜空を仰ぎ見る。
子供には見えて、大人には見えないものがもしかするといっぱいあるのかも知れない。そして、それはもの凄く大切なものなのかも知れない。
満天の星空を見たくて、僕とそのお父さんは空を仰ぎ見るおかしな光景がそこにあった。
版画 : あの日の夕焼け
冬間近を思わせる休みの日なので、窓にすきま風よけのビニールシートを張り、何げに自分の部屋を見回すと、ずっと壁に貼ってある一枚の絵が目にとまった。
中学の時、鉄板の版画彫りを授業でやった時に、作った絵。札幌の豊平側沿いから街中の夕映えの風景を描いた何の事はない絵なのだけれども、僕にとっては強烈な想い出がある一枚の絵。
乳癌が体中に転移して、余命幾ばくかの母が入院する病院への見舞いの帰りの車の中から眺め見たその風景は、母との別れの風景だったと思う。
言葉が不自由でちゃんと喋れるようになりたいと東京の吃音治療に行くと母を説得し、東京へ旅立った僕は、母の最期を見取ることなく、通夜の夜、母の死に顔を見た。
叔母の話によると、転移したガンは体中に広がり、眼球と膀胱以外すべての機能を侵していたのに、意識だけは明確で、痛む身体の節々にどうする術もなく、寝ては起き、起きては寝る事を繰り返したという。
そんな母を見かねて、父が僕を呼び戻そうかと話しかけた時、母は頑なに拒み続け、治療を終え、帰ってくる息子の姿に望みを託し、生き続けた。
ガンは人を死に至らしめない。今より延命処置が未熟な時代でも母は生きる苦しみと闘い続け、見かねた医師が呼吸だけでも楽に出来るようにしてあげると、のどに器具を取りつける手術をしたところ、のどに溜まっていた膿が吹き出し、逆流して、窒息させ、母は亡くなったと聞く。
駆けつけた通夜の席で、僕は母の遺影を見て、号泣し、意識を失った。
意識あるという事、それはこの世で最大の残酷だと思う。
通夜の夜の記憶は僕にはない。母との記憶にある最期の風景は母を見舞った帰りの風景である。
意識を失う事は自然の最高の恵みなのかも知れないと思う。
恥ずかしながら、加川良の「教訓1」を「岡林信康コンサート」にて始めて聴きました。
「命はひとつ、人生は一回」
「わたしゃ女で結構、女の腐ったので結構」
「死んで「神様」と云われるよりも、
生きて「馬鹿だ」と云われましょうよね」
“国の認めない人間国宝”高田渡の生活浮浪者を歌う「生活の柄」とともにゲストとして歌われるこの歌もやはり素晴らしい。
後続の吉田拓郎なんかも「落陽」で「手の中のサイコロ二つ、振ればまた降り出しに戻る旅」を歌ってもしたけれども、「手の中のサイコロ二つ、振ればまた100年前」に戻りそうな昨今、「命はひとつ、人生は一回」なのだとつくづく思う。
札幌も急に寒くなり、初雪がいつかが話題となる季節となり、うちの職場も年賀状印刷のPRが遅ればせながら、始まった。
メールのやりとりがある人や顔を合わせることが出来る人には直接コンタクト取ろうと思っているけれども、このブログを見てくれている人でも注文してやるよという方がいればいいなと、ここでもPRしておきます。
仔細は下記のリンク先の画像にてご確認のほどを。職場宛に注文していただければ助かります。
末尾、僕の今までの年賀状の文句を集めたページもご紹介しておきますが、今年の近況報告もぼちぼち考えないと駄目かな。
週末に届いた岡林信康のライブアルバム3枚を携帯に入れ、まずは「あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル」を聴いている。1969年当時の岡林さんの心境や会場の雰囲気がリアルに聞こえてくる。
岡林さんが「作らなければよかった」という「友よ」でコンサートは始まり、デビュー間もない頃の岡林さんは高石友也にかなり影響されていたのだなと、合唱を求める歌い方や選曲から思う。ただ、曲の合間に語られる語りで、岡林さんのスタンスはよく判り、それが面白くもある。その一部をご紹介。
日本の満州開拓という名の大陸侵略の時に、貧しい東北の兄弟の事を歌った「もずが枯木で」を歌う際、「反戦」というのは嘘だと思うと語り、自分の生活に引き寄せて、戦争は嫌だと云っていかなきゃ駄目だと思うと、語り、流れ歩く出稼ぎ労働者の話から田舎に残された女たちの話、部落の話と流れ進み、「山谷ブルース」を歌う際に、岡林は山谷を売り物にして喰っているという批判をする人がいる。その人は山谷を知らない人だと岡林さんは言い切る。
働けど、働けど、楽にならなく、奥さんにも家を出て行かれた父親と暮らす知的障害の子供の詩に曲をつけた「チューリップのアップリケ」を歌い、貧しさは貧しい人が頑張らないから駄目だと思っていたけれど、貧しい人を作り出す社会がおかしいと思うようになったし、子供にこんな思いをさせちゃ駄目だと、ボブ・ディランの歌「戦争の親玉」の訳詞を歌う。
「笑わば笑え」笑うタイミングが判らなく、笑う客たちにぼそっとつぶやく岡林さんのピュアさが心打たれる。
職場の代表より70年安保闘争の記録映画「怒りをうたえ」のビデオを貸して頂き、全3本、8時間強あるものの半ばを見終えたところ。
「インターナショナル」や「沖縄を返せ」などが歌われ、スクラム組む若者たちは激しい国家弾圧と内ゲバの末、ベトナム戦争終結とともにその闘いは敗北に終わる。
その後の安保闘争の内実に対する批判論を少しは知る身にとってはその抗議行動の嘘くささが鼻につきもする。
スローガンとして歌われた「沖縄を返せ」はこの映画が再上映された90年代に沖縄の大工哲弘さんがレコーディングし、沖縄からの「沖縄を返せ」を歌っているし、繰り返し歌われる団結の歌「友よ」は岡林信康さんの虐げられた者への歌が組合として歌われ、虐げられた者は葬り去られもした。
自民党と密約を交わしていたとされる浅沼委員長の60年安保時の死に対し、その意志を受け継ぐなどという指導側の演説の場面など観ると胸くそ悪くなってくる。
指導側と運動に関わった学生たちのギャップが今観ると痛ましいし、同じカメラマンが関わった劇映画で、後にテレビドラマ「ひとつ屋根の下」の原型となった「若者たち」のテーマである「人とどう繋がればいいのか」は今でも生き続けるテーマだろう。
同じ頃に作られた藤田敏八の「にっぽん零年」なんていうドキュメントは運動に関わった学生たちの生の声を追いかけたものだった。
岡林信康の安保当時の左翼内部の野次り合いが渦巻くライブアルバム群も今月、始めてCDで復刻され、当時の若者たちが大人たちとどうぶつかり、どう利用されていったかを知るには、いい資料が出そろったのかも知れない。
高度成長による公害、アメリカのドルショック、石油高騰などがあり、今に至る国レベルの福祉施策が確立した70年代初頭を、今の日本の「グランド・ゼロ」とする向きもあるこの時代を知る事は、経営合理化によるリストラが当たり前になる今、「俺はお前の味方だぜ」とうそぶき、生き残りをかける「渡る世間」を知る事なのかも知れない。
「イン・トゥ・ザ・ワイルド」を観てきた。
前評判に期待していた分、肩すかしを食らった感じがいがめない。
描かれた人物が実在の人物で、ひとり旅して、アラスカで亡くなった時に、自然に対する無知ぶりがバッシングされたというけれど、映画は主人公が自然の恐怖を味わう場面をさらりと描くのみで、主人公がHappyな場面を追い続ける。
無批判に描き続け、延々と語られる妹の独白をよそに、違法行為も冒険話のように描かれ、死ぬ間際、遺言にて、「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時」と語られる時には主人公のHappyぶりが愚かに思えてくる。
ひとり旅の中での孤独との闘いを描いた堀江謙一の劇映画「太平洋ひとりぼっち」のような描写もなく、旅の途中であった人たちとのエピソードを連ねただけのこの映画は、バッシングされた主役のモデル同様、自然に対して無知でしかないような気がする。
様々な場面で自然の報復が現実味帯びる今日、食べられない毒性ある草を食べ、物質文明の飽食エリートたちもこの主人公のように死ぬのかも知れない。
その時、エリートたちはこう云うだろう。「僕はひとりで旅をしたよ」と。
なんとなく、高村光太郎の「智恵子抄」の一節である「智恵子は東京に空が無いといふ」の意味が判ってきたような気がする。
若年性アルツハイマーになっても受け入れる施設もないという日本には互いが向き合える社会がない。
転んだ者は自分で立ち上がらなければ、転んだままの社会。それは「空がない」という事なのだろう。
こんな話を聴いた。
父親が高齢となり、子供たちは自分の家庭を守るのが精一杯で、施設に預けた時、父親の財産管理をどうするか、話し合われ、父は準禁治産者にされ、財産管理は子供らに託された。
親の名誉より財産の管理を重んじる世論が介護保険を生んだとも聞く。
この国には空がない。そう思う。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
福祉の議論をすると必ず出てくる「当事者からの声」が大事というテーゼ。当事者って誰なのだろうか?
今、当事者である人とこれから病気や怪我、または老いて、当事者になる人と、当事者意識が必要なのはどちらなのだろうか?なんか昔のセクト主義的な感じがして、「当事者からの声」と聞くと虫ずが走る。
小児ガンで今を生きるしかない子供たちを撮影続ける『風のかたち』を見たいと思うのも、「当事者からの声」を聞きたい自分がいるからだろう。
当事者がどのように生きているかの語り部がいなく、「当事者からの声」をネタに当事者不在の福祉を展開したから、社会保障、医療制度、雇用問題などセーフネットががたがたになったんじゃないだろうか?
「当事者からの声」を聴き、伝える当事者がいないのが今の社会のような気がする。
金融危機の昨今、中央競馬の秋のグレードレースも始まり、秋華賞では1着から3着までの順位を当てる三連単馬券が1098万2千20円の夢の1000万馬券となった。
三連単馬券の組み合わせ数で、三頭の馬に絞り込んで買うならば、その順位を入れ替える種類は6通りになるけれど、今回入賞した馬の人気順は1着のブラックエンブレムが11番人気、 2着のムードインディゴが8番人気、3着のプロヴィナージュに至っては出頭数18頭の16番人気と予想困難であるから、1000万馬券になり得たわけで、当然、私めも当たりませんでした。
競馬の勝ち馬に対する当たり馬券は、その種類も多数あり、大金狙いならば1着から3着まで着順通りに当てる三連単や1着から3着までに入賞した馬を当てる三連複があるけれども、オーソドックスな1着、2着を当てる馬単、馬連や1着から3着までに入りそうな馬二頭を選ぶワイド馬券もあるし、お目当ての馬一頭が1着に来たら当たりの単勝や1着から3着までに入賞したら当たりの複勝などもあり、危険度を選べる仕組みにもなっている。
今回の秋華賞の結果を見ていくと、それぞれ美味しい配当金が示されているけれども、着目したいのは、複勝式。1着のブラックエンブレムが11番人気で、930円、 2着のムードインディゴが8番人気で610円、3着のプロヴィナージュが16番人気で、6,210円。とても複数選択では買えそうにない馬は、複勝式で押さえておくのが美味しいような気もしてくる。
実力揃いの馬たちが競い合うグレードレースで、少額賭けて、ちょっとした冒険を楽しむのも面白いかも知れない。多額を賭けて、「嵐の中、雨戸を開く」恐慌に巻き込まれる愚かさにならぬ程度に。
金と酒は溺れぬほどにたしなむのが粋なのだから。
若い頃に書いた文章をパソコンを始めた頃に、PCサイトとしてアップしたのだけれど、その中で、シナリオ作品を携帯小説の形で、少しずつ公開し始めている。
こないだちょっとHな作品「薄野」を公開したところ、アクセスが思いの外、多い。
やはりネットはそちら系が受けるのかな?(笑)
銭湯のジェットバスで、両脇にある手すりにぶら下がり、ジェットバスの勢いに巻き込まれ、パニックになり、泣きじゃくる子供がいた。
そのお父さんが、子供を助け出し、一言。「アホ」というとその子は「アホって何?」と聞き返す。
先まで泣いていた子供の切り返しに、お父さんは絶句。
知ったかぶりより知りたがり屋の「アホ」ほど賢いものはないのだよね。
中島みゆきさんの歌にも「ずるくなって、腐りきるより、アホのままで昇天したかった」(「熱病」)というのがあるくらいだし。(笑)
「今時、ツルハシ一日持ったって、8,000円が相場だぜ。」
賃金のクレームの電話なのか、携帯電話に粋がる経営者らしき親父さんは、電話をし終えた時、こちらと目が合い、「仕方ないじゃないか」とでも云うような目つきで、歩き去る。
その後ろ姿は、糖尿をこじらせたのか、足を引きずっていた。
「僕らはみんな生きている。生きているから・・・」
このところ、露天風呂で夜空を眺めるのが趣味となっている。
よく行く銭湯は露天で満天の空が見渡せるので、明るくなりすぎ、自然がどんどん見えなくなる札幌の空を仰ぎ見て、目を凝らして、遠くで瞬く星の数を数えたりする。
この頃、行くようになった温泉付き銭湯では露天が高い壁と壁の狭間にあって、空も一部しか見えないけれど、銭湯の屋根から薄明かり差すお月さまが次第にその姿をさらけ出すエロスの時間を楽しんだりもしている。
1400km/hの地球の自回転がなす天体ショウは黙って見ていると、月の動きの早さが感じられ、すなわち、この大地が動いている様が実感出来る。
桑田佳祐の「月」を知ったのは「ふぞろいの林檎たち」。
余命幾ばくかのガン患者に添い寝する看護婦役の手塚理美のバックに流れていた。
君と寝ました 他人のままで 惚れていました 嗚呼
今宵、月と戯れる。
職場で読んでおきなさいと提供された大谷強さん(関西学院大学教授)の「障害者の権利と政策」サイト資料を読んでいると、「権利主体としての障害者市民」にて、 2006年12月13日にニューヨークで採択され、2007年9月28日にニューヨークで日本も署名した「障害者の権利に関する条約(外務省訳)」が「国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている」と指摘されている。
条約の仮訳文章は日本障害フォーラム(JDF)でも「障害のある人の権利に関する条約(川島聡=長瀬修 仮訳)」として掲載されており、何が「国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている」のか読み比べてみたくなった。
障害者を別枠として施策を組んできた日本社会のおかしさがもしかしたら、読めるのかも知れない。
高度成長期に「エコノミックアニマル」と海外から称され、通勤電車を「奴隷船」と揶揄された日本のシステムはそのおかしさに判らぬまま、今を迎えたという。
「奴隷船」とは障害持つ者は海に放り棄て、健康な者は身動き出来ないまでこき使う黒人奴隷を新大陸に運ぶ船の事であるらしい。
知的障害の子供の詩から作られたという「チューリップのアップリケ」などを歌った岡林信康の歌から当時の世相をなぞっていけば、「金で買われた奴隷」(「くそくらえ節」)は「何人子供を作るのかをきめるのは給料で二人じゃない」(「性と文化の革命」)社会で、一緒になって、「おもちゃのように この星をいじく」(「毛のないエテ公」)り、今に至ったようである。
障害者の権利に関する条約の原文もあるようなので、語学に自信があれば、訳文と比較もしてみたいけれども。。。
明日一日仕事が入るけれど、今日から月曜まで念願の連休。
まとまった休みがずっと取れずにいたので、しなきゃならない事も多いのだけれど、家にいるのはもったいない気分が先に立つ。
縛られるのが嫌いな自由奔放の射手座性格はやっぱりしなきゃならない事は苦痛でもあり、ましてや小春日和の外が手招きしているようで、外に出たくなる。
仕事後の銭湯湯治でほぐれかけた身体が体調良好を示しているのかも知れないけれど、せっかくの連休を満喫したい。
しなきゃならない事に追われる後日は忘れて、「今を生きる」でいきましょう。
あぁ、なんて刹那的。(笑)
身の回りのごたごたを振り返ったりすると、大事な事は伝わらないのだなとつくづく思う。
体裁作りにみんな夢中になり、事の成り立ちを見えなくする。
組織が小さければ、担う仕事の役割分担をちゃんと決めなければ、問題が露呈するけど、組織が大きくなれば、役割分担がエリア意識となって、問題を拡大させる。
役割分担の機能を理解していて、大事な事は伝わらないという認識があれば、それなりに対処出来るのに、自分のエリアから出ようとしないから、問題はこじれていく。
自分も従事員なのに、他のポストを批判はするけど、経営サイドに立とうともしないのは、都合のよい「愛国心」によく似ている。
世界の映画の巨匠たちが映画の原点に戻ろうと世界初の映画撮影用カメラ“シネマトグラフ”を使って製作されたオムニバス『リュミエールと仲間たち』にて、吉田喜重監督は「原爆の爆心地をリアルタイムには映し出せない」とマスメディアのおごりを啓発し、ヒュー・ハドソン監督は「今の広島」に原爆投下を報じるアメリカのラジオを被せて見せた。
大事な事を知るには一歩引いた価値観が必要であり、自分に埋没する事こそ、伝わらなくさせているのだろう。
ちょうど、人間にとって金銭感覚ほど難しいものはないのに、資本主義が揺るぎない社会であるように。
徒党組むのが勢力争いの元なのに、多数決が正しく、政党政治が正しいかのように。
昨晩、いつも行く銭湯に自閉症の男の子がサポーターの方と来ていた。
何度か見かけた事のあるその男の子は檜風呂と岩風呂がある露天で自由奔放に動き回り、湯おけで水遊びをしていた。
付き添われているサポーターの方は先日はおそらく障がい児の介護で汗だくになるのか、全身汗もだらけの人ではなく、別の方だったけれども、その子の動きを目で追いながら、一緒に入浴されていた。
その子が飛びこんだり、水跳ねをして、他のお客さんに水をかけそうになると大きな声で叱りつけるけど、それ以外は何も言わない。
混み合っている湯船で、他のお客さんの間を縫うように動き回るその子はまるで「これが僕だよ」と云わんばかりに動き回っていた。
モラルが幅を利かせ、要領ばかりを覚えてしまい、人の顔色をうかがう萎縮した世の中、「これが僕だよ」と動き回るその子の奔放さとその奔放さが逸脱しないように見守るサポーターの方に人と人の距離感を今さらながら、教わった気がする。
その子が僕のそばに来て、目が合い、見つめ合った時、少し気恥ずかしい想いを僕が持ったのは、きっとその子の奔放さへの憧憬だったのだろう。
テレサ・テンの『淡淡幽情』のラスト・ソングは離ればなれに暮らさねばならない者の恋歌。
今で云う単身赴任者の詞であるけれども、テレサのこの詞への想いは中国への返還間近であった香港社会の気持ちを代弁したものだろう。
数年後、天安門事件が起き、その抗議集会にも積極的に参加したテレサは抗日運動の歌として歌われた「何日君再来」をトウ・ショウヘイ(鄧小平)政権に宛てて、歌いもした。
極東という限られた世界から国際社会へ羽ばたこうと、パリに居住を移した彼女の心境はいつも「思君」であったという。
厳格な規律ある唐詩を大衆向けに崩していった宋詞を中心に作られた『淡淡幽情』の続編を作る願いも叶わずに、テレサ・テンは1995年5月8日、タイ・チェンマイで気管支喘息による発作のため死去する。
中国の古典詞に魅了された彼女は「星願」という詞を遺稿として残している。
「往事不堪思, 世事難預料(過去を思うと堪えがたく、この世の事を予感するのは難しい)」
我住長江頭,君住長江尾。
日日思君不見君 ,共飲長江水。此水幾時休?此恨何時已?
只願君心似我心,定不負、相思意。
私は長江の河上に住み、
君は長江の河下に住む。
毎日、君を思い浮かべてみても、君に逢う事は出来ない。
共に、長江の水を飲んでいるというのに。
この水はいつの時にか休すむのか?
この辛さはいつの時にか終わるのか?
ただ、願うのは君の心が私の心と同じく、
背くことなく、慕いあい続けて欲しい。
バブル崩壊後に出版された『エンデの遺言』に、「昔、街の中心には教会(日本ならば神社仏閣)があったけれども、今は銀行がある」というような文句があったけれども、金が世界を牛耳る時代。
総理大臣であろうが、ホームレスであろうが、会社経営陣であろうが、フリーター若年層であろうが、お金のために動き回るご時世。
世界恐慌が始まっているとも云われるのに、どこ吹く風のジャパン・マネーはアメリカ企業買収に奔走しているそうで、アメリカで起こっている事を愛するわが祖国でも再燃させようと「ブーム」と「危機」の違いも見境なしにはしゃぐ企業投資家たちはまるで少年のよう。
自分の老いを思い、若きを振り返る辛棄疾の詞を読み返すと、老いる事を忌み嫌い、若作りの爺婆たちが、看取ってくれるはずの若者たちを押しのけ、ピーターパン・シンドロームにはしゃぎ廻っているみたいで、馬鹿みたい。
極楽望んで、地獄を作る高齢化社会の行く末は、便利機器に老いを忘れて、孤独死するのだろう。
レジ袋も有料化が始まり、社会負担はみんなのもの、社会福祉は自己努力が強まる政治無風の秋風の日々、「天涼好個秋(天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね)」というしかないのだろうね。
少年不識愁滋味,愛上層樓。
愛上層樓,爲賦新詞強説愁。而今識盡愁滋味,欲説還休。
欲説還休,却道天涼好個秋。
少年の頃は愁いの味わいを識らず、
高い塔に上り、色事をいたずらに好みもした。
高い塔に上る事で、欲を満たしてもいたけれども、
新しい詞を作るために、無理矢理、愁いを装った。
年長けた今は、様々な愁いを味わい、知り尽くし、
愁いを説こうとしなくなった。
愁いは言葉で言い表せぬもの、
あえて云うなら「天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね」と云うしかないだろう。
遊女たちに愛された柳永は惨めな最期を遂げたと云うが、遊女たちに弔われ、毎年、墓参りも行われたという。
別れの哀しみを詠んだ詞は、別れる前の哀しみと別れる時の哀しみと別れた後の哀しみを唱う。
秋が深まるこの頃、人恋しさの源流を知る。
寒蝉淒切,對長亭晩,驟雨初歇。
都門帳飮無緒,留戀處,蘭舟催發。
執手相看涙眼,竟無語凝噎。
念去去千里煙波,暮靄沈沈楚天闊。多情自古傷離別,更那堪、冷落清秋節。
今宵酒醒何處?楊柳岸、 曉風殘月。
此去經年,應是良辰好景虚設。
便縱有千種風情,更與何人説。
秋の寒い風が吹いても鳴き続ける蝉の音はもの凄く切ない。
あなたを送る旅宿での宴も、夜の帳がおりて、
降りしきる雨もようやく止んだ。
都の外れで行われる別れの宴は悲しく味気の無い事か
まだまだ別れたくないのに、船頭は出発を催促し始めた。
手を執り合い見つめあう互いの目に涙があふれ、
のどが詰まって何も言えずに咽び泣くだけ。
あなたがこれからはるか彼方へ旅立つ事を想えば、
江南の空は夕闇に深まり、その広さが増していく。
昔から情愛深い者にとっては別れの辛さは格別なのに、
清らかな秋の気配の中、どうして辛さはたえられるだろうか。
今夜の酒の酔いはいったいどこで醒ませばよいだろう。
眠れない夜に柳の岸に立ち、明け方の風と空に残った月をただ見ている。
この離別の後の年月、どんなに美しく楽しい光景に出会えたとしても
見かけのだけにしか過ぎない事だろう
その風情を誰と語り合えるのか。
密会していた彼氏と今年はもう逢う事はないと嘆くこの詞の作者、朱淑真は粗野で俗物な夫との結婚が不本意で、愛人との逢瀬の情を詞にしたためた。
不埒なこの詞は人の性(さが)を描き、千年後の今日にも歌い継がれている。
「正しさ」を競う今の無数の文章で、この詞のように千年後も読み継がれるものはあるだろうか?
千年の愉楽は道徳ではなく、人が描けているかどうか何じゃないだろうか?
残念ながら、テレサ・テンの歌のYoutube動画はないみたいです。
去年元夜時,花市燈如畫。
月上柳梢頭,人約黄昏後。今年元夜時,月與燈依舊。
不見去年人,涙滿春衫袖。
去年の元宵節、旧暦正月十五日で、その年の最初の満月の夜、
花の市の灯籠は昼のように明るかった。
柳の梢の頭の上に月はのぼり、
黄昏の後、暗くなってから彼と秘かに逢う待ち合わせの約束をしていた。
今年の元宵節の夜、月も灯籠も去年と変わる事はない。
けれど、去年の彼にはもう逢う事はない、
正月の晴れ着の袖は、涙で濡れてしまった。
中国・宋の時代、唱われた「萬葉千聲」は、いなくなった人への未練を唱う詞で、恨みと愛おしさが入り乱れる。
それだけ人はひとりでは生きていけないものなのだろう。
政治の世界でも、劇場政治を演出した小泉氏が引退するらしい。
それに対する世論を煽るマスメディアがにぎやかな昨今、恋歌にはない嫌らしさが「万葉の声」であるかのように聞こえて来る。
うちのブログでも「政治は政治家がするもの」とかいう書き込みがあり、ちょっとビックリした事もあったけど、そうだから、年金不正があり、耐震偽装があり、食の自給が低下しているんじゃないだろうか。
もっと純粋に恋いこがれる恋歌を「万葉の声」にしなければ、政治は身勝手なものになってしまう。
人はひとりでは生きていけないものなのだから。
別後不知君遠近。觸目淒涼多少悶。
漸行漸遠漸無書,水闊魚沈何處問。
夜深風竹敲秋韻。萬葉千聲皆是恨。
故欹單枕夢中尋,夢又不成燈又燼。
別れた後、あなたはどこにいるのだろうか。
目に見える物は寂しさばかりで、憂い悶えてしまう。
君はだんだん遠ざかり、いつしか連絡も途絶えてしまう。
まるで広い海の中の一匹の魚を探すかのようだ。
夜も更け、風が竹の葉を吹き鳴らし、秋の音が漂い、
何万もの葉音は別れを惜しむ呻きのようだ。
枕に添い寝し、夢の中君を尋ねたいのに、
夢見ることもかなわぬうちに灯りも尽きてしまった。
『淡淡幽情』で三曲唱われている南唐の王、李りくの幽閉後の詩の一編で、季節の流れと女性の涙を重ね合わせ、「人生とは心残りが付き物」と唱った詞。
「悔いのない人生」が美徳とされるがむしゃらさも人生につまずく事で、見失っていたものが見えてくる事もある。
ゆとりとはそんなものなのかも知れない。
林花謝了春紅,太匆匆。
無奈朝來寒雨晩來風。臙脂涙,留人醉,幾時重。
自是人生長恨 水長東。
春を彩った花たちも散ってしまい、
季節の移り変わりは慌ただしく過ぎていく。
どうする事も出来ない、毎朝の冷たい雨と夜ごと吹く風。
化粧をも落とす女の涙は、人を留めて酔わせてしまう、
このような情景にいつまた逢えるだろう。
人生とはこのようなものかも知れない、
心残りとて、河の水とともに東へと流れるのだから。
妻ある人を想い慕ったラブ・ソングは、後にその妻に知られ、その想いを許され、妾として迎え入れられたという。
歌人の思いが叶ったのか、妻が夫の浮気封じに講じた策なのかとゲスの勘ぐりをいれてしまうし、愛人と妻の想いに翻弄される男が滑稽に思えてくるけど、「尋好夢、夢難成」(あなたの夢を見たいけれども、その夢すらなかなか見られずにかなわない)とまで唱われる男はやはり男冥利に尽きるとも思う。
そこまで思われる男とは、私欲でしか動かない男なんかじゃないのかも知れない。
この詞を読み、愛人を迎え入れた妻はそこまで想われる夫を誇りにしたから、愛人を迎え入れたのだろうし。
安っぽいインスタント・ラブの時代には判りにくい事なのだろう。
玉慘花愁出鳳城、蓮花樓下柳青青。
樽前一唱陽關曲、別箇人人第五程。尋好夢、夢難成、有誰知我此時情。
枕前淚共階前雨、隔個窗兒滴到明。
王の飾りの艶も失せ、花も愁う時、あなたは城を離れる。
蓮の花や楼の下の柳も青々としている
酒の樽を前に別れの「陽関曲」を私が唱ったあの人は遥か彼方
あなたの夢を見たいけれども、その夢すらなかなか見られずにかなわない
誰が分かってくれるだろうか、私のこの心を
枕に流す我が涙、降りしきる春の雨
窓を隔てて共に夜を明かすまで流れ続ける
些細な事に多感に反応していた青春期の一夜を詠んだ秦少游は53歳の時に蘇州の華光寺に旅をした時に、水か飲みたくなり、運ばれた水を見て、微笑みを浮かべ、亡くなったという。
人の多感さとは老若ではなく、それぞれが持ち合わせたもののように思う。
それを相対的に見ようすることが多感さを失わさせるようにも思う。
久々の飲み会の後、酔いを覚ますべく、銭湯に行き、自分の体調に気を遣いながらも、風呂に入り、くつろぐ人々の顔を見る事に安堵を覚える。
玉樓深鎖多情種
清夜悠悠誰共
羞見枕衾鴛鳳
悶即和衣擁無端畫角嚴城動
驚破一番新夢
窗外月華霜重
聽徹梅花弄
王楼に多感な少女がいた。
誰が彼女と寂しい夜を過ごすのだろう?
彼女は枕と掛け布団に刺繍された鴛鴦や鳳凰が皆つがいで描かれている事に、気恥ずかしくなり、
悶々として、衣服を着たまま、眠ってしまう。
突然、何の前触れもなしに軍営のラッパが鳴り響き、
彼女の夢は破られてしまった。
窓の外に目をやると、明るい月明かりと屋根の上の下が見えるだけ
彼女は「梅花弄」の曲を奏で、自分に聴かせたりする。
平和な時代、攻め入られる事のない国境を警備する者は、美しい自然に中で、故郷を思い、孤独を噛みしめたという。
出世争いで不遇な立場に置かれた者は、出世した者をうらやむでもなく、争う虚しさを一番よく知るのかも知れない。
今夜は年に一度の会社全体の懇親会。普段は部署事にそれぞれの仕事をこなすだけの日々。近くて遠い知人と酒酌み交わせる宴で、互いの悩みを語り合えるだろうか?それとも微笑み返しで、出世争いのネタ探しに終わるのだろうか。
コンクリート・ジャングルは美しい自然より過酷なのかも知れない。
碧雲天 黄葉地
秋色連波 波上寒煙翠
山映斜陽天接水
芳草無情 更在斜陽外黯鄕魂 追旅思
夜夜除非 好夢留人睡
明月樓高休獨倚
酒入愁腸 化作相思涙
碧雲の空、黄葉の大地
秋の気配が連なる波のように広がり、
水面には寒々とした靄が緑色に立ち込めている。
山は斜陽に映えて、空は水に接する時、
薫り高い草花は無常である。
その上、日の当たらぬ場所ならば、ことの他のこと。
故郷への想いは心は落ち込み、過ぎた時が思い返される。
夜ごと寂しく独り寝する時、
好きな人を想う好い夢をみられないならば
明るい月の夜、塔に上り、ひとり欄干に寄りかかるのはやめよう
酒が入っても愁い悲しむだけ
酒は相思の涙となるだけなのだから。
政治に疎く、文化・芸術に優れていた中国・五代十国時代の南唐の皇帝・李煜は、宋によって攻め滅ぼされ、幽閉の身となり、愚かさを嘆いて、文化・芸術の才を深めていったという。
「虞美人」とも名付けられたこの詞の「故國不堪回首 月明中」が宋の皇帝の怒りに触れ、猛毒を飲まされ、亡くなったという。
戦国の世の中、どんなに戦略に優れた君主とて、国を想う人の心には毒を盛るしか、術がなかった。
昼の日差しの強さと夜の冷え込みの寒暖が大きくなってきたこの頃、四季の移ろいを感じ、衣替えの時期を案じたりする。
我が身を守る愚かさ、人の世に秀でる愚かさ。
「故国は首をたれてなお、月明かりの中」
春花秋月何時了
往事知多少
小樓昨夜又東風
故國不堪回首 月明中雕欄玉砌應猶在
只是朱顏改
問君能有幾多愁
恰似一江春水 向東流
春花 秋月 何の時にか了らん
往事 多少(いくばく)かを知らん
小さな塔には 昨夜 又 東風が吹いた
故國は 回首に 堪へず 月明の中
どんなに立派な欄干や石の階段とて まさになお 在り
只 是 若人 年老いるのみ
君に問ふ 能く 幾多の 愁ひ 有りや
あたかも似たり 一江の 春水の 東に向かって流るるに。
テレサ・テンの代表作『淡淡幽情』を聞き返し、添えられたブックレートを読み返し、1980年代、鄧小平(とう しょうへい)と鄧麗君(テレサ・テン)という二人の鄧の逸話に想いを馳せりもする。(常用漢字外のため、姓名がパソコンできちんと表示出来ない可能性あり)
テレサを卑猥な歌手として、入国禁止、そのカセットを持つ者を処罰した中国政府と民主化がなされない限り、大陸の土地は踏まないと宣言するアジアの歌姫の闘いは、出稼ぎ歌手への蔑視扱いし続けた日本ではあまり知られない話。
『淡淡幽情』に収められた「但願人長久(長寿を願って)」は今なお、歌い継がれ、四川大地震のチャリティなどでも歌われているらしい事をYoutubeにて、知る。
明月幾時有 把酒問青天
不知天上宮闕 今夕是何年我欲乗風帰去 唯恐瓊楼玉宇
高処不勝寒 起舞弄清影 何似在人間轉朱閣 低綺戸 照無眠
不應有恨 何事長向別時圓
人有悲歓離合 月有陰晴圓缺
此事古難全 但願人長久 千里共嬋娟
月よお前はいつからあるのか 酒を片手に天に尋ねてみても
遠い天上世界では 今宵がいったい何の年なのやら
風に乗って帰りたいが 贅を尽くした高楼を怖れ 上空の寒さにも耐えられない
私は独りで舞い 己の影と戯れる
これを人の世のありようと言えるだろうか?
お前は朱塗りの楼閣を越え 綺麗な門を抜け
その光は眠らぬ私を照らす
恨みなどないだろうに なぜ別れの時にこうも満ちるのか
人の世は悲喜交々(こもごも)そして出会いと別れ
月もまた満ち欠けあり
いにしえよりこの道理の前に為すすべは無し
ただ願わくば 人の長久を!
ただ願わくば 遙か遠くにあっても共にあの月を見ることを!
国を滅ぼされ、囚われの身となった歌人が「亡国の足音」を嘆く歌は、好きな人に想いを馳せるように国を恋い慕う。
そんな歌の数々を聴き、嫉妬に狂う侵略国の王はこの歌人を毒殺する。
そんな秘話がある歌を返還問題が騒がれた時代の香港でテレサ・テンはアルバム『淡淡幽情』の一曲として歌った。
無言獨上西樓 月如鈎 寂寞梧桐 深院鎖清秋
剪不断 理還亂 是離愁 別有一番滋味在心頭
黙ってひとり西楼に登り、かぎのような三日月を眺める
奥深い庭の中に一本のアオギリが寂しげに立ち
まるで清々しい秋を閉じこめてしまったようだ
切ろうとしても断ち切れない、鎮めようとすればするほど乱れる
それは何か?それは別れの憂い悲しみ
そして、心の中にはもうひとつまったく違う味わいが残ること
昨日の晩にスーパー銭湯で、子供たちが露天風呂で走り回って、ひとり転んで、後頭部を打ち、血を流す場面に出くわしました。
泣き狂う子供は、父親らしく人に抱えられ、血は背中一面流れ落ちていました。
更衣室に入るなり、連れの男性客が従業員に救急車を要請し、父親は急ぎ服を身につけていたけれど、その間、転んだ子供は泣きわめき、一緒にはしゃいでいたお兄ちゃんらしき子供は「なんで服を着るの?」と帰りたくない様子。転んだ子供も病院に連れていかる事を悟ったのか、嫌だというようにくずりだし、後頭部の出血も止まっていないのに、逃げようとする。
端で見ていて、照れ笑いするこの子等のお父さんがなんで怒らないのか、不思議だった。
このお父さんに限らず、浴場に連れてくる父親は子供たちにしたい放題させ、エスカレートしても止めもしないケースが多く見られるけれど、後頭部出血という生き死にに関わる時、邪気帯びた子供を叱り、落ち尽かせなきゃ、収拾つかなくなるに決まっている。
ハタ目を気にしながらも、自分の見栄が大事なようで、このお父さんが何となく腹立たしかった。
邪気払う悪魔除けの大切さが忘れられたような今の時代をみたような一こまだった。
YouTubeで上々颱風を探していると、江州音頭の生き仏、桜川唯丸師匠の動くお姿が見つかり、狂喜乱舞。
歌声が少し枯れているかなと思いつつ、長尺の音頭囃子が進むに連れ、その語り節は勢いづいて、般若心経で踊り手さん達が踊る場面はやはり圧巻。
引退されたと聞く師匠の近況は日記を拝読すると、江州音頭の近代史をまとめるべく、「おもしろクラブ」なるページを作られている。
肩凝り、眼の疲れなどこぼしつつの力作ページは珍しい写真のオンパレード。
「食て寝て起きてまた食べて 同じ事して死んでいく」この世の極楽を語り続けるその熱意のその一こまをお裾分け。
バブル時代真っ最中の1990年前後に一世風靡した上々颱風の話題が仲間内で出て、手持ちのCD「上々颱風2」が聴きたくなり、今朝、出勤前にパソコンに取り込んで、スマートフォンに入れて、出勤途中に聴いてみた。
地下鉄が地震発生で安全のため、20分もの間、一時停止した時、耳に流れてきたのは、「愛より青い海」「Let' It Be」の他、名曲揃いのこのアルバムで、忘れてはならない曲が「花祭りの朝」。
アジアの音階をポップスにした上々颱風は、ここではサムルノリという韓国の伝統音楽のリズムをベースにした人生歌を披露する。
合間に奏でられる南米のチャランゴの響きもあり、曲のイメージは韓国のアリラン峠から、モンゴル平原のユーラシア的な風景と南米のアンデスの麓に住むインディオたちの生活が重なり合う物で、同じ黄色人種の音楽的ルーツを浮かび上がらせる物でもある。
厳しい自然の中、生き抜くために、カムチャッカからアラスカに渡り、白色人種の「発見」の遙か昔に、新大陸に住み着いたインディオたちの祭りは「花祭り」。厳しい冬を生き抜き、花が芽吹く春を迎えられた喜びのお祭りを祝う歌は「エル・ウマウアケーニョ(El Humahuaqueño)」。「ウマウアカ」は人や物と意味だそうで、「花祭り」は人や物を祝う祭りなのだろう。
生かされるありがたさを知る者たちの命の歌が「花祭りの朝」に歌い継がれている気がする。
そんなことを思うのも、地震という自然現象に足止め食らった時だったかも知れない。
仕事の合間、30代の友達と音楽の話をしていて、上々颱風を知らないというので、さっそく、YouTubeで教えてあげた。
仕事中の出来事。。。あの日に帰りたい?
週末から週明けにかけ、このごろ何かと忙しい。
仕事掛け持ちの身としては、動き回る週末の仕事の後は、足のむくみを取るべく、銭湯なぞに行き、リフレッシュして、平日の仕事に臨むのだけど、このところ、平日の仕事の方も週末の休みの間に入ったFAXのデータ整理で、週明けが忙しい。
二足のわらじの重みをひしひしと感じつつ、来週、再来週のシルバーウィークの連休でやっと人並みの休みを満喫できるかと思うこの頃。
早く来い来い、シルバーウィーク
Windows mobileから書き込みテストに挑戦してみる。
買い換えたスマートポーン、Advanced/W-ZERO3 [es]がWindows mobileで動いているので、ネットで提供されているフリーソフトでカスタマイズし、使いやすくしたりしているのだけれど、だいたいのカスタマイズをし終えたのでネット書き込みに挑戦。
画面が小さいので、画像満載のビジュアルブラウザーのみでは使い勝手よくないので、テキストオンリーのテキストブラウザーを入れてみたり、古い文学を集めたサイトとして知られる「青空文庫」の書物を読みやすくしたピュアを入れてみたり、その可能性を試している。
この文章もテキストエディタで下書きをまず書いている。これがうまくいけばケイタイ小説に挑戦なんてね。
テキストエディタ画面
脳性麻痺の友だちのブログに書かれていた日記、「何してるの?」と・・。
言語不明瞭だからじゃないんじゃないか。
社会の価値、自分の価値に重きを置き、人の価値観をそれに照らし合わせて、評価するのが当たり前になってしまった今、自分の価値で人を評価して、「答え」を見出す。
社会の価値を疑う事もせず、自分の価値を疑う事もしない。
たかだか数年前の不便さを語っても、「そうだったっけ?」と忘れたふりをし、悩みをこぼす人には「そんな事じゃ」と社会の価値を押しつける。
修正可能を修正不可能にする力。そんなものを今の社会に感じてしまう。
この頃のスーパー銭湯ブームに便乗し、身体の疲れを癒しにスーパー銭湯巡りなぞしている。
銭湯ほど人が本当に裸になるところはないようで、浴室内に流れる館内放送も日に日に「注意項目」が増えていく。
浴槽にタオルを入れるな、水風呂には汗を流してから入れ、洗い場、サウナ内の場所取りはやめろの他、男湯でも長髪は髪を束ねては入れというものまで流れていた。
テレビ局の取材が入った時など、営業で道草を食っているサラリーマンがおふざけで、「下半身はぼかさなくていいから、顔をぼかしてくれ」という猥雑な話もあれば、何を考えているのか、浴槽内での読書や喫煙、ひげそり、歯磨きをする者もいれば、雨に濡れたズボンをサウナ室に持ち込み、渇かそうとするのもいる。
長湯で浴室で具合が悪くなったのか、湯船に沈み込んだ年配者を周りの者が誰も気がつかずに、露天風呂から僕が戻った時には湯船の中に沈み込み、あぶくが浮かび上がっていたところを助けた事もあれば、首筋から足首まで背中に刺青をいれたお兄ちゃんが店員の目を盗んで、風呂に入り、石鹸をつけ、洗い場で体を洗い始めた時に店員に追い出される場面に出くわした事もある。
何でもありの銭湯の光景の中、先日、これこそ絶句ものに出くわした。
父親とおぼしき人がジャグジー風呂に入る横で、その子供と思われる7、8歳の子が父親の顔めがけて、足で水をかけていて、父親も何も言わず、かかった水をぬぐうのみ。
放任主義の父親は数多く見てきたけれど、こんな父親は始めて見た。
この子の将来も恐ろしいけど、この父親の将来は悲惨なように思う。けれども、そんな世の中なのかなのかなと、その光景を容認してしまう自分が一番恐ろしいような気もする。
明け方の雷の爆音と地響きは凄かった。その後の激しい雨は自然の中で生活している自分を思い知らされ、目を覚ましたけれど、月末で立て込んだ仕事をこなし、疲れた身体はその雨音でまた眠ってしまった。
昨日は札幌市が打ち出した障がい者の交通費助成見直しが、当事者団体の意見を聞きつつ、話し合いの席に着こうとしない市側の態度に対し、抗議の意味も込めて、市役所に総勢500人に及ぶ当事者、その親、サポーターが集まった。
高齢化による税収の減少から来る財政難を盾に、助成見直しを撤回したがらない札幌市は、来年4月からとする見直し実施を強行はしないという回答のみで、まだまだ不安はつきまとう。
高齢化する社会で、社会基盤として重要になるのは社会福祉のあり方なのに、所得保障も提示しないまま、生活助成を削ろうとする行政のあり方はやはり常識外れのような気がする。
たかが交通費だけれど、月々6万円強で暮らす障がい者が地域で生きるために通う作業所も、自立支援の就労施策により、働く場の利用料として、一割負担を強いられている現状、手取りの目減りは分かり切っている事であり、市民の負担増より市の財政を重んじるならば、今後の破綻は云うに及ばずだと思うのだけど。
明け方の雷の爆音と地響きを行政マンたちはどんな思いで寝床で聴いていたのだろうかとふと思う。
昨日市役所前に集まった市民たちは久々に逢えた互いの健康を気遣い、励まし合っていた事を知って欲しい。この遠足すらままならぬものにしてしまわないためにも。
市役所前に集まった人たち
復刻されたCDのラベル
代表曲「自由への長い旅」が現在活躍する多くのシンガーたちのバイブルであると云われている岡林信康氏の初期の音源のCD復刻第一弾が手元に届いた。
復刻は絶望的とも云われていたものだけに、嬉しくなってこんな記事を書いたりする。
第一弾は関西ロックのレーベルURC時代のオリジナルアルバムが、オリジナルの形で音源も今までの復刻ではレコード会社が自粛し、カットした曲も完全収録されている。紙ジャケ仕様のもので、当時のアルバムのミニチュアもコレクター心をくすぐりもする。
小冊子のライナーノーツには当時の岡林氏の記事を掲載すると同時に、デビュー40年の歩みを振り返る岡林氏のインタビューも掲載されている。
牧師の父の後を継ぐべく、同志社大に入ったものの、父の教会の信者であった不良少女が何かの事件を引き起こした時、他の信者から激しいバッシングが教会に寄せられ、少女は教会に来なくなった事から、父との亀裂が生まれ、大学をやめて、東京・山谷のドヤ街に日雇い労働者として転がり込んだという岡林氏は、学生だった時は、ドヤ街の住人たちを見下していたけれども、自分も簡単にドヤ街の住人になれるカルチャーショックを受けたという。
反戦シンガー高石友也のライブを聴き、ボブ・ディランに憧れた岡林氏はビクターからアジテーション・ソング「ほんじゃまあおじゃまします」でレコードデビューするはずだったけれども、政治家諸氏を愚弄しているという事から、発売中止の憂き目にあった事から、反体制シンガーとして、脚光をあびるものの、反体制である事に意味を重んじる支持者たちの中で、自分を見失うまいと、フォークからロックへ転向するけれど、更なる重圧に、ステージのスケジュールをドタキャンして、山奥の村にひきこもる。
歌う歌は演歌に変わり、美空ひばりとの出逢いから歌の内容も自分と自然を見つめる歌に変わっていった時、必死に生きる事は無理しなくてもいいに変わっていったという。
日雇い労働者は今は名前を変えて、ワーキングプアという若者たちになり、必死に生きなきゃならない時代となった。還暦を迎えた岡林氏もこの国の人間たちを何とかしたい、という想いがあるのだろう。今回の復刻を岡林氏は自分の活動歴の「ほんの序章にしか過ぎない」と断り、反体制というステータスを否定し、必死に生きなきゃならないから生きた時代を振り返る。
今後、ひと月おきに初期音源が体系的に整理され、発売されるらしく、10月の第二弾はアジテーション渦巻くライブでアルバム化されたもの3点。
松本隆、細野晴臣、鈴木茂、大滝詠一のハッピーエンドとのジョイントでエキサイトする音源やいろんな曲をパロッて、ベトナム戦争で戦争の親玉になったアメリカを野次った「アメリカちゃん」が初のCD化となる。
「いつの間にか私が私でないような」「もう一度私になるために」
岡林氏の新たな「自由への長い旅」に付き合える「今」を喜びたい。
急に寒くなってきたこの頃、マイミクしている俳優さんのブログでは「北海道はもう冬」という記述がされていて、フン!と思ったけれども、確かに寒い。(>_<)
春先からパソコン作業の仕事も兼業し始め、仕事後、新しい環境での精神的な疲れを解消すべく、スーパー銭湯とその横にあるうどん屋に通い続けているうちに、お腹周りが何となく、メタボ。
体脂肪計も夏場は10%前半でキープしていたのが、昨夜は10%後半に突入。
平日ブラブラしていた時はそれなりに用事を作り、動き回っていたけれど、パソコン作業のデスクワークがいかんのでしょうか?
天高く人肥える秋、来月は職場のおばちゃん200名との大ジンギスカン大会があるし、忘年会の準備も始まる。
ストレス発散に身体を動かす事を考えなきゃ、本当にメタボなのかも。
銭湯の客同士語り合う、燃料高で、寒さこらえる腹筋運動はゴメンだけれどもね。
と思う事はやはりメタボへまっしぐらなのかしら。
ラテンアメリカ文学の偉人ボルヘスの名著「伝奇集」に「本に署名する事はおかしな事だ」と明言する箇所がある。
「剽窃の観念など存在しない。すべての本が、時間を超えた、無名の唯一の作者の作品であるという事は確かな事だ」と続けて、ボルケスは云う。
名著「不死の人」でもフランシス・ベイコン「エッセイズ」を引用し、「すべての知識は追憶に他ならず」「すべての新奇なるものは忘却に他ならず」と語りもし、無名の書物たちの掘り起こしに尽力された人でもある。
現代社会に「著作権」なるものが大手を振るようになったのは1970年前後のようで、それ以前に巻き起こった過去の文化の掘り起こしであり、民衆史の発掘でもあった「フォークブーム」の反動のような形で、「フォークブーム」の発信地アメリカを始め、世界的に「著作保護」が法制化されていった。
クラシック音楽のドボルジャーク、ラベルなどの「民謡」の編曲に限らず、近代における文化の搾取の憂き目にあっていた第三世界がこの「著作保護」に黙っているわけもなく、未だに続いているボサ・ノーヴァのジョアン・ジルベルトの初期作の著作権裁判などはよく知られた話でもある。
「先進国」の「著作保護」に対し、音楽ではレゲエやラップなどでどこまで「加工」すれば「オリジナル」なのかを競うジャンルが生まれもしたし、総合芸術とされる映画はどの部分が誰の著作か問う裁判が絶え間ない。
ボルヘスが問う「署名」の矛盾とはこの世の中にその人だけが作り出す「オリジナル」などあるはずがなく、誰かしらの影響や感銘を受け、「語り部」として語り継がれるのが「著作」であり、歴史の継承の証ではないのかという視点であろう。
日本神話の黄泉の国の話はギリシャ神話の「オルフェ」と類似しているけれど、そこに語られる事を「剽窃」などという論議でみていくと、事の本質を見失う。
大手企業のアイデアが中小企業のアイデアの盗用であるなどはよくある話で、ミニシアターの映画館主が、幕間をなくしたのも、レディスディを企画したのもミニシアターの苦肉の策なのに、シネコンがマネをしたという話を聴きもする。
文化の源である大道芸も「流行」のコピーから始まり、そのエネルギーが次なる文化を生むといわれているのに、「著作保護」により、新たな「オリジナリティ」はその限界に達しているとも云われ、映画の都、ハリウッドでも旧作リメイクや第三世界の監督たちにハリウッド映画を作らせるという異文化混合の試みがなされもしている。
ミッキーマウスを越えるキャラクターを生み出せずに「著作保護」延長をごり押しするディズニーなどの話もあるし、日本では「映画監督は映画の著作権者ではない」とする配給サイドよりの法律もあり、企業のための「著作」がますます強くなっている。
「著作権」を行使するならば、廃刊、廃盤などで触れられなくなった「著作」の「見る権利」を補償しろと云う話も聴くし、字幕や音声などで文化物に触れられる機会を得られるようになった障がい者たちが「著作権」により疎外されている事例もある。
「語り部」文化を嫌うことに対し、ボルヘスが「本に署名する事はおかしな事だ」と語る事はもっともな事と思うし、文献の引用頻度で、文章価値を競う価値観もあるらしい。
文化を如何に共有するかは、その時代の豊かさのバロメーターなのに「俺、俺」主義の「著作保護」は今なお大手をふるっている。
ヤフオクで、同じ北海道からの出品というので、送料も安く済むと思い、落札出来なくともと悪戯心にAdvancedW-ZERO3[es](WS011SH)を入札したところ、落札してしまった!
これでまた余計な出費をしてしまったけれど、使いこなせるかな?
来年に始まるという次世代PHSに対応していなければ、(涙)なのだけれど。
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