2007-12-31

大晦(おおつごもり) New Year's Eve

変な夢二本立てで迎えた大晦日。

一本目は母が物干しに洗濯物をかけていると、風で煽られ、母も遠くの大きな池まで飛ばされ、助けに行く話。

二本目は仕事で出かけ、地下鉄駅で駅員が出口を封鎖しているから出られないと云うので一悶着している話。

おそらく身体の疲れから来るものなのだろうなぁとふと思う。

朝は正月2日に返さなきゃならないレンタルビデオの残り一本を観て、気ぜわしい年明けを避けるために、ビデオを返しに行き、年越し用のビデオを借りてくる。(笑)

帰宅後、オーマイニュースに新たに記事が掲載されたのを確認。

ついでだから、今年一年のオーマイニュース掲載リストを整理してみる。

夜もブログの年越し作業とか、新しい映画のページの構想とかに時間が取られそう。

思っていたより、穏やかな大晦なのでまずは一安心だけど。

Yahooのバナータイプの広告掲載許可も得られ、来年はウェブ広告で左うちわといきたいけれど、まずは変な夢にうなされないよう、平穏を願いつつ。

皆様もよいお年をお迎え下さい。

2007-12-30

あ・うん a-hun

飛行機事故で亡くなった向田邦子が10年のライフワークとして、取り組み始め、志し半ばで絶筆したドラマ「あ・うん」。このNHKドラマも何故かDVD化されていない。

やはりレンタルで、「あ・うん」「続あ・うん」を借りてきて、観ている。

「狛犬さん、あ・うん。」で知られる物言わなくとも互いの心が通じ合い、魔物を内に入れない形相は仏門の仁王さまにも描かれるもので、インドのサンスクリット語の最初の音である「あ」と口を開いた阿形(あぎょう)と最後の音である「うん」と口を閉じる吽形(うんぎょう)が一対として、平穏を守るとされる逸話からこの物語は成り立っている。

時代は戦争前の日本。サラリーマンの夫婦とそこへ足繁く通う友人とが、その奥さんを巡るプラトニックな三角関係が弥次郎兵衛のような具合で均衡保たれ、それぞれ狛犬さんのように奥さんを守っている。

軍需景気で羽振りのよい友人は女癖が悪いけど、奥さんの前では従順な下僕であり、旦那さんもまた、その気持ちを知りつつも、素知らぬふりで、亭主気取りで友人をもてなす。

疑いを口にすれば、何もかも壊れる事を知っているから、互いに気持ちを口にせず、だからこそ保たれる平穏な家庭。

作家・向田邦子がこだわり続けた「幸福」の形を最も端的に示したこのドラマは話が進むに連れ、戦火の足音が小市民の家庭にも迫ってくる。

「阿修羅の如く」「冬の運動会」など幸福と争いの背中合わせで、これ以上口にすると何もかも壊れてしまう事を判っている人間達がそこで自制し合う「幸福」論は、今の世の中、思い返すべき事なのかも知れない。

  • OhmyNews : 映画特集 『あ・うん』 云わぬが花の幸福論

2007-12-29

今日から大荒れ The weather rages from today.

  • 画像 : おとうと
  • 画像 : 天使の詩

「泣ける映画」で日記を書いていたら、何故か、画面更新され、文章かき消された。

むかつき、書くのをやめ、まずは腹ごしらえと朝飯を食いながら、新聞を読むと「今日から大荒れ」の大見出し。なんかの広告みたい。(笑)

外は時季はずれのみぞれ雪。明日にはこれに風が加わるそうな。

日頃の行いが悪い20年来の付き合いある後輩との飲み会の今夜は大丈夫かいな。

そんなこの頃、「泣ける映画」としてレンタルビデオで借りて観たものを三本ご紹介。

一本目はまだ少年の面影があるキムタクの『おとうと』(1990年4月30日、TBSドラマ)。作家の幸田露伴の次女、幸田文の原作のドラマ化で、市川崑監督川口浩主演、山根成之監督郷ひろみ主演、それぞれ名作だけど、キムタクの『おとうと』もなかなかいい。斉藤由貴のお姉さんも味がある。継母に馴染めない弟を気遣う姉の献身ドラマ。

二本目は『天使の詩』(1965年、イタリア映画)。お母さんが亡くなり、お父さんから「お兄ちゃんなんだから」と過度のプレッシャーかけられる男の子が我が儘な弟の面倒を見るお話で、まだ甘えたい盛りなのに甘えられないお兄ちゃんが亡くなったお母さんの声が吹きこまさったテープを見つけ、貪り聴くシーンは涙してしまった。この映画を観た頃、同じ心境だった事も記憶の底にあるからなのかな。

そして、三本目は『汚れなき悪戯』(1955年、スペイン映画)。生まれてすぐに母を亡くしたマルセリーノ坊やは12人の牧師のお父さんに育てられるけど、ママに会いたい気持ちが強い。キリスト教臭さは多分にあるけれど、あどけないマルセリーノ坊やには泣けてくる。

それでも生きる子供たちの姿を思い起こさせる映画たちは「大人が観る絵本」だろうし、荒れ狂うと予想される年越しの夜、未来の大人たちの事を思い返すのも一考かと。

賽の河原の石積み遊びする水子、間引き子、めくらの子の石を蹴散らすオトナにだけはならないように、よい年を迎えたい。

汚れなき悪戯』はパブリックドメインなのか、字幕なしですが、全編Youtubeで観られます。ここでは有名な主題歌が聴けるパートをご紹介。

あなたの「泣ける映画」はどんな人たちの生き様が描かれてますか?

YouTube - marcelino pan y vino 4-9

2007-12-28

年越し準備 The old year out preparation

今日は今年最後の金融機関の営業日でもあり、混雑避けるため、朝から郵便局へ足を向け、年越し資金のお金をおろし、ついでに来月で期限が切れるのに切り替えの新しいキャッシュカードを送ってこない事を問い合わせにしに行きました。

郵政民営化で、クレジット会社との提携が終わり、一枚のカードでキャッシュもクレジットも使えたものが、それぞれ別なカードになると知らせを受けたのが、確か先月の事。

クレジット会社の方からは新しいカードが送られてきたけれど、ゆうびん銀行からは連絡も何もなく、年を越したら忘れそうなので、まずはコールセンターに問い合わせてみたのだけれど、建前論ばかりで、肝心の手続きの話を教えてくれず、「じゃ、郵便局に問い合わせればいいのですね?」と問い返しても言葉濁すだけ。

責任問題やら、詐欺事件やらで慎重対応になるのは判るけど、バーチャルがデフォルトになってしまった今の世の中、手続きの話も教えてくれないのなら、コールセンターの意味なんかないのにね。(笑)

そんなこんなで、話の通じないコールセンターとやりとりしてもしかたないので、近所の郵便局へ出向いたのだけど、本人確認やら、切り替え後の現金引き出しで、窓口でも暗証番号を使うかどうかなどのオプションの設定事項が多くあり、これまた、カード発行の手間賃稼ぎなのだろう電子マネーと組み合わせれば、早くカードが作れるとの勧誘だの、手続き作業も余計な時間を費やしてしまう。

幸い、郵便局はまだそれほど混雑していなく、混雑のイライラ感がなかったのが救いだけれども、多様化し、セキュリティ確保が難しくなる昨今、事務手続きもどんどん煩雑化していっているのだろう。

人手減らして対応処理しなければならない日本企業の体力不足は行列の出来具合で、判断できるのかも知れない。

帰り道の銀行ATMは長蛇の列。閑古鳥より救われるという楽観思考もあるけれど。

  • OhmyNews : 年越し準備で金融機関に行きました

2007-12-27

年末大荒れ The weather at the end of the year rages.

曜日の感覚を失ったこの頃、週末土曜日は二つの低気圧が合体し、日本海で猛烈に発達、南風が強く吹き込み、気温は高く、雨が降るとか。

もう20年来、年末に集まっているアルバイトで一緒だった奴らとの飲み会の日に何もこんな最悪な嵐が来なくても。

一晩遅れて、来ないかな。

年末大荒れが、来年の厄払いになるといいけど、年明けは気温高めの日々が続くようで、湿ったドカ雪なんかになっても欲しくない。

人が自然に配慮しなければ、どんどん壊れ、自然治癒も働かなくなる。

環境サミットへ向けてのばらまき予算も結構だけど、人の力は自然の力に対して、無力であると悟らなければならない。

「朋、遠方より来たる、また楽しからず哉」

そのささやかな幸福を忘れた時、破壊された自然が牙をむき、生きる苦しみを味合わせる。

あるがままなのが自然。

2007-12-26

遷都議論 Relocation of the capital discussion

東北地方の地震で東京も揺れたそうだけど、東京一極集中って大丈夫ですかね?

ずっと言われ続けている東海地震の想定域でも「地震活動活発に」という国の判定会意見も出されたようですし。

昔、政治と経済の分立を目指し、アメリカ、ワシントンとニューヨークなどのように東京からの遷都議論がなされていた事があったけど、財界の資金出しぶりで潰れた事もある。

確か長野と並んで、苫小牧も遷都候補に挙がっていたはずで、温暖化の時代、政治議論をするには北海道は良さそうな気もするのだけれど。

今思えば、遷都議論の時に国民負担ではなく、財界からの資金提供を求めたあの頃の政治にはまだ未来的展望があったのかなと思うけど。

出し渋った財界のお陰で今の東京があるのだから、災害軟弱の政治体制の責任は財界にあるとも云えそうですし。

遷都議論の時はまだ子供だったから、実のところどうだったのかと気にはなりますけど。

  • OhmyNews : 遷都議論

2007-12-25

サンタクロースからの贈り物 Present from Father Christmas

コメント返信したものをちゃんと書き直し。

クリスマスイブの日、マクドナルドで昼を食べていると、隣の席に制服姿の女子中学生達が座り、食事しながら、にぎやかな会話がはずんてました。

「大きな地震が起こんないかな。」と突飛な事を云うひとりに、他の女の子が、「なんで?」という風に「地震が起きたら、火事になるジャン」と突っ込みを入れると、その子はしどろもどろに「火事は起こんなくってさぁ」となお、わかんない事を喋り、「大きな地震が起こって、みんな学校に避難したら、同級生みんなのパジャマ姿が見られるのになぁ。ねぇ。見たくない?」と話しかけると、「別に見たくないけど」とシニカルな返答を話に付き合った女の子が答えていた。

物騒な発想ながら、中学生らしい可愛らしい願いだなと横でハンバーガーを頬張りながら思いつつ、気持ちのゆとりなのか「修学旅行で同級生みんなのパジャマ姿は見られるよ」と心の中で返事をしちゃいました。

学生の修学旅行の時、男の子、女の子、入り乱れて互いの部屋に遊びに行き、先生に叱られたっけなぁと、遠い昔を思い返しもし、突飛で物騒な発想をする女子中学生たちは自分の若い頃とそんなに変わらないのだろうともふと思ったりした。

「ねぇ、携帯でネットに繋げられる?」突如、向こうの席から声をかけられ、振り向く女の子は、とっさに「ううん。家のパソコンだけ」と答え、「ビックリしたぁ。あんなところで、話聴いていたんだぁ」と相棒に同意を求める。

女子中学生たちの自然な会話はサンタクロースとなり、遠い昔の想い出を持ってくれました。

そう思える気持ちのゆとりにまずは感謝なのかな?とも思うけど。

  • OhmyNews : 大きな地震が起こんないかな

2007-12-24

クリスマス・ソングを歌うように Sing the Christmas song.

時節柄ネタをひとつ。

クリスマス・ソングというものが結構好きで、クリスマス・アルバムなんて結構コレクションしていたりする。

その中で、やはり面白いのはクリスマス・ソングのオムニバス・アルバムで、黒人ゴスペルの名演を集めたPヴァインレーベルの『ゴスペル・クリスマス』は神聖な歌声に平穏な時を感謝し、聖夜の安らぎを味わったもの。

ゴスペル・クリスマス

この手のオムニバスはオリジナル音源の使用権の関係があるから、すぐに廃盤になってしまうので、今はオークションなどで捜さなければ見つからないけれども。

もうひとつのクリスマス・アルバムをあげるなら、世界中のクリスマス・ソングを集めた『オール・アバウト・クリスマス』。

オール・アバウト・クリスマス

アメリカはもちろん、北欧から、カリブ海、アフリカ、フィリピンに至る世界中のクリスマス・ソングが聴け、北半球は「ホワイト・クリスマス」なら、南アメリカのコロンビアは打ち寄せる波のような地元のリズム、クンビアで「黒いクリスマス」で、南半球は夏真っ盛り。

クリスマス商戦たけなわを皮肉ったキャッシュ・レジスターで奏でられる「グリーン・クリスマス」は冗談音楽のスタン・フリーバーグなら、トリニダードの米軍からの贈り物、ドラム缶のフタで奏でられる「ジングル・ベル」はすさまじいドラムの音色。

買い逃し、今も心残りなのが、ザ・ピーナッツ、クレージーキャッツなどのクリスマス・ソングを集めた『メリー、メリー、クリスマス』

メリー、メリー、クリスマス

「クリスマス・ソングを歌うように、今日だけ愛してよ」と歌う中島みゆきのライブアルバム『歌暦』(1987年)なんかも想い出深きもので、昼の時間が一番短い冬至の時節にもあたる日本でも、クリスマス・ソングはその節目を告げる「人恋歌」として広く親しまれているのだろう。

  • OhmyNews : 世界に時の節目を告げる「人恋歌」たち

2007-12-23

死は刑である The death is a punishment.

毎日新聞の世論調査で、奇妙な果実のアメリカ、自己制裁の中国と並び、死刑制度「存続すべき」が9割ですかぁ。

司法判断に重きを置きつつも、国の都合で揺れ動くセーフティネットの削減もまた「死は刑」にならぬ事を願いたい。

貧困の凶悪犯、富裕の貧者狩りはアメリカ、中国のみならず、戦後日本の凶悪犯罪の常套句であり、ジャパニーズ・マフィアやら商業右翼にストリート・チルドレンを送り込み、鉄砲玉として使い、世界にその名を残す国民総中流の昭和元禄を築いた歴史もあり、貧困下の疫病蔓延も最小限で阻止しえたのに。

スラム街を持たない国日本もいよいよスラムを作り出すのだろうか?

物騒な世の中、職場合理化で年内で手薄になる警備もあると聴く。

国民のわずか二割しか本当の富裕層がいないこの国の世相はもしかすると犯罪社会を望んでいるのかも知れない。

  • OhmyNews : 死は刑である

2007-12-22

パニックの牽引者達 People who become cause of a panics

旧防衛庁 ゴジラの対処を研究していたとかいうニュースを目にしたけれども、お役人もまた怪獣を含む未確認物体から想像力を働かすのだなぁと思った。

しかし、その怪獣達の発生元となった、例えばゴジラなら原水爆のような問題は事がやっかいになるから触れないで、大怪獣ゴジラという臭いものをやっつける研究しかしないいのだろうなぁとも思う。

パニックブームの流れを追っていくと、そのルーツは戦争物になるそうで「鬼畜米英」が原水爆に安眠を妨げられたゴジラや自然破壊で怒り狂うモスラガメラという正当な流れがあり、その後、ヒッチコックの『』やマイケル・ジャクソンの歌で知られた大量のねずみが襲う『ウィラッド』『ベン』などの小動物パニック、『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』『日本沈没』などの災害パニック、『復活の日』などの細菌パニック、『デイ・アフター・トゥモロー』などの気象異常パニックと、現代文明への警告がメインとなっているのに、お役人の発想はいつまでも机上会議にすぎない。

知り合いで、私服で現金輸送の警備をしていた奴が、「もし、強盗に襲われたら、死にたくないもの、そりゃ逃げるさ」と語った話も思い出すけど、誰も貧乏くじなど引きたくはない。

問題究明を議論せずに人間心理を札束で動かせられると考えるエリート発想こそがもしかするとこの世のパニックなのかも知れない。

2007-12-21

「習うより慣れろ」というけれど Though it says to "It makes learning a custom."

親機もコードレスだった古い電話機が接触不良となり、新しい電話機に買い換えたのだけれど、親機もコードレスは見あたらず、コードレスの子機が二台ついた電話機を購入したのだが、使い慣れない母はコード付きの親機の受話器を取り、利用している。

腰の悪い母を気遣い、長話になった時にソファに移れるようせっかく買った物を買った時に使いこなせなければ、永久に使いこなせなくなってしまう。

根気よく母に説教すると、ボタンが小さい、文字が見えにくいなどのクレームを並べ立てる。

「慣れなきゃダメだって!使い方なんて覚えちゃえば、慣れで使いこなせるんだから。」

最も簡単な使い方を教え、電話帳機能で電話をかける方法も教えておいたけれど、果たして母は使いこなせるか気に掛かる。

迷惑電話とかキャッチホンとか、ハンズフリーとか、あればそりゃ便利だろうけど、基本機能をまずは覚えなきゃいけない今の家電機器には、まだ若いと思っている僕でもうんざりする事がある。

どこかのパソコンOSやOffice製品のようにバージョンアップするたびに基本操作を覚えなきゃならないご時世、多様化する製品に標準規格の方が暫定的に対応しなければならないほどに乱れているようでもあるけれど、「人は年老い、出来なくなる」という永遠のテーゼを忘れないでねと願いたくもなる。

自分たちの売る製品なんか使いたくないと言うなら、話は別だけど。

  • OhmyNews : 「習うより慣れろ」というけれど

2007-12-20

年賀状 New Year's card

やっとこ年賀状を印刷し終えた。

年明けのご挨拶は年明けでもかまわないのだろうけれど、そこは日本人。(笑)年末行事の一環として、これをすまさなきゃ年越せないと思ってます。

しかし、昔は一枚一枚手書きで添え書き書いていたけど、今はパソコンで印刷して、送るのみ。

それすら大儀になっており、去年の年賀状の整理も出来ていないのだから、我ながらその場しのぎの快楽主義に流されているなとつくづく思うわけで。

住所録は一応整理しているけど、はがきに宛名印刷をすると「あ、こいつ、奥さんと別れたんだっけ」とか、「こいつは仕事辞めて、札幌に帰ってきたはずだけど宛先判らないよなぁ」とか、無駄な印刷が見つかるもの。

年の暮れにそんな友達の近況に思いを巡らすのも年賀状があるからなのだろう。

社交辞令のお付き合いなんか全然ないから、そう思うのかも知れないけれど。

ここ数年よく云われるはがきとメールの年賀状の使い分けもやりとりする相手が高齢になるほど意味ない議論でもあるだろうし。

年々、届く喪中の内容も父母から兄弟に移り変わり、自分の年頃にも気がついたり出来ますし。

メールの年賀状は後々、残らないような気がして、こんな感慨を抱く事はないのだろうけれども。

  • OhmyNews : 年賀状、印刷し終えた

2007-12-19

手押し信号機、どちらを押しますか? Which of the signal that changes it pushing by two hands is pushed?

うちの近所の手押し信号機は何故か二つ取り付けられています。

ひとつにはハンディマークが付いており、添え書きの看板には「横断に時間のかかる方は押しボタンを押してご利用ください。青信号が通常より長くなります。」

あなたならどちらを押しますか?

車社会へ気配り、青信号が通常どおり短い時間の黄色い箱のボタンを押すか、安心して渡れる青信号が通常より長くなる白い箱のボタンを押すか。

健康な方にも不自由な方にも嫌みとも取れる手押し信号機は税金の無駄遣いでもあるような。

きっと取り付けた警察は実際に手押し信号機を使った事がないのでしょうね。

JR駅前向かいにある市立病院へ渡る交差点がようやくスクランブル交差点に変わったとニュースで報じられた札幌、都心などのショップ街はとっくにスクランブル交差点なのに、病院、学校のまわりは予算の都合上、信号機もつけられないという話もあり、この信号機、経済優先の政令指定都市の象徴と見る事が出来るのではないかと思うのだけど。

ボタンが二つある手押し信号機

  • OhmyNews : 手押し信号機、どちらを押しますか?

2007-12-18

DVD復刻事情 Situation of Digital remastering

だいぶ前に映画データベースサイトに書き込んだ作品コメントとしてDVD復刻でぼろくそに批判した映画会社からの足跡がうちのブログページのアクセスログに残っていた。

DVD復刻に関してはアメリカ企業の直訳字幕とか、きれいなマスターフィルムを捜さずに、状態悪いフィルムでのデジタル・リマスターなどの手抜き報告がネットの映画関連サイトにあふれており、復刻すればいいんだろう的な付け焼き刃的なものも多いという。

企業名、作品名は伏せておくけど、本当、まともな仕事をして欲しい。

以下、書き込んだ内容をここでもご紹介しておく。

聴くところによると単品DVD発売される物は、デジタルリマスターされた様子もなく、フィルムの傷みの修復はおろか、使われているマスターフィルムもあまり状態の良いフィルムを使われていないとか。

映画を知らない素人会社じゃあるまいし、天下の大手映画会社が国宝級のこの映画のDVDを単なるフィルムコピーで発売する恥さらしはやめて貰いたいもの。

日本の文化レベルが問われかねませんよ。

2007-12-17

職場意識 Office consideration

職場の親睦会も一年の中の最大イベントである忘年会をすませ、年明けの総会を残すのみとなった。

昨夜は忘年会の反省と総会に向けて、次期役員として、続けて役員をやれるかどうかの意思確認の会議だったのだけれど、この一年、職場仲間の親睦を深めるために動いてきて、落ち度は指摘するけど、親睦会に対して、積極的に参加しようとしない職場仲間の内面を見てしまった役員メンバーの「これ以上人間不信になりたくない」という意見が飛び交い、残留意志を示す人がわずかしかいなく、波乱の会議となってしまった。

職場環境としては、企業内の合理がより鮮明となり、動乱になる事が必至な来年であり、職場仲間の仲間意識が試される時期なのに、職場で「長」クラスの役につく人たちは「仕事」には熱心でも、「親睦」には関わりたがらず、「平」クラスの人たちも仕事場という割り切りが強く、「仲間」という事になると二の足を踏んでしまう。

「親睦会」の役員だけがやきもきしてやれレクリエーションだ、やれ忘年会だと準備しても、参加し、喜ぶお客になるだけで、漕ぎ手の役員にはなろうとしない。

「リセットとして、現状を総会で議題にかけたら」という過激意見も出るけど、「そうしたところで、委任状が大半占める総会でどれだけ議論となるか」と、逃げるに逃げられなく3年越しの会長を任された方は思案に暮れる。

職場で仲間意識を失ったら、経営側の思うつぼである事は目に見えているのに、職場ではその場しのぎの上司へのご機嫌取りやら、仕事の出来不出来の足の引っ張り合いをする。

右肩上がりの時代ならば、競争社会になり得たかも知れないけれど、今は右肩下がりの合理化時代、蹴落とした人間の分だけ、仕事を負わされる羽目になり、更に合理化進んだり、体調壊せば、お払い箱が目に見えている時に仲間意識持たざるは畜生道にも劣る諸行じゃないのかなと。

「スト破り」は「スト」をすると生活できない貧しい人間がやる事という話を聴いた事があるけれど、心の貧しい人間が多くなってきた現代社会の陰湿さを見るようで寂しい想いをした。

世界に例を見ない国民層中流社会を生み出した日本の誇りはどこに行ってしまったのだろう。

まずはあきらめずによりよい職場意識を作り上げる働きかけをしなければならないのだろうけれども。

  • OhmyNews : 「これ以上人間不信になりたくない」のだけれど

2007-12-16

多機能 Multifunction

テレビ、電話と機器の取り替えを行い、新しい機械の使い方を覚えているのだけれど、どんどん多機能化する機械の取扱書で知りたい事が書かれていないのに閉口する。

J-COMのチューナーでは、アナログの時は単に、チャンネル選局の機能しか持っていなく、電源オンオフが受信に影響を与える事がなかったのに、デジタルに変わるとチューナーが受信制御の役割を果たしているようで、電源オンオフで番組も見られなくなる。

録画予約などではいちいちチューナーでも予約設定しなければならず、録画機器の予約と二重に設定する手間があるらしいのだけれど、単にチャンネル変更、電源オンオフだけなのだから、下手な制御をなくすようにすればいい話と思うのだけど。

まぁ、それはいいとして、一番困ったのが、チューナー側での録画設定で、電源オンオフの仕様が全然書かれていない事で、録画予約したら電源オンオフがどのように動作するかが判らない。

チューナーから録画機器を操作する機能もあるため、それを使う使わないでも変わってくるようなのだけど、操作性を複雑にしてしまったが為の説明不足のように思う。

結局、試験的に録画予約して、電源オフにした状態でどのように動くか試験をしてみて、仕様を確認したけれど、やはりこれは不親切としか言いようがない。

似たような事が電話機にもいえて、多機能を優先したが為に説明不足になる例が多々あり、基本操作にもっと親切な説明が欲しいとつくづく思う。

切り替えたJ-COMフォンもIP電話という事で、メリット、デメリットなど気にもなり、頭悩ます事が多すぎませんかね。

2007-12-15

オークション出品業 Trader who exhibits in auction

先日、ビデオデッキをヤフオクで落札し、連絡取り合い、地元の業者と判ったので、取りに行っても良いかと問い合わせたところ、OKを頂いたので、さっそく伺ってみた。

住所を頼りに最寄り駅を降り、見回すと普通の一軒家の二階の窓にそれらしき広告のような文字が書かれている部屋を見つけ、入り口が判らず、電話をしてみると窓から人影が見え、一戸建ての勝手口のようなドアが開き、取引相手らしき若者が顔を出した。

挨拶そこそこに、さっそく取引を始め、裸でビデオデッキを差し出すので、歩きでもあったし、袋に入れて欲しい旨を言うと、二階に上がり、手提げの紙袋にビデオデッキを入れ、持ってきた。

その間、勝手口に脱ぎ捨てられた靴や二階への階段にところ狭しに置かれた雑誌や小物などの雑品を見て、この業者の方はおそらくオークション出品業者なんじゃないかと思った。

窓に書かれた広告は、使わなくなった物を高く処分しますのようなキャッチコピーだったし、おそらく、昔で言う雑品業者がオークション出品業を営んでいるのだろう。

購入したビデオデッキに一抹の不安がよぎったので、帰宅後、さっそく動作確認してみると、問題なく動き、不良品は取り扱っていないと一安心。

ネットの裏側をのぞいた気分で、ちょっと面白かった。

パナソニックの中古ビデオデッキ、送料なしで3,600円で手に入れたし。(笑)

  • OhmyNews : オークション出品業者に会う

2007-12-14

出逢いは別れ Meeting is a start of the separation.

目が覚めれば、そこは雪国だった。(笑)

記録的な少雪といわれるこの冬は家を取り囲む雪がない分、寒さが身に染みたけれど、積もった雪を掻いて、歩く道をつける作業をしていると、春先に降るような湿った重い雪に温暖化を感じてしまう。

やがて10年になる父の死も年末押し詰まった12月だった。

兵隊に志願し、敗戦を迎え、炭鉱暮らしの若い頃は胸を患い、長く生きられないといわれた人だが、札幌に出て来て、生活を変えたのが幸いしたのか、ガリガリにやせた身体が太り始め、逆に糖尿を患う事となり、急に降った雪を掻きに外へ出ての心臓発作による急死だった。

亡くなった命日に、近くの郊外型銭湯に行くと、露天風呂で、父が亡くなった歳くらいだろうか、年配の方に昔話を熱心に聴く若者の姿があり、どんな経緯でそんな話をするようになったのか気にもなり、聞き耳を立ててみた。

年配の方は若い頃の仕事の待遇の話をされており、十数年しか経っていない、バブル時期でも社会保険なんて当てにしなく、老後の事など考えない言われるままに仕事をこなし、出来高を貰う生活だったと語り、「景気がよかったからなんとかなったんだろう」と振り返る。

「『出逢いは別れ』という言葉を知ってるかい?出逢えば別れが必ず来る。多くを望まないでその時を楽しむって事さ。」

年寄り好きな若者はその年配者の話に「そうなんだ」と相槌うち、話の終わりに「ありがとうございます。」と礼を言い、露天風呂から上がっていった。

僕も年配の方から昔話をよく聴かされる方だから、話の内容はよく理解できた。

結婚で退職の時に一時払いで全部貰ったという年金の積立金のお陰で、今、70歳を過ぎて、無年金で暮らす叔母は年金なんか信用しない人だった。

社会保障がどんなものなのか理解しなていない多くの年配者たちと今の格差社会でワーキング・プアを強いられる若者たち。

その狭間の社会制度が安定した時代に生まれた特定の世代もまた、多くのボーナスを貰うだけで、老後、無年金になるのだろうか?

ガルシア=マルケスの「大佐に手紙は来ない」のように功労報われないまま、恩給の知らせを待つ日々を。

湿った雪がその重みで家を押し潰さないように近所の年配者は雪を掻く。

  • OhmyNews : 無年金の不安を抱えて

2007-12-13

なんだか分かぁんない!? not possible to understand.

記録的とも言われるこの冬の札幌の少雪のさなか、世の中、不思議な事ばかり。

国が決めた低所得者への灯油代補助の支援方針を札幌市保健福祉局が市の負担額が大きくなり、「一冬五千円から一万円程度の灯油購入費補助では効果が薄い」とコメントするのもよく分かぁんないし、国の補助支援は一体何に使われるのかもよく分かんなぁい

そして、定期配達に来た生協灯油が安かった時にはいちいちポリタンクにも入れてくれと言わなきゃ入れなかったのが、今回は頼みもしないのに物置のドアを開けて、空のポリタンクに灯油を入れていった。押し売りかいとも思えるこの行為もなんだか分かぁんない!?

岡林信康「なんだか分かぁんない!?」に捧ぐ。

豊かに便利になりましょう。ボケましょ、酔いましょ
まだまだ色々あるけれど、ここでサヨウナラ
なんだか分かぁんない

2007-12-12

地獄極楽 Paradise in hell

電源まわりで電話機の接触がおかしく、母も一万円出すと言うから、新しい電話機をネット購入してみた。

金欠気味の時期なので、ちょっと痛いと思っていると、今度はビデオデッキの再生画面がおかしい。

ヤフオクで地元出品の中古を落札してみたけど、競り合う相手もなかなかしぶとく、思わぬ高値。事前に相場を調べていなかったので、安いのか高いのかよくわかんないけど、代用として務まればと願うのみ。

年賀状もまだ準備しておらず、年金が今月15日、アルバイトながらのボーナスが年末ぎりぎりに入ってくるこの時期は金銭的に苦痛が多い。

父の死後、家計の足しを求めて、インターネットのページ作りの仕事を請け負ったりしているのだけれど、仕事をくれている方が安定した仕事という事で紹介してくれた企業さんともニーズが合わなく、物別れ。

こちらはあくまで30年弱勤めているある程度待遇の良い仕事をメインにサブ的な仕事を探しており、在宅とはいえ、仕事打ち合わせなどの連絡とか張りつめた状況が続くと、身体への影響も心配になってくるし、ご迷惑もかけたくない。

なかなかこのようなサブ的な仕事の口に出逢えず、その場、その場の収入で遣り繰りするのが7年くらい続いている。

気がつけば、50歳も目の前、肩凝り、腰痛、目の疲れ、いつまでも若い頃と同じ感覚では身体が悲鳴を上げる事にもなるし、持病の脳性麻痺の不随運動から来る疲れへの配慮もしなければならない。

先日、ハローワークから近況伺いが届いており、顔出ししてみようかとも思うけど、常勤募集がメインのハローワークではやはり期待は難しい。

60歳までの後10年、なんとか困らぬ生活が出来ないかと思うのだけど、「老いの不安」は日増しに重くなる。

数万円の穴埋めならば、オークション出品で何とかなるんじゃないですかと若い奴に言われるけれど、出す物が減っていくじり貧になりそうだし、今さらその場しのぎの地獄の極楽を味わいたくはない。

掛け持ちの仕事をこなし、「何とかなる」発想の若い奴もあきらめの地獄極楽生活。

私たちの将来はよくなっていくのだろうか?

  • OhmyNews : 私たちの将来はよくなっていくのだろうか?

2007-12-11

暖房費 Cost of heating

灯油高での一冬の増出費額のニュースを見ていて、それに関するコメントで、「忘年会一つ二つパスすれば済む金額」というのがあった。

北海道で最も灯油高の根室に住む80代の年金暮らしのおばあさんのニュースを昨夜流れていたけれど、そのニュースを観る母の顔はこわばっていた。

「お母さん、生きていていいの?」

作家倉本聰が実母に言われたという言葉をふと思い出す。

「忘年会一つ二つパスすれば」と「暖房一日二日消せば済む」の意味は絶対に違う。

延長国会になりそうらしいけど、是非とも暖房なしで会期を議事進行して欲しい。

北の国の年寄り達の辛さが少しは判るはずだから。

  • OhmyNews : 「お母さん、生きていていいの?」

2007-12-10

デジタル放送 Digital broadcasting

J-COMの工事が入り、テレビもアナログからデジタルに変わり、新しい機械に変わり、設定、操作を覚えるために一日潰れてしまった。

けれども本当にこんなに多機能が必要なのだろうか?

工事に来た人の説明を聴くだけでも、「これは必要」か、「これはいらない」と頭の整理をするばかりだし、説明する方も実際にリモコン操作するうちに、「あれ、操作方法皮わったんだぁ」とひとりごちる一幕もあったりする。

そして、悪名高きコピーアットワンスがやはり映画番組には組み込まれており、さっそくネット検索で調べてみると、コピーアットワンスにこだわりの美学を持つのはどうやら金満国家の日本くらいのようで、デジタル推進派の欲深さが見栄もする。

なにはともあれ、新しい環境を覚え、それを年老いた母にも使いこなせるように教えなければならない難行が控えており、多機能にはしゃぐ年頃を過ぎた自分の実年齢を悟ったりもする。

この国のビジネスは本当に少子高齢を踏まえて、商品戦略組まれているのだろうか?

それが今の素朴な疑問。

  • OhmyNews : 少子高齢を踏まえて、商品戦略組まれているのだろうか?

2007-12-09

歳忘れの仲間の宴 Feast of companion of age forgetting

いよいよ今日は今年一年の厄払い(笑)、職場アルバイトの忘年会。

65歳雇用止めの戦中生まれのおばちゃん達は宴会芸と聴くとじっとしていられなく、今年は雇用止め前の最後の晴れ舞台である。

戦後生まれの団塊の世代は戦中生まれのパワフルさに憧れはする物のなかなかそんな仲間意識を結束として作り出せない。

進行役を買って出る親睦会の役員でもある40代は仲間意識の大切さを知りつつも、どこかお付き合いで会の準備を進め、年上のおばさま達のひんしゅくを買う。

おそらく後数年もすれば、にぎわいも何もない大人しい、形ばかりのお茶のみ忘年会になるのではと囁かれもしますから、残り少ない仲間の宴を思う存分味わえる貴重な一時と思う僕もやはり役員のひとり。(笑)

そんな宴会芸を一番楽しみにしているのが職場の正規職員でもあり、仕事オンリーの付き合いが当たり前になりつつある昨今、正職とアルバイトの懇親の場という貴重な体験なのかなと思ったりもしています。

おそらく正規職員が一番、仲間意識の薄れが自分たちの職場の存亡の危機であるという危機意識を持っているのだろう。

外部組織の勧告で、合理化指針が示され、秘守義務の適用範囲を狭められ、職場全体、競争入札を指導され、例えば現金取り扱いなどどう考えても秘守義務であるはずの分野でさえ、合理化命令出されるこの頃なのだから。

歳忘れの宴は世間の危険忘れをよそに、仲間意識で自分たちの存在意義を見出したい一部署のささやかな存在証明。

蟻の兵隊は象を脅かせるのか、試される時。

ハワイアンに、ヒゲダンス、よさこい踊りが、死の舞とならぬよう。

  • OhmyNews : 歳忘れの仲間の宴

2007-12-08

火曜日の昼寝 La siesta del martes

先日の死刑執行された人の氏名が公表された事に良い事なのか、悪い事なのか、釈然としない気持ちがあったけれど、その時の新聞記事に寄せられた「氏名公表だけでは不十分」とする犯罪学の菊田幸一明治大名誉教授のコメントを読み、なるほどと思った。

氏は情報公開の一環として「公表するのは当然の事」とした上で、「特に死刑執行前の精神状態については、客観性を確保するために、外部医師による診察をし、その内容を公表していく必要がある。」と語っている。

「裁く」からにはどれだけ客観的に「裁き」が行われたかを公表すべきなのだろう。

南米の作家、ガルシア=マルケスに『火曜日の昼寝』という短編小説がある。罪を犯し、処刑された息子の墓参りにその母が処刑された村に訪れ、息子を罪に導いた社会の罪を告発し、息子の墓参りに向かう話で、真の社会の正義を問うた作品である。

死刑執行された者たちによる社会が被った被害を刑に処せられた者たちがどのように受け止め、裁かれたかを伝えなければ、刑の正当性は確保されないであろうし、罪に導いた社会はどんどん安易に裁きを発動させるだろう。

裁かれた者たちは死に花、曼珠沙華となった。

裁かざる終えない状況に導いた社会がその事から学ばなければならない時なのだろう。

曼珠沙華

2007-12-07

頸椎に湿布薬 an antiinflammatory analgesic plaster to vertebrae cervicales.

最近ずっと凝りというか、こわばりというか、違和感が首の付け根の頸椎まわりにあり、嫌な感じがある。

元々生まれた時にへその緒が首に絡まり、鉗子という器具で母胎から引っ張り出されて生まれたこの身、鉗子のひっかいたかぎ裂きの傷が頸椎そばにあり、そこら辺が疲れてくると重苦しくなるという僕の健康バロメーターでもある。

寒くなってから通うようになった銭湯で肩が中途半端にほぐれたせいか、この頸椎まわりが浮き上がったような違和感が出始め、「爆発」したら嫌だなぁと思うこの頃、昨日、試しに湿布薬を貼ってみた。

湿布薬を貼って数十分。睡魔が襲い、作業部屋の椅子で気がつけば小一時間熟睡。

かなり身体が疲れていたのだろうなぁと思う。

頸椎のこわばりを意識するようになったのは、介護を必要とする脳性麻痺の遠藤さんを記録した映画『えんとこ』の上映会で、遠藤さん自身、来場され、脳性麻痺の二次障碍を聴かされてから。

人間にとって、この首の付け根にある頸椎は生きる要のような物で、昔放送され流行ったテレビ時代劇『必殺仕置人』なんかでこの頸椎当たりをひと突きすれば、人は死ぬという位の人間の急所でもある。

身体の障碍ってよく考えられているもので、このような急所に異常をきたすと、例えば、呼吸困難、例えば脳梗塞など、死なない程度に苦しませる諸行が降りかかり、食物摂取しづらい状況に持ち込まれる。また、怒りなどの過度の興奮で頸椎の緊張は増す。

そうはなりたくないから、頸椎の疲れを気にするのだけど、寒さは特に頸椎を刺激する。

しばらく湿布薬のお世話になりそうな時節。

  • OhmyNews : 頸椎に湿布薬

2007-12-06

雪景色 Snow scene

札幌も遂に雪景色。

先日のコンサートで買った岡林さんのCDの曲を音楽携帯に入れ、聴きながら、街を歩くと、子供の頃の風景が今の風景とオーバーラップする。

果てない雪に立ち尽くして
歩む事さえ通わぬまま
望みも今は、雪に埋もれて
すべての物が、死に絶える時
季節の流れ瞳こらし
命の言葉聴き取るなら
重たい雪の、下ではすでに
息づく緑、囁くように
望みがこの大いなる
命の流れに添うものなら
かなわぬ事が何故あるだろう
実らぬ事が何故あるだろう

「嘆きの淵にある時も」より | iTunes Music Store 岡林信康 - Bear Knuckle Music - 嘆きの淵にある時も

2007-12-05

日本的思考 Japan idea

川上音二郎一座「蘇るオッペケペー」アルバムジャケット

日本の思考には社会的弱者から物を見るという風習があったようで、七福神を「弁天をのぞけばみんなカタワなり」と詠んだ川柳のように、「出来なくなる事」から物を考え、「出来なくなった人」の知恵をシンクタンクとし、『平家物語』の「生者必滅」を物語る琵琶法師や『風林火山』の山本勘助の戦術指南など数多く語り継がれている。店番の置物として知られる「福助」も元々は体の自由が利かない不虞者に店番とさせるというなごりという。

それらを書き並べ、本来の日本の「豊かさ」を紐解いた文献として、花田春兆さんの著書『日本の障害者―その文化史的側面』があり、海外でプレゼンテーションされたビデオをページ化したサイトも残っている。

今ではすっかりアメリカ中心の論理がまかり通っているけれども、戦前日本ではフランス・パリを初めとするヨーロッパ文化に関心が持たれており、舞台化された「恐れを知らぬ川上音二郎一座」でも知られた川上音二郎一座などもフランス・パリで日本人初のレコーディングを1900年に残している。

一口に欧米と云うけれども、向こうでは「頭で考えるヨーロッパと感覚で考えるアメリカ」といわれており、映画などの文化媒体を見るとその文化の違いは一目瞭然でもある。

しかし、我が国日本はそのどちらにも組みしなかったから、非西欧圏から注目を集め、特にヨーロッパ文化に批判的なラテンアメリカの超自然主義者達はこよなく日本を愛し、手本としたと語っている。

日本的思考とは欧米のとかく個別事案に向かいがちなミクロ的視点ではなく、自然観、宇宙観から人間社会を考えていくマクロ的視点であり、そのマクロ的な物を端的に表すのは一人一人の人間であるという物の見方で、先の「出来なくなる事」の知恵の活用がその最たる物でもあるだろう。

ラテンアメリカのフォルクローレの詩人で20世紀の世界の遺産とも云われるアタウアルパ・ユパンキの詩に、こんな語りがある。

私の血の中に走る宇宙の粒子は、天体の力の無限の世界だ。
『インディオの歌(風の歌)』より

ユパンキもまた日本をこよなく愛し、何度も来日している。

経済協力開発機構(OECD)の発表による国際学力調査で総じて、学力低下している日本は本来得意とした分野が「暗記」一辺倒の詰め込み教育で応用力を身につけられなくなった結果だろうし、その事で最も世界に誇った「日本的思考」による生産分野での国際競争力を失う事になるだろう。

温暖化が叫ばれる今日、個別問題のミクロ的視点ではなく、地球規模というマクロ的視点を持ち得た「日本的思考」が望まれているのに。

「日本的思考」の結集であるだろう京都議定書やISO/IEC ガイド71で提案された高齢者及び障碍のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針を提案した日本がちゃんと活用出来るのかどうかが、今後の課題になるだろう。

子供はその時代の鏡であり、子供たちの才能を伸ばす指針を示すのが大人の役目なのだから。

2007-12-04

国民の豊かさ People's richness

12月3日に社会経済生産性本部が発表した2007年版「国民の豊かさの国際比較」によると、日本は経済協力開発機構(OECD)に加盟する30か国のうち、総合順位で7位、「平均経済成長率」と「1人当たりの政府累積債務」では最下位となったという。

「国民の豊かさ」とは何なのかを考えると、単純に昔から云われている「国破れて山河あり」だと思う。

戦後日本は「国」の経済を豊かにするために「山河」を破壊し、公害を生み、病者を作ったのは知られるところで、1970年代、「豊かな社会」の模索は「ディスカバー・ジャパン」より「日本列島改造論」に動き、その頃、作られた年金制度などのセーフティネットも公共社会の蓄財にならずに私欲の道具となってしまい、たかだか40年にも満たずに崩壊の危機に瀕している。

戦争が終わり、平和への希望の時期に生まれた団塊の世代が労働力であった1980年、1990年代は安定成長、バブルとまた盛り返したけれども、その頃、札幌は圧雪の路面ではなく、ヒートアイランドの現れとも云われるアイスバーンの路面に変わっていき、オゾン層の破壊も顕著であると警告を受けていた。

団塊の世代ジュニアが若者となった今日、少子高齢が顕著となり、国家の税収の伸び悩み、過去の借金のふくれ上がりが表面化もし始め、政令指定都市の中では札幌市が最も少子高齢化が進んでおり、夕張の財政破綻、300を越える限界集落が北海道にはある。

いじめを体験した世代が親となり、「子の人権」を語られる今、「私はかばわれなかったのに、この子は何故かばわれるの」とわが子への虐待体験が語られもし、バブル期を知らない若者たちはリストラ、合理化の社会の波に萎縮し、ある者は従順である振りをすれば、生きられる術を身につけ、ある者は不器用さにネットカフェ難民、ニート、ワーキングプアになってしまった。

問題が連鎖し続ける状況は「豊かさ」を「欧米のように」に求めた結果であるだろうし、生活環境の保護を怠った結果でしょう。

温暖化で、米の主産地が本州から北海道に移るかとも云われていますし、秋魚が海水温上昇で南下できずにいる報道もされており、アルプスの麓、アフガン周辺で深刻化している水不足と合わせ、「食の危機」「水戦争」が現実化しようとしている。

日本の「国民の豊かさ」OECD加盟国の中での後退が意味しているものは映画『ダーウィンの悪夢』の進行状況なのかも知れません。

2007-12-03

表裏一体 Consistency

オーマイニュースの「徴兵制」論議を読み、以下をコメント投稿してみた。


自由と拘束、自発性と協調性のバランスの問題のような気もします。

どちらが良い、悪いじゃなく、戦後日本は徴兵制を取らなかったから、今がある。

そこから徴兵制の拘束を体験していない東国原知事の論理の非現実と徴兵制を体験した話のギャップを考えてみたいなぁと思いました。

「教育」という側面でのみ「徴兵制」を語るには自発性の問題もあり、今の社会の問題であるといわわれる「管理されたい心」から見ていけば、「徴兵制」の副作用であるだろう縦社会意識の強まりは更に強まるでしょう。

「徴兵制」がシステムとして協調性を強める役割を果たすなら問題はないですが。

2007-12-02

無防備市民宣言 The defenseless citizens declaration

値上げラッシュの歳末。「年明けのトップニュースは凍死かな」と語る人もおり、灯油高の北国は無防備市民宣言。

  • OhmyNews : 【ざ・ショートニュース】12月5日

2007-12-01

山辺に向かいて for the mountain.

昨晩の岡林日比谷ライブは結局最後まで観てしまった。
「山辺に向かいて」はやはり泣けてくる。

セーフティネット削減、原油高の物価高騰、地域医療の崩壊というご時世、治安の安定を考えるはず法務省の執行された死刑囚の氏名公表を検討などという世間知らずにお役所発想が富者の優越を引き立てる。

戦後日本、いろんな色達が醸し出した豊かさはやはり死滅し、死に花、曼珠沙華だけが咲き誇るのだろうか?

岡林信康「山辺に向かいて」、モラルを求め、自然を破壊する者たちには判らない歌なのかも知れない。

無理矢理冬を生きてた
そんな気持ちがした
何かをひとつの色に 閉じ込めていた
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろう

いろんな顔を見せてよ まだ見ぬ俺の
たやすく決めつけないさ 自分の事を
めぐる生命の音が聞こえる
そいつに乗れば 素敵な事だろう

「山辺に向かいて」より | iTunes Music Store 岡林信康 - Bear Knuckle Music - 山辺に向いて

曼珠沙華

  • iTunes Music Store 岡林信康 - Bear Knuckle Music - 山辺に向いて

2007-11-30

狂い咲き Blooming out of season

誕生日の週になると年の瀬の慌ただしさが動き出す感じなのだけれど、今年もなんか慌ただしい。

昨夜の誕生日プレゼント、岡林信康コンサートの報告をやっと書ける。(笑)

お客の入りは心配していたよりも良かったので、ファンとしても一安心。岡林さんも自嘲気味に「3年前の道新ホールでやっていると思えば満員だ」と開き直りの弁。

やった演目は今晩NHK-BS2で放送になる36年ぶりの日比谷野外大音楽堂の演目を若干いじった程度でほとんど同じと考えていいだろう。

日比谷野外大音楽堂の方の曲目リストは熱心な方のレポートを参照

還暦過ぎた岡林さん、調子が悪いのか、「君に捧げるラブソング」で声がかすれたり、「虹の舟歌」の歌詞を歌い変えたりとちょっと心配になりましたが、客席2列目のど真ん中で見る舞台はやはり最高!

尺八と津軽三味線のバトルとか、韓国のサムルノリの太鼓として知られるチャンゴ 独演などの他、岡林さんによる日本のリズムの特徴、手拍子健康法など相変わらずの関西トークに和みましたけれども。

隣席の女性同士の会話を聴くと、岡林さんに触発されて、ギターを練習したという女学生の頃の想い出話から、音楽があったから自殺せずに若い頃を過ごせたとぽつりと語る彼女たちの人生観が伝わっても来た。

「観客高齢化に備えて、トイレタイムを取りました」と語る岡林さん、「みんなパンパースをしてもなお、集まりましょう」と語っていたけど、日比谷での「36年後、あの世で逢おう」よりはまだマシなお告げかと。

ネットにて、御歌囃子参拝にはコンサート直売のCDを買うお布施が必要と聞いており、末代まで悔やまぬよう、多めにお金を持って、教義の歌の録音されたありがたいCDを懐に、拝んだ岡林舞台。

札幌コンサートのきっかけになったような「御歌囃子ソーラン」では地元よさこいソーランチームの踊りが岡林さん達の前に出て、邪魔だったけれど。

何はともあれ、「祭りという名前の人生」狂い咲かなきゃ咲いた意味などありはしない。

札幌で歌わず、日比谷で歌った「山辺に向いて」聴きたくて、NHK-BS2録画予約する私。

  • 「歌祭り」サード
  • 御歌囃子参上

2007-11-29

お月さま Moon

東国原宮崎知事にして「徴兵制はあっていいと思う」と県民座談会で発言された昨今の若者気質批判。封建日本がどのようなものかを忘れ、自由をはき違える現代世相の中、日本の古謡に隠された秘話をお話ししたい。

お月さまいくつ、十三、七つ、まだ歳ゃ若いな
いつも歳を取らないで、三日月になったり、まん丸になったり

月の初めの三日月様は、眉に似たとよ
姉様の、笑顔に似合う、面眉を

白粉つけて、紅つけて
姿映し見、匂い咲き、映す鏡はなんじゃいな
あれ、十五夜のお月さま

小学生の頃に日本舞踊で習った長唄の「お月さま」。空で覚えている歌詞を書き留めてみたけれど、記憶違いもあるのかなと。

手元にはその時のシングルレコードもあるけれど、デジタル化し、手軽に聴けるようにしたいと思いつつ、月日は流れる。(笑)

月の満ち欠けとお姉様の色町奉公の悲哀を重ね合わせ、お月さまのように年老いて、童女に戻れるよう願ったこの唄もまた人生のはかなさを唄ったもので、舞踊化する時には幼子が化粧支度を見よう見まねでする踊りを演じてみせる。

日本の古謡にはこのような子供の頃から規律に縛り付ける社会に対する「怨」が唄われたものが数多くある。

遊び唄の「お月さまいくつ」が三味線太鼓のお囃子に合わせ、「怨」を募らせる。

規律の中で幼子達を玩ぶ大人たちへの怨み唄を忘れてはならないし、大人を信用してはならない。

今宵、御歌囃子をひっさげての岡林信康さんのコンサート、続いて、明日はNHK-BS2で岡林信康さんのライブ放映。

人間の幸福(ひとよのさいわい)、満喫したいもの。
生きる事は苦しき事ではないはずなのだから。

  • OhmyNews : 長唄「お月さま」に唄われる封建日本への「怨」

2007-11-28

火災報知器 Fire alarm

年の瀬を前に、何かバタバタと業者の家庭訪問が続く。

CATVの業者は電波検査の名目で、テレビ受信をアナログからデジタルへ切り替えたくなるようなデモンストレーションをやり、「デジタル電波に異常はないです」と教えてくれる。

未だにISDNの電話回線が残っており、電話業者をCATVにしようかとも思っていたので、ご希望通り、テレビもデジタルに切り替える事にしたけれども。

そして、家の大家から火災報知器取り付けの連絡を貰い、翌日、火災報知器の業者がやってきて、取り付けていった。

なんとも街のビルの中と同じような風景が自宅にも出来てしまったと思うし、持ち家ならば、余計な出費となっていたのだろうとも思ったりする。

業者の人に帰り際、「音が鳴ったら、どうやって止めるんですか?」と聴いたところ、「音が鳴ったら、止めようとせずに逃げて下さい」との回答。

機械に守られる事になれていない人間は機械を制御しようと考えてしまう。

2007-11-27

1970年代のオイルショックの再来にならないように Do not become reappearance of the oil crisis in 1970's.

このところの原油高は米国のサブプライムモーゲージ(信用度の低い借り手への住宅ローン)危機から始まったドル安から、投資対象が原油に流れ、実質価格よりも高値になってしまった事が一因とも云われており、昨年の暖冬でだぶついた原油の在庫超過を無くすために、備蓄を最小限にして、手元の原油を輸出し、体力をつける方針に転換した石油業界の思惑も絡んだ原油高とも云われているけれど、北海道の石油市場の価格を決めると云われている共同購入大手、コープさっぽろが来月1日より、現行より17円引き上げ、大消費地である札幌でもリットル当たり96円の価格を打ち出してきた。

3、4年前には30円越える位だったのが、実に3倍の価格差を付ける異常事態であるのに、国政レベルでは、対テロの給油審議ばかりが報道され、生活に直結する灯油、ガソリンの高値の問題がさっぱり出てこない。

おそらく報道の怠慢であるのだろうし、まさか、国際貢献を考える議員さん達が生活や経済に直結する議論をしていないわけはないと思うのだけど、1970年代のオイルショックの時はどんな社会状況だったのか、とても気になっており、ネット検索をすると、竹田現照さんという夕張出身の議員さんがその頃かと思われる時、以下の質問されているのを見つけた。

「灯油の値上げ及び売惜しみの防止対策に関する質問主意書」

北海道人だから出来る質問だなぁと思いもしたし、夏の暑い時にいち早く冬場の生活を心配されているのだなぁと当たり前ながら関心もした。

灯油価格がすべての物価に影響を与えるのは日本経済はすでに経験済みであるのだし、高度経済成長も、このドル変動制の後に起こったオイルショックにより、ストップがかかり、安定成長期へとシフトしていく政治が行われた事は現代史を学んだ者は承知しているはずであるから、少子高齢による労働力の減少、温暖化による食物収穫の変化など国民生活を脅かしかねない事案が並ぶ今日、1970年代に巻き起こった社会不安を参考にしつつ、新たなるオイルショックを回避して貰いたいものである。

「戦争の親玉」とも云われる投資理論をいかに制御させ、社会にうまく分配させるか、それのコントロールが機能しなければ、貧困の拡大、治安の悪化、疫病の蔓延などが連鎖して起こるのも歴史は証明しているのだから。

「歴史は繰り返す」政治が無能の証が証明されないよう願いたい。

  • OhmyNews : オイルショックの再来にならないように

2007-11-26

100円灯油 100 yen kerosene

北の限界集落に100円灯油の「死の宣告」国土、国民を愛せぬ政治、平成日本残虐物語。

石油ビジネスもドル紙くず、温暖化食糧難と云うシナリオならば、「不幸の証」にならぬものを。

有難や、有難や。

2007-11-25

宵は待ち Without becoming daybreak

子供の頃、間借りしていた大家さんが日舞の先生で、日本舞踊を少し習ってました。発表会の舞台に立ちたくなくて、すぐ止めてしまったけれど。

習った曲は『宵は待ち』という曲と子守歌としても有名な『お月様』

宵は待ち そして恨みて 暁の 別れの鶏と
皆人の 憎まれ口な あれ啼くわいな
聞かせともなき 耳に手を 鐘は上野か 浅草か

「一夜の夢を終わらせる明けの鐘よ、鳴らないでおくれ」という浮き世の無常を歌った『宵は待ち』を始めに教わったお陰で、こんなませた親父になりました。(笑)

歳を取っても夜明けは辛いけど。。。

2007-11-24

凝りほぐし Stiff neck is untied.

今日は今年最後の有給消化日。

フィターズのありがとうパレードも見に行きたかったけれど、この頃通っている銭湯に今日も出かけ、電気風呂で肩の凝りをほぐしてきた。

持病の脳性マヒの二次障碍としての頸椎ヘルニアも気に掛かるし、この頃は肩こりからだろうと思うけど、のどの渇きのような感じがよくあり、まずは肩の凝りをほぐす術を捜していたから。

びりびり響く電気風呂の効果は良好で肩こりから来る血行不良は一時的にせよ、まずは解消された。

生まれつきの首筋から手首にかけての不随運動があるのですぐ凝りはもどるけど、凝りがひどくなるのを防ぐ事は出来る。

肩こり、腰痛は全身から来るものでもあるらしいので、歩き方、姿勢なども気にすべきなのだけど。

この間、ようやく歯医者の治療が終わったから、次は肩こり治療と健康に気を配ってみる。

とこんな事をパソコンに向かい、文字打ちするのもほどほどが肝心なのだけど。(笑)

2007-11-23

しょんがいな Syongaina

昨今の「勤労感謝」は勤労できる事に感謝であるらしいく、勤労を感謝されるではないらしい。

新聞のコラム欄にも勤労に関する法律の改正の話題として、雇用側の都合が大きく盛り込まれたらしい。

丸い地球を四角いハコに詰め込んで
誰に贈るか、冷え込む土地

あぁ、しょんがな。

と勝手に作った戯れ歌ゴメン。

「しょんがいな」の本歌は「梅は咲いたか」の「しょんがい節」

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳やなよなよ風しだい
山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな

あさりゃ取れたか はまぐりまだかいな
あわびくよくよ 片思い
さざえは臨機で つのばっかりしょんがいな

「破れ傘」という小粋な戯れ歌もある。

破れ障子に破れ傘
コレサ 雨漏る月が漏る
しょんがいな しょんがいな

破れかぶれの新所帯
あても無ければ 金も無し
切れる気も無し
しょんがいな しょんがいな しょんがいな

とりとして、岡林信康さんの「陽炎情話」をご紹介。

花を咲かせて 又散らす
見えぬ手よ 真なら
連れてゆきゃんせ どこまでも
この命 あずけたや

ああ しょんがいな

燃えて切なや 限りある
この命 愛おしや
叶うものなら咲き乱れ
散る日まで抱き合うて

ああ しょんがいな

2007-11-22

今日まで、そして、明日から to today and from tomorrow

天気予報

市民メディアニュースに来年没後25年になる寺山修司の舞台三作を書こうと思いつつ、このところの本質無視、エピソード固執の偏執軍団に関わりたくないなぁと二の足となるこの頃。

「歴史は沈黙する」とはこのような集団的無関心から広まっていくのだろうね。

レンタルビデオ屋のビデオテープ処分もだんだん進み、DVD化されていない作品でもレンタル率の回転悪いものが処分されているようで、この夏からのビデオ借りまくりをやっていて良かったと思いもする。

この冬初の寒波も結構長く居座り、4日目。

天気予報を見るとやっと明日には真冬日から解放されるみたい。

今日まで、そして、明日から

時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

吉田拓郎の歌を思い出す。

2007-11-21

不毛の時代 Barren age

何か得るものあるかと思い、市民メディアのネットニュースの記者の方と議論を重ねてみたけれど、潜入観念の感情論か、もしくは誘導タイプの工作員のような方。

昔、テレビドラマ全盛期に倉本聰、向田邦子、山田太一が作品で競ったような腕の磨き合いなど期待できるはずもなく、コメント利用して、あら探しのつぶし合い。

少なくともネットを活用して、情報発信しようとする意欲ある方がなんでかなと思ってしまうし、ネット活用をそんな手段にしか使えない貧弱さが情けなくもなる。

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、この国は権力頼みのか細い糸にぶら下がる餓鬼世界になってしまったのだろうか?

善き人に巡り会いたいし、時間の無駄は避けたいもの。

2007-11-20

銭湯極楽 Public bath paradise

この冬、初めての寒波が押し寄せ、札幌もプラス気温にならない真冬日の日、近くの郊外型銭湯に昼のオープンと同時に行ってみると、団塊の世代で、定年を迎えられた方達だろうか、大勢、寒さをしのぐために、銭湯に入りに来ていた。

脱衣室で聞こえてくるその団塊の世代の会話がどうにも世相を語っているようで、面白く、その会話をメモしてみた。

「昔は人生60年と云ってたけど、今は80歳だろう?男で平均75か?おまけの人生として、こうして風呂に入れるんだから、ありがたいわな。」

「今、灯油も高いしな」

「灯油もどこまで高くなるんだろうな。稼いでいた頃と違って、年金で遣り繰りしなきゃなんないんだから、まったく厳しいよ」

「家で風呂わかしたら、水道代もかかるし、風呂場も寒いから、ここに来るのが一番さ」

「昔なんか、近所の銭湯に風呂入りに行ったら、帰り、髪の毛が凍って、バリバリになったりしたけど、今はここで風呂上がりにくつろいで帰れるから、いい時代って云えば、いい時代だけどな」

敗戦直後の物のない時代に生まれ、高度経済成長を担わされてきた方達は、ある人は足を患い、ある人は胸を切り裂き、人生60年を過ごしてこられたのだろう。

浴室内にあり、ジャグジー風呂は入浴する人であふれ、ちょっと痛みを感じる電気風呂は誰も入っていない。

「昼寝していて、目が覚めたから、来たのよ。あんまり早くても一杯引っかけるわけにもいかなくなるけどなぁ。」

昼からお酒の罪悪感を犯す事も出来ずにいる律儀な、それでいてやんちゃな、親父たちの語らいが風呂場にこだましていた。

長湯でのぼせ、湯船に沈む人とか、風呂上がり、足を取られて、タイルに頭を打つ人とかもいらっしゃるので、ほどほどの銭湯極楽、まずは楽しんで下さいと思うとともに、この平穏な日々がかき乱される事のないように。

10数年後、私もこんな銭湯極楽を味わい続けたくもありますが。

  • OhmyNews : 銭湯で極楽極楽

2007-11-19

2007-11-18

笠智衆 Chishu Ryu

来春、没後15年を迎える笠智衆の晩年のドラマ、倉本聰の『波の盆』と山田太一の『冬構え』を見直したけど、ライターの腕を競い合った倉本聰、山田太一では山田太一の方がやはりうまいなぁ。

在米日本人の太平洋戦争を描いた『波の盆』、死出の旅をする『冬構え』、晩年の笠智衆はこの国の老いの寂しさを演じ続けた人だけど、『冬構え』の老人の寂しさはつらくなるほど切ない。

田中絹代と戦時中に暮らした樺太・真岡へ帰ろうと今はなき、樺太行きの船が出ていた小樽の街をさまよう『幻の町』もビデオ復刻を是非望みたい。

最晩年、黒澤明監督の『夢』の一話「水車のある村」で自然を尊び、生きながらえた事に感謝し、生きる老人の姿は他の挿話で繰り返される争いの末路が如何に愚かなのかを演じ尽くしていた。

この好々爺も太平洋戦争時には「お国のため」の正しさを演じ、説き続けた事を思うと、あの飄々とした演技の底には懺悔があり、老いの天罰をひたすらまじめに受け止めたのではないかとも思われる。

「今の若い人には戦争の話なんか興味ないでしょう」

そう語りつつも、語りたがった老人であり、持ち金をばらまき、死のうとして、死にきれず、若き日の友達たちを訪ね歩く老人でもあった笠智衆演じる老人の寂しさを今一度噛みしめてみたいとも思ったりする。

「生きるのも、死ぬのも辛いものです」

あなたの歩んだ道をこれから歩む身として。

  • OhmyNews : 生きる辛さを演じた笠智衆を思う

2007-11-17

南郷の湯 Nango no Yu

こないだまでこの時期としては暖かな小春日和が続いていたのが、ここ数日は寒気が入ってきた影響で、小雪が降る肌寒い日。

身体の疲れも感じるので、じっくりお風呂につかりたくもなり、近場に数年前にバス会社が自社営業所跡地に作られた郊外型銭湯に行ってみた。

噂に違わぬ、その銭湯は昼から混雑しており、年配の方が多い。この方々、もしかして団塊の世代かしらなどと思いつつ、内風呂にあるジェットバス、電気風呂、それに露天の檜風呂に、天然石のイオン風呂と風呂三昧。

特に電気風呂は凝りのある箇所はびりびりしびれ、何だか身体によさそう。

長湯は血液の濃度を高めるとも云うから、ほどほどにしつつ、日頃の疲れを癒したり。

これからの季節、雪見風呂なんて云う楽しみもあるから、少し通おうかとも。

生きる楽しみが癒しにあるとは、我ながら、年取ったと思ったりして。(笑)

2007-11-16

黒い太陽七三一 Men Behind the Sun

母鹿が突然、死ぬ内容が子どもに恐怖体験を与えるとして、ディズニー映画『バンビ』までノミネートさせ、ユニークな選出が話題となったアメリカTIME誌のホラー映画ベスト25にランクインされた『黒い太陽七三一』、レンタルビデオにあったので、借りてきてみた。

この作品、連作されたようで、日本では三本ビデオ化されている。世評としては一作目が名作、二作目は佳作、三作目は駄作といわれているらしい。

三本とも借りてみたのだけれど、おそらく一本目のヒットによる便乗の二、三作に比べても、確かに一作目は凄い。

731部隊の石井四郎中将の医者としての勉学意欲が兵隊たちを巻き込み、中国、朝鮮、韓国、ロシアの人々にありとあらゆる手段で行われる人体実験の模様を描く描写は細菌兵器製造という到着点に向かい、ひた走ろうとし、敗戦で中座せざるえなくなり、証拠隠滅に大虐殺を行う。

人間に対する残虐描写はこのところのマスコミ報道で感覚麻痺してしまい、抵抗感が少なかったけれど、ネズミの大群が猫をかみ殺すシーンはすさまじい。

昨今、動物虐待で、もっとむごい動物虐待が行われていると報道される事件なんか、虐待する者もおそらく返り血を浴びているのだろう。

映画『黒い太陽七三一』に関してはYouTubeでも数多く動画が公開されているけれど、ネズミの大群が猫をかみ殺すシーンはさすがに公開許可されていないみたい。

理性を持ち、自制を失った人間が何をするのか、ホラー映画の基本を踏まえたこの映画は国家とか、組織の皮を被った人間たちの悲劇であり、警告だろう。

歴史は未来への道標。反面教師にしなければ、歴史は繰り返すだろうし、昔、そのような残虐行為はなかったと擁護するならば、どのような状況において、人間は残虐な行為をするのか学んだ事にはならず、残虐な事件が報道され続ける今の状況認識を見誤る事になるだろう。

看守と囚人の役割分担を言いつけられたアルバイトたちが本気で憎み合い始める映画「es[エス]」の元になったスタンフォード大学心理学部の実験と同じく、この歴史的な出来事を描いた映画から人間の本質の恐ろしさを今一度、学ぶべきだろう。

2007-11-15

地域高齢化記念かしら Is it commemoration of a senior citizen increase of the regional?

都道府県ごと 記念貨幣を発行するとか。

地域高齢化記念かしら?

国庫で寂しく眠る2000円札の仲間を増やす愚策としか思えない財務省のエリートの頭の中って、安定成長期なのだろうか?

都道府県ごと 記念貨幣、途中で頓挫などという恥の上塗りにならぬよう。

記念貨幣は歴史の証拠に残るものですから。

2007-11-14

読者の声 Reader's voice

先日、購読している地元紙の「読者の声」に中学生の方から、「広辞苑に『うざい』を載せないで」という投稿文が掲載されていた。

たやすく人を傷つける『うざい』という言葉を自分も安易に使ってきた経験を語り、広辞苑に載せる事に抵抗を感じるという内容の記事だったけど、中学生の方が自分の云いたい事を文章として伝えようと苦心された生の文体が久々新鮮だった。

市民記者の書いた記事をメインとするとされる市民ジャーナリズムに投稿している身としては、既存マスメディアが欠かさずに掲載し続けている「読者の声」の原文主義はやはり羨ましく思えてくる。

また、コメント重視のような市民ジャーナリズムのまんねりもいささか飽きてきており、討論が必要な物と情報として残す物の区分けも必要なのじゃないだろうか?

「情報が確保されていれば、利用者がその真偽を確かめる手段となりうる」とされるアクセシビリティ(利用可能)の理論にも合致するだろうし、情報に対する補足資料を提示する手段としてのリンクの活用などで、その情報を深めていく双方向性が残念ながら、日本にはなかなか根付きにくい。

少しは知識がある映画の話で説明していけば、例えばアメリカの映画データベースThe Internet Movie Database (IMDb)と日本でよく知られているとされるallcinemaを比べるとよく判るのだけど、データベースとして、資料価値を高めようとするIMDbとそれぞれの感想で埋めようとするallcinemaの違いがはっきり判ると思う。

生の文体を一律の文体にしてしまい、書き手の味を殺してしまう編集法と掲載された記事に対する小姑的なコメントはやはり利用者にとっては余計なお世話であるだろう。

DVDの画質などの復刻状況が知りたいのに、それぞれの感想を書きたがる大きなお世話。

それは人が何を求めているかへの関心なのだろうし、何を伝えたいかという事なのだろう。

日本人がデータベースに弱いとずっと云われ続けているけれど、おそらくそれはコミニティに対する誤解であるだろうし、民主主義に対する無理解なのだろう。

「読者の声」の大切さ、それは「不虞は福」として、人が困っている事を知ろうとし続けた日本の美学でもあるのじゃないだろうか?

  • OhmyNews : 「読者の声」の大切さ

2007-11-13

オイルショックにならないように。 Do not become oil crisis.

安倍前首相、はって登場かと思いきや、お情け報道だったのね。

新テロ法案「衆院通過に安心」とかのご感想。

北国の庶民は年末にはリットル100円になるかと噂されている灯油価格の動向に不安だというのに。

海上自衛隊の給油が国際社会から期待されている大切な活動かなんか知らないけれど、ガソリン、灯油は国民生活の景気動向を左右する問題。

まだ幼かった時代のオイルショックがどんなんだったか、気になるところ。

語り継がれなく、忘れっぽい庶民の歴史こそ、語り継いで欲しいとつくづく思うのだけど。

2007-11-12

ご紹介 Introduction

記事が載るたびに、参加メーリングリストで口コミを流すのだけど、今回はそれをご紹介。

今月末、11月30日(金)午後10時30分よりNHK-BS2にて、
岡林信康 ライブ in 日比谷野外音楽堂 36年振りの野音(仮)
放送されるなど、活発に活動されだした岡林信康さん。

この春に刊行された絵本『ぼくの村は美しい国 竜太の日記』では「人間の幸福(ひとよのさいわい)」として農村での実体験を絵本にして、21世紀の子供たちに伝えたい物を綴られていました。

背帯でビートたけしが「いまに食うものがなくなる日がくる。その時、泣きながら、この絵本を読もう」と世間に対し、皮肉まじりに推薦されるこの本。

温暖化で、本州の米の実入りが悪いとか、海水温上昇で、秋魚がいまだに北海道近海にいるなど生態系の深刻さが報道される今日、ある意味、リアルな本なんじゃないかと紹介してみました。

ラオス帰りの知人が都心で飢え死にしたりする「日本」の国庫はどうなっちゃったの?とも語ってましたが、「人間の幸福(ひとよのさいわい)」を忘れたところに今の繁栄があるのかも知れませんね。

そのうち、お金はあるのに買う物がなくなるシュールリアリズムな世界になるかも知れませんね。

本来の日本の美しさ、思い出したいです。

「ohmynews : フォークの神様の絵本に感動 岡林信康さんの胸にしみる言葉」

2007-11-11

祈りの朝 Morning of prayer

岡林信康さんが阪神淡路の震災の時に吹き込んだ歌だとか。

シングルのみなので、未聴だったのだけど、聴きたくなり、ヤフオクで落札。

悲しみの夜よ 闇に抱かれて1人
この胸の痛みは いつまで続くか
二度と戻れない 深い闇の底まで
崩れゆくそのとき ささやくあの声

あなたの内なる 確かな力を
信じてその手に すべてを預けよ

したたる血潮は やがて乾き始める
裂かれた傷口も いつか閉じてゆく
悲しみは人を 冷たく打つけれども
恵みの雨のように 豊かに育てる

あなたの内なる 確かな力を
信じてその手に すべてを預けよ

2007-11-10

ジャンジャン横丁を下って It goes along a Jan Jan street.

この景色が好きだなぁ。

岡林信康 ライブ in 日比谷野外音楽堂 36年振りの野音(仮)
NHK-BS2 11月30日(金)午後10:30~午前0:00

「自由への長い旅」巡り会えるといいね。

YouTube - ジャンジャン横丁を下って

国会議員1人当たり経費約3億円とか、一生暮らせる額だね。

2007-11-09

川柳連句 Purple willow couplet

  • 騒ぐ事ない、騒ぐ人は、凍える人
  • 原油高、地位協定で、燃料倹約
  • 温暖化、生き物たちは、北へ向かう
  • 雪国を、忘れた人の、政策談義
  • 米国に、如何に尽くすか、国会審議

2007-11-08

百年の孤独 Cien Anos de Soledad

レンタルビデオ屋にタゲレオ出版のビデオ一群がコーナー化され、置かれてあり、知っている作品も何本かあるけど、ほとんどが知らない物ばかり。

寺山修司が主催していた実験演劇室「天井桟敷」の舞台公演の記録をまとめたUPLINKのものが同じコーナーにまとまって置かれてあったので、まずはそれを借りてきた。

常識をひっくり返し眺める人、寺山修司が亡くなって、来年で25年。

実験演劇室「天井桟敷」の最後の公演としても知られるガルシア=マルケス原作『百年の孤独』から見始める。

ひとつの村で起こる4つの物語が5つに分けられた舞台で同時進行するこの物語は、観客は全体を見渡すことができず、その村の一部をのぞき見る舞台構成となった前衛芝居。

歴史を俯瞰するはずの観客にしても歴史の全容など判るわけがないというモチーフに沿い、「のぞき見る」共犯者として観客を舞台(歴史)に引きずり込む寺山の陰謀でもある。

生まれた時から死んでいた淫売女が叫ぶ「百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる」

「今日も元気で死んでいます」と冥途から届く手紙。

「うるさくてゆっくり死ねもしない」と怒る死に人。

寺山のお得意のこの世とあの世、過去の未来の時空を越えたキーワードが飛び交い、今に固執する現代人を笑い飛ばす。

寺山が今生きていたら、あの世の言葉を語っているのかも知れない。

いやいや、あの世からこの世をのぞき見、「百年の孤独」のセリフをつぶやき続けているのかも知れない。

「早く死んで、逢いに来て下さい。」と。

『書を捨てよ、町に出よう』
理詰めの世の中、あの世なら、この世の愚かさが見えるのかも知れない。

2007-11-07

さよならだけが人生だ Only the goodbye is a life.

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

井伏鱒二の訳詩で有名な唐(618-907)の于武陵[うぶりょう](810-?) が作った「勧酒」と題する五言絶句。原文を記すとこうなる。

勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

昨日、昔からの友達と昼をご一緒し、この夏に亡くなった友人の話となり、この漢詩を思い出した。

亡くなった友達は自営で請負の仕事を行っていたけれど、成人となった息子に技術を教えつつ、仕事をこなしていたという。

奥さんは仕事の経理をしていたけれど、受注、見積もりなどは友達が全部仕切っていたという。

その友達が急死し、一手に仕事の内実を仕切っていた人がいなくなり、奥さんと息子さんは初めて、仕事の内実を知り、息子さんが後を継ごうとした決意も無理と判断されたらしい。

人の良い友達は長い付き合いの企業から安く仕事を請け負い、数をこなさなければ会社経営が成り立たない状況を自ら作ってしまったため、過労が溜まり、くも膜下出血で倒れられた。

葬儀を終え、引き継ぐ事を表明していた息子さんの携帯には仕事の依頼の電話が殺到し、ちゃんと引き継ぎもしていない息子さんも何から手をつけていいか判らない状態。

このまま、仕事を続けると友人の二の舞にもなりかねない状況で、店をたたむ事にしたらしい。

奥さんは息子さんを出産の時に骨盤を痛め、歩くのもままならないけれど、障害年金の対象外の障害4級でしかなく、50代半ばで亡くなった友人の遺族年金も減額対象でもあるという。

幸い、自営ながら従業員数の条件緩和で国民保険から社会保険に切り替えてあったのが救いといえば救いだけれど。

まだまだ元気で働けると誰もが思いたいのが人情だけど、元気なうちに元気な自分を愛おしみ、自分がいなくなっても家族が困らない「ゆとり」を持つ大切さを感じてしまう。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

友との語らいはそれゆえ、大切なのだろう。

2007-11-06

イルカの日 Day of The Dolphin

1973年、僕が中学の頃の映画。

ふとした事から観たくなり、DVD化されていないか調べるとなっていないんですね。

アメリカではとっくになっているのに、かつてのソフト大国我が日本はこんな名画すらDVDする気もないらしい。

映画の内容はイルカに人間の言葉を教える学者が政治利用され、大統領暗殺のため、イルカを拉致されるという話。

怪しげな人間が実は味方であり、実力者が陰謀家という定石を踏まえながら、ラストの学者とイルカの感動的な別れとなる。

「人間、ない事、云う」

言葉を話すイルカの口癖は人間誰もがとっくに知っており、カマ掛け合う化かし合い繰り返すのに、組織化された物にはいつもも化かされる。

イルカに言葉を教えた学者は何故イルカが話せるようになったかを「私とコミュニケーション取りたいから」「海に帰れば人間の言葉を忘れる」と説明するけど、元々言葉はそういう物かも知れない。

ニクソンショックからベトナム戦争の混乱の影、身近では韓国金大中拉致事件、南米チリの軍事クーデターなどアメリカドルが化け始めた時代、オイルショックで物価は高騰する一方、政界ではロッキード疑惑で札束が実弾として飛び交った時代、映画『イルカの日』は公開された。

今、DVDで気楽に観られない名作映画群を拾っていくとこのような政治的な映画がDVDになっていないような気もする。

不思議と映画『イルカの日』のサントラは廃盤されることなく出ていて、映画業界の怠慢なのかも知れないけれど、社会的役割を忘れたところに無意識の情報操作があるようにも思えてくる。

2007-11-05

クーデターでなくて良かった Because it was not a revolt of the country, it was relieved.

小澤、福田劇場、クーデターでなくて良かった。
やはり密室は怖い。
長い政治歴でもついついはまるのだろう。
これから見入り寂しくなる政治商売、
幾多の国と同じく国売りクーデターが起こらなきゃいいけど。
朝、目覚めればクーデター。
ドキュメント映画『戒厳令下チリ潜入記』観たばかりなので、なおのこと思う。

YouTube - Acta General de Chile

2007-11-04

ウェブページの使いやすさ Convenience of web page

少し時間がとれたので、10月に公開されたオーマイニュースのスタイルシートをプリントし、読んでみた。

記事編集における書き換え例を示したこのスタイルシートを一通り読み終え、ウェブアクセシビティの指針にかなり近いと感じたのは筆者だけだろうか。

文章の判りやすさの配慮

オーマイニュースのスタイルシートに示された物は「読んで判る」に主眼が置かれているように感じるけれども、これはウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 1.0やJIS X8341でも同様の指摘がなされており、文章の判りやすさの配慮がウェブコンテンツ・アクセシビリティ、略してウェブアクセシビティの基本でもある。

それは読者である利用者への配慮の第一が情報でもある文章にあるという事で、見栄えに目が行きがちなページというコンテンツにとって、そこに書かれている文章こそが利用者の求めるものという大前提であり、その配慮を求める事が「利用可能」(アクセシブル)であるとされている。

ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 1.0では14の指針として、以下の項目が示されている。

  1. 聞くための内容や見るための内容には、同等の役割を果たす代わりのものを提供する
  2. 色だけに依存しない
  3. 正しくタグ付けし、適切にスタイルシートを使う
  4. 自然言語の取り扱い方に関する情報を明確に示す
  5. うまく変換されるテーブルを作る
  6. 新しい技術を利用したページは、うまく変換されるようにしておく
  7. 時間とともに変化する内容については、ユーザーが制御できるようにする
  8. ページ中に組み込まれたもののユーザーインターフェイスは、それ自体がアクセシブルなものにする
  9. 装置に依存しないように設計する
  10. 暫定的な解決策をとる
  11. W3Cのテクノロジーとガイドラインを使用する
  12. 前後関係や位置を表す情報を提供する
  13. はっきりとわかるナビゲーションのための仕組を提供する
  14. 文書は明瞭で簡潔なものにする

しかし、マルチメディアの急激な普及でガイドラインも2.0のワーキングドラフトが検討され[WCAG 2.0 ラストコール・ワーキングドラフト]、近々勧告されるはずである。

2.0のワーキングドラフトでは14の指針で散漫になっていた項目を整理し、更に拡張されそうなコンテンツに対しては、そのコンテンツの提供元がアクセシビリティ・ガイドラインを示す責任を織り込んだ物となっており、整理されたポイントは以下の4点にまとめられている。

  • 原則1:コンテンツは知覚できなければならない
  • 原則2:コンテンツのインターフェイス要素は操作可能でなければならない
  • 原則3:コンテンツとコントロールは理解可能でなければならない
  • 原則4:コンテンツは現在および将来のユーザーエージェント(支援技術を含む)での利用に耐えるものでなければならない

更に、日本の視覚障害者用ウェブ利用ソフトの機能調査では視覚障害者用ソフトの問題点などもまとめられている。

ウェブアクセシビティとは

ウェブアクセシビティとはウェブを閲覧するウェブブラウザ(Internet Explorer,Netscape,Mozilla Firefoxなど)を提供する企業間でシェア争いが行われた俗に言うブラウザ戦争で、オペレーションなどの環境を問わない文章閲覧を実現すべく、ウェブ開発時に定められたマークアップ定義がどんどん拡大解釈されていく事に対し、それを是正すべくマークアップ定義を管理しているW3Cが勧告したHTML4.01に織り込まれたもので、WindowsやMac、Linuxなどのオペレーションのみならず、余計な画像など表示させずにウェブの情報を収集するテキストブラウザや主に視覚障碍の方達が使っているスクリーンリーダなどウェブの情報を利用者に判るように表示、読み上げさせるユーザエージェントも視野に入れ、「利用可能」(アクセシブル)な環境の実現を定義したものである。

記事など書かれた文章はまずコンピューターで理解出来るようにマークアップ言語というプログラムで加工されるのだけれども、このマークアップ言語に沿ったHTMLの記述が的確でなければ、その文章は単なる文字の羅列であり、コンピューターでは理解した事にはならないので、まずはHTMLのマークアップ定義をきちんと理解して欲しいというところからウェブアクセシビティは始まるのだけれども、ウェブブラウザではマークアップ定義をきちんと理解していなくてもそれなりに体裁整えれば、見せる事は可能なので、マークアップ定義によるコンピューターの認識の重要性が大きくなってくる。

コンピューターの認識を軽視するとマークアップ定義に沿って、表示、読み上げるユーザーエージェントでは単なる棒読み、羅列表示になってしまい、そこに書かれている情報を再活用する術を得られにくくしてしまう。

それは例えば、新聞などでの見出しの流し読みなど何げに行っている使い勝手のコンピューターへの応用でもあるし、マークアップ定義をする事で情報とデザインの分離という技術も楽に出来るようにもなる。

情報とデザインを分離する事により、提供元から示された固定されたデザインでは使いにくい環境でのカスタマイズも可能となり、色合いにおける見にくさや文字サイズの変更なども容易に出来、情報が受け取れないと云うリスクの回避にもなり得る。

いい事尽くめのように思えるアクセシビリティの配慮もコンテンツの著作保護から考えると著作権が守られないという問題もあり、「公共の資産」と「私的な資産」の棲み分けも問題となっても来ている。

とあるレコード店の方が、著作保護がうるさすぎて、宣伝も出来ないとこぼしていた事もあり、「公共の資産」の中で「私的な資産」がどのように確保されるべきかは更に問題になるだろう。

なお、アクセシビリティをチェックするサイトやソフトも年々増える傾向にあり、有名なところでは御本家W3Cのマークアップチェック(The W3C Markup Validation Service)の他、ソースエラーを採点し、解説してくれるAnother HTML-lint gateway、各種ツールを提供する『infoaxia(インフォアクシア)』などがある。

ちなみにオーマイニュースのページはAnother HTML-lint gatewayでチェックすると-105点「がんばりましょう」と採点されてしまうのだけど。

  • OhmyNews : ウェブページの使いやすさ

2007-11-03

縦割り意識 Consciousness of vertical division

先頃のエスカレーター事故の教訓を受け、職場で点検を行い、不備が見つかり、担当の部署に先週修理を依頼したのに、今週再点検で直っていなかった。

上司に報告したところ、修理指示を出しているんだから、再度催促する事はないと云われはしたものの他の担当からも指摘受け、結局担当の部署にお伺いを立てるとエスカレーター業者に修理しに来るように手配済みとは云われたものの、それならうちの部署に何故、報告ないのかと困惑してしまった。

急ぐ修理ではないと判断されたようだけど、どうもお役所並みの縦割り意識が鼻につく。

危機意識の欠如はこんな感じで広がっているのだろうか?

2007-11-02

初雪の日 Day of first snow of the season

と記録しておくけど、残念ながら見逃してしまった。

朝から少し寒くは感じていたのだけれど。

今日からTSUTAYAが半額週間に入ったので、リストアップした作品をレンタルし、金曜恒例の友人のカプセルホテルへ昼寝に向かう。

カプセルホテルの傍にて職場で仲良くしていただいているゴッド姉様に遭遇。

先日ニュースで読んだうちの職場の合理化が人事勧告により具体化しそうだよと教えてあげる。すぐにどうこうはないだろうけど、ここ数年が山だろうか。

カプセルホテルに入り、前から気になっていたコインランドリーの値段を確認。母が腰を痛めたため、洗濯の事も気にしなければならない。

今日はカプセルの宿泊客で咳き込む人がいる。インフルエンザが流行っていると聴くけど、こういう場所だとよく判る。

給油より、ガソリン価格、安定望む

国民こそが国益だろうに。

  • OhmyNews : 初雪の日

2007-11-01

アカルイミライ 世代間格差から生活格差へ The bright future

新聞コラムに世代間ギャップ(世代間格差)に関する記事が載っており、戦争体験者の親たちと高度成長下の子供たちの世代間ギャップよりも団塊の世代と今の子供たちの世代間ギャップは少ないはずだけど、実際には世代間ギャップが大きいという指摘がされており、戦後から現代を少し考察してみた。

戦争という社会の共通体験で、これまた共通認識である「あんな思いは沢山」という気持ちが戦後教育になったのだろうけど、敗戦直後の教科書の墨塗りを屈辱として記憶ある方もあれば、その後の教科書のないプリントによる自由教育での「出来る子と出来ない子」の格差に屈辱を感じた者もいたようで、その後の教科書重視の教育政策に大きく影響を与えたのだろう。

足並みそろえるはずの教科書重視がいつの間にか教科書絶対に変わり、記憶力が問われる地理や答えがひとつであり、解き方が無数にある数学ならば問題ないにしても、読みこなしの国語、自然現象を知る理科、正しさの勢力争いの流れを知る歴史などになってくると「ひとつの見方」しか示せない教科書の弊害は自ずと出てくる。

更に戦争体験者の親たちが善意に語り継がなかった戦争秘話も「ひとつの見方」に拍車を掛けてしまったのだろうし、高度成長下の子供たちの親との親密度が更にその子供たちである今の子供らに如何に受け継がれたかという問題も出てくるだろう。

高度成長下の子供たちである我々が「繁栄」という時代に育ったために「飢餓」に関する認識が甘いというのもあるだろうし、「繁栄」の下、人の繋がりが稀薄となり、いじめでも、虐待でも限度を知らなくなってきている。

校内暴力の頃から始まったという休み時間、教師が廊下に立ち、子供たちの安全を見守るというのは、監視される子供たちを生み出したろうし、若い母親が「私の時はかばわれなかったのに、この子は何故かばわれるの」と我が子を虐待する告白話も今は聴かれる。

平和な時代を過ごし、世代間格差が少ないはずの現代、戦後という平和な時代がどれだけ生活格差を作り出したのかが、今、顕著になってきているのだろう。

今の流行り言葉に「シュガー社員」というのがあるそうだけど、うちの職場にもアルバイト学生でそういう輩は確かにいる。

人混みが嫌だから辞める。土日は仕事をしたくない。出勤日数イエローカードを乗り切ったから、また休む。

こんな我が儘が増える現代、少子化による労働力減少で「これからは女性の社会進出なくして、社会は成り立たない」と外国労働者を嫌がる財界諸氏のPRもあるという。

女性の社会進出を煽るのは結構だけど、少子化問題、温暖化問題を真剣に考えている?と疑いたくもなる。

因果関係を忘れた丸暗記の罠が亡国、人類滅亡の「アカルイミライ」を作るのかも知れない。

  • OhmyNews : アカルイミライ 世代間格差から生活格差へ

2007-10-31

正しさは軽蔑だけしかいだけない only contempt for other

中島みゆき嬢の新譜『I Love You 答えてくれ』

歌を聴いているとネット論争をご覧になっているのかと思ってしまう。
「負けるが勝ち」を教えられて育った身にはごもっともと云うしかない。

「その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」

「(正しさは)軽蔑だけしかいだけない」

「Nobody is Right」より

「言葉なんて迫力がない 言葉なんて、なんて弱いんだろう」

「ボディ・トーク」より

「愛さずにいられない馬鹿もいる
受け取ったと答えて欲しいだけさ」

「I Love You 答えてくれ」より

YouTube - 中島みゆき「I Love You,答えてくれ」

2007-10-30

フリッツ・ラング Fritz Lang

OhmyNews : 「死」は刑ではなく、「死の恐怖」が刑である」、かなり前に書いた記事が載りまして、「正義」を信じる方が反論されている。

戦前ドイツの話を映画監督フリッツ・ラングを通して、語ってみた方がいいのかなと思ったり。


昨年から今年に掛けて、戦前ドイツを代表する映画監督フリッツ・ラングのドイツ時代の作品が、紀伊国屋書店による丁寧な復刻作業でDVD化され、映画ファンの間で話題になっている。

第一次世界大戦での敗北、アメリカから始まった金融恐慌など先行き見えない閉塞感に包まれたドイツでナチスの前身である「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会」(Freier Ausschuss fu"r einen deutschen Arbeiterfrieden) がドイツのブレーメンで結成されたのが、1918年初頭。同じ頃にユダヤ人を母に持つフリッツ・ラングも当時持て囃された「表現主義」という形式で映画制作に取り組み始めていた。

1921年の『死滅の谷』(DER MUDE TOD)は人を死なせるのに疲れ果てた死に神の物語を通し、その後、終生のテーマとなる「逆らう事の出来ない宿命に負けるのを覚悟で闘う人間たち」を描き切った。

続く1922年の『ドクトル・マブゼ』は二部構成四時間にも及ぶ犯罪を題材にしたサイレント映画だが、ラング自身、映画の中でマブゼ博士に「愛などではありません。欲望があるだけです!幸福などはありません。権力への意志があるだけです。」と語らせ、博打を遊技として見せ、非人間的な人間を描きあげる事で、1922年という時代を映しあげたと云われている。

そして、1924年に当時の奥方で、後にナチズムに傾倒していくテア・フォン・ハルボウと脚本を書き上げたゲルマン神話、ニーベルンゲン伝説を映画化した『ニーベルンゲン』を作り上げ、数メートルの巨竜を実物大で作り、映画創成期の代表的モンスターとして見せたこの作品は意気消沈していたドイツ国民のナショナリズムを刺激する作品になったと云われる。

続いて作られた1926年の『メトロポリス』はニューヨークの摩天楼が出来る以前に描かれた高層ビルが建ち並ぶ未来都市、優雅に暮らす資本家と地下室で作業を強いられる労働者の対立の物語で、労働者の団結を阻むために作られた人造人間が狂い始め、工場の打ち壊しを煽動するというショッキングなもので、後に手塚治虫が敬意を込めて、アニメ化した事でも有名な映画でもある。

そんな輝かしい活躍を果たしたラングも時代の不穏さを感じ取り、それまで映画を撮り続けていた大手映画会社ウーファと決別し、作ったのがサスペンス映画の名作『』で、当時、世間を騒がせたペーター・キュルテンの連続殺人事件をモデルに、殺人犯の断罪を描くのではなく、殺人犯を追い求め、監視社会に向かう怖さを描きあげた。

殺人犯を追い詰め、「人殺し」の頭文字「M」を背中にチョーク書きする市民の姿のその背景には台頭するナチズムに対し、治安を託す世相が出来上がり、それに対し、物言えぬ環境が出来上がった時代でもあり、その後、戦争へ突入する際に、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらをかくまった者を強制連行、強制就労させるホロコーストが行える環境が出来上がっていった時でもあった。

フリッツ・ラングはヒトラー政権が成立した翌1934年にフランスへ亡命し、アメリカに渡り、「自由は闘って勝ち取るものだ」のセリフで知られる『死刑執行人もまた死す』(1943年)などの反ナチ映画や商業映画を撮り続ける。

戦前ドイツの急激なナショナリズムを警告し続けたフリッツ・ラングの映画はもっと知られるべきなのかも知れない。

YouTube - "M" Fritz Lang movie trailer

パブリック・ドメインとして、『M』は観られるみたい

2007-10-29

「色即是空」の「色」とは何か What is "Color" of "The color is nothing"?

「色即是空」の「色」とは何か。
権威の鎧をまとうお話とか。
おろかですね。人間は。

  • OhmyNews : 「色即是空」の「色」とは何か

2007-10-28

あらえっさっさ araessasa

騙し、騙され、化かし、化かされ。
そこにおもろきを知る事が"ひとのよ"なのだろう。

見抜けぬ愚かさ、侮るおごり。
あらえっさっさ

YouTube - Music 岡林信康 『 あらえっさっさ 』

埋め込み禁止のため、直リンク

2007-10-27

ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を wisdom that benefits the society

先日、全国の有給休暇取得率が過去最低という厚労省の調べが公表され、北海道はその中でも最下位という結果が地方紙に書かれていた。

その理由として、「他の人には出来ない」「他の人に任せられない」「他の人に迷惑がかかる」というものが並ぶそうで、これじゃ、一生死ねないねと、日本人の不可思議な社会意識を苦笑してしまった。

自分が死んだ後の準備、例えば、子供達に不自由掛けないための支度などが男性は女性に比べ、自分が死んだ後のイメージを作れないらしく、その準備すら出来ていないのがほとんどとも云われているそうで、女性、特に専業主婦などはドライに自分が死んだ後を見据え、支度できるのに対し、男性は何から手をつけていいのかすら検討つかないらしい。

それほどまでに自分の社会に対する意識は強いようで、契約関係から成り立つと云われているアメリカ社会などでも、日本人はドライに振る舞う事が苦手のようでもある。

ネット検索をすると「有給休暇、理由」なる検索候補が出る事もあり、「休む罪悪感」が根強くあるのかなとも思ってしまう。

この夏、親戚と友人が亡くなり、いろいろ話を聴くと死後の備えが如何に大事か思い知らされる。

友人は親戚関係の複雑さのために家の墓の管理がほとんど付き合いのない従兄に任されており、友人の父はその頃、まだ健全だった従兄の父、友人の父にすれば弟にあたる人に頼み、先祖代々の墓に入れたそうなのだけど、代替わりになり、突然の友人の死にも納骨でのトラブルが起こり、結局、死後、奥さんが新たに墓を買われたそうで、四十九日をだいぶ過ぎてからの納骨となったとか。

親戚はまだ40歳の若さで、癌の転移でひと月あまりの入院の後の死で、まだ幼い子供達は仏間に置かれた遺骨を前に、「お父さん、何か言っているよ」と家族の者に告げるという。

「未練残さずに、成仏してくれ!」故人の父である叔父は亡くなった息子にそう語り、手を合わすと聴く。

社会の役目を過剰に背負い、背負わす日本の風土はだからこそ、「お化け」信仰、「ポックリ」信仰が生まれたのかも知れない。

「ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を」

そんなゆとりも夢なのだろうか?

  • OhmyNews : ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を

2007-10-26

僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る There is no road in front of me. The road can be done behind me.

協栄ジムでの亀田興毅の会見、ちらっとテレビ中継を観たけど、パフォーマンスを要求したのはマスメディアだろうが。詫びるべきはマスメディアなんじゃないかい?

表題は高村光太郎の「道程」

人間は生き物であり、機械じゃない。ルール=歴史を如何に応用し、無限の可能性を作り出すか、それが大切なんじゃないかと。

これから日本は年寄りばかりの社会になっていき、未体験の問題が多発するでしょう。その時、ルール=歴史を如何に応用出来るのかが問われるのだと思う。

年寄りは自分の歩んできた道=ルールに確執するから、柔軟なルールを持たなければ、死闘になる。

自分の歩んできた道=ルールがわずかな経験でしかない事が判るチャンスは少子、高齢、格差でますますなくなってくる。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」

謙虚さが大切なのかなと。

2007-10-25

秋晴れ Fine autumn day

紅葉と空

ここ数日、札幌は気持ちの良い秋晴れ。
先週から遊びに来ていた叔母も秋晴れのうちにと思ったのか、今日、帰っていった。

暖かな日だまりだったせいか、雪虫が家の前に大量に飛び交っている。

降った雪が溶けなくなる根雪の時期が近いのだろうか?

2007-10-24

ぼくの村は美しい国 My village is a beautiful country.

殺伐とした事件を告げるニュースが続く昨今、今年になり、ライブやラジオ出演、過去のレコードの紙ジャケCDでの復刻など活発な活動を続けている"フォークの神様"岡林信康の近刊『ぼくの村は美しい国 竜太の日記』を読んだ。

いまに食うものがなくなる日がくる。
その時、泣きながら、この絵本を読もう。

背帯でビートたけしがこんな推薦文を書くこの本は「アーティストによる絵本シリーズ」の一巻としてランダムハウス講談社から発売された物で、ある程度の年代以上なら子供の頃に大人からよく聴かされた「お百姓さんの暮らし」を子供の視点から書かれた物。

岡林さん自身、今で云う格差のシンボルである大阪の山谷とも呼ばれるあいりん地区に転がり込み、そこで見聞きした"地獄極楽"の世界を歌った「山谷ブルース」でフォーク歌手として注目をあび、売れっ子歌手として、忙殺される日々を過ごすうち、自分のメッセージがいつの間にか全然違うメッセージとして世の中に受け入れられてしまっている現実が嫌で失踪し、北陸の山村に引きこもった経験がある方。

そこでの子育て経験をおそらくは絵本にした『ぼくの村は美しい国 竜太の日記』はツバメとともに春が来て、夏、秋、冬を過ごし、またツバメの来る春で終わる”人間の幸福(ひとよのさいわい)”

いわれのない"差別"と対峙する人たちに向け、語りかけるよう歌った「友よ」はいつの間にか労働組合の団結歌として歌われるようになり、それが嫌でたまらなかった岡林さんはその後、試行錯誤を続け、イギリスでキング・クリムゾンのロバート・フィリップに「いいかげんに俺達の真似はやめたらどうだ。日本のロックを聞かせてみろよ」と侮蔑的に浴びせられた一言から日本各地のリズムを駆使したエンヤトットミュージックに辿り着き、今日に至っている。

殺伐とした事件が続く今日、食糧自給率が低下し続けもしている日本社会、”人間の幸福(ひとよのさいわい)”を思い返すこの絵本、”ひとよのさいわい”とは、幸田露伴が明治31年に20世紀の子供たちのために書いた「文明の庫」から引用したとも書かれており、21世紀の子供たちのために残せる社会を岡林さんは模索されているのだろう。

数年前のライブでは「日本各地には独自のリズムが伝わっています」と和楽器と弾き語りギターをジョイントさせ、韓国のサムルノリ、ブラジルのバトゥカーダと交わる事で、更に土着性が色濃くなると、実演の”人間の幸福(ひとよのさいわい)”を聴かせてくれた岡林さんのライブも来月、売却決まり、存続運動がなされている札幌の厚生年金会館でまた逢える。

いまに食うものがなくなる日がくる。
その時、泣きながら、この絵本を読もう。

ビートたけしの推薦文の通りになる前に。

2007-10-23

御歌囃子 Okabayashi

岡林信康ネタ。

エンヤトットでカモ・レッツ・ゴー

来月の札幌でのコンサートが成功するといいけれど。

YouTube - Nobuyasu Okabayashi - エンヤトット

2007-10-22

手紙 Letter

友達の家に遊びに行き、岡林信康の「手紙」が話題になっているらしい事を聞いた。

YouTube - 岡林信康 手紙 1969

私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

だけどお父さん お母さん
私は二度と 恋はしない
部落に生まれた そのことの
どこが悪い どこがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった

2007-10-21

楽しまなくちゃ意味ないね It is not significant if it doesn't enjoy it.

最近、うちでも家族の高齢化で、トイレの電気の消し忘れなどすこし気になっており、省エネも兼ねて、センサーライトを取り付けてみた。

かなり前に廊下の灯りとして、人が近づくと灯りがともるセンサーライトをつけてた事もあり、その便利さは承知していたけど、今は更に周辺が暗くなり、人が近づくと作動する仕様になったようで、昼間、明るい時はライトは灯らない便利設計になっているらしく、使ってみる事にした。

取り付けたのは電源がない廊下に、まずは電池で作動する簡易なセンサーライトをつけてみたけれど、明るさに反応する感度が高すぎるのか、昼でもライトが灯ってしまう。

今回、取り付けようと思うきっかけとなったトイレのライトは電球を取り替える感覚で取り付けられ、簡易型よりは細かく周辺の明るさに対する反応を設定できるものをつけてみた。

最近特に薄暗さを嫌がる母に合わせ、暗くなったら作動するモードではなく、薄暗くなったら作動するモードに設定してみたけれど、そこは機械、夕方の暗さと明け方の暗さの違いを認識するわけもなく、どちらもライトが灯るみたい。

まぁ、これでライトの消し忘れなどでも自然に消えるようになったので、まずは省エネ、高齢化対策になったのかなと思っている。

これを書きながら、黒人のリズム感が「ドレミ」しか持たない白人の常識を覆すオープニングから始まる映画『ヒットパレード』を流し観しているのだけど、アイデアはどのように活用するかが命。

有名な名ゼリフ「楽しまなくちゃ意味ないね」もこの映画じゃなかったかしら?

「楽しまなくちゃ意味ないね」

便利さを得て、更に便利さを求め、楽しむゆとりを忘れれば、それは不便という事を忘れぬようアイデアグッズを活用し、生活の豊かさを求めたい物。

「もっと灯りを」

それは自分の工夫にあるのだろうから。

2007-10-20

罪と罰 Crime and punishment

オーマイニュースで亀井静香氏の「死刑廃止論」

ぶら下がりコメントを書こうかとも思ったけど、保留扱いの記事を書き直して、投稿してみた。


罪を犯した時、どこまで裁けるのかは古今東西の問題であり、「死」は「生きる苦しみ」からの救いとする宗教観からすれば、「死」は「刑」にはならない。

「死の恐怖」を味合わせるのが「死刑」であり、「死刑執行」は「死の恐怖」を味合わせるために犯した罪を認めさせてから行われるという。

そうでなければ、国家が殺人を犯す理屈になるからである。

また「自殺」は犯した罪を認めた事にならないため、禁じられており、あくまで「死の恐怖」を味合わせる事こそが「死刑」の「死刑」たる由縁。

死刑囚が処刑される際、牧師、お坊さんに看取られ、死刑執行人の手が下され、屍は丁重に葬られる。

死刑囚の死により、犯した罪の真相はそこで問われることなく、同じような犯罪が起こっても社会的問題は推論される事なく、死刑囚の死が繰り返され、防犯の理念に欠けるという見方もある。

犯罪を個人に帰結させるのが「死刑」でありだろう。

「あの世」なるものを信じる宗教観を持つ者たちは「あの世」に罪人を送る事を嫌うし、「輪廻転生」の仏教では「無限地獄」を恐れる。

罪人をどう許すかは、生きた者に科せられた枷であり、「死の恐怖」を味合わすのが「刑」ならば、病で死に際の苦しみもがくのも「刑」になってしまう。

「死」を刑罰のひとつとして捉える事は「死」にたくないと思う人たちにとっての「刑罰」であり、「死」にたい人にとっては「刑罰」になりえないという話もある。

「刑務所民営化」で囚人はお客扱いされるようになったと云われる今、「罰」のあり方が問われているのだろうし、ゴミ箱代わりの「死」は「死」の冒涜として問われているのだろう。

誰もが迎える「死」を「刑」にしちゃ、あまりに生きる者の身勝手のような気もするし。

  • OhmyNews : 「死」は刑ではなく、「死の恐怖」が刑である

2007-10-19

誰もがいるうちに There is everyone, too.

友達のブログで、参加している団体の人が「誰かがいなくても動ける体制を作ろう」という言葉を云われ、寂しい想いをしたという日記を読んだ。

昨日、2年連続日本シリーズ進出を決めたファイターズをふと思い起こす。

ヒルマン監督は「野球はエンターテインメント。われわれが楽しまなくては、ファンを楽しませることができない」と語ったという。

「誰もがいるうちに」でファイターズの2年連続日本シリーズ進出はあるのじゃないかな?

「誰かがいなくても」を先に考えてしまうマイナー指向は今の日本の社会の脆弱さにも繋がるように思う。

「誰もがいるうちに」だから、人はがんばれる。

今年も札幌の街が紙吹雪舞うファイターズのパレードを見られる事を願いたい。

2007-10-18

夜へ急ぐ人 Person who hurries up to night

なんかバタバタ。

友川かずきの曲「夜へ急ぐ人」を歌うちあきなおみ。
コロッケのちあきなおみのものまねもここから生まれたのでしょう。

「おいで、おいでをする人、あんた誰?」

YouTube - Chiaki Naomi "Yoru-e Isogu Hito (Oide Oide)"

2007-10-17

生きているって言ってみろ Say ..alive.. .....

ニュースつければ、暴行列島オンパレード。
思考停止の時のBGM、友川かずき「生きているって言ってみろ」

YouTube - tomokawa kazuki ikiterutteittemiro

寝返りマスコミ、ありがたや

TBSが亀田ドキュメンタリー番組を中止

『生きてるって言ってみろ』

作詞・作曲:友川かずき 編曲:J・A・シーザー

ビッショリ汚れた手拭いを
腰に結わえてトボトボと
死人でもあるまいによ

自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいによ

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

淋しさ優しさ苦しさは
この世のせつないメロドラマ
屠殺場でもあるまいに

ヒッピーフーテン乞食の子
なげきの喜びいじくって
廃人でもあるまいに

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

夢と現実ぶらさげて
涙と孤独を相棒に
コケシでもあるまいに
長髪マンネリいさぎ良さ
根っこの太さはどこへやら
墓石でもあるまいに

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

2007-10-16

桜桃の味 Ta'm e guilass

「身近な人を傷つけるより、自殺した方がいい」と自殺幇助の相手を捜す男を描いた1997年のロードムービーを再び見た。

自殺が許される事のない大罪であるイランでは自殺も自殺幇助も考えてはいけない話。

休暇を貰ったクルド人の兵士、採掘作業をするアフガン人、自殺幇助の相手捜しは自ずと社会的に弱い立場の者に向かう。

延々と続く紅いイランの大地を死にたい男の旅は続く。

「止めしないが、桜桃の味を忘れたか」

男にトルコ人の老人が語る説教は「生きていればいい事がある」などという戯れ言。

その戯れ言を信じる事が生きる事。

この作品の前、イラン北部の子供達を描いた『ホームワーク』『友だちのうちはどこ?』を撮り、その舞台になった地が激震に襲われた事を聴き、『友だちのうちはどこ?』の主役の子の安否を調べる『そして人生はつづく』を撮ったアッバス・キアロスタミ監督はドキュメントともドラマともつかない空間をここでも作り上げ、「死ぬ意味」を問う事で「生きる意味」を問う。

『クローズ・アップ』で罪を裁く裁判を通し、裁くだけでは罪は消えず、如何に許すかが大切とも説いたアッバス・キアロスタミ監督は不寛容になっていく社会もまた、自然の中にあると描く。

大地は穴を掘り、横たわる男の永遠なる安眠はいつ得られるのか。

「桜桃の味を忘れたか」
「あの美しい夕焼けを、もう一度見たくはないのか」

生きる事を忘れたお化け社会は世紀をまたいだ今、更なる不寛容に向かっているように思う。

YouTube - ah neyleyim gonul - kirazin tadi

2007-10-15

冬じたく Wanting doing of winter

この週末は一気に寒くなったので、週明け、穏やかな天気の中、ホーマックに行き、省エネグッズを見て回った。

年老いた母が寒がるのと、この冬の灯油高に備え、何か手軽な冷気よけがあればと思い、見に行き、「窓際あったかボード」なるものを見つけた。

ただ、窓に折り曲げて置くだけの簡単なもので、ボードはポリエチレン製でしっかりしていたので、買ってきて、まずは自分の部屋の窓際に置いてみた。

さらに長年使っている窓一面被えるビニールを窓枠の上の方に画鋲で貼り付け、垂らし、「窓際あったかボード」と一緒に使おうと思う。

これで外の冷気をいくらかでもさえぎれるかなというところ。

暑いくらいの秋が続いたので、冬じたくもまだ早いかなという気もするけれど、朝晩と昼の温度差は日増しに大きくなってくる。

後は着ぶくれの冬を迎えるばかり。

2007-10-14

紅い花 Bright red flower

「ちあきなおみ 異常人気のなぜ?」というネットニュースを読み、ちあきなおみの歌を聴きたくなった。

旦那が亡くなり、訳も告げずに唄わなくなった歌姫。

無くなっていく物の寂しさを聴いて貰える人がいなければ、歌は戯れ言でしかない。

「ちあきなおみ 異常人気」にまだまだ日本の良さを愛おしむ人がいるのだろうなぁと思う。

「紅い花、想いを込めて捧げた恋歌」

最後の録音といわれる「紅い花」

訳を求める時代、捧げる恋歌を忘れたくない。

YouTube - AKAI HANA / Naomi Chiaki
  • OhmyNews : 紅い花

2007-10-13

雪虫 Yukimushi

この季節になると、若い頃に友達と小樽の「海猫」に聴きに行った佐々木好の「雪虫」を思い出す。

そして、今年は自腹斬り、石原都知事に説教たれて亡くなった黒川紀章さんを重ね、思う。

お尻の白い プワプワした 雪虫は
着物にあたると すぐ死ぬ
10月8日は 雪虫の 姿見せ
着物にあたると すぐ死ぬ

早起き得意が自慢ときて 8時には
帰っているのか 雪虫
死にに来たような虫なので 出来るだけ
外へ出ないで下さい

どけて通って下さいね 手でよける
事はやめて下さい
冬を呼び 冬を教える 雪虫は
いつ来て いつ帰る 雪虫

2007-10-12

それでも雪は降る Still, it snows.

ゴア氏にノーベル平和賞授与が決まったそうで、イギリスの裁判所が下した映画『不都合な真実』に9つの科学的誤りもこれでうやむやになるのかな?

人間中心主義で語られる科学的根拠に乏しいという判決も、ゴア氏の二酸化炭素主犯説も如何に経済の主導権を握るかで、自然の摂理が科学的根拠で語れる事などわずか数パーセントに過ぎない「不都合な真実」をメディアは語ろうとしない。

北海道米が温暖化のお陰で品質アップし、米の名産地が頭を抱えている真実が何を意味しているのか。

確実に異変が進む自然環境の中、人間は明日の仕事に奔走される。

今の二世政治家でわが子に残す生活環境を考えている人っているのかしら。

今年はラニーニャ現象のせいなのか、稚内で平年より9日早い初雪とか。

うちもストーブを使い始め、いよいよ本格的な冬支度。

明日の朝は家の前も白くなっているのだろうか?

政治的判断の科学的根拠より、自然の教えの方がはるかに正直なのにね。

  • OhmyNews : それでも雪は降る