2010-06-24

眠る男 sleeping man

「眠る男」という映画がある。そのタイトルが気に入り、観たいと思いつつ、テレビで放映した時に録画をしているのだけれども、まだ観ていない。

おそらくそのタイトル「眠る男」に僕は惹かれているのだろう。

そういえば、中学校の頃だったかに公開された映画に、萩本欽一主演だかで、「俺は眠たかった」というのがあり、観てもいないのに印象に残っているのは、「眠る」事に自分自身、惹かれるものがあるのかも知れない。

この頃、それが顕著で、何故か知らないけど、疲れやすく、仕事帰りに行くスーパー銭湯で小一時間、ベンチの形をしていて、背中に温泉が流れる寝湯で眠りこけている。

持病の脳性麻痺で歳を取ると首筋の頸椎あたりの負担が高まり、疲れやすくなるせいかも知れないし、肝炎による疲労感かも知れないけど、とにかくこの頃は「眠る男」になっている。

長年勤めているところで、僕より入って日が浅い奴らがイニシアティブを取ろうと僕の長年の実績を無視しているストレスもあるだろうけど。

別に自分のやってきた事を評価して欲しいとかという気持ちはないし、それが自分の重荷にもなりたくはないけれども、イニシアティブを取ろうとする割には職場の人間関係など何も考えずに動くその危うさにストレスを感じたりもする。

人から学べば判ることなのに、その場の得失点にやっきになって、長年培われたノウハウすらも知ろうとしない。そんな危うさはこの世知辛い時代、どこにでもあることなのだろうけど、それが自分達の生活基盤を壊している事に気がついていないような気がする。

前述の「眠る男」は事故で寝たきりになった男の視点から世の中を見た映画らしいけど、この頃、眠るほどに安堵感を得られるような気がする。

老兵はただ眠るのみ。釈迦に説法するより、自分の居場所を見つける方が自分のためのように思えるこの頃。

2010-06-18

グラデーション Gradation

久々にCSSの最新技術を勉強していて、Webの世界はコンピューター言語によるページ作成がどんどん進化していっているのを実感した。

以前は画像加工に頼っていたグラデーションやぼかしなどもCSSで実現可能になってきており、貼り絵的な旧来の非コンピューター的な作り方はページを表示される上での余計なトランフィクをともなっていたものが、CSSにデザインを集約することで、トランフィクを軽減し、映像などの配信をスムースにさせるネット技術にも繋がるのだろうと思った。

押し付けのデザインではなく、利用者がその閲覧環境にあった見せ方を提示することで、情報格差をなくすとするユニバーサルデザインはそれゆえ固定のイメージにこだわると成り立たなくなるものであり、それこそがコンピューター世界が最も得意とする分野にもなるのだろう。

CSS技術の他、ページの特定の箇所を表示してみせたり、並べ替えが可能になったりというユーザーインターフェイスの技術は覚えるには難易度が高いけど、その技術を知ることが、ページに書かれていることを「知ること」「理解出来ること」「操作出来ること」「永続的に使えること」のウェブアクセシビリティにもなってくるのだろう。

暗くて字が読めない、騒音で音が聞こえない、手がふさがり操作出来ない、急いでいて画像や動画の表示を待っていられない。これらは人間の生活の上であり得ることであり、なおかつ、障がいを持つ者たちと共用出来る不便さなのだから。

CSSのグラデーション設定のサンプルのひとつをとりあえずご紹介しておきます。

/* For WebKit (Safari, Google Chrome etc) */ background: -webkit-gradient(linear, left top, right top, from(#fff), to(#060));
/* For Mozilla/Gecko (Firefox etc) */
background: -moz-linear-gradient(left, #fff, #060);
/* For Internet Explorer 5.5 - 7 */
filter: progid:DXImageTransform.Microsoft.gradient(GradientType=1,startColorstr=#FFFFFFFF, endColorstr=#FF006600);
/* For Internet Explorer 8 */
-ms-filter: "progid:DXImageTransform.Microsoft.gradient(GradientType=1,startColorstr=#FFFFFFFF, endColorstr=#FF006600)";

グラデーションのテストです。

2010-06-17

訳わかんない It is not possible to understand.

友だち何人かとの飲み会の帰り、地下鉄でコギャル風の女の子二人、浴衣姿で乗り込んでた。

札幌の夏を告げる神宮祭の夜店の帰りなのだろう。あいにくの雨で浴衣も少し濡れていた。

「なんで初めてあった小母さんに『死ね』といわれなきゃならないの。訳わかんない。」

地下鉄に乗るまでの道筋でなんか嫌なことがあったのだろう。コギャル二人はフップンをはらすようにそうしゃべり、夜店名物の飴でくるんだリンゴにかじりついた。

初めてあった小母さんは『死ね』という流行り言葉を使いたかったのだろうね。

今の大人たちは確かに訳わかんない。

コギャル二人が大人びて見える夏の始まり。

2010-06-13

疾走 Dash

自己顕示欲が強い世界で、自分を「いない者」とすることで生き延びた少年の話は「いない」が故に人々に玩ばれ、玩ぶ自己顕示欲が強い者たちもまた「いない者」と何も変わらなく社会に玩ばれる。

「いない者」として生きた少年だから、見えてくる社会の滑稽さは社会にしがみつき、自分の居場所すらぶち壊してしまう人々の愚かさを描いているようにも思えてくる。

重松清の長編小説「疾走」の怒りは弱い者同士が傷つけ、殺し合う社会に刃向かうには自分を「いない者」とすることでしかありえない寂しさのような気がする。

臆病な猫たちは「強い者」に可愛がられるように擦り寄り、「弱い者」を作って、自分の鬱憤をはき出す。

殴られ、蹴られ、衣服をはぎ取られ、身体を玩ばれる「弱い者」と「強い者」に可愛がられる者どもの哀れさは何も変わらない。

ただ、人の痛みを判るかどうかの違いだけで。

2010-06-11

送り火 Farewell fires

重松清の短編集「送り火」の表題作は、マンションのローンを支払うために無理をして死んだ父を「莫迦みたい」と思っている娘夫婦がひとりその父が残したマンションの一室で暮らす年老いた母を気遣い、一緒に暮らそうと説得しに行く話だった。

父の生き方を認めようとしない娘に母はお父さんはお前の旦那さんと同じだよと云い、家族の笑う顔が見たくて、一生懸命無理してくれた、と話す。

娘は旦那は家族と一緒に楽しみたがるのに、お父さんは一緒に楽しんでくれなかったと父と楽しめなかった恨み辛みを語る。

自分はどうでもいいんだよ。家族の笑い顔が見られればよかったんだよ。

人と楽しみを分かち合うのは、亡くなった人を思う送り火と同じなのかも知れない。

昨日、友だち数人と昔の物を集め、展示しているレトロスペース坂会館に行き、昭和の時代を知っている自分を思い返し、そのぬくもりの中に重松清の短編集「送り火」を思い出した。


レトロスペース坂会館の店内

2010-06-09

ミニロト mini Loto

先週、久しぶりに運試しにと、銀行ATMで買えるロトくじを買った。買ったのは、ナンバーお任せの5週間有効のくじをミニロト、ロト6、それぞれ一組。

ロトくじ抽選発表は結果が発表になれば、メールで当選番号を教えてくれるサービスに登録しているので、忘れててもメールが届くわけで、昨日も帰宅後、その当選番号を自分が購入したくじナンバーと一致していれば教えてくれるエクセルで自作した簡単なプログラムに打ち込んでみる。

当選番号、18 19 20 28 29、ずいぶん連番が多いなぁと思いつつ、打ち込み、どうせこんな番号じゃ当たっていないだろうと、結果を表示するシートタブを開くと、購入くじと同じ番号が4個もある3等当選、12,400円なり。

外れた番号は14で、ミニロトのボーナス数字は13。これが一致していれば、2等当選、243,900円だったけど、欲を言えばきりがない。

運気が芽ばえ、何かいいことあるかな、子猫ちゃん。と夢は夜開く。夢で逢いましょう。

2010-06-05

区役所にて In the ward office

B型肝炎の医療助成の制度が変わったとかで、助成対象が課税額に応じて変わるらしく、世帯が住民税非課税の僕にとっては影響ないのだけれど、助成を実施している北海道庁から申請の送られてきているので、手続きをすべくこのところ動き回っていた。

通院の時に医療助成の診断書を書いてくれるよう主治医に頼み、外来の看護婦から送り先の自宅住所を封筒に書くように云われ、切手を買って、貼り、手渡したのだけれど、2週間経って送って来なく、問い合わせの電話をしてみると、担当看護婦は調べ、「出来ているので取りに来て下さい」と答えかけるので、「あのぅ、送ってくれると」と言いかけると、「あっ、これから送ります」と言葉を濁しつつ、忘れていたのだろうと判明する。

催促から数日後に診断書が届き、昨日、予定が何もなかったので、区役所に申請を提出に出かける。

自宅から区役所は交通の便も悪いところにあり、難儀だけれど、その前に街中の別な区役所で問い合わせたところ、手続きは住んでいる地域の管轄部署でお願いしますといわれたので、大儀ながらも出向いてみる。

指定の部署の住所案内を道庁から送られてきた封筒に入っている一覧で確かめても、住所に保険センターとあるだけで、区役所内にあるのかどうか不安を抱きつつ、区役所内を歩き回ると、なにやら見覚えのある風景。B型肝炎の医療助成の初回申請時にも同じく迷ったよなと思い出し、開店休業状態で施設が遊んでいる区役所二階に設置された保険センターから一階の福祉窓口の奥にある保険センターの窓口へと迷い道。

やっと辿り着いた保険センターの窓口には先客がいて、対応する職員の他は窓口の様子をうかがう区役所職員はなく、歩き疲れたこちらも少しいらつき、部署内の職員たちを見回すとやっと気付いた女の職員と年配の男の職員が対応にあたって下さった。

「健康保険証はありますか」と問う男の職員に「そんなの聴いてないよ」のボクちゃんは持ってこなくても何とかなるだろうと思っていると、そのおじさん、奥にいる若い男の職員に確認とって、「なかったら、手続き出来ないので、持ってきて下さい」といとも簡単に云う。その態度にこちらもカチンと切れて、「それならそうと、判りやすく書類に書いて下さい」と云い、「せっかく来たんだから、記入漏れがないか、確認してくれ」と提出書類の確認を求めると、おじさんも逆切れしたのか、記入漏れの箇所をチェックし、こちらに書くように催促し始める。

特定疾患で、利き手不自由の身体を気遣って、初回申請時には親切に対応してくれた窓口ととは打って変わってのこのおじさん、おそらく新年度の人事異動で配置換えになったのだろうなぁと思うほど配慮のかけらなく、記入漏れの病院住所を書かせるために、診察券を出すように云って、診察券をこちらに見せつけて、病院住所を書かせようとする。が、しかし、病院住所を書くところに診察券の差し出したので、こちらは「それじゃ書けないでしょうが」と喋ってもおじさん職員は何のことか判らずにボケーとしている。

詰まらぬやり取りですら、仕事意識が感じられないおじさんに腹を立てつつ、その場はそれで終わった。

このまま、別な用事を済ませようか、それともB型肝炎の医療助成の手続きを済ますためにいったん家に帰り、保険証を持って、また区役所に行こうか、迷った末に、嫌な想いは今日一日で済ませたいと、家に帰り、保険証を持って、また区役所に行く。

二往復で二時間あまりを費やし、区役所の保険センターの窓口に着いた時にはだるーい感じの疲労感があったけど、対応してくれたのはあのおじさん職員ではなく、若い男の職員だったので少し救われたと思いきや、住民票と世帯全員の所得証明書を担当する課に行き、貰ってくるようといわれ、「ちょっと待ってよ」という感じで、身体が疲れている事を告げるけど、代理で住民票や世帯全員の所得証明書は取れないことを聴かされ、先のおじさん職員とのやり取りを見ていたのか、必要書類に書く住所、氏名を代筆してくれたお陰で、もう一頑張りする気力が出て、区役所内を歩き回り、ようやくB型肝炎の医療助成の手続きを終える。

疲れやすく無理出来ない特定疾患の更新手続きで、当人でなければ出来ない事をいくつも用意する役所の書類至上主義もあきれるけれども、自分のテリトリーから一歩も出ようとせずに、サポートすらもしない役所職員って何様なんだろう。

ふと、以前、銭湯の人の「今、公務員バッシングが凄いから大変ですね」という声かけに、銭湯に入りに来ていた区役所職員が「札幌市は公務員バッシング、関係ないから」と平然と答えるその感性が少し理解出来た気もするけど、そんな人間と関わらなきゃいけない札幌市民であることが腹立たしい。

2010-06-04

震えるまぶた Trembling eyelid

このところ、所用、雑用がまたまた重なり、疲れているのか、左目の下のまぶたが軽い痙攣を起こしている。

すこし気になり、ネットで「まぶたの痙攣」を調べると、肩凝りもあるので、顔面神経痛ぽい。

B型肝炎、もしくは抗ウイルス剤の副作用も気になり、それも調べてみると、そちらでは当てはまる事例がなかったので、大丈夫かとは思うけど、身体が疲れているのは確かなようだ。

週末の職場の人間関係やら、年度替わりの障がい、特定疾患の諸手続、退職後の手続きなどやることも多いけど、慢性になっている肩凝りから来る身体のだるさがそれに追い打ちをかけているような気がする。

そういえば「まぶたの痙攣」の前に「目のかすみ」なんかもあったからその延長なのかも。

病院の検診を受けようかとも思うけど、神経系の外来は大きな病院しかなく、それこそ疲れてくるほど混んでいる。

催促してやっと届いた特定疾患の診断書を街中にある役所窓口に出すと、住んでいる地域の窓口に提出してくれと、今時それはないよなぁの行政ネットワークの貧しさにも疲れてくるし、便利な社会とはしゃぐ人の脳天気さが羨ましくなってくる。

こんな事を書いているとまたストレスから「まぶたの痙攣」が酷くなりそうだから、この辺にしておくけれど、ストレス社会は中途半端な便利さにあるんじゃないかあ?

2010-05-31

手当のリストラ Restructuring of allowance

週末のアルバイトで、今年度の待遇策が示され、経営状態が厳しい中、監督省庁のお達しとかで、皆勤手当が全廃され、特別手当という名目の中に金額を減らされた形で支給するという通知があった。

ネットを調べていくと、皆勤手当というものは、皆勤して当たり前のものであるからいらないという暴論が見受けられるけど、この国の国民は未だに勤労奉仕を美徳として、国家、企業に殉死したいというマゾヒズムが普通と考えられているのだろう。

元々、皆勤手当他の諸手当は基本賃金を多く支払うことの出来ない敗戦国の貧しい企業が皆勤したらばいくら、家族を持ったらいくら、寒冷地に勤務したらいくらなどと、雇用保険の対象にならない形で、手当として支給されていた恩着せ的なものであったらしいのだけれど、多種多様な手当が出来すぎて、不景気が長引く時代、手当のリストラをすることで、企業の経費を改善出来るのではないかと考えられているらしい。

先の「皆勤して当たり前」の暴論はその背景を視野に入れないで語ったものであろう。

手当の中で企業経費を大いに圧迫しているだろう役職手当より先に、皆勤手当のリストラは大げさにいえば国の経済状況にも影響するだろう全国民が対象になるのだから、小手先の現状逃避にしか過ぎないだろう。

ちなみの監督省庁の命によりと達せられた待遇策だけど、労働基準を指導している厚生労働省ではパートタイム労働法の改正がなされており、雇用環境を整備が示され、常勤職員と格差が出ないように、皆勤したなら皆勤手当を付けるなどして、基本賃金を補う形で賃金確保に努めるようにというパートタイム労働者就業規則の規定例が示されている。

職場上司が「NHKは国民から視聴料を徴収しながら、再放送の番組ばかりをやっている」と視聴料がNHKの番組作りに有効に活用されていないことを話されていたけど、宝くじが売り上げのほんの一部しか当選金に回されていないことを指摘した行政刷新会議の事業仕分けももっともっとご都合主義でトカゲのしっぽ切りをしている政府傘下にある諸団体の事業仕分けをして欲しいものである。

2010-05-29

強い者ほど大病多し A strong person is serious illness.

ウイルス肝炎の機関誌にC型肝炎の情報が書かれており、その中に、「女性は治りにくい」という記述があった。

それによると、男の方は治りやすいウイルスを持っている人が沢山いるのに、女の方は治りやすいウイルスを持っている人はほとんどいないという統計があるそうで、男は元々身体が弱くできていて、か弱いウイルスでも貰ってしまうのに対し、女は抵抗力が強いので、治りやすいうウイルスが入ってきたら、自分の力で治してしまうので、治りにくいウイルスが入ってきたときだけ残るから治りにくいのだそうだ。

ウイルス肝炎は早期発見、治療が一番大切なことであり、自覚症状がない分、まだ治療に専念しなくてもと、治療を後回しにしがちになり、目の前の仕事を片づけようするらしいのだけれども、完治率の統計では20歳代で8割、30歳代で7割、40歳代で6割、50歳代で5割、60歳代で4割、70歳代で3割と綺麗に各世代、10%ずつ下がるという数値があり、女性は更に10%下がるという結果があるそうだ。

抵抗力があるということは、治りにくいウイルスが入ってきたときの覚悟が必要なのだろう。

2010-05-28

重ね着 a layered look

もうすぐ6月なのに、天気予報は霜注意報が出され、ここ数日、寒い日が続いている。

先日、帰りの地下鉄の中で、向かいに座り、居眠りこいているお兄ちゃんの衣服に何となく目がいき、数えるともなく、着ている服の枚数を数えると、厚手のジャンパーの中に、ベストのようなものを着ていて、その中にスエットを着、ポロシャツを着ている。おそらく、その下には肌着もつけているだろうから、合わせて、5枚。

いくら寒いとはいえ、真冬でもあるまいに。。。

と、我を振り返ると、肌着、カットソーシャツ、ベストにジャンパーと合わせて4枚。

人のことは云えない。。。

明日からは暑くなるらしいが、こう寒暖の差が激しいと何を着ていいのか、判らなくなる。

お出かけの際の荷物には防寒用のジャンパーを持ち歩きって、いつでも気持ちは旅行気分。

気象庁の季節予報は日本の夏も真っ青状態らしい。(溜息)

2010-05-26

ペンノリ videos

日曜のライブの後、ちょっとした岡林クルージングになり、曲を聴いたり、出たばかりの「岡林信康読本」を読んだりしているのだけれど、エンヤトット音楽をやり始めた頃のライブアルバム「岡蒸気」の中の終盤、韓国民謡の舟唄に岡林が訳詞をつけた「ペンノリ」から若くして死を選んだ尾崎豊に向かって、俺は死ななかったぜとでも歌っているような「ジェームス・ディーンになれなかったけれど」が好きで、繰り返し聴き返している。

アコースティックの「ジェームス・ディーンになれなかったけれど」は尾崎と同じ年の頃は行き詰まっていたけれど、今、娘が大学生となり、親元を離れ、息子が人を好きになることを覚え、あれほど憎しむほどに嫌っていた親父が亡くなり、自分も親父の仕草と似てきたことを思う時、生きていたよかったと思うという岡林なりの尾崎豊に対する「バカ野郎」が聞き取れて、泣けるのだけど、パワフルな「ペンノリ」の生き抜いてやるとでもいったような舟漕ぎ歌は1990年代の岡林信康を代表する歌とも云われるだけあり、躍動感にみなぎっている。

今はもう岡林自身は歌われる事がなく、石川さゆりが「ペンノリ」を歌っているようだけど、岡林の映像が見たいと思っていたところ、YouTubeに「ペンノリ」のライブが公開されていた。

何人か今も一緒にライブで活動なさっている方達もいるけど、皆、若くエネルギッシュな「ペンノリ」が聴ける。韓国のサムルノリとのライブは出来ることなら、もう一度見てみたい。

2010-05-23

レクイエム Requiem

岡林信康のZepp全国ツアーの札幌を友だちと観に行ってきた。

もう何度となく札幌に来るたびに足を運んでいる岡林信康コンサートだけに、友だちと今日にどんな内容になるのか、予想を話し合いながら、開場を待ち続けた。

美空ひばりのカバーアルバムを出したから、おそらくそこから多く歌うんじゃないかの予想通り、6曲、美空ひばりに絡む曲を歌われ、氏自身のフォークソング、和楽器等中心のエンヤトットの曲と共に楽しませてくれた。

ひばりさんがごくごく普通の女性でありたいと願う気持ちと歌謡界の女王として頑張らなきゃならないという願いとの葛藤が、岡林信康にひとつの詩に曲をつけて欲しいと託されたものを、どう曲付けしたらいいのか思い悩むまま、今日まで来て、何となくひばりさんの気持ちが理解出来るようになったとして曲をつけた歌が「麦畑のひばり」だという。

どこまでも高く高く跳び続けようとする一番の歌詞に続く、このまま跳び続けて、どこに行くのだろう、もしかしたら死がそこにあるのかも知れないと思いつつ、跳び続けるという二番の歌詞は、ひばりさん自身の晩年の予知でもあっただろうし、今の経済成長の末の様々な不安を抱える日本なのかも知れない。

美空ひばりさんへの「レクイエム」の後、岡林信康は和楽器演奏中心の祭囃子に開場を誘い、生きる楽しみを聴かせてくれた。

闘病の年越しを過ごしたせいだろうか、岡林信康の生の音楽に触れられる嬉しさなのか、涙ぐみながら、コンサートを聴き続けた。

果てなく高き青空
私は見上げる
麦畑に吹く風の音
お前は見えない はるかなひばりよ
愛しのひばりよ

2010-05-21

止むを得ない事情 Unavoidable circumstances

今週は週明けのB型肝炎の定期検診から始まり、水曜日には北大病院の神経科に長年飲用しているセルシン錠がなくなりかけていたので貰いに行き、なんか通院週間になってしまった。

北大病院も社会保険病院と同じく凄い混みようで、待合いしている間に、電車が遅れて、予約時間に間に合わなかったという患者さんが診療科の受付で喋っている光景なんかにも出くわした。

北海道を二分する大学病院のひとつである北大病院もようやく電子カルテ化されるらしく、その移行期間によるトラブルが予想される旨を告知する張り紙が貼られていたけど、あちらこちらで最新システムを導引してきて、通院患者を戸惑わせていた北大病院らしい対応だなぁとその張り紙を見て、苦笑したりもしたし、その横に貼られていた転院希望の要望を受け付けますという張り紙は、通院患者の数が多すぎて、処理しきれない病院の内部事情をのぞき見たようで少し薄ら寒くも思えてくる。

そして、今日、ゴールデンウィークの連休明けから長らく待たされていた離職票が催促の末、やっと届き、ここもまた、今一番人が集まるスポットとなってしまったハローワークに出向き、雇用保険の手続きを済ませてきた。

手続きの窓口の若い職員さんにこちらがB型肝炎の事を話すと、僕もB型肝炎だったんですよと話してこられ、辞めた事情もすんなりと理解して下さった。

「止むを得ない事情」下された判定が今週歩き回った公共施設に集まる人々にも当てはまりそうで、そんな時代なのだろうなぁとふと思ったりする。

2010-05-17

通院日 Day of going to hospital regularly

今日は定期的なB型肝炎の通院日だった。

今月はゴールデンウィークがあったせいか、病院の混みようはいつもよりひどく、待合い場所になっている診察室前の広い廊下も人の行き来もままならぬほどの混みようだった。

受付を済ませ、いつもならば待たされずに採血をとる中央処置室でも待たされたからその混みようはちょっと半端ではない。

難病の団体である難病連から送られてきた機関誌にも地域の医療機関不足の問題が載せられていたけれども、おそらくここに集まる患者さんの何人かの方は北海道中から数時間かけて来られた患者さんなのだろう。

診察の順番が呼ばれるまで、何げに廊下の壁に貼られたポスターの数々を見ていくと、社会保険の病院らしく、「仕事中や通勤途中の怪我、事故は労災で」というようなものから、「暴力、暴言、セクハラは断固たる処置を執ります」というような患者だからは許さない医師、看護婦の人権保護をアピールするものまである。

「軽い怪我だから」と労災を使わない事はよくない事であるらしく、助成の支払先が変わるから、労災であるならば、労災を使いなさいと云う事と医師、看護婦の人権保護は権力にこびたり、権力側になりたがる人の意識を指摘しているようで面白い。

診察前に自分で計る血圧測定はちょっと低めの血圧が気に掛かる。

診察の順番が来て、診察を受けると血液検査の数値の一覧をプリントしてくれて、経過はよい事を教えてくれ、検査に時間のかかるウイルスの数値はひとつ前の検診の時のデータが示された。

抗ウイルス剤の副作用なのだろう下痢、軟便状態を聴かれ、今も時折あると答えると、次回検診時に腸のエコーを調べる検査をしてくれるという。

まずは一安心と病院内の食堂で昼飯を食べ、やっと暖かくなった街を歩き、夜に帰宅すると病院から電話があり、明日の午前9時前に薬の事で電話するとの言付けがあり、もしかすると抗ウイルス剤の副作用が長引いているから何か対策を練ってくれたのかなと思ったりする。

きめ細かな医療業務を円滑に行おうとしている病院に対し、有り難く思えるとともに地域医療の確立を願いたくもなってくる。

2010-05-14

B型肝炎訴訟 Hepatitis B lawsuit

和解勧告後の初めてのB型肝炎訴訟公判が開かれ、傍聴しに行ってきた。

傍聴人希望が和解勧告後初めてだったためか、法廷に入りきらないほど多く、開廷ぎりぎりに行ったため、僕も法廷には入れず、支援の弁護団の人がプリントした今日の意見陳述書を待合室で読みふけっていた。

待合室には弁護士の授業を受けている法学部の学生たちがおり、公判法廷の支援の人たち用に用意された傍聴席に交替で聴きに入っているようで、あわただしく出入りしていた。

プリントされた意見陳述書には「国が悪くても訴訟を起こさなければ、国は動いてくれないのですか。」と語る原告の陳述が書き記されており、今まで意見陳述を行った方達の証言が繰り返し述べられていた。29歳の若さで、肝硬変になり、何の補償もないまま、働き続けるしかない人、予防接種で感染させられた身で、息子さんも母子感染された人、抗ウイルス剤の副作用の危険性から子供を持つ選択を断念された人、性感染するのじゃないかと遠回しに酷い事を同僚に言われた人、医療機関で、食器による感染があるのではと嫌疑かけられ、サインペンで赤丸をマークされた人、働き続ける事もままならず、職をなくし、苦しい生活を強いられた上に、高額な医療費を負担し続けなければならない人、そんな人たちの事を語り続ける意見陳述の後には、B型肝炎訴訟の争点を弁護士がまとめた弁論が載せられていた。

1988年まで6歳未満の予防接種を受けられた方達に注射筒、注射針の使い廻しが行われており、B型肝炎のキャリア(ウイルスが潜伏し発症していない状況)の方がいるという事実があるのに、B型肝炎のキャリアである人の数を国は把握していない状況であるのに、予防接種を受けられたパーセンテージが低い事を盾に、国の落ち度を隠そうとする国側の理論は0歳児から6歳になるまでそう何度も予防接種は受けないはずであり、一、二度接種される人は大半を占めるであろう事を提示する原告側の理論の正当性の方が頷けるし、母子感染でない証拠として求められる母子手帳の紛失や父子感染まで疑う国側の論理は患者救済ではなく、患者選別を行い、救済額を減らそうとする意図が見え見えに感じる。

国が和解策を案じているうちに肝炎患者たちの身体はむしばまれていく。

それが先進国の中で類を見ない数のB型肝炎患者がいる国の実態なのだろう。

2010-05-09

フランケンシュタイン Frankenstein

アンディ・ウォーホルkが監修した「悪魔のはらわた」はフランケンシュタインを題材にしており、内臓がぶちまける場面などが今でいう3D(立体)の映画だったとかで、へぇと思ったりしている。

とはいえ、このところの寒暖の激しさに身体がまいっているのか、今朝もアルバイト出勤の支度の時、まずは肩凝りのための湿布を貼り、先週切開した足の親指の傷口が完治していないので、傷バンを貼り、歩く時に足の親指と人差し指がこすれないように、外反母趾予防のための指の間に挟むグッズをつけて、その上に靴下を穿くという、傍から見ればフランケンシュタインかと思うような出で立ちをしている。

外反母趾予防のためのグッズは昨日はそれ程でもなかったけど、今日は擦れるような感じがずっとあり、やはり歩く仕事も2日目になると何かと支障が出てくるみたい。

帰宅後、足の親指の傷口を見ると治りかけなのか、化膿しかかってるのかよく判らない。痛みや腫れはそれ程でもないけど、念のため、病院に行こうか、どうしようか迷っている。

フランケンシュタインのような歩き方から早く脱却したいけど、治りが遅いのも加齢のせいかしら。(涙)

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2010-05-06

副作用 Side effect

右足の親指の切開の後も大分治りかけ、連休最終日は街をブラブラ出来るようにまでなったのだけど、病院で渡され、飲み続けていた化膿止めの薬の副作用だろうか、喉がいがらっぽくなり、空咳にむせることが増えた。

病院で渡された薬の注意書きにも副作用として、空咳が出ると書かれてあるので、おそらく薬の副作用だろう。

幸い、傷口も化膿した状態にはなっていないので、薬の飲用は昨晩で終わりにし、今日は空咳もなく、喉のいがらっぽさも軽くなったけど、改めて薬の怖さを実感した。

B型肝炎の治療薬で、ウイルスを抑える薬であるパラクルード錠を飲用しているのだけれども、この薬の副作用も鼻やのどの痛み、下痢、頭痛などがあるようで、僕の場合は軟便気味であることが気に掛かっている。

薬以外にもB型肝炎患者が留意することとして、栄養ドリンクやサブリメントなど栄養補助食品の摂取はあまり好ましくないようで、本来、肝機能が食物摂取の際に行われる栄養抽出を食べ物として口にすることが肝機能に負担、あるいは機能不全を起こさせるのだろうなぁと思った。

人間の身体で摂取する機能があるのに、食べる前に加工されたものはある意味、大きなお世話であり、摂取する機能が衰えた病気療養のために開発されたものが広まったんだろうと思う。

現に、スポーツドリンクなどは運動後や病気療養時の糖分を含んだ水が必要な時に飲むべきものを平常時でも飲むから、糖分が吸収されやすい子供に糖尿が増える結果になっていることは知られるところだし、糖分でも砂糖などの単糖よりも、果糖などの様々な糖分が含まれた多糖の方が身体で摂取する機能を高める役目があるらしい。

日本人の薬依存はあまりに有名だけど、今は様々な味覚を作り出すことが可能な調味料なども依存が高いのか、味覚障害という話題もよく聴く。

先日の化膿止めの薬でも、メインの薬の他に胃腸に影響が出ないように胃腸薬もつけられており、薬のための薬は今も健在のようである。

そうそう、入院中に聴いた薬の話で、大概の薬はグレープフルーツと相性が悪いらしく、病院食でもわざわざグレープフルーツ禁止が明示されていた。蜜柑はOKみたいだけれども。

飲めば治るの単純思考では副作用のドツボにはまる複雑さが口に入れるものにはあるようだ。

2010-05-04

寝て曜日 A rest day of the week

足の親指の切開傷がまだ癒えないので、今日は一日、寝て曜日と部屋で大人しくしていた。

外はようやくの春の晴天に恵まれているけど、歩くのも難儀だし、切開傷を治すのが第一と思うし。

撮り溜めておいたDVDで、昔のテレビドラマで、テレビ報道局を舞台とした「美女か野獣」を観ていた。

視聴率至上主義者の女性凄腕プロデュサー(松島菜々子)と番組は人生を楽しむ為の道具と嘯きと考えるディレクター(福山雅治)を軸とした職場の人間模様は、仕事とはなんなのかを描き出した秀作で、「ヒーローなんかいらない、チームワークが欲しい」と語られる一編にあるように、スタンドプレーが常識化している今日にも十分通用する内容のドラマだった。

たまにはのんびりビデオで一日を過ごすのもいいなぁと思ったりして。

ビデオ見疲れで、昼下がり、椅子でうたた寝もゴールデンウィークぽくていいかなとも。(笑)

2010-05-03

血豆 Blood blister

土日の仕事もなんとか終わりはしたけれども、足の親指の痛みは更にひどくなり、爪の廻りもどす黒く充血しているのが判った。

爪と肉の狭間は赤く充血し、血豆のようになっていたので、インターネットで救急病院を調べ、祝日の今日、病院に行ってみた。

昔住んでいた家の近くの病院が救急病院だったので、来院してみると「来院されたことは?」と聴かれ、記憶がなかったので、初めてですと答えたところ、コンピューターで調べてくれたようで、「昭和60年に来院していますね。カルテを持ってきますのでちょっと待って下さい」と応対してくれた。

25年前の記録を残している病院のカルテ管理は凄いなぁと思いつつ、処置室に向かった。

処置室で靴下を脱ぎ、患部を医師に診せたところ、医師は僕がB型肝炎であることを確かめた上で、肝機能低下により、血小板が少なくなることからか、血が止まりにくいことがないか確認した上で、鬱血した患部を指で押し、どこに痛みがあるか確認して、患部麻酔を打ち、切開手術をした。

処置を終えると今までの痛みが嘘のように消え、内出血していた事がこれほどの痛みになるのかと自分の認識の甘さを思い知らされた。

帰り道、ちょっと寄り道をしたら、今まで以上の痛みに襲われ、やはり無理は禁物と、素直に帰宅した。

傷口が化膿しなければOKという医師のアドバイスに従い、まずは療養に努めよう。

2010-05-02

ささくれ Hangnail

数日前、右足の親指にささくれが出来、履いている靴も幅が窮屈だったためか、爪先の横が腫れ上がり、歩くと痛い。

普段は歩くのを控えればいいけれども、土日は歩き回る仕事であるから、幅広の靴に買い換えてみたけど、時期遅し。

痛みを残したまま、何とかなるだろうと昨日一日勤務してみたら、更に痛みが。。。

仕事後、銭湯に行き、恐る恐る靴下を脱ぐと出血はしておらず、腫れもそれ程ひどくなかったので、風呂で血行をよくして、帰り、薬局で傷バンを買い、家に帰り、薬を塗って、応急処置をしてみた。

どうしても休めない今日一日なんとかやり過ごせればいいのだけれど、そのしっぺ返しがゴールデン・ウィーク丸つぶれになるのも嫌だなぁ。

傷バンをすこしきつめに張り直し、足指が擦れないように、出勤準備する朝。

2010-04-30

霜花店 A Frozen Flower

高麗歌謡の「霜花店」は餃子のような饅頭を売る店を歌ったシンボリックな歌である。

中国「元」の隷国として存在するしかなかった高麗時代の末期、男しか愛せない高麗王は、幼い時から寵愛した親衛部隊の総官と床を共にしながらも、「元」より政略婚で嫁いだ王妃がおり、世継ぎが出来なければ、別な者を王座にと「元」から催促され続けている。

高麗王は総官に世継ぎ作りを命じ、王妃と交わらさせる。

愛する者に生きる高麗王は総官に似た「我が子」を抱くことを望み、生きるために愛する(ふりをする)総官は王の命令に従うけれど。

大国に楯突けない隷国の王に仕える王妃と総官、その三つどもえの「愛」は権力の元、どんどん見えなくなり、憎しみ、恨み、裏切りが破滅へと導いていく。

雙花店(饅頭屋)に、雙花(饅頭)買いに行ったら
蒙古人の主人が私の手首を握ります
この話が店の外でうわさされると
小さいお前、小役者、お前が言ったと思うぞ
お前の寝所に私も行く
こんなひどい寝所はみたこともない

弱い者が自分より弱い者に「愛」を求めても、「愛」は得られなく、より弱い者たちもまた「愛」を得ることはない。

男と男と女の物語は我を張らずにいられない人の孤独が見えてくる。

共に野を駆け回る夢はあるのに。

2010-04-27

童神 Warabi-Gami

幼馴染みの友人のところで、ニュースに流れる米軍普天間基地の話となり、古謝美佐子さんのシングル「黒い雨」で語られる米軍基地に勤め、米軍のジープにひかれ亡くなられた古謝さんのお父さんの話を友人に教え、先日、購入した古謝さんの新譜「廻る命(めぐるいのち)」を聴きたくなり、帰宅後、聴いた。

代表曲で、孫の誕生を祝い作られた「童神」がベースにあり、歌われる内容は生まれ、生きられる喜びと、ここでもまた歌われる「黒い雨」の死への脅えとゴスペルの超有名曲「アメイジング・グレイス」のカバーの祈りでまとめられたアルバムに癒された。

米軍普天間基地の問題を人ごとのように語るのは易しいけど、政治的な議論で見過ごされるところに「命」がある。

唐ぬ世から、大和ぬ世
大和ぬ世から、アメリカ世
みじらさ変たる 此ぬ沖縄

沖縄を代表する亡くなられた民謡歌手、嘉手苅林昌さんの「時代の流れ」に歌われるように大国に翻弄され続けた沖縄の歴史を知る人は今はもう少ないのだろう。

天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
生まれたる我が子 祈り込め育て

「童神」への願いは翻弄された土地に生まれた者たちの願いなんだろうと思う。

2010-04-24

別れの春 Spring of separation

土日の職場では誕生月に雇用止めになる人たちの別れがある。

ゴールデン・ウィーク間近、4月生れの方々の別れが相次ぎ、5月生れの方の中にも有給休暇消化のため、ゴールデン・ウィーク前に最後の出勤を終える方もいる。

そんな別れの春、明日はうちの部署の上司の方が雇用止めとなり、その方とその後継を勤める方の歓送迎会が行われる。

肝機能を気遣ってくれて、歓送迎会の幹事の人は僕に参加を問わなかったけれども、辞められる上司の方が僕に肝機能の具合はどうだと気遣ってくれる問いをかけてくれた。数年という短い間だったけれども、歓送迎会には出ないわけにはいかないと思い、出ることにした。

別れを惜しむ気持ちは残る者より去る者に強いのだろう。

そんな別れの春の後、20数年前に土日の職場に学生としてアルバイトをしに来ていた連中との飲み会、再会の春が待っている。

深酒出来ない身体でも、慕ってくれる人と共に過ごせる時を大切にしたい、と思う。

2010-04-23

肩の荷、ひとつ One piece of luggage of shoulder

春なのに、春だから、バタバタと過ごす毎日。

今週は2年勤めた平日の仕事の出勤最後の日もあり、肩の荷、ひとつ、軽くなった、そんな感じ。

背負うつもりなんか全然ないのに、背負ってしまった荷物が身体に食い込み、身動きも出来なくなったような感じがして、それを解き放ちたくて、友だちと「自分のしたい仕事を自分なりにやれるところをみつけたいね」と仕事を辞めることにした。

肝臓を患ったのも、それに拍車をかけたのかも知れないけど、軽くなった肩の荷はそれ以上に重い荷物を背負うのかも知れないけど、背負いたいものなら、その肩の荷物は思ったほど、重くないのかも知れない。

知らず知らずに重くなるのがいいのか、それとも思い切って、別な荷物を背負い直すのがいいのか、どっちがいいなんて云えないだろうけど、背負い直す事を決めた自分がいる。

「自分のしたい仕事を自分なりにやれるところをみつけたいね」

もしかするとこれが人生最後の転機かもとも思うけど、最後の転機だからこそ、背負った肩の荷、ひとつ、大切にしたい。そんな想いの、春なのに、春だから。

2010-04-21

みんな人の子 Person's all children

この頃、一昔前のトレンディドラマを何本か見ている。

唐沢寿明、清水美砂、福山雅治、浦江アキコの四角関係の恋愛ドラマ「ホームワーク」を見終え、今は今井美樹、仙道敦子、石橋凌、中嶋朋子、福山雅治のオフィースドラマ「あしたがあるから」を観ているところ。

パソコン作業をしながら流し観るには、トレンディドラマはなかなか面白みがある。

1990年代のバブル崩壊の頃、人の幸福価値観を描くこのドラマたちは身勝手になりつつある日本人の幸福論を見るようで、なかなか興味深い。

「ホームワーク」は唐沢お坊ちゃんが同棲相手がいるのに他の女の子、清水美砂を好きになり、居候の福山に疲れ切っている清水美砂もぐらつき始める。唐沢お坊ちゃんの宝田お父ちゃんも金があれば幸福といいつつ、思い通りにいかない子供たちに寂しさがにじむ。

お坊ちゃんドラマの結末はクリスマスの夜。主題歌「クリスマスキャロルの頃には」が流れ、感動させようとしてもなんかやっぱりお坊ちゃんドラマ。流し見程度がやはりちょうどいい。

「あしたがあるから」は今井美樹気楽なOLがある日突然、一部署の部長に抜擢されるシンデレラ・ストーリーならぬ、いじめ物語が始まるのだけれど、ヒロインはけなげに「昨日は死骸。明日があるから」とひたむきに逆境に立ち向かうサクセスストーリー。ここでも村井国夫金持ち社長が未練たらしく過去への報復を金の力で押しつけたがる。

金より人のふれあいが幸福という幸福論は、幸福な時代だから成り立つのかなと思ったりする。

もっと深いところ、みんな人の子という見方でトレンディドラマを観ていくの幸福という不幸せがお金の怖さを見えなくしているのだろう。

自分の過去と現在と未来に出逢う「クリスマスキャロル」に思いを馳せながら、一昔前を振り返るのも悪くない。

2010-04-19

身体の仕組み Mechanism of body

気候不順のお陰で、今日もお仕事。

先日、入会した肝炎友の会の広報誌に書かれてた話がなかなか面白く、ご紹介。

人の身体の臓器の役割で、肝臓は食道から胃、十二指腸、小腸、大腸という道筋から栄養を吸収した血管が、肝臓で栄養を役立つものに変えて、心臓を経由して、全身に栄養を行き渡らせるそうで、肝臓が悪くなると、柔らかな肝臓が傷だらけとなって硬くなる。これが肝硬変で、更に悪くなると肝機能が機能しなくなる肝不全となり、肝臓癌になるらしい。

肝臓癌になるのは大半がウイルス性肝炎で、近年メタボリックでなるケースも増えつつあるという。

傷が付き始め、硬くなり始めるのを肝炎といい、みぞおちの右下、肋骨の淵を手で押して、何か硬いものがあれば肝臓が悪くなっていると判るらしい。

肝機能が悪くなると、腸から吸収した栄養を含んだ血液が肝臓に行かずに、胃の裏側を逆流して、胃の横にある脾臓へ流れてしまう。

脾臓はマラソンなどすると脇腹が痛くなる事があるけれども、あれは足の方に血液が流れ、脾臓に血が行かなくなると痛くなる現象で、脾臓の役割は古い血液をフィルターする役目があるのだけれども、ここがパンクしてしまう。

肝臓で作られるよく知られたものに血小板があり、血小板が少なくなると怪我などした時、その傷口が治りにくくなったり、血が止まらなくなったりする。

肝臓の検査値としてよく知られたGOT(AST)、GPT(ALT)などはあくまでも結果値であって、肝臓の状態がよいか悪いかを判断する基準であって、治療が必要かどうかを見る値に過ぎない。

肝臓癌になる確率の高いウイルス性肝炎では、徐々に悪化していくのがC型肝炎で、B型肝炎は数値が安定したかと思うとまた高い値を示して、悪化していくという特徴があるという。

話はその治療法の話へと行くのだけれど、癌予知が可能なのは肝臓だけであり、その治療体制の確立の大切さがこの話の根底にある。

血液検査での肝炎ウイルスのチェックは希望者のみで、その検査は来年2011年3月31日まで、無料検診が出来るそうである。感染性が高く、治療可能なものの検査体制の不備が何故か医療先進国であるはずのこの国ではおざなりなままであるようだ。

今朝も吐く息が白く肌寒い春は続いている。

2010-04-18

古い友だち Old friend

職場に大学時代の映画サークルの友人が訪れ、先日の映画の上映会にその頃の先輩が来ていたと教えてくれた。

50代になり、札幌に帰ってきて、まだ上映会を続けているサークルに懐かしさで顔を出したらしい。

友だちはその話をしただけで、帰っていった

なんかこの頃、そんな再会が増えたような気がする。

先日も用事で、子供の頃に暮らした街に市電に行き、小学校前に降り立った時、うわぁっと想い出が蘇り、目頭が何故かしら熱くなった。

人と人との駆け引きに疲れているのだろうか。古い友だちが何故か愛おしい。

2010-04-16

東へ西へ Go to the east and west

公休日。好奇心旺盛だからか、貧乏暇なしなのか、今日もまた東奔西走。

「関東地方で雪の予報」と騒ぎ立てる都心中心のニュースに今さらと思いつつ、寒気が抜け、穏やかになり始めた札幌の街並みを歩き回るはいいけれど、昔は馬車の馬糞を撒き散らしたという馬糞風の季節の札幌は土埃が目に痛い。

まずは今月で退職を決め、必要となるのにどこにいったのか判らなくなった雇用保険被保険者証の再交付のために、ハローワークに。

さすが不景気の昨今一番混み合うスポットだけあって、人いきれにむせ返る。

再交付して貰った後、借りていたビデオを返しにハローワークから地下鉄駅まで歩き、地下鉄で東へ。

そこでDVDを借りようと思ったけれど、もっと安い値段で貸し出ししている西にある店に地下鉄で移動して、そのレンタルショップの傍、地下鉄駅に隣接しているビルにあるだったん蕎麦の店で昼食を食べ、また地下鉄で街中に出て、伸びた髪を切るために1000円カットの店に行き、さっぱりついでによく行くスーパー銭湯で歩き疲れを癒して、夕方、帰宅。

おだやかな春だから東へ西へも気持ちがいいもの。

でも、のんびり春を楽しみたいのも本心だけど。。。

2010-04-14

寒い春 Cold spring

数日前からの強風に加え、時季はずれの寒気の到来で、札幌は今朝から吹雪き模様。

気象庁の季節予報を見てみると、ゴールデンウィーク前まで寒い春は続きそうだとか。

5月は暖かくなりそうらしいけど、6月以降はどうやら冷夏となりそうで、また今年も昨年同様、夏らしい暑さは望めないのかなと少し寂しさも。

自然現象なのか、人的災害なのか、そんな責任論はどうでもよいけど、気候不順が健康を害するという実例もあることだから、まずは体調崩さないよう、無理せず、無理せず、自己管理しなきゃと気を遣う。

穏やかさを願う気持ちは贅沢なのでしょうかねぇ?

2010-04-12

ひとつ屋根の下 One under the roof

1990年代の超有名ドラマであるのに、何故かDVD化もされず、テレビ再放送も酒井法子の事件で放送見合わせとなり、レンタルビデオに並んでいるものも置いている店が少なくなってきたこの頃、一度も観たことのない「ひとつ屋根の下」を続けて観た。

1990年代のカリスマ脚本家・野島伸司の物語は如何にも連続テレビドラマという感じだったけど、離ればなれになった6人兄弟がひとつ屋根の下、暮らし始めるこの物語は懐かしいトレンディドラマのあの頃を思い出させてくれた。

話の矛盾、臭いセリフはさておき、ここに描かれる兄弟愛は今もなお、大切なメッセージのような気がする。

「そこに愛があるのかい」「心にダムがあるのかい」

寄り添い生きる兄弟たちの泣き笑いが忘れたものを思い出させてくれた。

2010-04-09

家電リサイクル Consumer electronic recycling

テレビ買い換えで振り回されるこの頃。

月曜に回収の申込の電話を札幌市の清掃サイトに記されている業者にかけ、金曜日に区内回収があるからといわれ、玄関に置かれたテレビを電話で言われた通り、今朝、業者が来る前に玄関前に出そうとしたのだけど、利き手が不自由なので、小型のテレビは運べたけれども、大きいテレビは重いので、業者の人に手伝って貰おうと思い、そのままにしていた。

午前9時過ぎ、業者の人が来たので、「テレビが重く、玄関から玄関前にテレビを運ぶのを手伝ってくれませんか」とお願いすると、「玄関前にはご自分で出して下さい。手伝うと別に搬送料として、お金がかかりますので」と断られ、利き手が不自由であることを話しても、お金がかかるの一点張り、そこで言い争いとなり、結局、こちらが玄関前にひとりでテレビを運ぶと、業者の人の方が逆切れして、運搬車に乗り込み、帰りかけた。

こちらも取引する気も失せて、テレビを放置したまま、家に入り、クレームの電話を札幌市環境局環境事業部に電話するけど、ここでも業者の方針だからと逃げ腰体制。

高齢者や障がい持った人の家庭で、家電リサイクルのテレビを出す時のサポート体制って何もないんだろうなと改めて思った。

業者はその後、良心が咎めたのか、玄関前に出されたテレビに対しての仕事放棄を気にしてか、家の前を運搬車でうろつき、終いに電話でどうしますかと問い合わせてきたけど、きっぱり断り、近所の家電屋に回収を頼みに行った。

近所の家電屋で、家電リサイクルを頼み、郵便局で支払ったリサイクル券を見せると、家電店で取り扱うリサイクル券と種類が違うといわれ、テレビ回収の窓口に問い合わせてくれ、対処してくれたけど、郵便局で支払ったリサイクル券での引き受け業者を書く欄に家電店の名前を書けばいいのか、引き取り業者の名前を書けばいいのか判らないと記入しないまま、こちらにリサイクル券を返してくれた。

煩雑に設定された家電リサイクルの利用者への配慮のなさを今さらながら思い知らされ、怒りを覚えた。

2010-04-07

恩人 Benefactor

人それぞれ主義、主張を持って生きていて、その主義、主張が十人十色なのだろうけど、主義、主張が一致しなくても、恩人は主義、主張を越えるものだと思う。

先日、幼馴染みに仕事の関係でその友だちを紹介されたのだけど、その人が幼馴染みのことを恩人と語っていた。どういう恩人か、聴きはしなかったけど、「恩人」とすっと云えるその人の人柄が好ましく思えてきた。それは僕の幼馴染みだからというわけではなく、その人の価値観として出て来たその言葉に好感を感じた。

僕にも「恩人」と云える人は何人かいる。

人生の節目節目で水先案内してくれた人たちは、自分と主義、主張が一致しているかというとどうかなと思うけど、その「恩」は主義、主張の違いを軽く超え、人と人の繋がりの大切さを思い出させてくれる。

だから、「恩人」なのだろうし、主義、主張だけで了見狭くなりがちな自分に別な見方を教えてくれたから「恩人」なのだろう。

2010-04-05

ややこしい It is confusing.

慌ただしさからなのか、肝機能低下なのか、不安を胸に、だけど、即入院の宣告が怖くて、どうしようかなの定期検診の日。

朝一番、とりあえず、この間の液晶テレビ購入でお払い箱になるテレビのリサイクルの問い合わせを札幌市の家電リサイクルのページを参考に、指定引取場所に電話をしてみると、「うちでは持ち込みは取り扱っていなく、業者を介して、引き取る形です。」とネットページに書いていないお答え。

その業者さんの電話番号を聞き、かけ、「リサイクル券は持ってます」というと、テレビの大きさを聴き、引取料金を教えてくれる。その金額はこの間、家電量販店に聞いた値段とおそらく同じで、指定引取場所の業者も家電量販店も同じ価格で引取料金を取るのなら、ネットページに金額を明記して欲しいなぁと、遠回りさせれたいらだちが募ってくる。

家電量販店ならば即日回収もありうるのに、指定引取場所の業者なら週一の回収日に出すことになり、お役目ゴメンのテレビは玄関にまたしばらく鎮座することになる。

そうこうしているうちに時間が経ち、迷っていても我が身が心配。急いで、病院へ定期検診を受けに行く。

下痢気味で、お腹の右側が張ったような、重いような、痛いような不快感があり、身体も疲れやすいと主治医に告げると、採血検査の他、レントゲン検査もしてくれて、おそらく抗ウイルスの薬の副作用だろうと診断される。

身体の中の不具合もややこしくて振り回される生活環境が心的ストレスとして影響しているのかも。

帰宅後、新規購入の液晶テレビで、地上デジタルの画面が本来ワイド画面のはずのものがブラウン管サイズに表示され、人の顔が心持ち、縦長に見えるのをいろいろ設定変えて、直そうと思うけど、どうにもよく判らず、契約しているJ:COMのサイトからお問い合わせしてみるけど、チューナーの機種名を書き忘れたことに後で気がつく。

おそらくは接続方法で、高画質で見られるS端子だとか、D端子だとか、HDMIだとかというコードで繋いでいないためだからだとは思うけど、そんな事はハイビジョンの常識なのかなと思ったり。

「捜し物は何ですか」が無数にあるややこしい時代の幸福論は無欲になることなのかも知れないなぁ。

というより、空振り企画が多すぎて、迷い道くねくねが本当だろうけどね。

2010-04-03

ニッポンの単身赴任 Work away from home of Japan

単身赴任という制度があるのは日本だけと、重松清のルポルタージュ「ニッポンの単身赴任」に紹介されている。

依存度が強いほど、単身赴任の孤独に耐えられないといわれる男たちの悪戦苦闘ぶりがこの本で数多く紹介されている。

週末の家族団らんを待ちわびながら、一人暮らしを謳歌するおじさん、札幌在住の単身赴任たち、札ちょん族たちの休み毎の寄り集まり。仕事難で、海を渡り、上海で悪戦苦闘する男たち。堪えられない孤独の末に、行き着いた単身不倫。

経済成長真っ直中に生まれた重松清さんはそんな親父たちの仕事ぶりを素直に応援するけど、ゆとりを求めた安保闘争という時代の波、公害汚染という経済成長の裏側を幼くも見てきた僕なんかは、ストレートに家族の幸福の犠牲を背負い込むおじさんたちの苦悩の方に目がいってしまう。

この本が出された2003年の単身赴任状況は今ではおそらくもっと過酷な物になっているだろう。日本の企業戦士たちの姿は、戦時中、お国のために出征し、死んで帰れと言われた名もなき兵士と同じじゃないか。そんな思いでこの本を読み更けた。

日本に人間らしい生き方が出来る時はいつになるんだろう。

「さびしくなんかないやい!」とこの本の表紙の挿絵書かれている。

2010-04-02

エコポイント Eco-point

入院保険が支払われ、思わぬ収入だったので、思い切って、液晶テレビを買った。

年老いた母はテレビを観るのが楽しみなのに、21型のテレビを我慢して、韓国ドラマなどの字幕を読むためにテレビ傍で観ていたので、ちょうど、4月から液晶テレビのエコポイント対象が絞られる事もあり、ドンキホーテなどで在庫処分の特価販売がされていて、この際と思い、ついでに自分の部屋のテレビも買い換えることにした。。

けれども、入院保険が支払われたのが月末だったため、お目当ての商品がどんどん店頭から消え、仕方なくネットを調べると在庫処分の安値商品はどこのショップも完売で、結局ヤフオクに出品されているものに入札することにしたのだけれど、これがまた、競り合いがヒートして、予定価格より高くなったけど、無理して落札してしまった。

まぁ、エコポイントで安くなるからと思いもしたけど、エコポイントの制度自体、よく知らなかったので調べてみると、なにやらややこしい手続きが多いようで、エコポイントの使い道もなかなか面倒な物がある。

昨日の晩、ようやくお目当ての液晶テレビ2台が届き、今朝、それぞれテレビを設置した後、リサイクルすることになるブラウン管テレビ2台の処分方法を調べると、「家電リサイクル」に行き着くけど、これまたややこしく、よく判らないまま、近所のホーマックに引き取りの依頼の電話をすると「家電リサイクル」に記されているリサイクル料金よりはるかに高い値段を言われ、「家電リサイクル」を読み返してみる。

それによると量販店での回収はリサイクル料金の他に、収集、運搬料金がかかるらしい。「家電リサイクル」のサイトでは自治体でも回収していると書かれていたので、札幌市の家電リサイクルのページを読むと、市では取り扱わずに、指定業者がいるらしい。更に「家電リサイクル」のリサイクル料金の支払い方法も業者に直接払う方法の他、郵便局でリサイクル料金を払い、リサイクル券なるものをテレビに貼り付ける方法があるらしい。

その領収書をエコポイントに申請すれば、それもポイントとして帰ってくる。

要はテレビ切り替えに関わる業者の補助が目的なのだろうと思う。

でも、エコポイント対象が高額商品に限られてくると、国民の半数近くが買い控えているテレビ、デジタル化も足踏みになるだろうし、エコポイント対象とならない液晶テレビの販売もきつくなり、結局、テレビメーカーの低価格競争が起こるだろう。

判りづらい制度とたらい回し的な手間を求めるエコポイントって、全然エコじゃないよね、と思う。

まぁ、大画面液晶テレビが観られる環境が出来たからいいんだけれど。それにしても地デジとCATVで画面のサイズが統一感のないテレビ操作のややこしさもうんざりするけれども。

2010-04-01

ばたばた Noisily

書こうかなと思うことはぼちぼちあるけど、なんだか、ばたばたしていて、日記を書く暇がない。

年度替わり、制度変わり、季節変わり、気持ち変わり。

ゆとり確保の為に借りた「ひとつ屋根の下」のビデオも、ばたばた、落ち着いて観られなく、それもまたストレスに。

のどかな春を望みはするけど、春はカスミの季節かな。

2010-03-27

サマータイム Summertime

多分、自分で買った初めてのLPレコードは中学生の時に買ったジャニス・ジョプリンの「In Concert」のような気がする。

そのジャニスの「サマータイム」にしびれた思いは、その後、映画「ジャニス」でのスターになったジャニスが自分を蔑んだ故郷の人たちを見返してやるんだと言って帰郷した故郷で完全に無視され、悔し泣きするジャニスとなり、今、ウッドストック40周年で復刻されたジャニスの「The Woodstock Experience」を買って聴く自分に繋がっている。

今日、仕事帰り、時季はずれの猛吹雪となり、女の子たちが「まじ!もうすぐ四月だよ」と叫ぶ光景を見て、ジャニスの「サマータイム」を聴きたくなった。

春間近につるつるに凍った路面を歩きながら聴く「サマータイム」こそジャニスなんだよなぁ。なんてね。

2010-03-26

正しさは正しい Correctness is correct.

昨日、ちょっとした操作ミスでスマートフォンの連絡先一覧を消してしまい、慌ててバックアップを復元したところ、なにやらエラーが出て、スマートフォンその物がハングアップしてしまった。リセットも利かなくて、しかたなく、バッテリーを外し、いったん電源を落とし、電源を入れ直すと、起動画面で止まったまま、動かなく、電話の機能も使えなくなってしまった。

メーカー修理かなと気落ちしつつ、会社の同僚の送別会に参加の後、帰宅後、念のためにと取扱説明書を引っ張り出し、リセット、フルリセット、初期化と試し、なんとか使えるようになり、バックアップを復元して、今年初めの状態にまで戻し、まずは一安心したところ。

もうすぐ四月というのに寒の戻りを繰り返し、気分もあまり優れぬこの頃、余計な手間でまた少し疲れてしまう。

この日記でも何度となく書いてきた道民共済とのやり取りも疲れが溜まる原因のひとつで、入院保険を支払う代わりに、「ご加入の継続はいたしかね、お支払いをもって解約となる」から共済加入証書を送れという要求を受け入れつつ、先日、簡易書留で共済加入証書を送り、それと一緒に告知義務違反とする「加入申込書」の写しを送るよう申し入れる手紙を同封させた。

その文面には病院側から個人情報の開示を求められたので、調べた結果、支払いに問題なしとした電話があったことや加入時に道民共済の事務所に直接行き、生命共済の加入について尋ねたなどをも書き記したのだけど、数日後、その返信が届き、告知義務違反である証拠の「加入申込書」の写しが送られてきた。

それに添えられた手紙には、インターネットからの申込である旨が書かれており、支払いは後日になるとあった。

我が家には道民共済の申込用紙が何通か残っており、いろいろ下調べした末に、インターネットからの申込をしたのだろうと思い返しているけれども、道民共済側にすれば、提出された書類のナンバーリングが全てであり、正論の根拠になるのだろう。

自社の正しさを書き連ね、「支払いは後日」という不明確で配慮のない態度が腹立たしく思うのだけど、そんな感情論は「正しくない」のだろう。

いつ振り込まれるかを気にかける今日、ゆうちょ銀行からメールが届き、振り込まれた事を知り、記帳しにATMに立ち寄ってみる。

計算以上の金額が振り込まれており、おそらく解約により発生した余剰金も含まれているのだろうと思うけど、一時に振り込みたいから、訳も言わずに共済加入証書の返却を急かすやり方はただ加入者に不安を与えるだけと思う。

「正しさは正しい」裏にある配慮のなさは病み上がりの人間に手厳しい質問を投げかけてくる時と同等のものだろう。

閑話休題。支払いと共に問題は解決し、全国生活協同組合連合会の苦情・ご提言等の受付窓口に申し立てる事もなくなりはしたけど、道民共済と関わり持つのはもう懲り懲りというのが本音だし、加入している火災共済も解約しよう思っている。

「正しさは正しい」ごもっとも。それで世間が成り立つなら誰も苦労はしません。

今回学んだことは、契約取引の証拠となる物は必ず貰い、大切に保管して、いざという時に提出出来るようにしとけという事。

まずはひとつ肩の荷が下り、渡の世間の鬼退治、一服ついでに振り込まれたお金の使い道を考えようと。

2010-03-23

牛の鈴音 Old Partner

蠍座で上映している「犬と猫と人間と」が描かれるペットへのエゴというテーマの重さから、時間の都合がついてもどうも足が向かず、みぞれが一日中降りしきる今日は結局、シアターキノで上映する韓国のドキュメント映画「牛の鈴音」を観に行った。

子供らが街に出て、韓国の山村に暮らす爺ちゃんと婆ちゃんが細々暮らすために田畑を耕すために飼っていた老牛の弔いから映画は始まる。

ヨタヨタ歩く老いぼれ牛と幼い頃から足が不自由な爺ちゃんの畑仕事を、愚痴りながらも手伝い続ける婆ちゃん。それだけの話の映画の中に、農薬の話や畑作の機械化の話、市場開放で国内の牛の価格が暴落する話など、ちょっと作為的な仕掛けが施されはするけれど、老牛と年寄り二人は何もしなくても予定通りに老いていく。

山間の自然の中、老いていく者たちが繰り広げる営みだけが映し出されていく。

「土を耕し、子を育てたすべての牛と父親に捧げる」エンド・タイトルに記されたこの言葉がこの映画のすべてであるけど、観ないとそれは分からない。

昔、人は生きるために動物を飼い、動物が亡くなる事でどう生きようか思案に暮れた。そんな生き方しか知らない韓国の老人のドキュメント。

週間天気によると今年3月はこのまま春らしくならずに終わるとか。そんな生き方を忘れた街にみぞれは降りしきる。

2010-03-20

頭おかしいんじゃない It is stupid.

帰宅途中の地下鉄の中、今風のギャルが友だちと乗り込んできて、僕の隣に座り、お互いの近況報告をしあっていた。

聴くとはなしに聴いていると、ギャル語連発しながら、ハイトーンな会話が面白かった。

おじさん風に再現すると。。。

「5日から20日まで休みなしって、なーに?それ。頭おかしいんじゃない?」

指折り数えて。

「5日、6日、7日、8日、9日、10日、11日、12日、13日、14日、15日、16日、17日、18日、19日、20日。15日も休みなしジャン。人を莫迦にすんなっつぅの。」

「店長がさ。やれる人、手を挙げてって、聴いたら、みんな手を挙げるジャン。一人だけ出来ませんっても云えないし、手を挙げちゃうよね。」

お二人さん、片方が降りる駅に着くと、お互い、「負けずに頑張ろうね」と励まし合っていた。

「怒れる若者」健在なり。

怒ることを忘れた高齢化社会の中、「負けるな、一茶、ここにあり」。

2010-03-19

フィリップ、きみを愛してる! I Love You Phillip Morris

春の嵐が来るという。嵐の前の穏やかな日、ジム・キャリー、ユアン・マクレガーのコテコテ・ゲイ・カップルのコメディ「フィリップ、きみを愛してる!」を観に行ってきた。

「フィリップ、きみを愛してる!」と云うために、そこまでするかの犯罪歴で、懲役167年。これが実話で、原作者は現在も刑務所暮らしというアバウトなお話。

世間体を気にして、妻帯者になったものの隠れてゲイ生活を送るのにうんざりした男が、カミングアウトして、家を飛び出し、ゲイライフを満喫するものの、遊ぶためにはお金が必要で、詐欺まがいなことを繰り返し、辿り着いたのは刑務所暮らし。

それが彼の人生を変えることとなり、最愛の「男」と巡り会う。けれどもしかし。

「嘘の奥にある真実を知って欲しい」と彼は弁解するど、出逢いたいがための嘘、付き合い続けたいがための嘘、別れたくないための嘘、やり直したいがための嘘で、懲役167年にもなった男の悲喜劇に、虚栄張り生きる誰かさんの悲喜劇をオーバーリアクションしたかのようでシニカルにもなるけれど、誰かさんと決定的に違うのは「きみを愛してる!」からの嘘。得たい者を得るために、得た者を逃がしたくないために、逃がした者をまた得たいがために、罪を重ねていく彼は、結局虚栄でしか人を愛せないのだろう。

わざとオーバーな演出の愛の告白シーンに流れるビージーズの「ラブ・サムバディ」の白々しいこと。思わず笑っちゃいました。

みんな、愛するのが下手になってきているんだね。

2010-03-16

卵が先か、鶏が先か The egg is ahead or the chicken is ahead?

お役所の古い体質もろ出しの道民共済さん、先日の携帯電話での話の内容をさっそく封書で送って下さった。

それによると、加入以前より北大病院にて治療通院しているから、申込加入自体、受けられないと前置きしている。

けど、僕は申込を共済の会社窓口に出向き手続きしており、その申込用紙のコピーが見あたらないので、告知欄の確認は出来ないけれど、申込加入を受けつけて貰ったんだけど。

まぁ、それは置いておいて、「この度のご請求につきましてはお支払いさせて頂きます」とあるのは、一安心として、「ご加入の継続はいたしかね、お支払いをもって解約となる」と書かれてある。

続けて、共済加入証書の裏面通信欄に「返却」と記入、署名、捺印の上、至急返送願うとあり、今月分として引き落とされた掛け金も後日、入院保険の支払いと共に戻すとあった。

退院間際に長々嫌な思いさせられるところだから、継続もしていらないけれど、ここで疑問に思ったのが、共済加入証書を返せば、支払われるのか、支払われれば、共済加入証書を返すのかという疑問。

直接問い合わせ、また嫌な思いをしたくないので、結果を知らせて欲しいと云われていた消費者相談センターにその事を問い合わせて貰うため、出かけていった。

電話によると、共済加入証書を返せば、支払われるとの事で、相談員さんが食い下がってくれて、共済加入証書が返却された4、5日後には支払われるとの回答があった。

けれども、なんか「オレオレ詐欺」みたいな感じがどうもぬぐいきれないし、相談員も振り込まれる金額を一応確認してくれた。

その後、肝炎訴訟の早期解決を求める署名を渡す用もあったので、肝炎訴訟の弁護士さんの法律事務所を訪ねて、事務の女の子にこの封書を見せ、成り行きを話すと、弁護士さんが関わるとどうも長引きそうな感じもしたので、とりあえず共済加入証書を返却して、振り込まれるか様子を見ると話すと、事務の女の子が送る際に、書留郵便で送り、送った証拠を残すようにとアドバイスしてくれた。

解約手続きは道民共済にとっては優先課題だろうけど、加入者を鼻から疑ってかかり、共済加入証書を返せば、支払うという態度は時代錯誤も甚だしいと思うし、共済加入証書が仮に悪用されたところで、管理体制がちゃんとしていれば、断る術があるのに、なぜ、共済加入証書の返却にこだわるのかが理解しがたい。

まさか、加入申込手続きの時に告知していた事を見落としていたから隠蔽なんて事はないとは思うけど、疑う者に対してはこちらも余計疑惑がわいてくる。

2010-03-15

幽霊バス Ghost bus

人は死ぬ時、数倍の大きさになり、その存在意義を示し、死ぬとガルシア・マルケスの小説に書いてあった記憶がある。

先日の「幽霊バス」の謎は、教えて頂くところ、地下鉄駅で飛びこまれた方がおり、事故処理のため、不通区間の代替バスであったらしい。

この存在意義の大きさは何台ものバスを動かす程、大きなものだったのだろう。

季節は人事異動などで人が動く季節。「俺を忘れないでくれ!」「私を忘れないでくれ!」という数倍の大きさとなった行為も、慌ただしさの中にかき消され、翌日の新聞記事にもならなかったらしく、この世の居場所がなくなった方は語り継がれもしないようである。

人事異動の季節は仕事を終えた団塊の世代たちにとっては、居場所捜しの季節なのか、昼に入りに行ったスーパー銭湯は働き終えたのだろう団塊の世代の親父たちでごった返していた。

居場所がなくなった方の集まるところ、ここもまた「幽霊バス」(Ghost bath)なのかも知れない。

2010-03-13

どうでもいいけど、気になること Be anxious though it is trivial.

今日、仕事の帰り際、「回送中」と表示された走るバスの中、吊革を掴む人もいるほど満杯の乗客を乗っていた。「なんで?」と思っていると、その後に「貸し切り」と表示されたバスが続いて来て、「あぁ、表示板の変更を忘れたのか」と納得したけど、「貸し切り」で吊革に掴むほどの満杯の客を乗せたバスって、あるのかなと疑問に思う。もしかして、あれが噂の「幽霊バス」だったりして。

そんなような、どうでもいいけど、気になることといえば、先日の肝炎訴訟の公判にて、原告の意見陳述がなされている時、被告側の国の席に着いた人たちを何げに見ていると、年配の方々の座る中で、傍聴席側に座っていた30代ぐらいの若い方が、頬杖ついて、原告の意見陳述を聴いていた。被告の国を代表する方達なのに、年配の方々もその若い方を咎めるわけでもなく、なんか頬杖つく若い方が異様に見えたのは僕だけだったのだろうか?

それとも頬杖つかなきゃならないくらい体勢維持が困難な内部障がいの方だったのだろうか?

それが今でもどうでもいいけど、気になること。

2010-03-12

和解 Reconciliation

札幌のB型肝炎訴訟を行っている法律事務所より札幌地裁で、裁判所の和解勧告を被告である国が受け入れるかどうかという公判があるというニュースを頂き、友だちと裁判所に傍聴しに行ってきた。

開廷30分前に着くと、冷たい風が強く吹いている裁判所前では原告団による今日の日程が原告、支援者たちに説明されているところで、よくニュースで観る原告団の裁判所に入る光景の前の情景がそこにあった。

札幌の原告、日本各地の原告、支援者と入廷し、原告のひとりである女性が自分がB型肝炎と知った経緯から今日に至るまでのしなくてもよかったはずの苦労を淡々と語り、親が我が子の健康を思い受けた集団予防接種が、国の指導がなくずさんな医療体制の元、注射針の使い廻しからB型肝炎ウイルスを感染する結果になった事が、慢性肝炎と生きなければならない今の私たちなのだと語られ、原告ら訴訟代理人である弁護士から「和解勧告を求める上申書」が読み上げられて、公判は閉廷となった。

一階ロビーで被告である国が和解を受け入れるかどうかの決定の報を待つ原告の方達と共に行動し、和解が提示された知らせに、これでやっと国の施策が動くきっかけが出来たのだと、涙ぐむ原告の方達と公判結果を素直によかったと思った。

肝炎を含む内部疾患も障害の基準に組み入れられるという話も聴いており、無理をすれば命に関わる内部疾患が障害と認定される事により、今まで「不自由さに負けるな」式の頑張りズムが大手を振るっていた障害者自立支援も、その人の「ありのまま」を認めるように変わっていくことを願わずにいられない。

弁護士会館で説明会があるという話だったけど、それには参加せず、裁判所を友だちと共に後にした。

友だちと昼飯を食べ、別れた後、B型肝炎治療の入院保険を請求している道民共済から電話があり、調査の結果、以前から行っている投薬治療とB型肝炎は無関係であるから今回の入院保険は支払うけれども、投薬治療をしている人の加入は断っているので、これで共済保険を解約とさせて頂くという話で、聞こえよく云っているけど、ようは入退院を繰り返しそうなB型肝炎患者はお断りなだけジャンと思い、携帯電話に長々話すので、「口だけじゃ判らないから書類を送って下さい」と話を打ち切った。

これもB型肝炎救済処置が具体化する前の「和解勧告」なのかなとあきれもしながら、冷たい風が強く吹いている街中、帰宅の途に着いた。

2010-03-11

トワイライト Twilight

「タイムカプセルを開封します」その新聞広告から集まった1970年キッズたち。

世紀末を超えて、何事もなく迎えた2000年代で、彼らはある者は会社をリストラされることにおびえ、ある者はバブル崩壊で夫の仕事がうまくいかなくなってから、夫婦の関係もおかしくなり、ある者は売れっ子塾講師から緩やかな下り坂を迎える、そんな40代になろうとしている。

気乗りしないままに、小学6年生の時に埋めたタイムカプセルを掘り起こす現場に集まった「たそがれ族」は、キッズたちが卒業の後、怨恨で殺された当時担任の手紙をタイムカプセルから拾い出す。

「今の私と同じ年になったあなた達は幸せですか?」

過去からの問いかけに反発しながらも、過去の自分が埋めた未来への贈り物に戸惑うキッズたちの一週間を重松清「トワイライト」は描く。

「タイムカプセルを開封します」と呼びかけたのは、そのクラスにたった一週間しかいなかった転校生で、今はB型肝炎で入退院を繰り返す男。

無理も出来なく、訪れるはずの死と向き合うその男は更に10年後の自分たちへのタイムカプセルを埋めたいという。

「未来とは叶わなかった夢」と開き直るキッズたちは、自分たちの思い描いた未来には、緑がなかったなぁと思うようになり、10年後の自分たちへ希望を繋ぐようになる。

さながら一昔前のトレンディドラマ風な物語展開に、同時代の痛みを感じ、シンボライズに描かれる万博の太陽の塔のミニチュアに、僕より数年だけ若い「新人類」との共通項を感じた。

そして、この重松清「トワイライト」を電車通勤の最中、僕より一回り若い福山雅治の歌を聴きながら読むと、青臭く突っ張っていた若い頃やしたり顔で今を見ようとする自分が見えてきて、トワイライトの今を無理に走ることないよなぁと思いもする。

一昔前のトレンディドラマの主人公たちは今、幸せなのだろうか?無理して生きていないだろうか?と。

2010-03-09

地下鉄の謎 Mystery of subway

昨日、病院の帰りに、年度末、障害者の交通費助成の手続きをしに、区役所に行き、新しい年度の福祉乗車証を貰ってきた。

札幌市は障害者の交通費助成が福祉予算を肥大化させるとして、障害者の交通費助成の見直しをしたのだけれど、この時、当事者側から地下鉄の改札機で、いちいち切符を改札に通さずに、切符を改札機の読みとり部分にタッチするだけでよい札幌市営交通独自システムのSAPICAが使えるようにして欲しいという要望が出されていたけど、貰った福祉乗車証は従来の改札に入れるタイプのものだった。

脳性麻痺や脳梗塞など手足に障害ある人の福祉乗車証をみせて貰うと、一年間使わなきゃならない福祉乗車証は折れ曲がったり、すり切れたりで、出し入れの苦労が、市福祉課でもない僕が見てもかいま見える。

札幌市の交通局は累積赤字を解消すべく、市営バスを民間に譲渡して、今現在、市で運営している交通機関は街中を走る路面電車と地下鉄のみになっており、先のSAPICAは民間に譲渡した市内交通網にもその改札機導入のコスト面から折り合いつかずに使えなく、なぜか交通局管理下の市電でも改札機導入がされていなくて使えない、そして、独自システムにこだわったためか、JRなどの同じようなシステムとの連携もなく、札幌市の地下鉄でしか使えないという希少価値なシステム。

その希少価値のSAPICAの専用改札機なるものが地下鉄駅に配備され始めており、市営交通でも自慢げに周知ポスター[PDF]が張り出されている。

そこで、本題「地下鉄の謎」。よく云われる「地下鉄の電車はどこから入れるのでしょう?」じゃなくて、「地下鉄の最新設備の投資はどこから捻出するのでしょう?」

SAPICAの専用改札機は云うまでもなくSAPICAしか使えなく、まぁ、SAPICAを使う人にとってはスピーディさを求めるのだろうから専用改札機が欲しいという要望があって当然だけど、札幌市の地下鉄利用状況[PDF]をみればほとんどが利用者減で、時間帯別を考えれば、せいぜい朝夕のラッシュ時に「さっぽろ」「大通り」「すすきの」「西11丁目」が混雑する程度だろう。何も全駅にSAPICAの専用改札機を設置する必要性なんかないと思うし、従来型の切符を差し込む改札機にSAPICA用のタッチセンサー部をつけた改札機を増やした方がいいと思うし、SAPICAの専用改札機を有効活用するならば、改札機の使い勝手が悪い人たちが使えるシステムにすべきだろう。

他の交通網との汎用性がないSAPICAの専用改札機は昼など見ていると誰も利用者がいなく、旧式の改札機が列を作る場面もしばしば見られる。

札幌市の地下鉄の謎は、SAPICAだけじゃなく、東西線にのみ設置されている地下鉄ホームの防護柵は、それとセットに地下鉄車両を運転手のみのワンマン化も行われ、人件費削減も兼ね備えているというけれど、元地下鉄駅員だった知り合いによれば、路線全体の曲がりが少ない東西線だから出来るので、曲がりが多く、人身事故やトラブルの多い南北線、東豊線の地下鉄ホームの防護柵設置、運転手のみのワンマン化は難しいだろうと話していた。

昨日も区役所に行く途中、地下鉄駅で防護柵の点検整備が行われていたけど、防護柵だって年数経てば新しい防護柵に切り替えなければならないだろうし、今の地下鉄構内の人件費に比べてどれだけの経費削減になるかはあまり期待出来ないような気がする。

どうも行き当たりばったり的な市交通局のやり方を見ていると、危機意識が薄いと云われる札幌市政の実態のような気もするし、減価償却という概念がない行政予算の使われ方が地下鉄でよく表れているような気がする。

札幌市では路面電車の延伸が検討され、それには運賃値上げも提案されているけれども、現状、平日昼など交通網を利用するのは、交通費助成を受けた高齢者や障害者が大半である現実で、運賃値上げ=交通費助成の縮小になることを危惧する。

札幌市の総合交通計画部の交通施策には「札幌市交通バリアフリー基本構想」「札幌市交通バリアフリー特定事業計画」を謳っているのだから、利用実態に合わせた利便性を追求して貰いたいものだけど。

2010-03-08

バッド・ルーテナント The Bad Lieutenant: Port of Call - New Orleans

アメリカ、ニューオリンズ。巨大ハリケーン・カトリーナの襲来を受け、水没した警察署で牢獄の中で逃げ遅れ、助けを求める囚人が溺れ死ぬのを眺めている警察官二人。その一人が何を思ったのか、服を脱ぎ、その囚人を助け出し、飛びこむ時に打ち所が悪かったのか、生涯鎮痛剤に頼らなければならない生活になるが、この功績が認められ、表彰され、警察の位が一ランク上がる。

酒とドラッグと暴力にまみれた男を描いたアベル・フェラーラ監督、ハーヴェイ・カイテル主演で1992年に製作された「バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト」を、人間の原風景にこだわり続けるドイツ出身の鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督がニコラス・ケイジ主演でリメイクしたフィルム・ノワール。

ダーティなこの男を追う映像で、ワニが道路を這い、イグアナが一緒に外を眺め、犬が引っ張り回され、その度にカメラは動物たちの目線で人々を写す。

動物のような人間と人間のような動物。自然災害がニューオリンズの野性をされけ出したかのように、ダーティに生きることが当たり前のようになった世界で、人は酒を飲み、ドラッグにラリって、人を玩び、自分の名誉を積み重ねていく。

鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督のシュールな世界観は未だ健全であることに嬉しくなってくる。

溺れた者と助けた者が水族館の巨大水槽の前、座り込むラストは「人間皆同じ」と云わんばかりに、ニューオリンズのにぎやかな音楽が被さってくる。

養老院の老婆の酸素吸入器を外し脅す男の狂気は痴呆ゆえに立証されず、アメリカ奴隷史のルースの土地に呪縛する人間の野性は金と名誉とハイテクの世の中、観て見ぬふりとモラル至上主義という最もなじみ深いものになる。

2010-03-05

音沙汰なし Communication none

低血糖、低血圧のせいだろうか、今日は目覚めからなんか身体の調子が重い感じで、春先のべた雪が積もった玄関前を雪かきするのも難儀だった。

そして、未解決の難儀なことを何とかしなきゃと、10時過ぎに札幌市の消費者相談センターに出かけていった。

以前、日記に書いた道民共済の記事を読み、憤慨してくれた方からメールでアドバイスをいただき、相談に行ったのがこの消費者相談センターで、それから10日近く経った今も道民共済から入院の保険金の支払いもなく、審査通知の知らせもないので、再度確認するのに、僕が直接だとまた嫌なことを聴かれそうなので、報告を兼ねて、問い合わせして貰うよう頼みに行った。

道民共済の後に郵便局に書類を提出した簡易保険は先週に振り込まれているのに、道民共済は何の音沙汰なしであることを告げると、審査に時間がかかっているのではとアドバイスしてくれた相談員の方は電話をしてくれた。

電話の内容は、担当者が席を外しており、昼過ぎには帰ってくるとの事で、折り返し僕の携帯に電話するといっているとの事だったけど、こっちもせっかくの休日でもあり、昼から映画を観たかったし、僕の方からかけると云って、とりあえず今回の相談を終えた。

結果が分かったら、連絡下さいという相談員の方に一礼し、消費者相談センターを後にしたけど、結局、こちらからは必要書類を出しているのに、また根ほり葉ほり聞かれるのが嫌で電話はしなかった。

必要書類の不備の指摘もなく、ただ加入期間が短いだけで、病気の潜伏を知っていたと疑われ、まったく関係のない、35年も飲み続けているセルシン錠との因果関係を問われ、告知義務違反かも知れないといいながらも、おそらく今月もしっかり月々の掛け金は口座から引き落とされるだろう。

5000円の診断書の提出を求め、音沙汰なしの審査通知はいつ届くのだろう?

2010-03-03

e-Tax

確定申告はとっくに済ませているけど、e-Taxの話題がちらほら聞こえてくる。

思うにe-Taxの利用者側のメリットって、パソコンで申告出来るだけのような。

e-Taxの控除もその年だけとけちくさいものだし、還付も混む前の申告に比べ、一週間程度しか早くない。

e-Taxを利用する際に求められるのが、住基カードの登録で、さんざん問題になった住基カードの利用促進にe-Taxが使われているだけだろう。

住基カードの問題は自分の個人情報がネットに流れる云々で議論になったけど、本質は自分の個人情報がひとつにまとめられる事だと思う。

ひとつにまとめられた個人情報がハックされたら、どうなるかだし、その納税情報から子供手当だとか、障害者助成だとかで、この人は収入があるからあげる、あげないの判断に使われる可能性があるから危ないんじゃないか。

まぁ、手当や助成を受けられないほど収入があるわけではなく、給与から天引きされた税金が返って欲しくて確定申告する身には住基カードの個人情報流出なんか何も怖くないけど、住基カードの登録料、e-Taxで使われるカードリーダーの代金など身銭切って、自分の個人情報を提供する気もないし、確定申告の時に後から電話などで問い合わせ来るより、対面で申告した方が何となく安心出来るというアナログ思考からe-Taxはする気になれない。

便利さの裏側を知ると便利さの怖さが判るかも。

2010-03-02

寒暖 Temperature

先週の暖かさから一転して、ここ数日の寒さのせいか、または年度末で慌ただしい時期に気持ちが引っ張られたのか、疲れた感じがあり、肩凝りもひどく、軽い咳も出ている。

肝臓が悪いと疲れやすいと云われ、その実感はあまりないのだけれど、ちょっとした慌ただしさに敏感に身体が反応するのは、やはり「疲れやすい」からなのだろうか?

年度末の月を迎え、出来る限り身体を休めようと、仕事も調整しているけど、仕事にまつわる人間関係が年度末になると特に面倒な事が多くなり、精神面から疲れてくる。

人の世の年度末って、案外季節と同じく寒暖の差が激しいのかも知れない。

別段書くこともないのに、こんな徒然を書いてしまうのも寒暖のせいかもしれないし、それにしても本心はなかなか書くことが出来ない。

先日の津波騒動や公共の場での煙草全面禁煙の議論など、本筋の地殻変動がおかしいだとか、煙草を販売する事の是非は置いておいての茶番と同じように。

僕たちの環境の寒暖差は狭まるのだろうか、それとも広がるのだろうか。

そんなお節介な議論をあざ笑うように、地球は回っているんだよね。

2010-02-26

ご来院くださいますよう To come to a hospital

夕方、帰宅すると、肝炎で最初にかかった病院から手紙が来ていた。

目隠しシールで覆われた裏面には病院名と「ご連絡」の文字が見えており、入院先を紹介してくれた病院が今頃何なのだろうと不審に思いながらも、また何か嫌な知らせじゃないかと不安を抱きつつ、目隠しシールをはがしてみた。

そこに書かれていたのは、通院後の経過を問う文面が書かれていたけど、末尾に「肝機能障害」「膵炎」が認められますので、と書かれており、だから、入院先を紹介してくれたんじゃないのかいと云いたくなるような文句で締め括られていた。

現在、入院した病院に通院治療を受けているのに、何故また、始めにかかった病院からこんな知らせを貰わなきゃならないのかよく判らない。

まさかこの不景気の時代、病院も外来履歴からダイレクトメールを送っている訳じゃないだろう。

けど、ふと思い出すと、外来履歴ある歯科医からただで診てあげるから来てくれと誘いを受けた経験もある。

詳しくはよく判らないけど、なんでも社会保険の受診点数が、住宅街の小さな病院には生き残りのために科せられているとかで、病院が潰れる時代は何も過疎地だけの問題じゃないらしいという事を聴いた記憶がある。

「ご来院くださいますよう」町医者の生き残りならば、あまりに貧しい医療福祉が今の日本なのじゃないかな。

2010-02-22

30年目 Thirty Years

道民共済(都道府県共済)から問い合わせの電話が週末金曜日にあったらしく、今朝、電話してみると、入院理由になったB型肝炎の感染時期はいつなのかを問われ、生まれつきの障害である脳性麻痺とB型肝炎を結びつけようとするようなトンチンカンな問答があり、終いには脳性麻痺の不随運動を和らげるための投薬治療が加入時の告知義務違反になるかも知れないから調査すると云われた。

共済保険は掛け金が安い分、保険金請求で手間取ると友だちから教えて貰ったけど、ここまで人権無視した問答をされるとは思わなかった。

週末の仕事を学生時代から始め、30年が経ちましたという話をブログに書こうとする前に、嫌な思いをさせられたので、ついつい書いてしまう。

人の履歴を疑り出せば、いくらでも埃が出るのは当たり前で、人の集まりである企業なんて埃が溜まって、初めの理念が見えなくなっているのが当たり前なのだろう。

病気の因果関係なんて医学でも解明されていないものが90%以上あるのだから、提出求める診断書に書かれていない事を問い詰めていけば、保険会社の保険金支払いなんかしなくて済むようになり、その調査費を経費に捻出出来もするだろう。

仕事を始めて30年目経ちましたも、うまくやって30年生き延びましたね、とも云われかねない。

入った頃はのどかだけれども、物騒な環境であった仕事が、やがてバブルを迎え、人混みで勤務するのも嫌な時代が訪れたかと思いきや、バブル崩壊で物騒な環境もろともじり貧となり、今や閑古鳥の住みかになるのじゃないかと危惧されるまでの経済崩壊となり、金満日本の歩みを象徴する30年だった。

その間、長期欠勤したのは10年前の起き上がることも出来なくなった腰の痛みとこないだの入院のみ。我ながらよく続いたなと思いもするけど、人から見ればこれも自画自賛なのだろう。

報われない社会からは報われない人間が育ち、更に報われない社会を生み出す。

お金と共に育った日本の社会保障はお金と共になくなるのだろうか?とふと思う。

2010-02-19

用件終了 Business end

確定申告、入院の保険金請求などなどやっておかなきゃならないことも一通り片づいた。

いつも思うけど、元々が雪国の日本で、年度末は何故三月なんだろう。雪解け、花開く季節を迎える区切りという元々の意味は判るけど、人事異動から確定申告、受験、新学期、入社シーズン、人の生活すべてが変わるこの時期はまだまだ雪や寒気の影響を受けやすい時期なのに、更に忙しさを増してるような。消費の底といわれる二月もそんな人の忙しさから来るのかなと思ったりして。

退院間もない本来安息の時も、多めに頂いた休みに街中駆け回り、それでも意識的に身体を休める時間を作ってはいたけど、用件終了と同じ時期に仕事の方も復帰モードになってきて、なんか休んだ気がしない。

昨日、一昨日とディスクワークの平日の仕事が久々連チャンで続いたけれども、やはり根詰めるディスクワークは疲れるので、つい息抜きに関係ないことをしてしまう。

そんな時、僕の快気祝いも兼ねて、元々小樽に店を出していた親戚がススキノで居酒屋を開き、繁盛しているのを、従妹から入院中に教えられ、退院したら、その店に連れていってと頼んだことから、一昨日の夜にその店に集まることになった。

「味処酒房なかむら」に行くと、小樽の従姉が店を切り盛りし、従姉の旦那が調理場で黙々と料理を作り、家に戻ってきた次男坊が店の手伝いとして接客をしており、奥まったテーブル席に入院中身の回りの世話をしてくれた従妹と何年か前から外出は車椅子になってしまった叔母がいて、僕を出迎えてくれた。

その後、従妹と双子である家族も揃い、場はいつしか親戚会議になり、肝臓によくないからとアルコール控えめを云われている僕もレモンサワー一杯で場に酔ったのか少しほろ酔い加減。

気の許せる人たちと集うことがやはり一番の休養なのかなと思ったりして、帰り際、「ランチもやっているからまた来なさい」という「味処酒房なかむら」の従姉に見送られ、帰宅につく。

時間に追われる時代だからこそ、いっ時、時間から解放される場所を作るのも身体に易しいのかもと思いもする。

2010-02-15

疲れた tired

例年になく冷凍庫状態が続く札幌。ただでさえ疲れるのに、週末の職場ではゴタゴタ続き。

従事員の親睦会の定期総会が波乱のうちに終わり、その報告の広報担当として文章化したものをワープロに打つ役目の僕は、聴きたくもない一緒に活動した現役員の言い訳を聴かされる羽目になり、波乱の要因となった事柄が決まった経緯が入院中で、よく判らなかったけど、どうも現役員の逃げ口上のような気がして、うんざり。

自分の所属部署が僕の後継として新役員を出していないということも、立場上からも、今の職場の状況からもカチンと来ているのに、ますますストレスが溜まるばかり。

何で人は自分に非がある時に、素直に謝るという事をせずに、こじつけがましく自分の正当性を言い訳するのだろう。

板挟みで嫌な思いをするこちらの立場なんか何も考えないその人たちを思うとまた肝臓が重くなるような気がする。

そんなフラストレーションの最中、週明け月曜は平日勤務の職場に久々の出勤だったけど、ちょうど監査が入っているとかで、ごたついていたせいか、更に精神的に疲れたなぁと感じ、無理出来ない肝炎を抱えているからなのかなと悲観的にもなってしまう。

幸い当分は休みの日を多くする勤務態勢でいくけれども、些細なゴタゴタさえ、過剰に反応しそうで、不安になったりもする。

緊張煽る冷凍庫状態のこの寒波が早く抜け去り、気持ちゆるむ雪解けの季節が来ないかと思いもするけど、このゴタゴタももう少しの辛抱で済めばいいのだけれど。

2010-02-12

酒の肴 Relish of sake

かなり昔に古本屋で買い、茶の間に置いてある「家庭の医学事典」の「黄疸」のところを読んでいると、アルコールと酒の肴と肝臓の親密な関係について書かれている箇所があり、なるほどねぇと思ったので、忘備録。

肝臓を患うと、必ずアルコールは控えるように云われるほど、肝臓にとってアルコールはリスクが大きいもののようで、本来、血液の流れをよくする役割を果たす肝臓はアルコールが入ってくることにより、その消化吸収に全エネルギーを費やすらしく、その間、血液の流れをよくする役割もおろそかになるほどであるらしい。

アルコールを飲む時に、酒の肴として高タンパク低カロリーの食べ物がいいとされるのは、高タンパク低カロリーの食べ物が肝機能を高める働きをするようで、白身魚や鶏肉、大豆製品を食べることで、悪酔いを防ぐ働きがあるらしい。

ただでさえ肝臓は全身の脂肪組織から血液中に放出された脂肪酸を取り込んで、中性脂肪に変えて再利用する働きをする脂肪まみれのところなので、アルコールに、脂っこいものを食べたりすれば、ヘビー級のダブルパンチになるという。

肝臓を患った人は高タンパク低カロリーの食べ物が勧められるのは、肝機能の回復をよくするためであり、じゃ、高タンパク低カロリーの食べ物とは何かとなると、酒の肴として勧められる食べ物となるみたい。

コンビニで100円商品の中に、「ししゃも」が並んでいて、その成分表示に「タンパク質9.5g」とあり、確かに酒の肴の代表格「ししゃも」は高タンパク低カロリーだよなぁと食べたくなり、買ってみる。

レンジで温めて貰った「ししゃも」を家に帰り、開封すると美味しそうな匂いがし、子持ちたっぷりの「ししゃも」を食する。元々アルコール依存はないから「酒飲みたい」にはならないけれど、酒飲みの肝臓患いならば、悪循環を繰り返すんだろうなぁ。

2010-02-11

モーターサイクル・ダイアリーズ Diarios de motocicleta

「世界のどこかで誰かが不正な目にあっていたら、いつもそれを感じることができるようになりなさい」後に我が子に宛てた手紙にこう書いたエルネスト・チェ・ゲバラが若き日に我が大地、南米を旅した時の日記集。

身動き取れない入院中から読み始め、退院し、あちこち動き回れるようになった今、やっと読み終えた。

ハンセン病を学び、その実態を旅することで知っていったゲバラは、否応なしに南米の歴史と向き合うことになる。

生きるために人を欺くインディオたちとその祖先が築き、葬り去られた文化遺産の数々。

エルネスト・チェ・ゲバラを革命に駆り立てたものが何だったのかの記録である「モーターサイクル・ダイアリーズ」は言葉に書き綴った分、読み手のイマジネーションを求め続ける。

医師の役目とは何なのか、巻末に納められたキューバ革命の後に演説したゲバラの講演で語られる言葉は、民衆に「慈善を施す」「学問を教える」欺瞞を指摘し、民衆と共に学ぶ大切さを繰り返し説いている。

政治としての医師の役目とは、「助ける」事ではなく、「共に病苦と闘う」事であると、ゲバラは語る。

共に闘おうとしない者は、その記録の信憑性を疑ったり、人々の実情を知ろうとせずに「正しさ」を説くのだろう。

見聞きする実体験の大切さをエルネスト・チェ・ゲバラは信じ続けたのだろう。

2010-02-08

定期検診 Regular medical examination

退院から2週間、先週は快気祝いが続いたり、週末の職場の定期総会があったりと、慌ただしかった上に、厳しい寒さが続いた後、週末の仕事にあわせたかのように、ちょっとした地吹雪状態となり、出かけてもスーパー銭湯に寄り、身体を癒したり、寝る時間も深夜12時前には寝るなどの身体への気配りもなんか不意になりかねない状況が続いた。

2週間目の今日、定期検診を受けに行ったのだけど、血液検査の数値がどうなっているのか気になっていたけど、検査結果は至って良好で、主治医の先生も「肝炎ウイルスがこのまま抗体になってくれるといいんだけどね」と話して下さり、薬も抗ウイルスのバラクルード錠のみとなり、この薬を飲まなくていい時期を考えているようなお話だった。

参考データとして貰った血液検査のデータも極端な異常値もなく、少し低め、少し高め程度の貧血気味、栄養不良が見受けられる程度で、主治医の先生も「一時はビックリしましたけどね」と入院当時の異常値だらけの数値だった頃の事を話されていた。

疲れを溜めない生活に心がけ、高タンパクな食生活をした方がいいのかなと、この2週間を振り返り、思ったりする。

自分の生活を身体をいたわるように変えていく。易しいようで難しいけど、やらなきゃ身体をこわすだけという当たり前の話なんだよね。

2010-02-03

カティンの森 KATYN

ナチス・ドイツとスターリン・ソビエトに挟まれた国、ポーランドで起きたポーランド軍将校たちが虐殺された「カティンの森事件」。1939年9月、逃げまどうポーランド国民は西からドイツ軍、東からソビエト軍に追われ、ポーランド東部では武装解除されたポーランド軍人や民間人がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられたという。

その大虐殺で父を亡くしたポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダがその事件を題材にした映画が、年末から札幌でも封切られ、ちょうど入院時だったため、観られないとほとんどあきらめていたのが、思ったよりも早い退院のお陰で、上映最終週、退院の翌日に観ることが出来た。

戦後、ソビエト傘下の社会主義国になったポーランドで、「灰とダイヤモンド」などのレジスタンス映画を撮り続けたアンジェイ・ワイダの真意は、なかなかストレートに描き出すことが出来ないまま、民主化が進んだ後に、社会主義の暗部を解き明かす「大理石の男」、「鉄の男」などを撮り続け、ようやく監督の思想の原点であるだろう「カティンの森」に辿り着いたという思いがある。

それはネットでよく見かける聞きかじりの反共思想の連中が政治利用しようとするような生半可な代物ではないはずで、敗戦日本が、ソビエトとアメリカに分断されかかり、結局、アメリカ傘下になったとたんに、「ギブ・ミー・チョコレート」と鬼畜米英の日章旗をドブに棄てて、生きるために星条旗にこび売った国民性には、祖国を分断され、祖国を奪い返そうとし、灰になった行った国民の苦悩は理解出来ないだろう。

映画「カティンの森」はそれくらい判りやすい作品になっていて、人間の尊厳に対する組織暴力、国家暴力を描いている。その中には祖国を棄てて、生きるために社会主義者になった者に対し、「灰とダイヤモンド」の青年のように刃向かい、無駄死にする若者も描かれており、アンジェイ・ワイダの永遠のこだわりがフィルムに刻まれている。

ゴミのように投げ捨てられる将校たちの遺体は、人間死ねば、どのように扱われるか判らないという証であるだろうし、生きているから「人権」を語りえる。

死んだ者たちへのレクイエムにこだわるアンジェイ・ワイダの話法は確かにうまいけど、死んじゃいけないという事を今の時代だからこそ描いて欲しいと思う。

松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
燦然たるダイヤモンドの残らんことを
ポーランドの詩人ノルヴィト「灰とダイヤモンド」

そして、貧しき文化後退国日本にアンジェイ・ワイダ他のポーランド映画がNHK-BS放映のみならず、DVD復刻が一刻も早くなされますように。

2010-02-02

それから After that

週末の仕事は初出勤の日、病み上がりで心配してくれたのか、僕の仕事の見習いと云う名目で女性従事員のひとりがついてくれ、病み上がりで大人しくすべき時に無理云った僕への配慮に感謝しつつも、見習いに教え、一緒に歩く面倒くささも感じ、我ながらの身勝手さを苦笑した。

ひと月という長い期間休んだせいか、心配してくれた従事員やお客もおり、ありがたく感じつつ、それが励みになったのか、何とか足の筋肉痛にも堪え、週末の仕事をやり終えた。

翌月曜日は、午前中、肝炎関連の相談窓口にもなっている難病連と、その隣のビルに事務所を構える肝炎友の会に顔を出し、入院時の肝臓の数値に驚かれ、B型肝炎を抱えながらの生活のアドバイスを貰う。昼からは平日の職場に退院報告と今後の働き方を相談しに行ってきた。

退院後一週間でようやく一通り用事を済ませ、これから保険請求などで手続き必要な書類も揃い、平日の職場復帰も一週間の猶予を貰って、本日火曜日は確定申告の準備をしつつも、家で日がな一日、のんびり過ごした。

外にぶらりと出かけようかなとも思ったけれども、確定申告の準備で帳簿の整理をしていると昼過ぎとなってしまい、少し疲れたので、横になるとそのままうたた寝してしまい、まぁ、こんな一日もあってもいいよなと思えるようになってきた。

スローライフな生活って、意識的にならなきゃなかなか出来ないものであるから、脳性麻痺とB型肝炎という同行のものがいることで、ほれほれ無理しちゃ駄目だよと教えてくれる気もする。

それから、これから、命あっての物種は続く。

2010-01-29

筋肉痛 Muscular pain

退院後、毎日、用事を済ますために出歩いており、やはり病院の個室生活が長かったせいか、両足がパンパンに張り、筋肉痛で歩くのが少し辛い感じになってしまっている。

昨日は特定疾患の申請に区役所に行き、ついでにと思い、札幌駅前まで遠出したけど、これ以上無理しちゃやばいと思い、真っ直ぐ帰宅。今日は週末の仕事の復帰面接を受けるため、時間ぎりぎりで、無理して街中を走ったけれども、当の上司が遅れて出勤してきて、無理して走らなくて良かったかなと思いつつ、苦手なはずの上司に、我ながらよく口が動くと云うほど病気のことを話しまくり、それだけ元気ならと、明日から復帰OKを取りつけ、気が楽になったせいか、街中ブラブラしつつも、やはり足の筋肉痛が気になり、またまた極楽湯へ。

半身浴に、足浴にと、なんとか足の痛みを和らげようとしたけど、この歳の筋肉痛はなかなかしつこいもの。

昔通っていた知り合いのジムで、筋肉痛の話を聴いたよなぁと思っても、これまたなかなか思い出せない。

明日明後日は地上7階建ての建物を毎時間全館歩き回るお仕事始め。筋肉痛がこじれないように願いつつ、のんびり歩いて、久々の仕事仲間に、来客接待をしようかなと思うところ。

誰彼なく筋肉痛の和らげ方を聴き歩いているかも知れないけれど。(笑)

2010-01-27

退院後 After leaving hospital

月曜の血液検査も異常が見られず、翌火曜日に無事退院となりました。

従妹の迎えで帰宅し、さて、溜まっているメールを取るかとパソコンを起動させると、何故か繋がらない。設定をいろいろ変えても何をやっても駄目。あきらめて、留守中に届いている葉書類の束を順に見ていくと、NTT様から「契約解除予告通知書」なるものが届いており、平成22年1月31日が最終指定期日とか。

よく読むと昨年の11月分の引き落としが出来なくて、それ以前に利用停止の処置がなされている物が平成22年1月31日までに支払われなければ、契約解除するぞと云う内容で、どれどれとそれ以前に届いている葉書を見ていくと、平成22年1月4日に利用停止する旨の葉書があり、コンビニで支払う支払い書も添えられている。

退院その日はまだまだ病院生活のサイクルが残っており、ネットも繋がらないから、早々、それでも病院よりも一時間遅い11時に床に着き、身体を休める気持ちもあり、就寝する。

翌日、さすが周りが気になる病院とは違い、熟睡したけど、朝の5時には目が覚め、パソコン使えずに返事をしていなかった相手に、布団の中で携帯からメールを打つという病院と何も変わらない生活で始まり、すべてに返信し終えたのが、9時近く。急いで、起きて、近くのコンビニにNTT様にお金を振り込み、帰ってきて、朝飯を食べた後、二階に上がり、パソコンを立ち上げると、おぉ!ネットが繋がっていると感動する。というか、現金な奴とせせら笑い、退院後の用事を順次片づけなきゃと、まずは長年勤める職場に退院報告の電話を入れる。

退院後にしなきゃいけない物をざっと並べると、職場への挨拶、特定疾患の役所への申請、確定申告の書類作成に、今後に備えて、肝炎患者の会との人脈作り、簡易保険、共済保険の入院保険金の申請手続きなどがあり、その他に、パソコンのソフトの更新も何件かある。

退院すぐはのんびりととは行かない現実に、さてさてどうのんびりこなしていこうかと考えたりする。

退院翌日の今日は職場に退院報告の電話を入れたところ、別な日に体調問診の面接が用意され、空いた時間、観たかった映画が今週で最後だったので、身体を休める意味も込め、観に行くと、昔の友だちとばったり出逢い、入院生活の話をするはめになり、結局、映画の後も一緒に食事に行き、身体を休めるまでは至らなかった。

そのまま帰るのも何なので、病院では結局許可されなかった風呂に入りに、街中の極楽湯に行き、長風呂禁止だよなぁと思いつつ、久々の銭湯でまったり過ごし、帰り際、黄だんというやばいシグナルが出ていないか、鏡をのぞき見る。

気をつけなきゃならないこととやらなきゃならないことをどのようにこなしていくかの最初の一歩。ところどころで思いも寄らない展開にあたふたさせられる事もあるけれど、自己管理をしていかなきゃまた自分が悲鳴を上げる事にもなると自戒しつつの、新生活、頑張らなくちゃと帰りの夜道、ふと思う。

2010-01-24

願掛け Prayer

週明け月曜の血液検査の結果で、退院できるかどうか決まるというので、願掛けでもないけど、口ひげを剃らずら伸ばし、退院祈願を秘かに行っている。

思えば、入院日が平成21年の12月21日と、見事に1と2が並んだ日にちで、実母の亡くなった日が8月12日、養父の亡くなった日が12月12日と、1と2が並んだ日にちはなんか僕にとって何かと因縁のある日並びで、祖父の名前が一二と書いて「かずじ」と読むこれまた因縁めいた名前。

入院日がそんな因縁めいた数字の並ぶ日だったから、自分でも覚悟を決めて、治療にあたれたから、普通でふた月入院の覚悟が必要といわれた治療もひと月足らずですんだのかも知れないと思う。

月曜の血液検査の結果次第ということで、あまり無理せずにベットの上で安静にしているけど、もしかすると、本来安静期間なのだけど、通院治療で様子を見るということなのかも知れないとも思うし、こうした微妙な問題って、結局自分がどれだけ自分の体調を理解しているかが問われている気もする。

退院後にしなければならない事を、頭の中で整理し、優先順位を考えたりしているけど、最優先は自分の体調なのかなとも思ったりする。

10年前の起き上がれなくなった時から、10年目にしてのこの入院も、自分の中に10年周期の要注意シグナルとも感じるけれども、10年後など判るはずもないから、日々、自分の体調と向き合わなきゃなと「祈り」でもある願掛けに勤しむばかり。

命短し、恋せよ、乙女。

2010-01-21

おかゆ Rice gruel

入院ひと月目の今日、とうとう試練の日が訪れた。

明日の大腸カメラのために、今朝から食事メニューはおかゆ。。。

カロリー、朝、171kcal、昼、147kcal。

たんぱく質、食塩相当量は昼の方が紅鮭フレークで多いけど、夕飯はさらに減ると、大腸カメラの経験者であるお向かいの若者は嬉しげに語る。

昼のシャワーの後、リハビリかねて、地下の売店に行こうかと思うけど、そこでエネルギーを消耗もしたくないし、かといって、唯一許された水分補給のペットボトルの備えがこんな時に限って少なくなっており、空腹に腹を満たす分だけでも売店で買いたい気もする。

明日は朝食抜きで、朝の8時から2時間かけて2リットルの下剤攻めが待ち構えており、大腸カメラの前日の過酷な時は過ぎていく。

売店に行こうか、ベットで安静にしていようか、シャワー上がりのハングリーマンは今も悩んでいる。

2010-01-20

リハビリ Rehabilitation

治療経過がよく、身体の免疫力が回復したのか、昨日から病室から出る時に必ず着用だったマスクもしなくてよくなり、食後に必ず出されていたうがい薬もしなくてよくなり、煩わしかったものが一気になくなり、来週明けの血液検査の結果次第では、即日退院になるかもしれないと云われた。

そうなってくると気になるのが、運動不足から来る体力低下で、入院からひと月、個室から一歩も出てはいけない時期が3週間あったのでなおの事、衰えているのは当たり前で、ベットの上での生活が大半を占めるから、トイレやシャワーに行くのに廊下に出た時など足元がおぼつかないことが間々ある。

昨日、退院の話を聞かされたのを契機に、少し足腰鍛えるかなと、昼から地下の売店までエスカレーターで下がり、気晴らしをした後、地下から病室のある四階まで階段でゆっくりペースながら、手すりに頼らず、上がってみた。

足が上がらないなどということはなく、無事、四階まで辿り着けたけど、息切れは思った以上に荒くなり、やはり足腰が弱っているのかなと実感する。

一週間を切ったであろう入院生活、無理しない程度に、少しずつ、身体を鍛えねばと思う。

明日は試しに四階から地下まで階段で下がり、また階段で戻ってこようかなと思う。

リハビリのこつは気分転換。無理するようになったら、それはリハビリじゃない。

この事だけを肝に銘じて。

2010-01-19

肝炎対策法 Hepatitis policy act

自分が発症したB型肝炎について、調べていくと、薬害として騒がれたC型肝炎とともに、戦後日本のずさんな医療体制が引き起こした国内最大の感染病である事が判ってきた。その数は発症患者で約350万人といわれ、発症していなく肝炎が潜伏しているキャリア者を含めると国民の10人にひとりがウイルス性肝炎の持ち主であるとも言われているらしい。

B型肝炎の場合、1960年代頃まで集団予防接種が学校などで義務的に行われており、その際、注射針を取り替えずに、複数人に使いまわしされたがために感染した人が多数おり、国の責任として各地で訴訟を起こしており、薬害訴訟とこの集団接種訴訟の動きが、肝炎対策法の制定を後押ししている。

肝炎対策法は昨年夏の解散劇で、審議途中のまま、廃案になり、11月30日に自民党欠席のまま開かれ、ウイルス性肝炎の患者支援と医療体制の整備を盛り込んだ肝炎対策基本法案が全会一致で可決された。

その内容はあくまで肝炎対策の基本法案であり、具体的な救済策はまだ具体的に示されておらず、12月4日に札幌にて行われた北海道B型肝炎訴訟公判で、原告団共同代表から「私たちには時間がないので早急に法案の具体化を進めてほしい」と国の姿勢に対する要望が語られ、それを報じたテレビキャスターは、肝炎対策基本法について「仏作って魂入れず」と語っていたと、肝炎患者さんのブログで書かれていました。

僕の場合も肝炎の型から、子供の頃に何らかの形で貰ったものらしく、肝炎感染の主なものである母子感染、大きな病気をしての輸血感染など心当たりがなければ、集団接種によるものと考えられるらしく、大人になってからの感染ならば、一過性でウイルスを身体から排除出来るらしいけど、子供の頃に貰ったものは、身体の免疫力が十分成熟していないがために、ウイルスを身体の一部と認識し、慢性的な肝炎になっているケースや肝炎が発症しないまま、抗体化するキャリアになるなどがあり、数十年して、何らかの要因で身体の中に潜んでいたウイルスが発症するというケースに僕の場合は当たるらしい。

高額な医療費がかかる特定医療疾患と認定されながらも、長い時間、治療に費やされるなど、生活に多大な影響をきたすこの病気に対し、具体的な支援策がまだ示されておらず、この国では内臓疾患に対する障害認定は、肝臓ならば、肝硬変など重症化して初めて認定されるという厳しいものであり、無理できない身体である肝炎患者に対する具体的な支援策が早急に望まれるし、救援団体による訴訟という形でしか、今ある命を救う手段はないと聞く。

肝炎対策基本法案の付帯決議として、以下が挙げられており、早急な具体策が示されることを願うばかりである。

  • 施行にあたり肝炎患者等であることを理由に差別されないよう人権尊重に最大限の配慮を行うこと
  • 肝炎の唯一の根治治療であるインターフェロン治療は、現在、収入に応じて、月1万円、3万円、5万円の自己負担になっているが、これを原則月1万円にするのが、従来の民主党の主張で、また、B型肝炎の抗ウイルス療法についても負担軽減策が講じられると予測される。
  • 治療と社会生活を両立できるよう、地域における診療体制の整備や勤務時間等について企業等に柔軟な対応を求めること
  • 肝炎治療のための休職・休業を余儀なくされた患者に対する支援について早急に検討を行うこと
  • 地域の拠点病院の整備を図るとともに専門知識及び技能を有する医療スタッフ育成のために必要な措置を検討すること
  • 肝炎医療を行う上で必要が高い医薬品等について治験を迅速かつ確実に行うための体制の整備等を講ずること
  • 肝炎以外の慢性疾患についても必要な財政支援のありかたについて検討すること
  • 肝炎対策推進協議会の人選にあたっては、肝炎患者等をはじめとした幅広い理解を得られるよう公正中立を旨とすること

2010-01-18

私の試練 This is My trial

入院生活も社会復帰の準備段階に入ったのか、今週は明日火曜日に、胃カメラ、そして、金曜日に大腸のカメラの検査があり、このひと月の投薬で、胃腸に異常が出ていないか調べるらしい。

胃カメラは入院前、診察を受けた病院で、鼻から小型カメラを通す胃カメラをやり、入院直後に、口から少し大きめのカメラを通す胃カメラをやっていて、このひと月足らずで、今度のを入れると三回経験することになる。

鼻から入れる胃カメラは胃に届くまでは何ともなく、引き出す時にゲロのようなものが出たけれど、口から入れる胃カメラはのどを通す時点から激しい嘔吐に襲われ、それでもかまわず胃までカメラを入れるから、その苦しさは今でも覚えているけど、明日は、そのきつい口から入れる胃カメラだそうで、またあの苦しさを味わうのかと思うと、げんなりしてくる。

まぁ、ひと月前の最悪のコンディションと今とじゃ状況は違うけど、これで同じ苦しみだったら、トラウマになっちゃうだろうなぁとなんとなく憂鬱。

そして、同室のお兄ちゃんの大変な思いを見てきている大腸カメラは、肛門から入れられるカメラ自体はそうでもないらしいけど、朝の5時から下剤2リットルを飲まされるのが一番きついとか。

上から、下から攻められた暁には退院の二文字が間近に見えてくるのだから、乗り切るしかないのだけれども、私の試練はまだまだ続く。

BGMは山口百恵の「This is My Trial 私の試練」。

2010-01-16

ゆとり Composure

治療経過の報告も出て、来週は過酷な胃カメラ、大腸カメラと続くのだけど、退院見通しも出されたせいか、何とかなるだろうの元々ノンビリズムな性格もあり、日がな一日、パソコン、携帯と戯れるこの頃。

行動範囲もシャワーとトイレのみに限定されていたものが、病院内なら、マスク着用は必須だけれど、どこに行ってもいいという許可が出て、地下にある売店を覗いてみたけど、何もなく、週刊誌の類にちょっと惹かれはしたものの、疲れそうだし、烏龍茶のペットボトルの大きなサイズを買うだけで病室に戻ってくる。

パソコンの通信環境はネットの速度が極端に悪く、やはりブロードバンドタイプのデータ通信スティックが欲しいところだけど、通販サイトがやる気がないみたいで、携帯端末でも、Windows7のネットブックでも購入手続き最終段階で同じエラーが出て、買えず、サイトに問い合わせると、利用可能な環境はビスタ以前のパソコン環境ですと答えが返ってくるだけで、それなら買わんわと開き直りもするけど、通信の遅さにイラつき、疲れもする。

今日は外の景色は朝から吹雪模様で、同室の奴も、半月後の退院のあと、駐車所の雪かきを思うと気がめいるといいつつも、娑婆から遠く離れた入院生活にこちらも馴染んでいる。

免疫力抑制という同じ治療をしているために同室になった二人だけれど、新たにベット二つが運び込まれた時には、部屋から出る時、マスク着用必須の「マスク族」が増えるのかと変に盛り上がりもしたけど、結局一泊どまりの患者さんが来ただけで、「マスク族」二人の暮らしは相変わらず。

そんな何の変哲もない日々を送っていると、無駄遣いの虫が動き始め、オークションのページなんか見たりしている。

人はなぜゆとりが出始めると遊び心が生まれるのだろう。(笑)

同室の奴も見舞いに来たお母さんに、「退院したら、家族会議を開いて、テレビを買うか話し合う」と甘えていた。

ゆとり出始めた「マスク族」二人に乾杯。

2010-01-14

がんばれ Do your best

同じ部屋の大腸疾患の患者さんが内視鏡検査のため、詳しくは判らないけど朝の5時から大量の下剤を飲み、排便をせかされている様を見るにつけ、これこそ「がんばれ」としか言いようがないよなぁと思う。

昨日の主治医の経過説明で退院の話がやっと出てきたせいか、一緒に話を聴いた従妹が、病室に戻った後、入院当時、主治医から聴かされ、口止めされていた話を教えてくれた。

主治医は急性肝炎は死にいたる危険性もあるもので、僕の検査数値は肝機能の値は非常低いものの、肝炎と闘おうとする値が思いの外よく、それに賭けて、治療を行うと話したという。ただ、最悪の事態の覚悟も求められたらしい。

自律神経失調で看護にも来られない母や糖尿で車椅子生活をしている叔母に話すことも出来ず、従妹はひとり、その覚悟を胸に秘め、僕の身の回りの世話を焼いてくれた。

具合が悪いとか、身体がふらつく、どこが痛いなどの自覚症状がなく、ただ黄疸で身体の色が気味悪く、尿も血が混じったように妙に赤みを帯びた真っ黄色なのが怖いと思う程度の僕も、入院翌日の個室への移動、数日して黄疸が引き始めた時の看護婦さんたちのオーバーに感じられる喜びように違和感を感じてはいたけど、そこまで深刻だったのだなぁと改めて、無無言の臓器である肝臓の怖さを思い知らされた。

病気と立ち向かう患者さんに対し、看護婦さんたちは「がんばっている」と励ますけれど、「がんばる」とは死ぬまいとすることなんじゃないかと思ったりする。

身体は本能的に「がんばる」ものであり、「がんばる」身体を保つことが人間にとっての「がんばる」意味なのじゃないか。

命があって始めて、社会がある。そのことを忘れると、社会のために無理をして当たり前という本末転倒な理屈がまかり通るのじゃないか、とふと思う。