2009-12-31

マザー・テレサ Mother Teresa

昨晩、BS朝日で観たいと気になっていた映画「マザー・テレサ」が放映されていて、途中何度もコマーシャルで中断されたり、看護婦さんの検温と問診が入るなど、入院生活なのだからなかなか落ち着いて観られる環境ではないのだけれど、観ることが出来た。

オリビア・ハッセーがマザー・テレサの半生を演じた映画「マザー・テレサ」はその足跡をなぞらえた程度で深く掘り下げられたものではなかったけれど、マザー・テレサの人と成りはよく描かれていたと思う。

マザー・テレサ。僕の世代では子供の頃から聴き馴染んでいた人なのに、詳しい功績には疎く、それでいて気になる人だったから、この映画を観たくもあった。

一世代上で、「ロミオとジュリエット」でぴちぴち肌で魅了したオリビア・ハッセーが演じた事も関心を引いた要因でもあるけれど。

映画はパレスチナ・ベイルートにおけるマザー・テレサの戦災救済の活動などは描かれないけれども、イギリス統治下のインド独立の混迷を内紛と描きつつも、修道女の身を棄てて、カルカッタの街中に救護活動に飛び出すマザー・テレサを描くところから始まる。

「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」と建設する「死にゆく人の家」の件はマザー・テレサの人と成りを現す逸話だろう。

ウィキペディアに書かれている語録を読むと、男女平等に対し、男女それぞれの特有の愛が家庭を作り、子供を育てるのじゃないかと語る姿勢や「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」と日本初来日の際に語られた語録が目を引く。

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」

映画は「与えるよりも与えられよ」「愛するよりも愛されよ」と受ける側の想いを語る言葉が繰り返され、終わる。

「この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。

銃や砲弾が世界を支配してはならない。大切なのは愛である」

2009-12-30

ピア・カウンセリング Peer counseling

今日、入院後初めてシャワーを使わせてもらいました。

看護婦さんは手を差し伸べる事もなく、ただシャワー室の場所を教えてくれるだけだったけど、シャワー上がりにおそらく待っていてくれたんだろう、廊下で偶然出くわしたかのように、「さっぱりしましたか?」と聴き、僕の着替えた寝間着を片づけはじめ、部屋に戻る僕にはお構いなしだった。

構い過ぎず、見放し過ぎずのこの距離感は、精神カウンセリングとして知られる「ピア・カウンセリング」なんだろうなぁと思いました。

悩む人の気持ちに入り込む事なく、その人の今の状態をさらけ出させて、気持ちを裸にさせた上で、自分がしてあげなければならないことを手伝い、本人がしなければならないことを気がつかせる。

人を活かす事って、「ピア・カウンセリング」が大切なんだと思う。

言葉の嘘はばれにくいけど、リアクションの嘘はすぐにばれるでしょう?

判りあえる仲間とは「ピア・カウンセリング」出来る仲間なんじゃないかな。 「ピア・カウンセリング」は相手の心を裸にし、泣かせた分だけ、聞き役も泣くと聴きます。

そんな仲間づくりが出来れば悔いはないと思うのだけど、百八つの鐘が、…。

2009-12-29

年の瀬 The end of the year

病院も年の瀬を迎え、今朝は朝の6時を過ぎても看護婦さんが起こしに来る気配がない。

6時30分過ぎ、白んだ外も明るさが増し、よく眠れたせいもあって、起に来るまで寝ていようと思っていたけど、止め、起き上がった。

今日は一週間続いた24時間の点滴から解放される日でもあり、その嬉しさもあったのかも知れない。

ブラインドのカーテンを開け、まだ周辺ショップのネオンが灯る街を見ていると、当直の看護係長さんが入って来られ、いつもの日課が始まった。

「寝れましたか?」

ゆったりした会話も年の瀬と思ってしまいそうなそんな朝。

「今日の昼にお願いしていた一階のATMに行くの手伝ってください。」

部屋からの外出も許可されない身には一週間ぶりの病院内の景色も懐かしいもの。

そういえば、昨日看護婦さんに車椅子に乗せられ、マスク着用で洗髪に連れて行って貰った時も病院内の景色が妙に懐かしかった。

朝の短めの点滴が終わった時、一階に看護婦さん付き添いで行く時、入院時、手続きを急ぐあまりにろくに見ていなかった病院内の景色を部屋に備えられた病院内の概略図に重ね合わせ、位置を確認する自分が愛おしくなる。

看護婦さんも気を使ってくれたのか、ATMに着くと「後は一人で帰れますよね。」と束の間の自由を与えてくれた。

給与が振り込まれているのを確認し、そこから家賃を振り込み、他への支払い分を引き出して、部屋に戻る道すがら、足の筋力の衰えを痛感し、点滴の支柱車を頼りにしている自分をまた知る。

昼飯が終わり、やっと24時間の点滴から解放された時、手ぶらでトイレに入れる喜び、手ぶらで顔を洗える喜びはひとしおで知らず知らずのうちに点滴車を杖代わりに頼る自分から早く立ち直ろうと意味もなく部屋をうろついたりする。

昼3時、他への支払いを頼まれてくれた従妹が来てくれ、近況を普通を装いながらも親身に聴いてくる。

昨日、主治医から今後の油断は許されない治療過程の説明を一緒に聴いてくれた従妹だから、僕も身の置き所があり、頑張る気にもなれる。

夜となり、点滴がなくなった代わりに飲む薬の数が増え、副作用の覚悟を持たなくならなくなった。

しかし、手足が自由であり、点滴管を気にせずに眠れる事が何より嬉しい。

明日の朝はもっともっと年の瀬を感じると思う。

2009-12-28

情熱大陸 Zeal continent

昨日の昼は職場仲間が見舞いに来てくれ、部屋から外出禁止の僕を励ましてくれた。

夜、テレビ番組の「情熱大陸」で岡林信康の特集をするというので、従妹にあらかじめ用意して買ってあったテレビカードをセットして、ベットの頭上に添えられた液晶画面を見やすい位置にあわせ、横になる。

消灯時間から「情熱大陸」放送まで時間があり、あちこちチャンネルを回すと、松田優作の20回忌の番組や映画「武士の一分」が流れており、少し見入ってしまう。

「情熱大陸」が始まり、岡林信康の生きてきた道のりが辿られ、今の岡林が映し出されるとき、岡林と関わり持った仲間たちが集い楽しむ姿が映し出されていた。

「自由への長い旅」にこだわり続けた岡林は今の自分の自由を「大地に繋がった凧」と語る。

若い頃はその繋がりが煩わしく凧が繋がった糸を切ればもっと自由になれそうな気がしていたけど、今は繋がった糸の中でどれだけ自由になれるかに惹かれる。

過去の縁が今の自分を活かしてくれている。

そんな岡林のメッセージを聴くと、生きるということはどれだけの人に出逢ったかではなく、どれだけの人と再会できたか何だろうと想う。

2009-12-27

緊急警報 Critical alert

24時間の点滴システムをつけ、毎夜眠る日も幾晩が過ぎ、身体中にまわった毒素の証である黄疸も目に見えて綺麗に取れ、赤みがかった肌の色が戻りつつあるこの頃。

夜も明け、白じんだ朝5時、突然24時間の点滴システムから緊急警報の音が鳴り始めた。

寝ぼけ眼でまだ目が覚めない僕のベットの横、宿直の看護婦さんが部屋の明かりも寝ている僕を気遣い、懐中電灯片手にエラー音の解決策に手を尽くしていた。

それから2時間程度の後、寝起きの僕はトイレに用を足し、洗面を済ませ、ベット横に戻り、点滴システムに電源コードをつなぎ直すとまたエラー音が鳴り始めた。ナースコールを鳴らし、看護婦さんを呼び出し、事情を離すと、動き回った時に、血が針先から逆流して、その血が固まりかけると点滴が流れなくなるからエラー音が鳴るとのこと。

どんなに精密な機械であってもエラー回避を自動で行うには限度あり、人の手を介さなければ精密な働きはなさなくなる。

膨大な資金が最新鋭技術につぎ込まれ、それを管理保守する人件費が抑制に向かうなら、精密機器に守られ、活かされる現代は管理保守のいない荒れ地になるだけだろう。

人が作るもの、人を活かさなければ、無駄になる。

当たり前の理屈が忘れられている。

外では朝早く降り積もった雪をダンプカーで除雪する工夫たちが働いている。朝の交通ラッシュに間に合うように。

2009-12-26

クリスマス Christmas


クリスマス特別メニュー

消化器系の疾患にかかると食事制限はつきもののようで、入院した当初に一緒になったおじいちゃんたちはおそらく糖尿病治療なのだろう、食事量を制限されたり、回数をコントロールされたり、検査のために絶食を行わされたりして、看護婦さんに、入院している我々の楽しみは食べることなんだよ、と泣きついたりする。

食の贅沢病といわれる病気はある者はインシュリンで血糖値を管理しないとならず、ある者は臓器摘出、ある者は視覚障害になる者もおり、上下肢を失う者もいる。

豊かな暮らしの報酬として、医療福祉は膨れ上がる。

年の瀬、幸いなるかな、加熱食で塩分少なめの食事療法の僕はそんな苦労もなく、過ごせている。

昨夜はクリスマスの特別メニューの夕食でした。

辛みの薄いカレーピラフとフライドチキン、コーンソティほんの少しとハムとブ ロッコリーのソティ。

食べられる事の幸福をしみじみ感じるクリスマスでした。

2009-12-25

マリオネット Marionette

朝6時、おはようございます、採血に来ました、とドラキュラ嬢、ならぬ看護婦さんのモーニングコールで目覚める。

昨日から24時間の点滴が始まり、寝返りをうつにも点滴の管が気にかかり、眠りも浅くなりがちなのか、寝起きも悪い。

24時間の点滴は身体の免疫力を肝機能の治療のために弱めるために行われ、更に昼には栄養補給の点滴が空いている片腕に繋がれ、我が身は日中、マリオネット状態。点滴の管は別な静脈ならば片腕にそれぞれ刺してもかまわないらしいけれど、片腕に固定の点滴用の針が刺さっているのもなんかシュール。

肝臓によい食べ物は口からしか取る事が出来ないらしく、主治医からも、今は食べることが仕事だからね、と励まされている。

個室内だけの生活を余儀なくされて、食べては寝る暮らしも年明けまで続くそうで、

看護婦さんの計ってくれる体重計も未踏の60kgを難なく越え、肝炎完治のアカツキには、おいしいレバーを食わせておくれと、渡る世間のドラキュラたちが待ち構えているのかなと思うと、束の間のこのマリオネットの幸福が愛おしくなってくる。

浅き夢みし、酔いもせず。

2009-12-23

完全看護 Floor nursing

入院3日目、なんとか病院生活もなれてきました。

昨日は入院以来の検査の結果と今後の治療法について主治医から説明がありました。

病名はB型肝炎とのことで、入院期間は一、二月かかるとのこと。

B型肝炎はそのウィルスを持つ人は子どもの時に母親からもらったりして、大抵は成人になると悪さをしなくなるキャリアになるそうなのだけど、大人になってから急性を発症する場合があり、肝機能が抑え込み、キャリア化するケースもあれば、重症、激症化する場合もあり、今後の治療法は最悪を考えての治療になるという。、

弱った肝機能を高める薬治療に外部からの雑菌に対する免疫力をわざと弱まらせ、肝機能に肝炎を抑え込まさせるという治療という。

病室も個室に移され、面会も人数制限されるとのことで、外部からの雑菌から守るために、出される食事も作られたものも更に加熱を加えられる。

行動も制限され、個室の中ですべて用がたせ、実質監禁状態、入浴も禁じられて、看護婦さんが身体を拭いてくれて、検査などで出る時も看護婦さんに車椅子で送り迎えという至れり尽くせりの完全看護。

どの位、この生活が続くのか判らないけど、入院期間は一、二月というから気長にやるっきゃない。

幸い、清掃担当のおばちゃんがジャスマックホテルの温泉にいた顔なじみさんで心細さも少し薄れる。。

ネットブックパソコンを欲しいとこるだけど、とりあえすウィンドウズモバイルのPHSから近況報告まで。

ここまで書くのに五時間かかった。(笑)

2009-12-19

安静ですが Though it is a rest

出勤は絶対駄目と言われ、自宅で安静に過ごす一日。

肝機能低下で疲れているのか、寝起き、朝飯食べた後、パソコンの前の叔母に押しつけられたマッサージチェアに横になると、よく眠れて、昼となる。

疲れも取れたのか、入院前に片づけといた方がよさそうな録画番組のDVD化なぞやっていると、なんかすぐに疲れ、居眠りモードになる。

今まで気を張っていたのだろうかと思うほど、居眠りの回数は多く、眠りながらもDVD化をするという不思議な行動。

幸い、喉つまり、胸焼け、吐き気はそれなりにあるものの、食欲はあり、母が昼飯を食べるかとの問いかけに、有無も言わさず、食べると答える。

固形の物は喉に詰まったり、胃にもたれたりしやすいから、そうめんを作ってくれ、腹を満たした後、帳簿整理に取りかかる。

昨晩は入院したら出来ないと思い、年賀状印刷をしていたけど、帳簿整理もやはり年の瀬を感じさせる。

昼に食べたそうめんの汁がまだ胃に残った感じで、胃が膨れ上がる感触があり、夕食を少し遅らせ、帳簿整理の続きをする。

外はこの時期の札幌にしては遅い積雪となり、入院中の家の周りの雪かきを従弟に頼もうかと母と話し合う。

ネット検索で、「肝臓病 入院 日数」を調べると肝機能の回復はある程度の日数が必要のようで、高齢の母ひとり残し、入院するのも気になることが多くある。

安静第一の病気ながら、少しずつ、身の辺の整理をしているところ。

2009-12-18

ドクター・ストップ Doctor's order to stop

喉つまり、吐き気、胃もたれなどの不快感がいっこうに治らず、先日、風呂に入った時に、身体中に黄だんらしきものが表れており、これはやばいかもと家の近所の病院にかかってみる。

CTやら、胃カメラやら、心電図、血液検査まで一通り受け、その結果を聴きに今日、来院してみると、「仕事が出来る身体ではない。設備の整った大きな病院に入院を頼んでみるから、少し入院するように」との診断結果。

肝臓と膵臓の機能が低下していると聴かされたけど、この頃、尿の色が濃くなっているのも気になっていたので、消化吸収でかなりやばい状態なのかなと思う。

最悪の事態も頭に浮かぶけど、生まれて初めての入院生活がどんなんなんだろうという気持ちもあり、とりあえずは言われた通り、大人しくしていよう思ってみる。

仕事先やら、忘年会の約束をした友だちやらへの連絡などしなきゃならないことも案外あるようで、無理した罰と受け止めて、まずは日記の書いてみる。

2009-12-15

洟垂れ The runny nose drip

週末からの喉つまり、胸焼け、吐き気が今日の職場の昼飯時にはひどくなり、昼飯を食べるのも押し込むような感じで、飲み込んでいたけれど、最後の頃には吐き気の方がひどく感じられ、やばいかなと云うところまで来たので、早退を願い出て、帰宅した。

帰宅後、家の近くにある耳鼻咽喉科で、食道炎の検査もしてくれるらしいところに出向き、検査を受けてみる。

インフルエンザの予防ワクチンの張り紙が至るところに張っている待合室、鼻炎らしきお兄ちゃんを待つ男の子がやけにかまってくれと僕の傍に絵本を持ってくる時、呼び出され、診察室に入る。

病状を話すと、まずレントゲンを撮り、吸入器による麻酔を吸い込まされて、内視鏡で、鼻の穴から喉の奥深くまでのぞき見る。

特に異常は見つからず、鼻水が喉に垂れることはないかと聞かれ、アレルギー性の慢性鼻炎もあり、このところ、鼻水に血が混じることもしばしばあったので、それが原因かとも思いもする。

レントゲンの結果はやはり加齢により、背骨が前に出て来ているけれども、異常と云うほどでもなく、気をつけるように云われ、症状が続くようならば、内科の診察を受けるように云われる。

何が原因か特定するにはいろんな要因がありすぎるから、このように部位検査を重ねていくしかないんだろうなと思いつつ、内視鏡でのミクロの探検で大病の兆しがないと云われて、まずは一安心。

このところのストレスや疲労が多分原因なのだろうと、早退した今晩はまずは疲れを取ることに専念しようかと思ったり。

吸入器による麻酔の最中に診察受けていたサラリーマンが訴える耳鳴り、めまいの症状にストレス社会の今を感じる。

2009-12-14

肉食上司 Eating meat superior

「肉食上司」なる言葉が今、囁かれているらしい。

検索してみると「自民党的政治のパンツを剥ぐ:侮蔑が切り裂く上司・部下」では「畏怖するか抱き合うか侮蔑するかの選択肢しかない人間がいる」と書かれている。

部下の失敗を食い物にしてのし上がろうとするこの輩たちは、人をかばうことに興味を示さずに、人のあらを探すみたいだ。

その部下に「肉食人種」がいると事は複雑になり、直属上司を無視して、権力者に擦り寄り、直属上司をおとしめようと画策する。

か弱き草食部下ならば、「会社はホモ社会と割り切りマゾ的対象にする」として、我が身を捧げてみる劇薬もあるそうな。

更にネット検索していけば、「肉食国家」と「草食国家」なるものまで登場し、「草食国家」を玩ぶ「肉食国家」論が展開される。

天上天下唯我独尊。我が身可愛さに我が身を守る処世術は「肉食」「草食」のいたぶり合いになるらしい。

この世はサド・マゾで成り立っているのかも知れないとふと思う。

2009-12-13

お腹が The stomach

日頃積み重なったストレスによる肩凝りからなのか喉の通りが悪く、更には昨日のお休みの日に久々母の手料理を食べ、料加減が苦手な母に出された料理の品数の多さが祟ったのか、今日は一日、胃もたれ気味だった。

身体のためにと思い食べた軽めの昼食も喉つまりを少し感じていたのだけれども、夕食に食べた豚汁定食はそれ程の量でもないのに、お腹がパンパンになり、胸焼けがするほどだった。

明日は職場全体の大忘年会。幹事なので、食べる暇はないのだけれど、宴会最中に具合が悪くなるのも嫌なので、今夜はひどい肩凝りを和らげるために湿布を貼って寝てみて、明日は軽い食事で一日乗り切ってみようっと。

ちなみに昨日、母が食べさせてくれた夕食は肉厚のカレイ一枚に、そば山盛り、プチトマトに、コロッケ、そして、ご飯。コロッケ以外は無理して食べたけど、「料をことわる(知る)」事が料理というのに、それが判らぬ母の愛。

平日の仕事を始めてから、そんな母の愛が身体に悪いと思い、外食生活しているけれど、たまに付き合うとこんな事に。

老いた母の恩にも背けず、だからといって、腹ぼてにはなりたくもない。外で食べてもストレス発散も逆にストレスになってくる。

とこんな事を書いているとこんな時間に。悪循環のスパイラル。なんとかしなきゃ、ねぇ。

2009-12-11

戦場でワルツを Vals im Bashir

オバマ米大統領が12月10日、ノルウェーのオスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説で「時に武力は必要だ」と発言したという。

「武力」を命じる者は「多少の犠牲」は致し方ないという。

イスラエル人のアリ・フォルマン監督のアニメ作品「戦場でワルツを」を観た。

26匹の犬に追いかけられる悪夢から始まるこの映画は生きるために失った記憶を生き続けるために取り戻す物語。

監督自身まだ青年だった1982年に起こった「サブラ・シャティーラの虐殺」は対レバノン戦の時、その地に暮らすパレスチナ人をイスラエル兵が殺した忌まわしき想い出。

監督自身の記憶はその前後は鮮明に残っているのに、当日の記憶はない。それを思い出すべく、監督は当時、戦場で出逢った仲間を訪ねる旅を始める。

本人が写った本物の写真数枚の中に一枚、合成で作った架空の写真を混ぜると、10人中8人が架空の想い出を思い出し、残る二人も記憶があやふやだがとその架空の想い出を認めるという。

戦場での抜け落ちた記憶はPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。繰り返し映し出されるのは、何とか生き延び、水辺から陸に上がる兵士たちの映像。

戦争とは人が人を殺される前に如何に殺すかということ。

殺された者たちは人の胸ほどの高さに積み上げられ、殺した者は精神バランスを維持するために記憶を失うか、狂気に走るかするだけ。

銃撃戦の最中、鳴り止まぬ敵の銃声に脅え、いらだち、隣の奴の機関銃を奪い取って、ワルツを踊るかのごとく機関銃を乱射する若者。

狂気の地獄に、正義は牙をむき、捕らえた敵の肉体を切り刻み、解体する事で正義を達成させる。

「時に武力は必要だ」その結果がここにある。

2009-12-06

歓喜の歌 Ode to Joy

社会は厳しい物だとしたり顔でいう人が、ほれ見てご覧といわんばかりに、昨日の天候は凄まじかった。

いつもならば雪が溶けずに地表に残る根雪の時期であるのに、まだ地表が見えているからか、昨日の朝の冷え込みはきつく、防寒の仕度をして出かけたのだけど、帰り際の夜には気温も上がり、激しい雨。それが夜半には風を伴い、積雪がまだ覆われていない無防備な家の窓ガラスを激しく雨風が叩きつける。

荒れ狂う天候は寒気と暖気のせめぎ合いなのだろうけど、たかが人間たちの為す術はない。

暴風雨に寝付けぬ夜が明け、疲れ切った身体に救いは穏やかになった朝日の当たる街並み。

遠藤賢司「歓喜の歌」を思い出し、YouTubeで検索してみる。

厳しい社会なんて大嫌いだ。

全ての生物は僕らを噛み砕かんと
復讐の眼を光らせ心中をせまる
天地は僕らを同化せんものと
大気は僕らをおしつつまんとす

優しきものほど怒りは大きいもの
その怒りがひとつの優しさも
消し去った時にはもう終わり
さあ今こそ歌おう歓喜の歌を

遠藤賢司「歓喜の歌」
[アルバム『歓喜の歌』(1973年作品収録)

2009-12-05

そこ退けそこ退け Repel there.

数日前、地下街で3歳くらいの男の子と並んで歩く親らしきカップルを見かけた。

3歳くらいの男の子が何か喚いている。

「おんぶしろよ」「何言ってんのよ、疲れてるんだよ、おんぶしろって」

このガキ、「おんぶお化け」だなとふと思う。

昔、妖怪ブームの時に「おんぶお化け」の他、様々な妖怪が紹介されたけど、人のことなどお構いなしの妖怪たちは気味悪くも端で見ているとその我が儘ぶりに苦笑した物だ。

ここ数年、街を歩いていると、いい年をした小父さん、小母さんがすれ違う時でも避けようとはせずに真っ直ぐ突進してくる闘牛型が増えてきた。

相手が避けるのが当たり前と思っている。

もし、僕が刃物を持っていたらどうなるんだろう。「想定外」「シンジラレナイ!」危機意識を煽るマスコミ報道もこの妖怪たちには所詮絵空事にしか見えないんだろうな。

だから、妖怪なんだろうけど。

2009-12-04

自信過剰 Overconfidence

どうもこの頃、寝坊気味で、目が覚め、時計を見、慌てて起きて、朝飯も食わずに出勤というパターンを繰り返している。

疲れてるのかなとも思うけど、格別、疲労感があるわけでもなく、何でだろうと思っていた。

昨晩、冷え込みがきつくなってきたので、比較的暖かなこの冬、ようやく掛け布団に毛布を足して、寝たところ、今朝は休みなのに、寝起きが良かった。

例年、11月半ばにもなると身支度も寝具も冬用になっているのに、今年はいつになく暖かだったせいか、12月になっても秋の装いで通していたのだけれども、昼と夜の気温差は確実に出て来ており、一番冷え込む明け方を気付かずに、秋の装いのままでいたから、寝起きが悪くなっていたのかなと思う。

映画「不都合な真実」で、ぬるま湯につかったカエルのぬるま湯に一気に熱湯を注がれるとカエルは本能的にそのぬるま湯から逃げ出るけれども、徐々に熱湯を注がれるとカエルは湯あたりを起こすというアニメーションが紹介されていたけれども、このところの緩い寒暖の差もそれなんだろうなぁと思ったりする。

加齢による老いを甘く見る自信過剰もおそらくこれに近いんじゃないんだろうか。

少子化高齢化の時代、感覚麻痺したところで、みんながみんな麻痺していれば、それはまともと受け止められだろうし、映画「不都合な真実」のゆでガエルのように湯あたり起こして、さぁ大変になるのが落ちなのだろう。

暑さ寒さに敏感になるのはある意味考える動物にとって大切なんだろうなぁと思うわけですよ。

2009-11-30

幸福 Happiness

CSのTBSチャンネルで、僕が学生だった頃、安定成長期からバブルに向かう時代にテレビで放送されていたドラマの数々が放映されている。

山田太一の「岸辺のアルバム」は一見平和そうな中流家庭が、実はそれぞれてんでんバラバラに生きている事を描いたものだし、向田邦子の「家族熱」は後妻に入った家族の中に前妻の影があり、必死でそれから逃れようとしながらも、逃れきれない、人間の業の強さ、弱さを描いたもの。そして、有名作の山田太一の「ふぞろいの林檎たち」はこの時期の大学生の青春像を通して、それぞれが背負う家庭を描いた物語。

山田太一、向田邦子、それに「北の国から」の倉本聰が壊れ行く家族の大切さを描いていた。

素顔の幸福は
しみもあれば 涙の痕もあります。
思いがけない片隅に、
不幸のなかに 転がっています。

屑ダイヤより小さいそれに気がついて
掌にすくい上げることの
できる人を、
幸福というのかもしれません。
ドラマ「幸福」より

一流商社に勤めるエリートの兄と町工場に勤める落ちこぼれの弟が織りなす物語は些細な事に鈍感になっていく兄と些細なことに振り回される弟の話でもあった。

家庭崩壊から少子化高齢社会に突き進んだ今、モラトリアムのマニュアル至上主義が大手を振るい、隣人愛など見向きもされなくなっているけど、人恋しさを抱えながらも、どう隣人と付き合えばいいか判らずに見栄を張り合い、生きる人は多いと想う。

だから、今、30年前のドラマが次々と放映されているのかなとも思いもする。

ドラマ「幸福」の主題歌として流れたアン・マレーの「辛い別れ」は失うわけがないと思っていた人を失った哀しみを歌う歌だったけど、人間、大切な物をなくした時にその大切な物に気付くのかも知れない。

2009-11-28

生まれた時 Birthday

誰もが記憶するのに、誰もが確かな記憶を持たない日。

僕も周りから自分の産まれた日のことを聴かされるけど、それぞれの立場での記憶で語られるお話は矛盾に満ちている。

自分の子供にそこまで話すの?といわれる位、僕の出生にまつわる話をした母も仮死状態で生まれたという僕の産まれてすぐの応急処置を知るはずもない。

「意識を回復させるためにお湯と水に交互に入れた」「足首を掴んで振り回した」「鉗子を使い産まれたから、鉗子が首の後に食い込み、かぎ裂きになった傷を応急処置した」などなど

確かに首の後には縫い傷の痕が残っているけども。

外を見ると街は一面雪景色。僕が産まれた日もこんな雪景色だったんだろうか。

誰も自分の歴史の始まりの真実を知らない。

2009-11-27

週末 Weekend

例年根雪になる時期でもある11月末なのに、今日は気温7℃で、雨降り。一気に寒くなることも考慮に入れて、台所横にある勝手口のドアをビニールテープで、密封して、外の冷気が入り込み、水道を凍結させる事のないように、備える。

この作業、数年前は肩が上がらなく難儀したけれども、今年は肩の上げ下げが苦にならない。その代わり、喉つまりなど、ちょっと自律神経症ぽい不調はあるのだけれども。

自分の誕生日もある今週末は何だか知らないけど、用事がつまっており、土曜は職場忘年会の準備打ち合わせ、日曜は忘年会当日食事する間もない役員のためのお食事会が忘年会が行われるホテルであり、月曜は平日の職場の方での休職される方のご苦労さん会とある。

ちょっとひどくなりかけている身体の凝りをほぐし、愉しいお食事会を過ごせるようにしなければと肝に銘じる。

寒くはなっているけど、防寒対策するほど寒くはないあいまいな天候も身体の凝りに影響しているのかなと思いもするけど、筋肉が硬直しやすい体質はやはり難儀、何とかならんかねと思いつつ、湿布薬を貼る。

2009-11-24

眠れども、眠れども insufficient to sleep

先週末に有給休暇を使い、昨日の祝日まで、5連休。

中、土日は仕事だったけど、ある程度溜まっていた用事も適度に片付け、昨日は出先でも、帰宅後も、幾らでも寝ることが出来た。

40過ぎに痛めた背中の痛みに湿布薬を貼り付けると、どんなに寝ても、すぐに眠れ、身体の疲れが溜まっているんだろうなぁと思いもする。

これから自分の誕生日を過ぎると、年の瀬の慌ただしさがまた始まる。

さてさて、残っている有給休暇を活用して、どのように身体休める時を作ろうか。と考えているとまた眠くなる。

この眠気が永久の誘いにならないことを。

2009-11-21

鬼千匹 1000 demons

口ひげを伸ばし始めて、10日ほどが経ち、髭の生え具合も様になってきて、髭を剃らずに週末の職場に出勤した。

お役所的な職場だけあって、我が口ひげに様々なリアクションがあり、似合うと褒めそやす者、何も言わず状況伺いを決め込む者、「剃り忘れたの?」とかばいに入る者、遠巻きに上司に批判を唱える者などなど、まさに身の回りは鬼千匹。

職場では最古株の僕ではあるけど、この陰湿な雰囲気は何とも居場所がない。

上司が、こっそり「口ひげは駄目」と手真似で忠告してくれ、いわれたから剃るのは癪だけど、口ひげを生やすとどんな感じになるか判ったから、すんなり了解し、今日一日はこのまま勤務させて貰った。

口ひげを伸ばしただけなのに、出る杭扱いの鬼千匹。これが与えられた自由なんだろうね。

仕事後、銭湯で10日間の付き合いの口ひげをどう剃ろうか、インチキ中国人みたく残してみるか、ハイルヒトラーにしてみようかとも思ったけど、そんなオタク遊びには興味なく、綺麗さっぱりそり落としました。

さてと来週の週末までまた懲りない口ひげ伸ばしでもしてみるか。

これが自由というものだ!(笑)

2009-11-19

腸内年令 Age of intestines

ネットで、「腸内年令」という言葉を知った。

お腹の中の善玉菌と悪玉菌のバランスが老化とも関係して、そのバランスが保たれると、疲労感や肌の艶、病気への免疫力にも影響が出てくるらしい。

「腸内年令」を若く保つにはビフィズス菌や乳酸菌などの摂取をという事なのだけど、このところ、下痢気味が続き、疲労感も抜けない原因はこの「腸内年令」なのかなと思いもする。

このところ、何となく刺激性のある炭酸が飲みたくて、職場での水分補給として、炭酸飲料ばかり飲んでいたので、それが下痢や疲労に繋がっているんじゃないかと、ここ数日、乳酸飲料に切り替えてみると、下痢気味なのが治った気もする。

友人で若い頃に直腸の手術をし、人工肛門の生活を送る人がいるのだけれど、やはりその人も体力的には無理出来ないらしく、「腸内年令」を若く保つという事は大切なことなのかも知れない。

人間は身体が資本であり、その人の身体の状態を保てるのは本人にしか出来ない事。

排便した自分のうんちは自分のお腹の中の状態を示すバロメーターでもあるから、忌み嫌って、すぐに水で流さずに、一目置いて、見送ろうと昔誰かに教わったけれど、この頃は見送りせぬまま、トイレに放置する輩もいるせいか、便座から腰を上げると見送る間もなく、自動で流してしまう便器もある。

便利さ優先で、自分の健康もおろそかに、気がつけば健康を害しているなんてまっぴらゴメンと思うのは、生まれつき身体の不自由さと向き合って生きなければならない我が感性のせいなのだろうけど、人生半世紀、大病は一度もないのはそのお陰とも思っている。

2009-11-17

裸足で走れ Run barefooted.

話題が反貧困になり、障害者団体による公園でのホームレスへの炊き出しの是非の話が出始め、障害者団体とホームレスの関連性が感じられないのか、批判する人がいた。

一応、その背景としてある社会的弱者の連帯の説明をしはしたけれども、どこまで判ってくれたのか、それで話は打ち切りとなった。

障害者を支援する立場の人には、社会的弱者は「がんばれる」というスタンスを持つ人が多く、「がんばれない」立場がどうもピンと来ないのかなと感じることがままある。

例えば、転んだ人に「がんばれ!がんばれ!」と声援を送り、立ち上がらせるのがいいのか、転んだ人に手を貸して、立ち上がれるかどうかを確認した上で、それなりの「がんばれ!がんばれ!」と声援を送るのがいいのか、どちらが親身になっているのかだと思うのだけど、得てして、ただ「がんばれ!がんばれ!」と声援を送る事のみが正しく、後は転んだ人の自己責任に任せるという、なんだか肌寒くなりそうな支援が良しとされているように思えてくる。

中島みゆきさんの「裸足で走れ!」はそんな状況を歌ったものかなと、僕の好きな曲でもある。

裸足はいかがと すすめる奴らに限って
グラスを投げ捨てる
ささくれひとつも つくらぬ指なら
握手もどんなに 楽だろう

かかとを切り裂く 痛みを指さし
心の熱さと 人は呼ぶ
ここまでおいでと 手を振り手招き
背中へ ガラスを降り注ぐ

どんなにがんばっても、億万長者になれるのはごく僅かと判っているのに、「がんばれ!がんばれ!」と声援送る人の身体も多分血だけなんじゃないだろうか。

2009-11-15

顔遊び Face play

銭湯でひげ剃りをしていて、顎髭の中に白い物がちらほら見え始めた。そういえば、髪の毛もずいぶん白髪が多くなってきたなぁと思う。

無精髭の顔を鏡で見ていると、口ひげを伸ばすとどんな顔になるのか、試してみたくなった。

生まれてこの方、髭を伸ばすなどということは考えたこともなく、伸ばしたとしたって、その手入れが面倒くさく試す気すら起きなかったのに、白い物がちらほら見え始めた人生半世紀、ちょっと自分の顔を遊んでみたくなった。

そう思い始めて、5日目、ひげ剃りの時にも口ひげだけ剃らずに残し続けたせいか、まだらながらに髭が生え揃い始め、口ひげをつけた自分の顔とご対面出来るようになった。

ふーん、こんな顔になるのかと思いもし、こんな顔になった事が嬉しくもある。

けれども、本格的に髭を伸ばす気もなく、「こんな顔」がある程度判ったら、剃るつもりではいる。周りの友だちから不評だったら、すぐ剃るつもりでいるし。

けど、私の知らない私の顔と出逢うのも少し面白く、今しばらくは顔遊びを続けるつもり。

仮面(ペルソナ)をつける楽しみってこんな感じなのかなと人生半世紀の初体験を楽しむこの頃。

2009-11-14

人生讃歌 Life admiration song

森繁久弥さんが亡くなられて、緊急追悼特集としてJ:COM日本映画専門チャンネルで、「夫婦善哉」、「警察日記」などの代表作が放映されている。[緊急特別編成 追悼・森繁久彌]

日本の男の不甲斐なさ、甲斐性なしを演じさせたら天下一品といわれた森繁久弥さんの名作は今観ても心揺さぶるものがあり、これまた代表作の「猫と庄造と二人のをんな」などは二人の強い女の板挟みに合い、飼い猫に我が身を寄せる情けない男を演じ、白眉でもあったし、粋がっている日本の男のもろさをこれほどうまく演じた役者さんはもう現れないかも知れないとも思う。

その森繁さんがテレビドラマの黎明期に「七人の孫」というドラマに出演し、その主題歌を作詞し、歌ったのが「人生讃歌」だという。

生放送が主流の時代だったため、「七人の孫」の映像は現存していなく、僕もおそらくリアルタイムでは観ていないと思うけど、この歌は学生の頃に活動していた映画サークルの人がサークル仲間の結婚式の時に必ず歌う歌として、聴き親しんできた。

団塊の世代のその人が社会人になりたての頃、放送されていたお祖父ちゃんと七人の孫の物語は大家族が健在だった時代を象徴するドラマだったのだろうか、いつも結婚式で「人生とはいいものだ」とその人は誇らしげに歌っていた。

どんなに時代が移ろうと
どんなに世界が変わろうと
人の心は変わらない
悲しみに喜びに
今日もみんな生きている

初めて、森繁さんの歌を聴き、その時代がかった歌に照れは感じるけど、そうだよねと頷く自分もそんな当たり前の事がいいなぁと思える歳になったのかも知れない。

100歳までは生きられなかったけれど、生きていられた事を森繁さんは喜んでいるんだろうなぁ。駄目男を演じた人は老いる前に「恍惚の人」で自分の垂れ流したうんちの中で助けを乞う老人を演じていた。

「ほんまに頼りにしてまっせ」が口癖の「夫婦善哉」の森繁さんは人を頼りに何とか生きる日本の駄目男の弱さ、ずるさをひっくるめて「人生とはいいものだ」と歌ったんだろうなぁと思いもする。

「人に迷惑をかけてはいけない」ともっとらしい事をいう人だって、生きてるからには一杯迷惑をかけている。それが生きることなんだぜって、森繁さんの出ている映画は描いているような気もするし。

だけどだけど
これだけは言える
人生とはいいものだ

2009-11-13

タイツの季節 Season of tights

今月初めの寒気を乗り切り、暖かな日が続いていたけど、11月も二週目になると、どことなく身体の疲れ具合を感じるようになる。

冬の身支度にはまだ早いかなと思いつつ、週初め、最低気温がマイナスになると聞かされ、タイツを穿き始める。気のせいか、タイツを穿くと、寒さで身構えていた身体が少しだけ楽になったような気がする。長袖の肌着はまだ早いような気がして、上はまだ半袖の肌着のままだけども。

週末金曜、定休なので、自分の部屋の窓ガラスに冷気よけのビニールシートを垂らしたり、外に出している物干し竿を車庫にしまったり、ぼちぼち冬の仕度をし始める。

週末はまた少し気温が高くなり、雨の予報だけど、その後はまた最低気温マイナスになるとか。三寒四温、衣替えの季節がまたやってきた。

2009-11-09

東京迷子 Stray child of Tokyo

50を目の前にした友だちから、東京に単身赴任の知らせが送られてきた。

不景気な時代、勤めていた会社が札幌から撤退で、結局は大消費地東京への転勤が命じられたらしい。

子供は大きくなったとはいえ、まだまだ働き盛り、勤め口があるだけマシとはいっても、50を目の前だと、順応性は若い頃の比じゃないはず。

せめて、東京迷子にならないでと願うだけだけど、かつては日本全国東京のような大消費国家を目指した国も、半端に都会化し、都市型犯罪だけ残して、シャッター通り化していく札幌の街並みの方が東京迷子にも思えてくるけど。

一番お金を持つ団塊世代が運営する中小企業が後継者育成もうまくいかずに廃業件数、全体比の半分を占めるという今日、東京迷子、東京砂漠の広がる早さは凄いのだとか。

「5年過ぎれば、人は顔立ちも変わる」

中島みゆきの「トーキョー迷子」じゃないけれど、後5年経てば、アカルイミライが望めるのかしら。

2009-11-07

図々しい奴 Impudent fellow

仕事後の更衣室で、学生のひとりが顔を洗った後に、タオルを忘れたことに気づき、ロッカーの上に積み上げている段ボールを片っ端から物色して、お客への配布用のタオルの残りがないか探し回り、「ねぇ!」と喚いていた。

こんな公私混同が甚だしい奴だったかと思い、ムッと来た。

先週、アルバイトをとっくに辞めた奴が客として来ていて、帰り際、外は土砂降りになっているのを口実に休憩室に入ってきて、軽く会釈して、お客が忘れていって、取りに来なさそうで破棄予定のビニール傘の置き場を物色し、適当な一本抜き取り、出ていった厚かましさも呆れかえったのだけれども。

まぁ、これで下手に権力を持って、公私混同甚だしく命令したり、イチャモンつけられるよりは、可愛いっちゃ可愛いけれども、出来ればこんな輩とは関わりたくはない。

老いにつけ、若きにつけ、図々しい奴はどこにでもいるのだよね。

2009-11-06

母なる証明 Mother

知恵遅れの我が子が殺人事件の犯人として捕らえられ、我が子を救うために真犯人捜しを始める母。

グエムル -漢江の怪物-」のポン・ジュノ監督がサスペンス・タッチで描き出すこの映画は知恵遅れの人の犯罪を取り上げながらも、我が子を守りたいとする盲目な母親の罪を描いている。

韓国の寒村を舞台としたこの話は、母親が知恵遅れの息子を背負い込まなければならない社会であり、チンピラまがいの男が息子を引き連れて遊び歩く社会であり、殺人事件が起きたら、ろくに調べもせずに知恵遅れの息子の遺留品があったというだけで殺人犯として検挙し、誘導尋問を行う社会である。

けれども、日本ならば市原悦子のような盲目な母親の罪を描く迫力は凄まじいものがあるけれども、物語は随所破綻をきたしてもいて、知恵遅れの人の犯罪の奥に潜む社会の閉鎖性、排他性が見えてこないのも確か。

グエムル -漢江の怪物-」での環境汚染から始まるパニック映画のように、ただ社会問題を映画のたたき台にしたかのような気もするけど、現実、知恵遅れの人の犯罪は親との関わりが大きい分、映画のたたき台だけならば、それで済まして欲しくはないよなぁとも思う。

兵役後の復帰第1作となるウォンビンは演技派を志し始めたのだろうか、それとも地なのだろうか、「聖者の行進」のいしだ壱成と並ぶ名演ではあったけど。

母親の狂気を描くのならば、知恵遅れの人の犯罪でなくとも、お受験の子供を抱えた母でもいいわけだし、障害者の母ならば、この映画でも、幼い頃、農薬を飲ませ殺そうとしたという話が出てくるけれど、「母よ、殺すな」の母もいるわけで、我が子をペット化する親の狂気はいくらでも描きようがあると思うのだけどね。

そんな母を利用しようするチンピラまがいの男や弁護士、警察なんかもいい人ぽく描かれているから、嘘だろうと思ってしまうし。

「渡る世間は鬼」だから、盲目な母親の罪なのにね。

2009-11-05

夢破れ、夢に帰る The dream tears, and it returns to the dream.

今日、職場の来週の昼食メニューが回ってきて、来週11月12日が祝日でないことを知る。職場の同僚が調べてくれたところ、自民党が閣議決定しながらも、衆議院解散となり審議未了となり、民主党政権になってから再審議が自民党から出されたのが10月末で、11月12日の祝日は見送りになりそうとの事。

今月のお休み計画として、11月12日が祝日ならば、第3週のみが休みのない週になるから、そこを有給を使って、金曜休みの平日勤務は各週3日間の予定でいたのに、その夢も破れてしまった。

第2週の来週は平常通りの4日勤務になるけれど、週末の仕事の方で有給を入れたから、なんとか無理出来る。

これからの冬期間、こんな感じで、使わずにとっておいた有給休暇を消化しながら、自分へのご褒美と身体をいたわろう。

大人の隣を追い越せば、しらけた世代と声がする
子供の隣を追い越せばずるい世代と声がする

中島みゆきさんの「成人世代」を思い返し、「夢破れ、夢に帰る」そんなしたたかさで今まで来たんだと思ったりもする。

辛い時に辛いといえないよう生き方はしたくない。

「残業続きでお金は貯まるけど、何のために働いているかわかんない。」と喋っていた女の子のことを思い出しもする。

寂しい気持ちを抱きしめて
寂しさ知らないふりをする

2009-11-03

ポー川のひかり Cento Chiodi

木靴の樹」の巨匠、エルマンノ・オルミ監督が長編最後の作品と位置づける「ポー川のひかり」を観る。

上映館でこの作品と「湖のほとりで」が同時封切りだったので、二本続けて観ようと思っていたけど、寒気の襲来で、布団から出たくなく、お目覚め、9時半というところで、「湖のほとりで」は次の休日に先送り、まずは「ポー川のひかり」を観る。

ネットの評判通り、眠かった。(笑)予備知識何もなく、キリストそっくりの「キリストさん」が川の畔に住み着く話と思いきや、ミステリーぽい導入部で混乱しつつ、話半ばの「キリストさん」が川の畔に住み着くあたりでは眠気との闘いは最高潮。

映画の中身も意味深めいた感じで、エルマンノ・オルミ監督の描きたいことは何となく判るけどね。ネオリアリズムの後継者と持て囃された人の現役引退のメッセージ映画は「書を捨てよ、町に出よう」なのだろう。

2009-11-02

32時間 For 32 hours

「朝出勤して、翌日夕方帰る。」

仕事帰りに久々一緒になった知り合いが近況を教えてくれた。

初めは口重かった知り合いも元々は話し好き。こちらの問いかけに乗ってきて、こちらは寄り道途中までの気軽な会話のつもりが、別れづらくなった地下鉄駅までその知り合いの話に付き合う羽目になってしまった。

「深夜の3時を過ぎるともうどうでもよくなっちゃいますよ」

予算が削られ、人手が減らされ、末端職は人体実験のように過剰超勤労働を強いられるらしい。

「32時間の勤務が月6回ですからね。」

計算すると8時間労働一月分と大して変わらず、深夜超勤の分だけ手取りの増えるのかなと思うけど、「生かさず殺さず」メンタル疾患にならなきゃいいけど。

自分を語る言葉がどこまでも軽やかな彼を気遣う。

「JRで帰るんですよ。地下鉄だとバスに乗り換えなきゃならないから」

また逢う日を願いつつ、彼と別れた。

2009-10-30

ヴィヨンの妻 Villon's Wife

さらりと描くのを得意としている根岸吉太郎監督とねっとりとした脚本を書く田中陽造のミスマッチのような気がする「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」を観た。

太宰治の原作の泥臭さや敗戦後の日本の猥雑さが描かれてはいるんだけれども、物語の筋をただなぞっただけのようなそんな映画だった。

描かれている風情や物語の内容からはカナダ・モントリオール世界映画祭で監督賞を受賞するという栄誉を受けたのは判らなくもないけど、敗戦後の日本の貧困の描かれ方は「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じような違和感を感じてしまう。

役者たちが60年前の日本人を演じられなくなっているのかも知れないし、60年前の日本人と今の日本人の違いを意識しすぎた演出のせいかもしれないけれど、60年前の日本を両親や親戚などから聴かされて育った人間としては何かが違うと思ってしまう。

それは何かなと思いながら見ていると、芝居させている松たか子や広末涼子、浅野忠信、妻夫木聡、堤真一、それぞれ今の日本人のままのしゃべり方で、演じさせればいいのじゃないかとふと思う。

「かったりぃ」でも「マジ、むかつく」でも案外「ヴィヨンの妻」の原作には馴染みそうで、一緒に暮らしながらもお互い信じたくて、それでいて信じられない、そんな夫婦の物語は例え抑えた演出であっても時代がかったものになってしまった映画よりもリアリティがあるんじゃないだろうか。

「女には、幸福も不幸も無いものです」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

太宰治の魅力って、死にたがっているくせに、生きている事に意味があると書く矛盾であるのだし、それは今の日本人の幸福ごっこと同じだと思うのよね。

2009-10-28

ヴィニシウス Vinicius

昔、歌謡曲の「昭和枯れすすき」の歌詞の「幸せなんて望まぬが、人並みでいたい」というところで、「人並み」って難しいよねという話を聴いたことがあった。

「人並み」であろうとして、人を踏みつけもする「人並み」は「幸せ」よりも難しいという話だった。

ブラジルのボサ・ノーヴァの創始者の一人で、歌う外交官として知られたヴィニシウス・ヂ・モライスの記録映画「Vinicius ヴィニシウス 愛とボサノヴァの日々」を観てきた。

つまらない寸劇やどうでもいい語り手の話など、疲れ気味の体調では眠気との闘いでもあったけれども、ヴィニシウス・ヂ・モライスの考え方がよく判った点では収穫だった。

その中で、ヴィニシウスが作った歌をアントニオ・カルロス・ジョビンがアメリカに紹介した際、元の歌詞は「生きられることを喜びたい。幸せであるよりも」というものをアメリカ人は「幸せに生きたい」と解釈したという話があり、アメリカの中流意識とは「幸せ」第一なのであり、ブラジル人の人生観とは異なるというような話があり、面白かった。

ヴィニシウス・ヂ・モライスは白人の中流家庭に生まれながら、黒人をよく知り、黒人のような白人と呼ばれ、酒と女と仲間を愛し続けた。婚姻歴は生涯9回におよび、一人でいるよりも仲間といることを最も望み続けた。

幸せであるより、生きることを愛したヴィニシウスはだから情熱的でもあったという。

ブラジルが軍事政権となった時、ヴィニシウスは左翼的ポリシー故に「アルコール依存症」を表向きの理由にブラジル外務省から馘首され、音楽に専念する。

その頃作った歌「オサーニャの歌」は軍事政権への皮肉を歌った歌なのだろうか?

与えよう、と歌う男が、何か与える試しはない。
本当に愛を知る男は、与えることを意識してはいないから。

行くよ、と歌う男が、再び行く試しはない。
一度行ったら、もう飽きてしまうのだろうから。

僕はこういう男なんだ、と歌う男が、その通りだった試しはない。
本当に誠実な人間は、僕は嘘つきなんだ、というはずだから。

ここにいるよ、と歌う男が、本当にいてくれた試しはない。
いて欲しいときには、誰もいてくれないものだから。

愚かな奴。
オサーニャの歌を歌うな、裏切り者!
哀れな奴。
まやかしの愛を信じる嘘つきども。

行け、行け、行け、行ってしまえ。
私は行かない。

エンディングに流れる「祝福のサンバ」はヴィニシウスの人となりを最もよく示した歌で、フランス映画「男と女」で使われたことはよく知られている。

みんなが幸せになりたいと思っている。
私は笑うのが好きだし、他の人が楽しんでいるのをじゃまする気はない。
けれど悲しみのないサンバなんて酔えない酒と同じ、
私の好きなサンバじゃない。
歌が嫌いな人もいれば、流行だから聞くだけの人もいる。
金儲けの為に歌を利用する人もいる。
私は歌が好きだ。
だから世界を駆けめぐりその根っこを探しあてるんだ。
そうして今ここにやっとたどりついた。
サンバこそは最も深い歌だ。
これこそ歌だ。

2009-10-27

ベビーブーマー baby boomer

団塊の世代といわれる戦後間もない時期に生まれた方達は、世界的に起こった出征兵士の帰還によるベビーブームによって生まれた方達で、団塊の世代を多く抱える週末の職場でも、ベビーブームの最終年である1950年生まれの方達が来年、還暦を迎えられる。

人数にして、うちの職場の親睦会の1割にあたる。

統計上ではその前年である1949年が最多数だそうで、その数は近年の出生数の約2.5倍にもなるらしい。

うちの職場では還暦で一度定年となり、再度65歳まで雇用延長枠として待遇が少し落ちての雇用継続になるのだけれども、新規採用も10年ほど前から止まっている現状、今では団塊の世代が親睦会の半数を占めるほどの数になっている。

つまりは6年後の来年還暦を迎える方達がいなくなる頃には親睦会もその存亡を問われるほどに人数がいなくなるということで、団塊の世代といわれるベビーブーマーたちによって保っているといっても過言じゃない。

それはどこの職場でも同じなようで、「戦争を知らずに生まれた」世代が職場にいなくなった時がこの国の正念場ともいえるのかも知れない。

毎年恒例の忘年会は来年還暦を迎え、定年になる方々をご招待して、盛り上がるのだけど、宴会好きで大騒ぎする団塊の世代がどんどんいなくなり、仲間意識もだんだん薄れ、余興の準備も難儀しそうな今年は特に時の流れを感じずにはいられない。

ベビーブーマーたちは日本の高度成長期に多様な文化を生み、残していったけど、それに続く世代である僕なんかはそのお兄さん、お姉さんの楽しむ様をただまねていただけなのかも知れない。

そんなお兄さん、お姉さんたちとの想い出づくりとして、今年もまた忘年会の準備に追われるこの頃。

2009-10-23

私の中のあなた My Sister's Keeper

小児がんを宣告された姉を救うために生まれた試験管べービーの妹。

幼い時から姉を救うために、入院し、血を、骨髄を提供し続けた11歳の妹が、姉へのドナー提供を拒み、親を告発した。

物語の設定が重松清っぽいけど、この映画は子供の権利とは、生きる権利とは、そして、死ぬ権利とはを描いていく。

化学療法を信じて疑わない母親が、姉のために生まれた妹の「抵抗」にどんどん自分を忘れて、闘い始める時、姉中心の家族愛はきしみ始める。

子供は親が守らなきゃ生きられないのか、親のいうことを子供は聴かなければならないのか。

子供に抱かれて、母親が赤子のように眠る時、母親は母親の責任から解放される。

名作「きみに読む物語」と似たタッチで作り上げたニック・カサヴェテスの手法に好き嫌いが分かれそうだけど、子供の権利って、こういうことだろうなぁと思いもしました。

小児がんの子供たちのドキュメント「風のかたち」をなおのこと、観たくなった。

2009-10-21

リビング Living

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

重松清の2000年に発表された短編集「リビング」の文庫化の時につけられた吉田伸子さんの解説の冒頭紹介される文句は、重松清のおそらくこだわる事なんだろうと僕も思う。

短編集「リビング」を読んでいると、この時期の重松清は複数のお話を平行して描く手法へのこだわりが空回りしているようでもあるけれども、その観察眼はやはり面白い。

雑誌編集者とイラスト・デザイナー夫婦とそのお隣さんを描いた連作『となりの花園』春・夏・秋・冬の4作品と一話完結の8編の短篇は婦人雑誌の特集記事とリンクする形で書かれた物らしい。

生活の場で何が起きているのかは、冒頭紹介した文句を忘れた現代人たちの右往左往する様なのだろう。

妻と離婚話が持ち上がっている中流家庭の男、苦労を重ね、いつも息子である男の耳元で呪文のような言葉を唱えていた亡き母の想い出「ミナナミナナヤミ」や何の不満もないけれども、自分の存在意義を見いだせなくなり、夫や子供たちに内緒で自分の育った街にひとり旅する「一泊ふつつか」、親の離婚で苗字が代わり、苗字があだ名の男の子がそのあだ名とお別れを試みる「モッちん最後の一日」などなど、現代の大人たちのプア・リッチな「リビング」の情景が描かれている。

離婚に悩む妻が「ミナ、ナミナ、ナヤミ」と勝手に解釈し、解決させる亡き母の呪文のように、今の悩みはスパイラルするかのように深まっていっているのだろう。

かつて「みんな貧乏が悪いんや」といえたものが、物があふれ、一見豊かになったようで、心の中に一抹の寂しさ、不安がある。それは「みんな貧乏が悪いんや」であるはずなのに、それを認めたくないプア・リッチな人々。

「東京には空がない」といった「智恵子抄」の智恵子のように、物が溢れかえるのが社会と勘違いした社会は「リビング」の空間をなくしている。

そのひずみが子供叱り、年寄りいびっているとしたら、自分たちの将来がどんなものかが判る。

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

2009-10-19

誰も知らない祝日 Holiday that no one knows

「11月12日が臨時の祝日って知ってる?」と週末の職場の同僚に聴いたところ、誰も知らなかった。

何でも翌年のカレンダーがとっくに出回った昨年の10月22日の午前に当時与党の自民党が内閣部会で、即位の礼から20年目となる来年11月12日であるという既成の事実を思いつきのように臨時の休日とする法案を了承した、祝日らしいのだけど、出回っているカレンダーとどれも平日となっているために、恐れ多くも「天皇陛下御即位二十年」を祝う祝日が「誰も知らない祝日」となってしまっているらしい。

秋の大型連休という鳴り物入りで行われたシルバーウィークも周りにいる人に聴く限り、この不況のご時世、「ありがた迷惑」で、職場で休みの遣り繰りをつけたところが多かったと聴くけれど、国民生活と政治の乖離は新政権になって果たして変わるんだろうか?

「平成」の世になった頃、クリスマスイブ前夜で、月末、年末の忙しい時、「天皇誕生日」は迷惑だという話もあったけれど、仕事いのちのエコノミック・アニマル日本国民は日本国憲法の冒頭にも日本の象徴と書かれてある「天皇様」より仕事が大切という国民性。

「天皇陛下御即位二十年」を祝う祝日は休むなどとは恐れ多い、働くことしか楽しみがない勤労奉仕する祝日になるのだろうか?

そして、誰かがまた下手くそな中国伝来の「津音階」の日本国国歌「君が代」を声を震わしながら、高齢化社会を象徴するように歌うのだろうか。

「誰も知らない祝日」休みになるのかな?

2009-10-18

ラ・パロマ La Paloma

赤ん坊の頃に母が買い与えてくれたオルゴール。そのオルゴールの奏でる曲はラテン・アメリカの名曲で、世界最古のヒット曲「ラ・パロマ」。

鳩のように自由に羽ばたきたいと願った母がこのオルゴールを赤子の僕の枕元で聴かせてくれたんだと思う。

昨日の職場のバザーには友だち、知り合いが来てくれた。それぞれの羽ばたきたい願いを込めて、与えられた場で集うひとときは、羽ばたきたい願いに繋がっていくだろうか?

「ラ・パロマ」のアコーディオン・バージョンを聴きながら、天高い秋の空を仰ぎ見る。

オルゴール

2009-10-17

カムイ外伝 Kamui

日本がまだ青い海と深い森に守られていた頃、人間も野性的に生き抜く術を持っていたのかも知れない。

白戸三平の「カムイ外伝・スガルの島」の映画化作品崔洋一監督カムイ外伝」を観ているとそんなことを思い巡らす。

人として扱われない非人の生きる術は「忍び」しかなく、「忍び」として生きられない者は「抜け忍」になるしかない。村社会の掟は逆に「天狗」とも相通じるアウトローを生み出していった。

崔洋一監督の師、大島渚の白戸三平原作の映画化「忍者武芸帳」は「敵の懐に入り、かく乱せよ」という戦術論だったけれども、今回の「カムイ外伝」は奪われた者が生き抜くために人を殺すというシンプルな物語になっていた。

「己の作った地獄で死ね」と叫ぶ不動の言葉は「己の作った地獄で苦しめ」となり、村社会から抜け出ることの出来ない民衆の物語にうまくなっていたと思う。

多用されるCGはCGを使わなければ再現出来ない失われた大自然を思い出させ、人間は昔、野山や海を駆け回る生き物だったことに気づかされる。

「己の作った地獄で苦しめ」の演技が一番ぴったり来る松山ケンイチも運動神経ダメダメという割にはなかなかの頑張りだった。

果たして、この映画、続編は作られるのだろうか。(笑)

2009-10-16

未整理 Unarrangement

気がつけば10月半ば。録画したDVDは山積みになっており、洗濯物も溜まってきている。税金対策の帳簿付けも年末間近というのに手つかずだし、年賀状の準備もある。整理整頓にせっかくの休みの日を奪われたくないと思っているからこんなことになる。

けれど、気持ちは表に出たいと休みの開放感を味わいたがるで、困ったものだ。

2009-10-12

運動不足 Lack of physical activity

先週の風邪も結局、病院の薬では治らず、市販薬の「パブロン」を飲む事で、治った。病院の調合薬と市販薬とどちらが体に負担が大きいのかはよく判らないけど、汎用性の高い市販薬の方が利いた事になる。

風邪で咳き込む時に身体の節々が痛かったのも取れたかと思いきや、十年前の腰の痛みがまたぶり返してきた。

その痛みを辿ると慢性化した肩の凝りの奥にあるような首筋の神経痛のような物と繋がっているようで、その二点を結ぶ背中の凝りが咳や鼻水の物のような気もする。

腰の痛みは身体の姿勢のゆがみから来ているようで、少ししびれを感じる左足側に体重を寄せると十年前と同じく、起き上がられなくなりそうで、身体の体勢を右側に反るような感じにしている。

一時、知り合いのやっていたジムに通っていた頃は筋肉をつける事で、体勢維持に心がけもしたし、知り合いのアドバイスに従ってもいたけれども、トレーニングを辞めてからは、平日パソコン・ワーク、土日ワーキング・ワークという両極端の生活が続き、壮年期を迎えたせいもあるのか、体調崩すとどーんと来るようで、適度に運動しなけりゃなぁと思ったりする。

体育の日の今日は天気も良かったので、中央区の街中をバス待ちするのももったいなく、ぶらぶらと歩いてみた。子供の頃、新聞配達をしていたので、歩くのは全然苦にならないけど、歩く頻度が減っているせいか、以前のような長距離は歩く気にならない。

こんな時、知り合いのアドバイスが貰えればなぁと思ったりするけど、まだ知り合いはスポーツを続けているのだろうか。

天高い秋の一日、懐かしい想い出にふと浸ってみる。

2009-10-11

温度差 Temperatures fluctuate

このところ、大気の状態が不安定になっているらしく、昨夜は札幌でも珍しく竜巻注意報なる物が発令された。

そんな不安定な状況下、うちの職場にアルバイトで来ている学生が事故を起こしたという話が流れた。その学生はバイクで三叉路に差し掛かった際、何らかの原因で転倒し、右肩から転げ落ち、肩、あばらを始め、全身打撲の上、骨折もしているらしく、今は病院で入院しているという。

アルバイトの復帰は無理やら、後遺症が残るだろうという憶測やら、いろんな話が流れる中、職場内でもそれぞれ微妙にその事に対し、温度差が感じられる。

そいつと仲良かった奴でもそのような大怪我の話に触れたがらない奴もいれば、落ち込む奴もいる。

現実をどう受け止めるかがそれぞれの中に葛藤としてあるのだろう。

身近な人間が過酷な状況に置かれた時、自分自身ではないからそれぞれの中に温度差が生まれる。

その事を口にすると果てしない言い争いにもなりかねないからみんな押し黙る。

別な事で些細なこだわりからの言い争いの末に、職場を辞めていった人の話を聴いた。

人の中の温度差をなくすのは難しいことなのだろう。

例えその温度差の原因が人の生き死に関わる事であっても。

2009-10-10

空気人形 The Air Doll

福祉のドキュメントを撮っていた是枝裕和監督の最新作「空気人形」はどうも感情移入が出来なかった。

欲望を満たすだけのダッチワイフが心を持ってしまい、街をさまよう物語は現代の空虚さであるのだろうけれど、是枝さんの優しさが仇になったのか、現代人の無関心、ご都合主義といった残酷さが見えてこないような気がした。

ペ・ドゥナの生身の身体と「空気人形」の入れ替わりのCGはどこからどこまでなのか判らなく確かに凄いんだけど。

誰も知らない」のような現代人の加害性を見せつける残酷さがもっと欲しかった。

帰りにいつも寄る定食屋さんで、トイレにはいるとそこに掲げられた色紙が、欲求不満の僕を癒してくれた。

どんなに偉い人でもあなたにはなれない

まんままんま
あなたのまんま
ありのままのあなたが一番

人は誰でも小便小僧や考える人になるんだもんね。

2009-10-09

ぴぐれっと Piglet

うちの職場「NPO法人 札幌障害者活動支援センターライフ」のサイトの更新作業をしていて、年賀状受付なり、バザーなどの行事をお知らせするにつけ、今年も年末に近づいて来た事を実感するこの頃。

昨夜からの台風の北海道接近で、寒さも一団と深まり、自分の部屋でも夏の間使っていなかったストーブを試しもしないまま、使ってみたりもしている。

何年か前、札幌市内で上映されずに、隣町の北広島市で上映され、見に出かけた伊勢真一監督のドキュメント映画「ぴぐれっと」をまた観たくて、いせフィルムに通販でビデオを買ったものを観た。

テーマ曲として使われる「ジョニーが凱旋するとき」は「第十七捕虜収容所」で使われた有名な曲で人間らしく生きたいと願うシンボリックな歌。

横浜の地域作業所「ぴぐれっと」を描いたこの映画もてんかんという持病を持った監督の姪である奈緒ちゃんのお母さんが同じ障害を持つ子を抱えるお母さんたちと作った作業所が大きくなってきて、その作業所を奈緒ちゃんの弟さんに任せるようになり、自分たちが何故「ぴぐれっと」を作ったのか、奈緒ちゃんの弟の世代はどう考えているのか、奈緒ちゃんも親元から地域にどう巣立たせるのがいいのかを語り合いながら、活動する様を描いた映画。

そこには「共に生き、共に働く」という事と対であるはずの「人間らしく生きる」も描かれている。

奈緒ちゃんの弟さんは社会に出て、普通の会社に勤め、脱サラした青年で、「人間らしく生きたい」という気持ちがあり、だからこそ作業所の障害を持った人たちに「人間らしく働く」スピードを教えていく。それは「頑張れ!頑張れ!」なんかじゃない。障害を持った人たちと共に生きたい人たちの「頑張れ!頑張れ!」であり、「ジョニーが凱旋するとき」だと描かれる。

札幌市内未公開のこの映画、出来れば多くの人に観て欲しいと思い、まずは仲間内に観て貰う事にする。

外部PRは出来ないけど、年賀状申込やバザーの会場でお声掛け願えれば、レジスタンスのようにこっそりと「ぴぐれっと」のお話いたしますので、昨年のバザーに来られた方々、「ライフ」にお越し下さいましませ。

2009-10-06

人生よありがとう Gracias a la Vida

アルゼンチンのフォルクローレの母、メルセデス・ソーサの訃報を知った。

軍事政権から民主化に南米全体が大きく流れた1970年代、「新しい歌(ムエバ・カンシオン)」運動のひとりとして世界中を駆けめぐり、時には亡命を余儀なくされた時期もあった。

南米各地のフォーク・シンガーたちの歌を取り上げ、歌い続けたメルセデス・ソーサはチリの軍政下で自死を余儀なくされたビオレッタ・パラの歌を愛し、歌った。

「17歳に戻れたら」「天使のリン」「ルンルンは北に去った」そして、亡くなる直前に発表された「人生よありがとう」

この歌は私の歌であり、この歌はみんなの歌。メルセデス・ソーサはそんな「新しい歌」を歌い続けた人。

2009-10-05

ヤブ医者の問診 The quack's examining in an interview

週末金曜日のお休みの日、なかなか治らない鼻風邪を診てもらいに病院に行こうと思い、近所の内科をネットで調べてみる。

かなり昔にかかった内科は街に出るには逆方向となるし、すぐに注射を打ちたがるヤブ医者の記憶があり、パスし、すぐご近所の内科もすこぶるご近所の評判が悪く、ここもパスする。

地下鉄駅そばの内科はどうなのだろうと、行ってみると、病院内は風邪引きさん達で満員御礼。診察受ける事にする。

名前を呼ばれ、医師の問診を受けるとあっけない対応で、鼻炎性の風邪との事で、お薬をくれるとか。

これは鼻炎の薬、これは咳止めと、出された薬は合計4種類。ここは医薬分業にもなっていないようで、その場でくれる。

愛書「成人病の真実」に手術をしたがる医者と薬を出したがる医者は信用するなと云う名言が書かれていたのを思い出す。

職場で薬を飲んでいると、親しくしてくれるおばちゃまが「そんなに薬を飲んで、胃腸がおかしくならない?」と聞かれ、「薬を飲むために薬を飲まなきゃね」と笑い話。

働くために薬を飲んで治し、体調崩して、また薬を飲む。

世界トップの薬害大国日本の薬依存は何も覚醒剤ばかりじゃないのかも。

「すかっと爽やか」の炭酸飲料だって、もともとはコカイン入りで「すかっと爽やか」だったらしいのだから。

それにしても鼻風邪の治りは遅い。「眠るのが一番の薬」と云ってくれた大学病院の精神科の医師が一番正しいのだろうなぁ。

2009-10-03

星に願いを Maid To Order

重松清さんが1990年代後半の5月1日を過ごす三組の人々の暮らしを綴った「星に願いを - さつき断景

阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件からノストラダムス、2000年問題まで世相に不安が蔓延した時代。阪神大震災に自分捜しに出かけ、宙ぶらりんなまま、大人になっていくタカユキ、オウム地下鉄サリン事件に地下鉄一本の差で助かったヤマグチさん、娘を嫁がせ、妻を亡くし、初老を迎えるアサダ氏の物語。

その中で、ヤマグチさんが語るオウム地下鉄サリン事件に地下鉄一本の差で助かった意識とその事に関心抱く道楽大学生の話が印象に残った。

ヤマグチさんはこんなに「死」が近い物なのかと思うのに対し、道楽大学生は「ラッキー」でしたねと関心抱くポーズだけで、ヤマグチさんの心の内のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を知ろうともしない。

悲観主義が世の中にはびこる時、それに反撥する楽観主義が現れ始め、今に至ったのかなと思うこの記述は、阪神大震災で自分捜しを出来なかったタカユキのその後の何となく流される生き方にも繋がるような気もするし、身の回りの環境がいつ間にか変わっていくアサダ氏の生活でもあるような気もする。

現実逃避がいいのか悪いのか、ヤマグチさんは世の中に脅えながらも、妻や娘に「心配しすぎ」と冷やかされ、娘がいじめのような状態にあう年頃になった時、痛みの判る人間として、娘に寄り添う姿を読む時、転んだ事のある人々は素敵だなぁと思えてくる。

2009-10-01

嫉妬 0 Ciume

風邪気味の身体を無理させ、仕事をしていると、カエターノ・ヴェローゾの「嫉妬」を聴きたくなってくる。

嫉妬こそが孤独になるとでも歌っているような暗喩の歌詞と、ガルシア=マルケスの小説のような渇いた街並みが思い浮かぶメロディに惹かれるのだろうか。

「焼き餅」「憧れ」「ねたみ」「そしり」そんな人間の闘争心が共に生きる社会をぶち壊し、「おまえはひとりだ」と「嫉妬の化物じみた影が君臨」させる。

疲れている時は被害妄想として、元気な時は詮索として。

シコの前で太陽も眠る 正午
すべてがおまえの光彩に酔い
ぶつかり合う
ポンチも ペルナンプーコも リオも バイーアも
そして 黒い橋のみが見張る
私の嫉妬心を

嫉妬の心が黒い矢を放ち
矢は喉元に命中した
楽しそうでもなく 悲しそうでもなく 詩人のようでもなく
ペトロリーナとジュアゼイロの間で シコ老人が歌う

ミナスからやってきた
神秘の影か隠されている土地からやってきた シコ老人
おまえさんは 何もかもを内に隠しもっているのだろう
だが 教えてはくれない
で、私はひとりだ ひとりだ私は ひとりだ

ジュアゼイロよ
おまえはあの昼下がりを憶えてもいまい
ペトロリーナよ
おまえは気がつきもしなかったろう
だが 歌声のなかではすべてが燃える
何もかもが徒労 すべてを探す どこだ?
たくさんの人々が歌う
たくさんの人々が口をつぐむ
製革工場で引き伸ぱされるたくさんの魂
すぺての道に すべての部屋に
嫉妬の化物じみた影が君臨する

2009-09-27

鼻風邪 Head cold

数日前に口の中の喉元近くがなんか鼻水が垂れたような違和感を感じ、変だぞと思っていると、首筋の喉まわりが痛みのようなものを寝起きに感じ、「風邪なのかな?」と嫌な予感をしているうちに、咳が出始め、胸のあばらがなんとなく痛く、もしかするとガンなのではと思い、実母も乳首のしこりからガンになったんだよなぁと思い巡らし、どうせ死ぬなら、映画「ぼくを葬る」のように抗ガン治療などせずに死にたいと思っていた。

そのうち、首筋、胸の痛みはなくなり、咳と共に鼻水も混じり始め、もしかして、今流行りの新型インフルエンザかぁと、どんな症状なのか無頓着だったので、ネットで調べると、下痢、嘔吐、咳、咽頭痛、倦怠感に加えて、鼻汁・鼻閉、頭痛等とあり、潜伏期間の後、高熱になるらしい。下痢はそれ以前から慢性化しちゃっているけど、嘔吐はなく、頭痛もなく、高熱になる気配もない。

おそらく熱を持たない「冷たい風邪」なのだろうと念のため、常備薬の葛根湯の錠剤を飲み、早めに寝たところ、翌朝の今日は咳は空咳になったものの、鼻水はだんだんひどくなってきた。

熱がないので、仕事にも出かけ、このままよくなりそうな気もするけど、悪化して、高熱が出るかも知れない。

明日、用心のため、病院に行って診察して貰おうかなとも思うけど、診断結果が怖いような気もする。

病気と向き合うって本当難しいけれど、病気を知る事が大切なのかも。

明日、まずは診断を受けてみようと。

2009-09-25

扉をたたく人 The Visitor

静かな映画を観たくて、「扉をたたく人」を観に行った。

妻に先立たれた初老の大学教授がひょんな事からジャンベ(アフリンカン・ドラム)奏者のシリアの青年と知り合う。孤独な教授は青年とその連れ合いと共に生活する事で、閉ざした心を開いていく。

9.11以降、移民政策が不寛容になったアメリカで、「扉をたたく人」の交流を描いたこの作品はアメリカ合衆国の孤独な人たちの物語。

ジャンベの音色に心の交流を交わした教授と青年は、不法入国の嫌疑をかけられ、入国管理局の拘置所に収監された青年を救うべく、教授は足繁く通う。

心の交流のシンボルになったジャンベの音色はDVDでは味わいきれないとの感想に、劇場でこの映画を観たくなったのだけれども、合理主義の世の中、こんな「贅沢」も希少価値になり、インスタントにマイ・ルームで観たい時に観たいDVDを観るのがおしゃれなのだろう。

不寛容になっていく世界は、「扉をたたく人」を警戒し、やがては孤独死を迎えるのだろう。

シリアの花嫁」で存在感ある演技を見せたイスラエルの女優、ヒアム・アッバスの名演も期待通り。アメリカの内からこういう異文化コミニケーションの映画が出て来た事に期待したい。

2009-09-23

石仏 Buddhist image of stone

昔お世話になった元HBCテレビのデレクターの守分寿男さんから絵の個展を開くという葉書をいただき、ギャラリー大通り美術館に見に出かけてみた。

絵心にはとんと疎い方なので、判るかなと不安でもあったけど、会場入り口に「絵」を書かれた動機を記された守分さんの色紙が飾られ、それに並んで、石仏を描かれた絵の数々が壁に飾られてあった。

独り身の地蔵様、夫婦か、親子か、兄弟か、あるいは心おきなく一緒にいられる者同士なのか、二人身の地蔵様。お顔は笑い地蔵に、泣き地蔵、怒り地蔵に、哀れみ地蔵。自然に朽ちたのか、人の手にかかり傷んだのか、欠けた地蔵の姿はその地に生き抜く人々の身なりに似てくるようにも思えてくる。

昔、下手な映画のシナリオの習作を見て貰った時に、登場人物、みんなそれぞれ想いは違うと思うよと助言下さった時と同じく、石仏を描いた守分さんの筆遣いはそれぞれの顔にこだわっているように思えた。

十勝岳の夏と冬の景色の横、四季の石仏として、恐山の夏の石仏が飾られており、それを見た時、数年前に亡くなった友人が晩年、仏像巡りに旅をしていたという話を思い出した。

一番印象に残った石仏画は合掌された石仏の絵。無心になる時、人は仏となるという。

地蔵は転じて閻魔となって、人の行いを振り返させる。地獄業は仏の道。

残念ながら、守分さんにはお逢い出来なかったけれども、今もなお、様々な顔を追い続けていられるのだろうなぁと思う。


守分さんの石仏紹介の色紙

2009-09-21

うちのお父さん38歳 His father is 38 years old.

アルバイトの学生のお父さんは38歳だとか。40代もおじいちゃん世代なんだよね。(笑)

惚けないように気をつけましょう。

今日は職場の懇親会。敬老して欲しいわぁ。

2009-09-20

障害格差 Trouble difference

予告通り、交通費助成制度の見直し案(修正案)の説明会に行ってきました。

見直し修正案に対する質疑応答の中で、精神障害の方が程度2級で、入院している時に、フリーパスである福祉乗車証が交付され、退院し、程度3級と診断されて、交通事業者の助成もない共通ウィズユーカードを貰っても、年間48,000円、月4,000円の交通助成だけでは通院、就職活動もままならないという指摘をされていたけれど、市の福祉局担当は、当初の改正案で、程度による助成の割合を同等にするとした案に対し、「重度は移動困難」と指摘されたから修正案を出したと、云われるがままの福祉行政である事を弁明として使っていた。

問題の本質は、障害程度の格差と、精神障害に対し、運賃割引制度を適用させないで、正規運賃を取る交通事業者の問題なのに、それらをスルーしてしまっている。

そして、この手厚い助成がある重度障害と助成の恩恵をほとんど受けられない中度障害、単なるレッテル貼りにしかなっていない軽度障害の実態を把握出来ていない福祉行政って、何をやっているんだろうと思ってしまう。

予算減額を目標に作られた交通費助成案も結局のところ、煩雑な手間を必要とする通所交通費助成制度案が付け加えられ、無政策だった精神障害に対する助成も組み込み、わずかながらの増額で落ち着きそうだけど、昨今急増している精神障害者へのサポートを含めた福祉予算を枠内でやりきろうとするのはやはり無理を感じる。

就労困難と移動困難という二重障害を抱える重度障害と就労困難なために移動コストを必要とする中度障害の助成格差はそのまま、就労困難に結びついているだろう。

所得調査を踏まなければならない高所得者に対する交通費助成の問題は触れられないのもなんなのかなと思うけれども、程度認定の度に、助成が大きく変わる程度の狭間にいる人たちの不安をこれまた税金である高給取りの公務員は理解出来ないんだろうなぁ。

2009-09-19

四川のうた 24 City

長江哀歌」のジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の作品を始めて劇場で見た。

長江哀歌」の二番煎じといわれ、何故、役者を使わないでドキュメントとしなかったのかなどの批判をネットで見るけど、「四川のうた」はおそらく個々人がその想い出を語るにはいろんな障害がありすぎるから役者に語らせたのじゃないだろうか?

三国志の舞台となった四川省の成都。そこに50年に及ぶ国営の軍需工場があり、それが取り壊されようとしている。その工場に勤めた人々の思い出話は中国の栄華衰退の軌跡を浮き上がらせ、体制社会から個人の時代に移行しようとする国の今を描き出す。

リストラされた女工、子供と生き別れになった女性、山口百恵のテレビドラマと自分の初恋を重ね合わせる社長室副主任、工場のアイドル的な存在として持て囃され、気がつけば熟年になってしまった女性労働者、母が働く姿など知らずに育った女の子が汗水垂らし働く母の姿を見、両親に新しく高級な街「二十四城」に部屋を買ってあげると気負う女の子。

成都、消えゆくものを携えながらも
生涯、私が誇りとするには充分なのだ

歴史の重みに逃げることなく、自分の立ち位置を見失うまいとする人々がいる事を描いたジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の作為はうまいなぁと思う。

2009-09-17

飛び石 Stepping-stone

世の中、明後日から5連休らしい。

僕も日程調整して、今日の仕事が終わったら、明日は定休、明後日有給、日月と仕事で、火水は人並みに連休と、飛び石二連休になる。

そんな秋の連休の週末土曜日、集まりやすいとの配慮なのか、交通費助成制度の見直し案(修正案)の説明会のお知らせ西区民センター3階の市民ホール(札幌市西区琴似2条6丁目)にて、14時30分から行われるらしい。

見直し修正案によると重度の障害を持つ者に対しては現状維持を示したけれど、中度の障害を持つ者の移動支援はほぼ半減されるようで、福祉施策の落とし穴が大きくなるのは目に見えている。

無駄遣い行政の倹約下手に突っ込み入れに行こうかなと思うのだけど、久々の連休、のんびりしたいとも思ったり。

飛び石遊びで怪我なきように。

憐れ、我ら、さすらう者、渦巻く時の波間に
中島みゆき「明日なき我等」より(アルバム「日 WINGS」収録)

2009-09-16

リモコン Remote control

仕事から帰宅し、居間に入ると母がテレビを見ていた。何げにテレビの上のJ:COMの受信機を見ると、久々に、メールランプがついている。母にランプをオフにする操作の説明も億劫で何も言わず、自分の部屋がある二階に上がった。

今朝、居間に降りると、いつものごとく、母が寝息をかいており、こちらも寝起きのコーヒーを飲もうとソファに腰掛けると、J:COMの受信機のメールランプが目にはいる。機械のリモコンは母の枕元。起こすのも悪いから、二階に取りつけてあるJ:COMの受信機のリモコンを取りに上がり、ソファーから画面を映さずの遠隔操作。

電源を入れ、メールボタンを押し、決定を二回押すことでランプは消える。

「お知らせ」したい事をメール通知する機能は確かに便利だけれど、使う側の高齢化による操作の困難さを情報提供側はどれだけ理解しているのだろうか?とこんな時、いつも思う。

テレビしか楽しみがない高齢者と余暇を十分に持てない中高年の世帯なんて、ざらにあるだろうに、システム機器は目新しい機能がさも便利かのように多機能化させ、それについていけない高齢者を不安にさせる。

J:COMの受信機なども使ってみると、アナログからデジタルへのチャンネル移行が盛んなこの頃、映らないチャンネルまでスキップせずに受信する仕様になっており、録画などでのトラブルも多い。

目新しい機能に振り回されるシステムエンジニアたちがいるのだろうと思うけど、その迷惑を一番被っているのは利用者。

リモコン操作の気軽さで、目新しい機能を社会に普及させる総務省は実態調査をしっかりすべきと思うのだけど、予算浪費国家の思考は社会の高齢化より、老化しているような気もしてくる。

2009-09-14

マスク Mask

札幌における新型インフルエンザの広まりが報じられ、職場に来ているアルバイトの女の子も感染したとかで、不安を増したのか、接客がメインの週末の職場で、従業員へのマスク配布、着用を会社側に要望しているらしい。

話を聴く限り、会社側からは全員に配布、着用の指示は出されなく、消極的らしいけれども、企業規模が大きいため、マスクの配布、着用を決めたとしても、その適用範囲をどうするかとなると、かなり難しい問題になると思った。

接客に携わるうちらの他、発売窓口の内部は?館内清掃は?ビル保守は?ビル警備は?周辺の道路警備は?などなど。決定事項の指示範囲を定めるのは至難の業だろうし、決めたならば、新型インフルエンザへの不安をあおることにもなる。

多様化するサービス業務の中、単に来客サービスといえども、難しい課題はたくさんあるのだなぁと、改めて思った。

マスクして、内面を仮面で覆い隠すという一面もその中にはあるのだろうけれども、「云わぬが花」がどう転がるかは誰も知らない事。

2009-09-11

アクセシビリティ accessibility

友だちから共通の知り合いが講演をするから、聴きに行かないかと誘われ、しばらく疎遠になっていた「ウェブ・アクセシビリティ」の最新状況を聴きに行ってきた。

基調講演をする知り合いが「アクセシビリティ」の概念を未だに初めから説明しなければならない状況に苦笑しつつ、出かける前に、会社の所長から聴かれた「アクセシビリティ」とはなんぞやという問いに、説明下手ながらも建物の二階に行く手段として、階段、エスカレーター、エレベターを選ぶ事が出来、二階を誰もが利用出来るようにする事と話し、そういう概念を物品全般で配慮すべき点を記したのが「アクセシビリティ・ガイドライン」と話したのだけれど、うちの所長さん、障害だけでなく、人種や宗教などが絡むと難しいと仰られた。その時はうまく説明出来なかったけど、利用する物に対して、どんな配慮が必要なのかであって、その物を利用する側が自分にとって利用可能かどうか、例えば、宗教で「肉食」が禁じられているならば、「肉」がその中に含まれているかだとかという情報が判る事が「アクセシビリティ」。

知り合いも音声読み上げでちゃんと読めるかどうかではなく、読み上げる事が出来るテキストがあるかどうかが、「アクセシビリティ」と話されていた。

最新の「ウェブ・アクセシビリティ」の参考サイトとしてあげられていたページを資料として紹介しておく。

僕も久々、「アクセシビリティ」の復習を兼ねて、勉強してみようと。

最新技術のHTML5やCSS3の仕様、ネットTVの規格化、ウェブ・アクセシビリティの最新規格であるWCAG2.0、改訂されるJIS X8341-3などなど覚える事は山ほどある。

参考資料

2009-09-10

ちいさい秋 Small autumn

急に秋めいてきて、夏の疲れが出て来たのか、お疲れモード。

朝晩の冷え込みと云うほど寒くはないけど、日中との気温差は大きくなっている。半袖でまだいたいような、長袖にしたいようなこの時期、体調を崩しやすくなるのかなとも思ったり。

10年ほど前、寝起きのクシャミから背筋に痛みが走り、ヘルニアをおこして動けなくなった事もあり、この時期が一番要注意なのかもと思いもする。

新型インフルエンザも流行っているようだし、少しの厚着が身体に優しいのかも。

体調の変化で秋を知る、「ちいさい秋みつけた」

2009-09-07

幸せですか?元気ですか? Is it happy?How are you?

今読んでいる重松清の「カカシの夏休み」に「あなたは今、幸せですか?」と幼馴染みにメールする場面があり、幼馴染みから「幸せって何ですか?」と返事が返ってくる。

その幼馴染みたちが集まった時、「お前。元気か?」と聴かれる主人公。

「幸せで、元気」「幸せだけど、元気じゃない」「幸せじゃないけど、元気」「幸せじゃなく、元気でもない」。「幸せ」と「元気」の組み合わせに想いを馳せる主人公は幸せな家庭ではあるけれど、教員としてキレる教え子の家庭環境を心配しつつ、幼馴染みのひとりを突然失い、ダムに沈んだ故郷が干ばつ天気で姿を現そうとするのを心待ちにしている。

幸せだけど、疲れている男。

亡くなった幼馴染みも同じようにダムに沈んだ故郷に想いを馳せ、逝ってしまった。

その骨箱は赤ん坊みたく軽い。

「幸せ」と「元気」はそれぞれほどほどがいいのかも知れない。それぞれ足りないと無理をし、それぞれ満ち足りても無理をする。

帰るところは今の生活にあり、帰りたいから沈んだ故郷に行くと「カカシの夏休み」は結ばれる。

今の「幸せ」と今の「元気」を人は理解せずに「幸せ」と「元気」を追い求める。

重松清は身の回りの「幸せ」と「元気」に気付いてご覧と言いたげに物語る。

どんなに世界は広くても今の「幸せ」と「元気」を守れるのは自分しかいないのだから。

2009-09-06

彼女の生き方 Her way of life

中島みゆきの「彼女の生き方」を聴きたくなった。

浮気女と 呼ばれても
嫌いな奴には 笑えない
おかみさんたちよ あんたらの方が
あこぎな真似を してるじゃないか

彼女の人生 いつでも晴れ

思い通りには 動かない
世の中なんて 何もかも
だけど あたしだって 世の中の
思い通りなんか 動かない

2009-09-04

ねんりんピック Nationwide healthy welfare festival

動ける時間に観たい映画もなく、街をぶらついていると、「しまね」と刺繍されたセーターを着た年配の方々とすれ違い、噂で聞く「ねんりんピック」が始まったのかなと思う。

すすきのは夜祭りとかで、駅前通の南4条を車両通行止めにして、和太鼓の合奏が鳴り響き、心持ち、年配の方々が多いかなという人混みを通り抜ける。

疲れ癒しに行ったスーパー銭湯でも関西弁の年配者がグループで来ており、風呂場の店員に「何の集まりなんですか?」と聴かれ、「ねんりんピック」と答え、「参加資格は45歳からだよ」という補足に、店員さんも「私も大丈夫だ」と笑いながら和む。

歳を取る事を笑いあえるっていいなぁと思い、同じ趣味で集う仲間との憩いを持てる事が羨ましくも思えてくる。

がむしゃらに働く事が自分のためであるかのような野暮などいわず、気心知れあった仲間と仕事の癒しを持つ。そんな方達が今、札幌に全国から集まってきている。

帰宅後、「ねんりんピック北海道」のホームページを開いてみると、「全国健康福祉祭」というのが正式名称らしく、スポーツ、文化から健康福祉機器展まで多種多様らしい。「参加資格は45歳から」というのも今や国民の半数近くになるだろうから、「年輪を重ねた社会」のゆとりを考えても悪くはないだろう。

地下街で週末の仕事で一緒に働き、65歳の雇用止めで辞めたおばさんとばったり出逢い、立ち話で、週末の仕事がなくなって、遣り繰りが大変という話や年配者に対するひったくりなど片や世知辛い時勢を思い出しもしたけれど、「ねんりんピック」の経済効果で地域活性されればと願いたくもなるけれども。

2009-09-03

威張る It domineers.

仕事帰りに寄る街の銭湯。昨夜はそこに恰幅の良いおじいちゃんと若いスーツ姿の男たちが脱衣所に入ってきて、「生活介護の人たちなのかな?」とふと思う。

そのおじいちゃんが脱ぐ服をひとりの若者が受け取り、いったん広げて、きれいに畳んで、脱衣籠にしまう仕草に、今の介護福祉はここまでやるのかと感心しつつ、その一部始終をちらちら横目で眺め見る。

「生活介護」ではスーパー銭湯だと介護者も入浴料を取られるけれども、普通の銭湯だと服を脱がなければ、介護者は入浴料を取られないという話を聴いた事があり、この人たちも服を着たまま、浴場でおじいちゃんの身体を洗うのかなと思っていると、先に浴場に入ったおじいちゃんに遅れないように、服を脱ぐのを手伝っていた男も服を脱ぎ始める。

脱ぎ始めた男の両腕には見事な刺青が掘られていて、「へぇ、あのおじいちゃん、やっちゃんのおっちゃんなんだ」と改めて、湯船につかるおじいちゃんを見る。

おじいちゃんの身体は肥え太りはするものの刺青のたぐいはなく、刺青なんて入れていないのが親分なのかとひとつ利口になりもする。

付添の若い男はおじいちゃんが湯船に入っている時、手桶に水をくんで、持っていき、湯船から上がる時にはお湯と水のそれぞれ手桶をおじいちゃんに持っていく。

手順に間違いがあったのか、「莫迦か」と怒鳴られる場面もあり、おじいちゃんは如何にも偉そう。同じ浴場にいる見覚えのある若い奴が挨拶もしないで身体を洗っていると、おじいちゃんはその若い奴に声をかける。若い奴は石鹸の泡だらけのまま、直立不動で立ち上がり、深々とおじいちゃんに頭を下げて、挨拶する。

おじいちゃんが洗い場に腰掛けると脱衣から付き添う若い奴がおじいちゃんの身体を石鹸つけて、洗い始め、おじいちゃんが頭を洗っている隙に、湯船につかり、体を温める。

ふと脱衣所の方を見るとこれまた体格のいい若者がスーツ姿のまま、おじいちゃんの護衛なのだろうか、浴場の中をじっと見据えている。

顔なじみなのだろうか、入浴していた普通にみえるおじいちゃんとひと言二言話しかけ、そのおじいちゃんは子分を従えて、帰っていった。

威張り方もさることながら、威張らせ方も見事としかいいようがなく、世にはびこるご機嫌取りたちに見せてやりたいようなそんな「威張る」手本を見せて貰った、そんな一夜の出来事。生活介護もここまですりゃ「かたぎさんたち」に迷惑かけないのにね。

2009-09-01

半パン・デイズ Every day of shorts

思い通りにならなかった日々の想い出を書き綴った重松清、お得意の少年グラフィティ。

アポロ13号や万博やオイルショックやスポ根マンガなどなど今、40代のおじさんたちが子供だった頃、いろんな人たちと別れた思い出話は、生きていく寂しさと寂しさを想い出に持つ人の物語。

重松清本人は親の転勤で何度も引っ越し、別れを繰り返した人らしいけど、「半パン・デイズ」の主人公であるヒロ君ことヒロシは小学校に入る前、東京から田舎の港町に親の都合で移り住み、そこで小学校時代を過ごす。

引っ越し間際、入れ替わるように東京に引っ越していく年上のヨウイチ君と新しい生活の不安を分け合い、小学校に入り立ての頃、クラスメートに標準語を喋るのはテレビに出ている人間みたいだとからかわれ、仲間はずれのウソつき小僧、上田君と仕方なく遊んでいたけど、からかわれるのが嫌で、「勇気」を見せるのと引き替えに、上田君をひとりぼっちにさせてしまった想い出。

ヒロシマのゲンバクで身内を一杯亡くし、一杯位牌を持っているチンコばばあと一緒に暮らす事になり、白内障になり、目が見えなくなって、亡くなるまで付き添った想い出も出来、引っ越し当初から遊んでくれた伯父さんのところで働くシュンペイさんが母親がひとり暮らす田舎に咲く牡丹の花を腕に刺青し、周りから白い目で見られ、かばってくれた伯父さんのところにも入れなくなった想い出も出来た。

身体が不自由で、小学一年の頃はクラスメートみんながかばったタッちゃんも高学年になるに連れ、学力アップについてこられず、クラスの中で浮いた存在になっているのが嫌で、かばいはするものの、かばうタッちゃんを疎ましく思えてきた小学四年、タッちゃんは養護学校に転校していった。

少しずつ大人の言葉が分かり初め、年下の存在も気に掛かり始め、友だちにライバル意識を持ち、「半パン・デイズ」の小学時代は後半に向かう。

その事を覚えている事が誇りなように、重松清は主人公を取り巻く人たちを生き生きと描く。

「あの頃」の奴らに会いたいかというと別に会いたくはないけれど、忘れたくはない想い出として、自分がただ見送る事しか出来なかった頃の事を思い返す。

出来ない事を覚えている人ほどいろんなものが見えてくる。そんな語りかけを続ける重松清の本を僕は読みふける。

2009-08-30

能力と能率 Ability and efficiency

先週の共同連名古屋大会の事を思い返し、咀嚼していて、まず一番感心したのは「互いに助け合う」という理念だったような気がする。

「互いに助け合う」と言葉にするのは簡単だけど、どう助け合うかは「互い」を知らないと「助け合う」にはならないのだろう。そして、「助けて貰った」という自覚がなければ、「助け合う」にはならない。つまりは「互い」が問題なのじゃないかと思う。

それは能力と能率の違いだろうし、個々人の能力を理解しなければ、能率ある仕事は生まれてこないというビジネスモデルなのじゃないだろうか?

愛知県のわっぱの会が展開する事業所の紹介で、障害スタッフと健常スタッフの人数がそれぞれ示されており、この業種は障害スタッフが、別な業種は健常スタッフが多く配置されており、それが意図的なのか、人員不足なのか気に掛かった。それは一緒に紹介されていた滋賀県の「がんばカンパニー」、「ねっこ共働作業所」にも云える事で、意図的に人数配分をしているのであれば、なかなか面白いビジネスモデルのようにも思えてくる。

こんな事を何故思うのかというと週末に勤めている仕事で、それこそ30年前、入ったばかりの頃、僕の障害程度で出来る仕事は何かを検討してくれた記憶があり、あれがいわゆる「適材適所」の考え方なんだろうなぁと思うわけで、この頃の風潮となっている誰もが何でもこなさねばならないという能率的には悪すぎ、能力を無視した仕事のあり方に対する疑問にもなっている。

能力と能率は様々な仕事と無数の人がいるほどに効率を上げられ、日本の三大都市圏のひとつ、名古屋ではおそらくその辺が十二分に考えられているのじゃないだろうか。

じゃ、人も仕事も少ない200万都市札幌は何が出来るのか、人も仕事も少ないから、公共事業が肥大化して、何でも公共事業にしてしまい、民間の力がそぎ落とされているような気がしてならない。

札幌ではまず見られないけど、東京、名古屋ではよく見かける地下鉄駅と近隣ビルの連結により、エレベーターなどのバリアフリーの確保なんかは、土地勘がないと混乱するけれども、互いの能力と能率を活かし合う街づくりであると思うのだけど。

大阪、橋下知事じゃないけれど、民間の知恵で「ない袖を振る」発想とは人と仕事を知るに尽きるのだろう。

札幌地下街が地元企業撤退で、大手資本のコマーシャル媒体としての出店ばかりになってしまった事なんて、札幌なのに札幌を売り出せないその典型例だろうし。

中部国際空港 セントレアも地元の土産もの出店より、東京バナナの店が目についたりしたけれども。

2009-08-29

歯石 Tartar

利き手不自由で歯磨きが下手なのか、どうも歯石が溜まりやすく、通っている歯医者さんで、虫歯治療が終わっても歯石を取るために定期的に通った方がいいと云われてしまった。

歯茎全体が腫れぼったくなり、歯を磨き度に出血するのは毎回で、出血したら、歯茎のマッサージとして、ブラッシングをするよう心がけているのだけれど。

歯石を放っておくと、歯のエナメルを溶かして、痩せさせ、歯をなくす事になるらしく、今の状態は歯肉炎になっているとか。

元々、歯は丈夫な方ではなく、差し歯、詰め歯、入れ歯など口の中全体なんらかのトラブルがある。今入れているブリッジ型の入れ歯が大きくならないようにと歯科衛生士さんから云われ、ただ頷くしかない。

仕事のお休み日だったので、映画にでもと思いきや、時間が合わず、何となく街をぶらつき、一緒に名古屋に行き、同泊したおじさんの財布の中に「ロト6」が納められているのを思い出し、何となく久しぶりに「ロト6」、「ミニロト」を買ってみる。

他力本願に限界はあるのは知っているけれども。

明日天気になぁーれ

2009-08-27

不正の本質 Essence of injustice

NPO法人札幌ライフの機関誌「アドボケイト」最新号に掲載のもの。


この頃、郵便不正利用の問題がマスコミで騒がれています。

心身障害者用低料第三種郵便は情報の確保

不正利用されたのは心身障害者用低料第三種郵便という制度であり、この制度は1960年代に、何の生活保障もなかった重い障がいを持つ人たちが国や自治体に働きかけて、出来た制度と聞きます。

全国の障がいを持つ仲間たちがどのような生活をしているのか、情報を共有したいとの願いから、障害者団体の発行するニュースなど、数少ない障がいを持つ者たちの悩みを知る情報源の入手手段を確保することは生きる上、欠かせない物だったと聞きもします。

今のようなテレビ、ラジオ、新聞、ネットなど情報があふれかえる時代では想像しにくいかも知れないけれども、「情報の確保」の大切さは、障害者差別撤廃に関わる一連の人権条例でも大きな比重を占め、ネットなどでは、聴覚、視覚、肢体などの障がいを持つ人たちが利用できるページ作りの指針も示されていますし、「車いすが障がいなのではなく、段差が情報を得る上での障がい」と社会的障がいの問題からバリアフリーの理念も生まれたといわれます。

再発防止の対処策より不正の本質を

ダイレクトメールの郵便不正利用に端を発し、郵便事業会社の不祥事、厚生労働省の担当者が不正に関与していたなど、政官癒着にまで及んだ事件の展開は、あきれ果てるとしかいいようがないですが、不正の本質をあばく考察にならずに、再発防止の対処策に流れてしまうマスコミを始めとする世論の流れが一番の問題であるように思えます。

叩かれないために、再発防止の対処策として郵便事業会社は過剰にも思える窓口対応を行い、煩雑化するだけで、紙資源の無駄遣いにもなる書類主義に、正規の手続きを取ってきた障害者団体が振り回されるというおかしな事の成り行きにもなっており、じゃ、心身障害者用低料第三種郵便をなくしてしまえという暴論も飛び出しているとも聞きます。

日本障害者協議会や全国障害者定期刊行物協会連合会、日本障害フォーラム(JDF)が総務大臣、厚生労働大臣、郵便事業株式会社代表取締役会長に宛て、意見書、要望書を出されたものをネットで読むことも出来ます。

昨今、障害者施策を取り巻く環境への危惧

昨今、障害者施策を取り巻く環境として、例えば北海道における聴覚障害偽装、障害者加算の不正受給などもやはり不正の本質ではなく、再発防止の対処策に流れていっている感じがあり、うちの事業所で働く障害者スタッフの毎年行われている自立支援助成の申請書に「障がい程度の確認」として医師の診断を求める書類が添えられていると、どう見たって、重度障がいである者を再認定に持って行こうとしているのじゃないかと、警戒したくもなってくる。

「障がい」は完治しないと判断されるから「障がい」であり、人間は加齢により、「障がい」も重くなるという常識を、一部の不正を切っ掛けに社会保障の削減策に持って行こうとするようなそんなゲスな社会意識が生まれようとしているような気がしてならない。

2009-08-26

やればできるさ Si può fare

国内ではイタリア映画祭2009で上映されただけの、共同連名古屋大会で特別上映されたイタリア映画「やればできるさ」。

映画の社会背景を調べると、毎日新聞の2009年2月5日東京朝刊に詳しく書かれていたようだ。

イタリアは患者への拘束や暴行が横行していた精神医療を批判し、「狂気とは人間の1つの状態であり、まず社会が受け入れるべきだ」と精神病院の全廃を唱えた精神科医フランコ・バザリアらの提唱で、1978年に法施行され、犯罪者が入所する司法精神病院以外の一般の単科精神病院が次々と閉鎖され、遅れていた南部も含め、1998年末に全廃されたという。

モデルになったベネチアから列車で北東に1時間。ポルデノーネの共同作業所はその法が施行された3年後の1981年、精神科の知識など何もない中年男が施設に関わる事から始まり、「彼らに仕事などは無理だ」と医師や行政当局に相手にされなかった事業は今、「コープ・ノンチェロ」という名の大きな協同組合になっているという。

中年男にひとりひとり「さん」付けで名前を呼ばれ、感激する患者たちに「働けば金がもうかるぞ。君は何が得意だ。何ができる」と呼びかけると、それぞれおずおずと「僕にできるかな?」と応ずる患者たちの言葉がこの映画のタイトルとなっている。

押さえつけられた薬物治療の薬の量を減らしていく事で、寝てばかりいる生活から脱却し、自分たちで決めて仕事をする組合形式の元、能力を問わず、賃金を分け合う生活が始まる中、性欲や恋愛などナイーブな問題も浮き上がってくる。

障害は本人の身の上にあるのではなく、社会の通念や偏見がまずは障害なのであると、語られる社会モデルの解決の実践例を描いた映画であり、イタリアらしいコミカルな物語展開の中、疎外している社会の問題がネオ・リアズムのイタリア映画らしく描かれる。

「はっきりと線引きできる違いはない」とされる精神障害者の社会参加を疎外しているものは、「こうあるべきだ」を頑なに信じる社会通念であり、それが競争社会を加速させている。

人間は機械の部品じゃなく、機械の部品にするから精神的に参ってしまう。

カッコーの巣の上で」から語られ始めた精神病者の人権は精神病院を組合に変えるという実験から精神病院の全廃へと流れている。

「日本は100年遅れてるんじゃないの」とも云われる社会環境のギャップは、増え続ける日本の精神疾患に象徴されているのかも知れない。

2009-08-25

選挙に対する思い Desire to election

休みを利用して、期日前投票に行ってきたけど、来ている投票者から投票当日より人が多いという声も聴かれた。

そういう意識を調査していないのか、投票受付の人手は少なく、投票会場入り口は行列が出来る時もしばしば。

見た感じ、高齢に有権者が多かったけど、日本は選挙のネット活用がまだまだ検討されていない国だから、期日前投票の整備はちゃんとすべきなんじゃないだろうか。

それと共同連全国大会で聴いたイタリア、韓国、フィリピンでは発言弱者の人権法案が次々と可決されているらしいけど、日本は種々の人権法案推進の動きが見えなく、景気浮揚ばかりが選挙のメインとして取り上げられている。

先日、職場に新聞記者が訪れ、障害者から見た今回の選挙がスタートしたことに対する思いを原稿にしてくれないかというので、ちょっと書いたものを転載しておきます。

共同連全国大会でも、生存権と人権を別枠で考える向きが感じられたけど、どうして、日本人は縦割り思考が強いんだろう?

そこが判らない。

今回の選挙の告示による国会の解散により、障害者自立支援法の改正案が廃案となる一方、臓器移植法改正は十分な審議がされないまま可決されるなど、福祉にまつわる環境への配慮があやふやにされた印象を受けました。

障害者手帳の偽装や心身障害者用低料第三種郵便の不正利用など次々に起きる社会的事件からも、障害者の暮らしに関わるいろいろなサービスが受けられにくくなっているという状況があちらこちらから聞かれるようになっています。

それはとりもなおさず、社会的弱者とされる障害者や高齢者、子供たちの人権法案が明文化されていない事に問題があるのだろうし、日本が初めて国際規格として提案した「ガイド71」に記された「人の能力」への配慮がなされないままであることが問題のような気がします。

二大政党化が云われる政権選択の中、多様なニーズを受け入れられる政策がなされるのか、出された政策をスムースに実行できる行政になりうるのか、不透明なまま、選挙が始まった感があり、少子高齢がどんどん顕著になるこれから、ワーキングプアが野放しにならず、それぞれの人権に配慮した安定した福祉政策を望みたいと思います。

2009-08-24

分けない!切らない! It doesn't divide. It doesn't cut it.

木曜からの名古屋の旅から帰り、今日は一休み。

反貧困色を強く出した共同連 in 名古屋のてんこ盛りメニューを噛みほぐすべく、まずは振り返る。

8月20日(木曜)、職場メンバーと夜の名古屋に辿り着くなり、夏らしさを味わえない札幌人たちを蒸し暑い湿気のお出迎え、まずは一杯と、飲み屋散策したものの結局どこにでもある居酒屋チェーン店に潜り込み、「名古屋名物、くれ」という。

8月21日(金曜)、本論の共同連 in 名古屋も初日は昼からで無理のないスタート。

「ソーシャルインクルージョン」とはごった煮の事と教えられ、身体の程度に関係なく共に働く事を目指す共同連は様々な反貧困と連帯を組む事が話され、年越し派遣村の村長、湯浅誠氏の講演の後、会場横の吹上公園にて野外交流会、韓国のチャンゴの響きが心地よかった。

8月22日(土曜)、二日目は盛り沢山の内容で、疲れてしまったけれども、思いを同じにしている方達の全国大会だけに、安心感はある。

午前の分科会は事業別という事で、僕は「異業種交流」の部会に参加。滋賀県の「ねっこ共働作業所」の白杉滋朗さんのコーディネートにより、愛知の「豊生ら・ばるか」の夏目浩次さん、大阪の「エル・チャレンジ」の丸尾亮好さんの福祉と民間のコラボレーションの話に、愛知の鶴田商会エコ・ブランチの鶴田紀子さんの定年なき雇用の零細企業の実践例が話される。

今回の全国大会のテーマ「分けない!切らない!」が見えてきて、面白い。

午後の講演会は「海外の学ぶ社会的事業の可能性」と題され、イタリア、韓国、フィリピンの実践されているお話がされたけれども、満腹の昼飯弁当の後だけにお眠りモードの「夢の途中」。

その後に上映されたイタリア映画「やればできるさ」は精神病院解体にまで至ったイタリアの精神障害者の協同組合のお話で、精神障害者の社会的な差別環境(社会的障害)を克服する話がうまく描かれていた。イタリア映画祭2009でのみの国内上映しかされていないワーナーブラザーズ配給作品はこのまま埋もれることなく、一般公開して欲しい。

長い二日目、最後は例年盛り上がると聴く交流会で、全国各地の方達と和みの一時。催しもの初めの「名古屋万歳」の生ライブと催しもの定番「矢島美容室」に心奪われる。

交流会は二次会へと進み、うちらは滋賀県の「がんばカンパニー」の中崎ひとみさんと熊本の方達とともに語らい、終わる。

8月23日(日曜)、最終日は午前の分科会が今日の状況を語り合うという事で、僕は「セーフティネット/所得保障」に参加。

わっぱの会所属の市議会議員、斎藤まことさんの進行で、DPI日本会議議長の三沢了さん、リソースセンターいなっふの岡部耕典教授、日本障害者協議会にも関わられている石渡和実教授、お三方による所得保障の理念であるベーシックインカムはその認知度が低いためか、議論となりはしたものの、僕としては、もっと具体的、現実的な所得から天引きされる社会保障などの目減りの問題から、「働く」を基礎ベースに動いている共同連なりの「セーフティネット/所得保障」を話し合うべきと思いもした。

労働でありながら、福祉サービスと位置づけられている「障害者自立支援」の利用料負担の問題などもある意味、所得保障の問題でもあると思うのだから。

最終日午後はビデオ上映でもあり、軽く流された感もあるけれども、盛り沢山な全国大会を終え、帰路、見送ってくれた方が「飛行機から四日市の花火が見えるかも知れませんよ」と教え頂く。名古屋を離れる飛行機の窓から、四日市の花火が遠くに小さくも見え、飛び立った後も、名古屋近郊の街だろうか、あちこちで小さく見える大輪の花火が打ち上がっていた。